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隣人  作者: 鈴木
本編
53/263

53 見果てぬ夢

『私は自分の種族を恨んだことはないし、自分の寿命が短いと嘆き悲しんだこともないわ。

 あなたとずっと一緒にいたいと思ってきたけど、それは命のある限りで、当たり前の寿命を越えてまでじゃないの』


 きっと、もう、あと少しだけ。


 遠からずこの命は尽きる――――ベッドに横たわったサイレンは何の苦痛も後悔も諦念もない、穏やかな満ち足りた表情で傍らの男へ諭すように微笑みかけた。






 * * *






(デカい方が女か……)


 夕闇迫る頃合い。夜の無聊を慰め合う相手を求めてフリーの女を物色していた男は、ふと目の前を通り過ぎた随分と身長差のある二人組の背を追って振り向き、横向けられた長身の方の顔を認めてさもありなん、と納得した。


(龍人ならあんなもんか。俺は御免だが)


 男の理想は豊満且つ自分より小柄な女。

 ベッドに引っ張り込める年齢の龍人の女にはまず望めない条件だった。


 彼らとは反対方向の路地先に希望を持てそうなシルエットを見出し、男はあっさり二人組から興味をなくしてその場を離れた。






 「龍人」の名称は、彼らの言葉で言う種族名 "ウシェウバーセ" に「龍の姿を持つ者」という意味があることから、カナンが長い名称は脳内でくらい短縮出来るものは短縮したい、と便宜的に変換している言葉に合わせているに過ぎない。


 「龍の姿を持つ」とは言っても、この大陸に来寇する前の先祖は鱗が常に全身を覆っているのに加え、側頭部に二本の枯条に似た角を持ち、瞳孔は猫のように縦長で両手足の爪は鋭く長く、且つ出し入れ自由だったらしいのに対し、今の龍人は体の何処かしらに僅かばかりの鱗が表出し、感情の起伏によって全身に及ぶこともある、という程度で、常態的に見えている鱗が衣服に隠れる場所ならば、もはや人族とは区別がつかない。体格は男女問わず大柄で強健だが、そうした者は人族にもおり、やはり一見するだけで見分ける為の決め手にはなりにくい。





 * * *





「ねえ、寿命(いのち)をちょうだい」


 場末の所謂連れ込み宿の一室。最低限の掃除だけでろくすっぽ手入れもされていないガタガタのベッドをうるさいほど軋ませ、自分よりも体格の良い龍人の女を引き倒した人族の若い男は、女の腹に馬乗りになってその首に右手を掛けた。



 まさか欲求不満を解消する為だけに引っ掛けた、無害そうな初対面の男にいきなり殺されかかるとは夢にも思わなかった女は、しかしその気になればこの程度の細身の男、しかも非力そうな人族相手ならいつでも押し退けられると判断したのか、驚愕をその頬に鱗の浮かぶ顔に張りつけながらも恐れや怯えの様子は見せなかった。

 その程度は男も承知の上なのか、うっすら笑みを掃いた口元を更に吊り上げ言葉を続ける。


「いいよね? 何百年もあるんだからさ、その三分の一、いや四分の一でもいいから。ほんのちょっとだけ?」

「はぁあ? くれと言われてほいほいやれるわけないでしょ。バカなの? 大体どうやって遣り取りすんのよ、寿命なんて」


 まるで飲み水を少し分けて、ぐらいの軽い調子でとんでもない要求をする男に、何の冗談かと女はまともに取り合わず呆れたように目を眇めた。


「不公平でしょ、魔族や龍人ばっかり。不公平は是正されなきゃ」


 しかし次ぐ会話の成立しなさに今度はうんざりと顔を顰める。


「知らないわよそんなこと。あたしが決めたんじゃないもの」

「魔族はそうかもしれないけど、龍人は違うよね」


 そう言いながら薄気味悪く男の両目が半円に湾曲するのを女は訝しげに見遣った。


「何を言ってるの?」

「あのさ」


 殊更意味ありげに男は間を置き、


「龍人て霊獣の龍を食べたってホント?」


 何でもないことのように予想だにしなかった爆弾を落とした。


「………………なに?」


 たとえ表情は平静を装おうとも、即答出来なかった時点で女の動揺はあからさまだった。


「だから霊獣! こっちに越してくる前に霊獣の龍を食べて食べて食べ尽くして寿命を延ばしたって。でも全部食べちゃったもんだから大陸の何かを支えられなくなって色々枯渇しちゃって生きていけなくなったからこっちに来たって」

「誰がそんなこと言ったの!!」


 とうとう内心の乱れに耐え切れず、女は叫びながら男の手を振り払って起き上がろうとした。

 だが、上体どころか指一本、まるで石になったかのように動かすことが出来なかった。


「え…………」


 蒼白になる女を男は益々愉快そうに見下ろした。男は龍人に比べれば非力な人族だが、種族を問わず時に忌まわしく、この上もなく厄介な脅威となりうる魔術師だった。


「誰だっていいじゃない。ねえ、霊獣を食べると寿命が延びるの? 龍人以外でもそれって有効?」

「うるさいうるさいうるさい! そんなの知らない! 大体龍は肉体を持たないんだから食べられないわよ!」


 唯一自由になる口で精一杯女は虚勢を張る。それさえも男の思惑通りとも気付かずに。


「じゃあどうやって取り込んだの?」

「そりゃあ魔力を………………っ!」

「へえ…………」

「ち、違う、違う! 一部の奴らがやったことだって長老が…………!!」


 言葉を重ねれば重ねるほど男の問いを肯定するだけだと分かっていながら、冷静さを欠いた女は回る口を止められない。

 男が追究しようとしているタブーは今を生きる龍人にとっては絶対に認められない、認めたくないことだった。自分達が罪を償わずに逃げた罪人の子孫だなどと――――。






 男は至って正気だった。

 某国の王を唆し、潤沢な資金と充実した研究環境を確保して、日夜目的のものを得る為の実験に没頭した。

 魔族という素材は幾らあってもあり過ぎることはなく常に不足し、王への催促は次第に頻度を増していった。

 悲鳴も絶叫も男には心地の良い音響に過ぎず、良心も罪悪感も持ち合わせていたが向ける対象が限られていただけで、男は正気のまま、寄生していた国が滅ぼされようと狂気に反転することはなかった。





 * * *





『いやだよ。いやだ。もっとずっと一緒にいたい。何百年も、何千年も。ずっと、ずっと、一緒に生きていたい』


 年端も行かぬ子供のように、跪いて枕辺に寄り添う男は首を何度も左右に振って不承知を訴えた。


『無茶を言わないで。サイレンでなくてもそんなの無理でしょ?』


 力なくベッドに横たわるサイレンの女は窶れの見えない美しい顔を横向け、聞き分けのない恋人を叱りながらもその表情は穏やかに微笑んでいた。


 サイレンの翼は魔族のように自由に出し入れすることは出来ず、通常彼女達が仰向いて眠ることはない。女がベッドに背を預けて横たわるのは、死期が迫り、変質した翼が鹿の角のように痛みもなく根元から落ちてしまったからだった。

 サイレンの死は肉体の衰えもなく突然に訪れる。死の直前、死期を本能で察し、翼が落ち、体が動かせなくなる前に死に場所を定める。年齢的に死期の近さを予感していた女は極力家を離れることを避け、それが幸いして今、住み慣れた我が家でその時を迎えようとしていた。


『そんなことない。きっと何か方法があるよ。魔族は何百年も生きるし、何千年も生きてるのもいるって話を聞いたこともある。あいつらをどうにかすればきっと僕らだってもっともっと生きられる』


 まるで熱に浮かされたように男は言い募る。


 何百年もと言うが、自分に都合の良い部分だけしか見ていないのか、魔族でも三百年が最高で、大抵は百五十年から二百五十年前後の寿命である。ただ一人千年を越えているアウレリウスは魔族であってもこの世界の魔族とは別存在で、同列には語れない。

 真に寿命がないのは精霊や妖精、霊獣だ。

 しかし肉体を持たず見ることすら叶わない精霊はともかく、妖精や霊獣を "どうにか" しようという意思を示さないのは、流石にそれが最悪の手であると判断出来るだけの理性が残っているからか。

 魔獣にも寿命はないが、彼らに関してはこの男に限らず、辜負(こふ)族全体で常に研究材料にされており、乱獲の一因でもある。


『怖いこと言わないで。彼らがそれだけ生きるのは持って生まれたものなんだから羨んだら駄目。あなた達人族が私達サイレンより長く生きられるからって不満をぶつけられてもあなたも困るでしょう? ううん、あなたの場合気にも留めないでしょう? それの何が悪いって。自分は良くて魔族や龍人は駄目というのは勝手過ぎるわ』


 男の困った性格を指摘しつつ、それさえも愛おしいのだと女の細められた瞳が語る。体は動かなくとも、最期の瞬間まで愛した男の顔を目に映し、逸らされることなく見守られているのだと、自覚しながら逝きたかった。


『そんなことない。人とサイレンの差なんて大してないけど、魔族や龍人は全然違うよ。二、三十年の差と百年単位の差じゃ比較にならない。あいつらはずるい』


 男にとっては諦念でしかない女の潔さがもどかしく腹立たしく、共に居られる時間は後ほんの僅かだというのに、苛立ちを抑え切れずきつい口調で捲し立てた。

 こんな風に言い争う形で終わらせたくはなかったのに――――男の言葉が自分を想うが故であると分かってはいても、沸き起こる悲しみに女はとうとうその表情を曇らせた。

 しかし己の情熱と執着の終焉を認められず生に拘泥する男は、本末転倒にもそのことに気付かなかった。それとも男の愛情とは "女を愛する自分" に向けられたものだったのだろうか。






『…………姉さん?』


 妹が入口からそっと顔を覗かせた時には男の姿は既になく、姉は寂しさからだけではない、何処か恐れを滲ませた瞳でじっと見返した。


 気遣わしげに近付いてくる妹の傍らに寄り添うその恋人に目を止めると、鉢合わせなくて良かった、と重い安堵の吐息を零すが、姉の危惧を孕んだ表情が真に晴れることはなかった。





 * * *





 龍人はこの大陸に来寇する前は別の大陸で生活していたが、そこには地球の東洋龍に似た霊獣がおり、彼らの存在を知り、直接対峙した後から、元々はベルウバーセ(鱗を持つ者)と称していた種族名をウシェウバーセに変更していた。この龍を彼らがトゥガンウーシェと呼んでいたからだった。ただこの "トゥガンウーシェ" は龍人達が名付けたもので、霊獣本来の種族名はメレッデゲーヴという。龍人が彼らの言語を与えられるほどには信頼を得られなかった為だった。

 またメレッデゲーヴはこの大陸の霊獣とは違い、この世界そのものが魔力バランスの調和維持者として新しく創造した命だったと精霊は言う。彼らのいた大陸に禁域は存在しなかった。



 常に大陸を優先する龍と種族を優先する龍人とが共存することは叶わず、龍人の優位性を主張する者達によって龍が滅ぼされると、精霊は消え、植物は枯れ、動物は死に絶え、水域は悉く干上がった。そうして大地が完全に沈黙するに至り、龍人は自身の罪から目を背け、新たな安住の地を求めて渡海した。

 龍の不在だけが大陸を死なせたのではなかった。龍の力では修復不可能なまでに、既に大陸の魔力バランスは破壊されていた。それでも大陸が存在し続けたのは龍という最後の綱が辛うじてばらばらに崩壊してしまうのを食い止めていたからだった。一部の龍人は止めを刺したに過ぎず、どう言い繕おうと、大陸を殺したのは龍人という種族そのものだった。


 龍を取り込むことで龍人の寿命が延びたという男の言は、勿論、ただの妄想である。しかし、以前いた大陸において寿命が飛躍的に延びたのは事実だった。たとえ人生の半分以上が老いと五感の欠落に苦しめられる呪いであったとしても、百年に満たなかった寿命は二百年に近付いた。


 彼らは何を食らったのか?


 いずれにせよこの大陸での再現は不可能である。禁域があり、アウレリウスがいる。それでも実行するなら、今度こそ一人も見逃されることなく滅ぼし尽くされるだけだ。










「一部がしたんでもその恩恵は龍人全体で受けてるよね? 病死とか不慮の事故死とか抜きの単純な寿命に差があるなんて聞いたことないし」


 女の心情などお構いなしで男は追究の手を緩めない。


「何よそれ、寿命で死んだ龍人の年齢全部を調べたとでもいうわけ?」

「調べてないけど、極端に短い寿命で自然死したら噂にくらいなるでしょ」

「噂なんて……」

「ああ、もう、いいよ。君こそうるさい」

「……!」


 鬱陶しそうに男が軽く親指に力を入れると、女は喉さえも麻痺して動かせなくなった。


「霊獣の魔力をどうにかすれば可能性がありそうなことさえ聞ければ、君、もういらないよ」


 より一層目を細める男は相変わらず自然体で、殺気など欠片も纏ってはいない。だが、女は疑いようもなく、殺される、と確信した。


「まあ、それなりに有効そうな情報をくれたお礼に苦しまずに…………」


 単純に縊られるのではないだろうと、恐れ故に何をされるのかを知りたく、瞼を閉じることも出来なかった女は、不自然に途切れた男の言葉を訝る間もなく、その胸の中央に近い位置を貫いた切っ先に目を見開いた。


「…………」


 何事かを言おうと開かれた男の口から鮮血が滴り落ちるが言葉が紡がれることはなく、愕然と振り向いた男は背後にいる襲撃者を認めて更に驚愕に身を震わせた。


「君…………」


 一体いつ、どうやってこの場に現れたのか、男の背後のベッドに乗り上げ、男の心臓を両手で握り締めた鋭利な刃物で一息に刺し貫いたのは、背に鳥の羽に似た片翼を持ち、下半身が鳥の姿をした、一人のサイレンだった。


「やっと見つけたわ、"お義兄さん"」


 (あで)やかに笑んだ顔は歓喜に打ち震えていた。


「…………」

「そして、わたしの大事なあの魔人(ひと)を殺したクソヤロウ!!」


 怨嗟の絶叫と共に一気に刃物を引き抜いたサイレンは、降りかかる返り血など気にもせず今度は男の首筋を深々と切り裂いた。


「わたしの方が先に逝く筈だったのに……!」


 それはサイレンが他種族と想い交わす時の覚悟。己が何者かを自覚した時から自然に、当たり前に受け入れてきたもの。

 自分が見送る覚悟など、その可能性など大抵は考えもしない――――考えたくもなかった。



 サイレンの身に残っていた、当人の物ではない魔力が霧散する。

 まるで、協力者が誰であったかを追及させないように。


 辜負族の扱う空間魔法には制限が多く、これまでは〔転移〕を使える者はおらず、〔転送〕はカナン達と違い非生物に限られていた。

 しかし、稀少な〔透過〕を可能にしたサイレンがいたように、〔転移〕魔法をものにしたサイレンがいたとしても不思議ではない。

 この襲撃者のサイレンではないようだが、協力者はアウレリウスか、カナンか、それとも…………。


 魔術師に殺された魔族はどれ程いただろう。その家族は、友人は、(えにし)深い者達は、何処でどうしているのか。


 今、この場の惨劇を知った魔術師の命を惜しむ者達も、いつか同じ道を辿るのか。




 怨讐(おんしゅう)(めぐ)る。


 いつまで?


 人が死に絶えるまで――――。




「ああ、そうそう。姉さんは死んだわよ、結構前。どう足掻いたって間に合うわけなかったのに看取りもしなかったのね。……って、もう聞こえないか」


 男の死体(からだ)に覆い被さるようにして囁いたサイレンの背から、残されていた片翼が音もなく転げ落ちる。


 狂笑に歪んだサイレンの顔に、涙は最後までなかった。もはや泣く必要もない。カウントダウンは間もなく終わる。

















覚書

魔術師の男  ニグティス・リュフワルン

龍人の女   レウォビリア

魔術師の恋人 エキュリタ・ファジュノル

上記の妹   セウェシダ・ファジュノル

路地裏の男  ゴーヴァレカズ


関連

25 因縁

29 怨讐は廻る

33 後始末

唯一

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