58 破滅願望
久しぶりの禁域への不法侵入者は、森の浅い位置で既に事切れていた。
目立った外傷はなく、死体の足元へ寄ったカナンが〔解析〕を掛けてみれば、結果は "服毒死"。
外界の森でも町中でも当たり前に見かけるマグカニトラという、根元の剪定されたアリゾナイトスギを彷彿とさせる若木の下で、幹に背を凭せ掛け両足を前へ投げ出した姿勢で死んでいるその人族の男は、森歩きには相応しい厚手の長袖の上着にズボンを着込み、履き慣れているのだろうややくたびれた革靴に襟周りはネッカチーフのようなものでガードしており、腰と胸元には短剣、と武装までしていた。装備の質は良く、太股に無造作に置かれている手には指輪タイプの魔道具まで嵌められており、一般庶民ではないだろう。
年は二十代半ばくらいか、眉間に深い皺を寄せ、きつく瞼の閉じられた表情は毒の齎す苦痛ゆえではなく、悔恨か憎悪か、男の抑え難い激情を表しているように思えた。
「自殺と併せて、森への侵入は不本意だったってことかな……」
禁忌を犯すという愚行がこの男にとって不可避であるなら、せめて同族へ科されるペナルティを回避しようとでも考えたのか。しかし侵入者を誰が殺したかは重要ではなく、一歩でも足を踏み入れること自体が問題なのだ、自殺したところで結果は変わらない。
ただ侵入者以外が負うペナルティは直接的には死に至るものではなく、この男の場合恐らく仕向けた者がいるのだろうが、そちらはのうのうと生き続けていられるのだから理不尽な話だ。
仕向けた側の欲望に端を発しているのか、この男に対する極刑に森を利用したのか、いずれにしても森にとってはそうした人族内の事情はどうでもよく、罪を人族基準の "公平" で測ることはしない。禁域の自領宣言には苛烈な対処をするのだからアンバランスな気もするが、所詮それはカナン、或いは辜負族の感覚に過ぎず、禁域には禁域の価値観があるのだろう。
それにしても死を象徴するイトスギに似た木の下で息絶えているのは何とも出来過ぎである。ブルーアイスは不変を表すとも言うが、そちらであるなら何の不変を主張して逝ったのか。
もっとも、この世界では、地球の限定的な人間に始まる偏向した象徴付けは何一つとして通用せず、ただの偶然でしかないが(この世界でなくとも、植物にしてみれば一方的にありもしない属性を押しつけられたところで知ったことではないだろう。イトスギの "死の象徴" など酷い冤罪だ)。
* * *
金糸銀糸をふんだんに使った、洗練とは言い難い内装の施されているその部屋の、豪奢な調度品の合間に据え置かれた天蓋付きのベッドの上でシーツに顔を押しつけて蹲る若い女は、何処か熱に浮かされたようにブツブツと呟いていた。
「…………はヴェゼダイドの領土……ヴェゼダイドのもの…………ヴェゼダイドの支配する土地…………」
表現は多少異なれど繰り返されるのは同じ意味合いの言葉。
「思惟の森はヴェゼダイドのもの…………すべての禁域はヴェゼダイドのもの…………!」
最大級の禁忌。
「ヴェゼダイドのもの、ヴェゼダイドのもの、ヴェゼダイドのもの!!」
昂揚が止まずだんだんと大きくなる声量と共に女は顔を持ち上げ、ついには仰のいて天蓋を見上げ叫ぶように同一の言葉だけを繰り返した。
そして。
「――――さあ、ヴェゼダイドに滅びを!!!」
残念ながら、ヴェゼダイド王国が滅びることはなかった。
滅亡目的で放言される自領宣言に、禁域は一々応えない。
それはそうだろう、滅ぼされては困る者に対し、滅亡を与えるのでなければ罰にならない。
程度の差はあれど破滅願望のある者はいつの時代にもいる。深刻であれ勢いであれ、禁域は辜負族に利用されることをよしとしない。
利用と言えば、一時的に国籍を移し、その国の自領宣言をして滅ぼそうとしても無駄である。その場合、滅ぼされるのはその者が精神的に帰属している国であり、人の法的な形式は禁域には何の意味もない。
(よくある貴族同士の足の引っ張り合いに負けた側……ね。岡惚れもあったのかな)
何故ヴェゼダイドを滅ぼさない! 私を殺さない! と鬼の形相で禁域を罵る女の様子を開け放たれた窓越しに夜闇の深い上空から見下ろすカナンは、以前思惟の森で服毒自殺した人族の男を思い出していた。
精霊が言うには、女はあの男の、思い交わした上での婚約者だったらしい。
男の実家は既にないが、男を陥れた者の一族も禁域のペナルティで領地が枯れ(ヴェゼダイドの全土に及んでいる自然災害の規模は地域によって異なり、それはそこに住む、ないし所有する者の、禁忌の周知徹底と厳守に対する責任の度合いと、禁忌を犯した者との関係性を元に、禁域の価値基準で差がつけられる。そして勿論、全て幻影)、運にも見放されてこれまた既に没落している。
女のいるこの邸宅はヴェゼダイドにあるのではなく、隣国のメルレンティの王族のものだ。婚約者の男が死んだのをこれ幸いと、災害の復興支援と引き替えに相手側の望み通りにヴェゼダイドの王家が女を差し出したのである。勿論、そこに女の義務的な合意はあれど本音での同意はない。
(メルレンティは男の死に関与していないから恨みようがないか)
タイミング的に男を陥れた者と女を手に入れたメルレンティの王族とが繋がっていそうなものだが、真相は極めて単純に漁夫の利であっただけらしい。
恨みが陥れた者個人ではなく故国全体にすり替わったのは、望まない結婚を強いられたからだけでなく、件の者が禁域に干渉した罪で既に処刑されていたからだろう。しかも当人にとっては不本意ではなく、身の破滅が本望だったのだ。
そうした当事者達の心理的な事情は必要がないとカナンは聞かなかったが、謀略者は端から自殺した男もろとも滅びるつもりで、女に対する恋情に一欠片も希望を抱いてはいなかった。
心が得られなければ体だけでも、と思える安いプライドの持ち主か、愛情と執着を勘違いした者であればまた違った展開があったかもしれない。
ともあれ、女は怒りの持って行き場を失い、代わりに件の者の、恋敵を没落させるまでの謀に荷担はせずとも法的には問題ないと見做して婚約者を見放し、自身を隣国へ売り渡した自国の王家、ひいては国そのものに恨みが向かったようだ。
実はヴェゼダイドの王族はあの男の(法的に問題のある)思惟の森への侵入を黙認していたのだが、そのことを知らずとも結局王家を恨むことになったのは皮肉なのか当然の帰結なのか。
(ヴェゼダイドの王族は男が思惟の森から何を持ち帰るのを期待したんだか。ペナルティで肥沃な国土と引き替えにしてまで……)
その醜い欲の発露をしれっとなかったことにして、件の者を処刑したのだから腹黒いやら面の皮が厚いやら。
(王でなかっただけまだまし……?)
いや、黙認した者を処罰せずに放置している時点で、碌でもないか王でありながら権力が弱いのか。
禁域が滅ぼさずともヴェゼダイドの先行きは明るく見えない。
狂乱する女からつい、と視線を外したカナンは、ベッドヘッド側に置かれたチェストの上へ視点を定めた。同時に右掌を上向けて前方へ差し出す。すると次の瞬間、そこに無骨な幅広の指輪が現れた。施された彫刻は只の装飾ではなく呪文――魔道具である。
禁域によってこの地へ転送されてきた時、足元に転がっていたこの指輪にカナンは見覚えがあった。そう、服毒自殺した男の指に嵌まっていたものだ。森にしては珍しく意図の分かり易い符号だった。遺品の用途など限られている。この世界の住人は遺品に死者の面影を求める習慣や情動は大体において持ち合わせていないが、財産として見るなら遺族に返却する意味はあるだろう。
声に出さずに〔転送〕を発動し、指輪をチェストの上へ移動させる。
男の親族は全滅しているらしく、禁域がわざわざ男の故郷ではなくこの国へカナンを放り出したのは、あの女へ渡せという意図なのだろうと当たりをつけての行動だった。
その後、遅ればせながら思い至った厄介の可能性を考慮して〔解析〕で魔道具の性能を掘り下げてみれば、対象の体内魔力の調和を乱して体調不良を起こさせるというものだった。
相手の魔力が大きいほど効果も凶悪になる。微弱な魔力の持ち主なら精々吐き気を催す程度で済むが、強大な魔力――カナンやアウレリウスのレベルになると即死もあり得る。但し、魔道具の術が掛かれば、だが。
掛かるかどうかの成否は魔道具を使用する者と効果を及ぼす対象、双方の保有する魔力による対抗判定で決まる。魔道具自体に込められた魔力が基準ではない為、対象の魔力が使用者の魔力より勝っていれば、たとえ魔道具の魔力より劣っていようと術が掛かることはない。つまり、現状、カナンにこの魔道具の術を掛けられるのはアウレリウスくらいで、何ら脅威にはなり得ない(精霊の群れや禁域、この世界そのものが相手であればどうなるかは分からないが、彼らが本気でカナンを排除しようとするのであれば、そもそも辜負族の生み出した魔道具などに頼りはしないだろう。カナンがアウレリウスに掛けられるかどうかは実際に試してみないことには判断のしようがない。魔力を魔法に変換した時の威力か、魔力そのものの質か量か、いずれを "優劣" の対象にしているかで結果は変わりそうなのだ。威力が比肩していても魔力の質・量が拮抗しているとは限らない)。
「……辜負族同士なら "勝手にやって"、でも、魔術師によっては妖精や霊獣が危ない……よね」
妖精狩り、霊獣狩りを率先して行う魔術師の手に渡れば確実に使用される――そう断言出来る嫌な実績が魔術師達にはある。
先に処理しておけばよかったと後悔しつつ起こり得る厄災を確実に回避する為、カナンはチェストの上の指輪へ魔力糸を伸ばし、〔消除〕と〔変容〕の複合でその性能を破壊した。込められていた魔力も霧散させる。見た目には傷一つない元のままだが、彫刻された呪文は既にただの無害な装飾だ。たとえ魔術師が写し取って新たな素材で同等の物を作製しようとしても無意味な文字の羅列にしかならない。
それにしても魔道具の性能だけを判断材料とするなら、男の目的は例によって "隣人" だったのだろうか。魔獣や霊獣、妖精ならば禁域でなくともいる。
生け捕りでなく殺害が目的というのは珍しいが(狩猟者が捜しもせず早々に自害してしまうというのも珍しい、というより初めてだ)、"隣人" を消し去ることでどのような利益を得られると妄想していたのか。或はあの魔道具が有効であれば即死に至るとは考えなかったのか。カナンの魔力の規模や魔道具の性能を正確に把握していなかった可能性もあるが。
「どっちでもいいか。目的が生け捕りでも殺害でも迷惑なことに変わりない」
この攻防は一体いつまで続くのか。禁域や精霊の支配の実現に傾ける辜負族の執念を思うと、どちらかが滅びるまで続きそうでカナンは眩暈を覚えた。
* * *
カナンが "分かりやすい符号" と見做した思惟の森の意思は見当違いではなかったが、充分に汲み取っているとも言い難かった。
森が指輪を女に渡させたのは親切心からではない。死んだ男の情念が籠もり過ぎていて澱の源になるからだった。要するに森に留めるのは害毒にしかならず邪魔だったのだ。
カナンに押しつけたのは男の死体を発見した時、彼女が処理をせず放置した意趣返しである。カナンにしてみれば魔道具といえど小物であり、いつものように森が分解して魔力に変換するなり大地に還すなりすると判断しての放置だったが、彼女が思うより厄介な代物だったらしい。装備品まで詳細な〔解析〕をしなかった無自覚のツケを、事を忘れた頃に払わされたわけだ。
後になって珍しく精霊から、そうした森の思惑に関する諸々を種明かしされたカナンは、不法侵入者の肉体は魔獣にでも任せればいい、装備品は引き受けて先手を打とう、と諦念混じりに思い定めた。
( "次" もきっとあるだろうから、これからは問答無用で残らず無力化して外へ放り出そう)
森の "厄介" の基準が分からないのだ、一々選別するのも面倒臭い。
覚書
自殺した男 イルゼアン ・リニジェリッヒ
男の婚約者 ジュウィゼ・シェムウィリュテ
男を嵌めた者 マーハモイ・キーロニッハ
隣国の王族 ルセアコルス・バルンラーフェ
関連
3 禁域
33 後始末
子々孫々




