50 刷り込み
鬱蒼とした森の中を貫く街道、その片脇の草叢に転がる十五センチほどの真っ白な楕円形の卵を前に、これは捨て子宜しく故意なのだろうか、まさかうっかり落っことしたはないだろう、とカナンは暫時悩んだ。
とはいえ、この場限りの認識に関してのみで、自身の取るべき行動は事実がどちらだろうと変わりなく既に決定していた。
放置。
過去にも来た覚えのあるこの街道は行き交う人や馬車の少ない道ではなく、カナンがどうこうせずとも大して今より間を置かずに誰かしらが通りかかるだろう。
寧ろ人に見咎められる前にさっさと立ち去るべきだ。
何を思って禁域はカナンをこの場へ飛ばしたものやら、今回はその思惑にはつき合わず、早々に[ホーム]へ〔転移〕した。直前、既に街道先に馬車らしき影が現れており、益々カナンが手を出すまでもなさそうだった。
自宅の庭先へ戻ったカナンは、好きに遊ばせている魔鶏がハーブの間に産み落としていた卵を見つけ、身を屈めて拾い上げた。
大抵は鶏小屋の中で産み、こうしたイレギュラーは家妖精が集め小屋へ移しておいてくれるのだが、これはまだ産んだばかりで妖精達も気付いていなかったのか、載せた掌にほんのり熱が伝わってくる。
ネウルガリティの卵も鶏同様、生殖行動を伴わなければ無精卵で生まれ、当然温めても孵化することはない。
ゲーム的な戦闘力以外で鶏と魔鶏の違いについて深く考えたことのなかったカナンは、手の中の卵をぼんやりと眺めつつ、今頃になって魔鶏にもインプリンティングはあるのだろうかと何とはなしに考えた。
そして、その思考はそのまま先程の街道脇の卵へと流れる。
――――彼女達もそうなんだろうか。
彼女達――――サイレンも。
そう、あの卵は鳥人の一種族、サイレンの卵だった。際立った特徴のないあの卵の親の種族を即座に特定出来る知識はカナンにはなく、潔く〔簡易解析〕していた。捨て子云々の仮定はその結果を受けてだった。
鳥人には女だけの種族サイレンと男だけの種族ガンダルヴァの二種がある。
この世界のサイレンは『オデュッセイア』の絵画に見られるような人頭鳥身ではなく、胸部までが人で両腕が翼のハーピータイプでもなく、下半身は鳥、上半身は人の女、背に天使のように鳥の翼を持ち、首筋から翼の付け根にかけて鬣のような小さな羽毛が生えている。
ガンダルヴァも上半身が人で下半身が鳥であるのはサイレンと同じだが、背中の翼は一回り大きく、首筋からの羽毛がない代わりに付け根からもう一対、小さな翼が生えている。また頭頂には一本の短い真っ直ぐな角がある。
中位以上の魔族と違い、翼や角を隠したり、下半身を人間に似せて変化させることは出来ない為、平素彼らは体を仰向けて睡眠をとることはない。
サイレンは例外なく生まれながらに美声と優れた音感を持ち、幼少時から巧みに様々な旋律を歌いこなす。
ガンダルヴァは天性の奏者で、成長し、危なげなく物を持てるようになれば、あらゆる楽器を誰に教えられるのでなくとも直感と僅かの試行錯誤で奏でることが出来る。
―――と言われている。
単性種の彼らが子孫を残す方法は、まず女だけのサイレンと男だけのガンダルヴァが子供を作った場合、両方の種族の子供が生まれる可能性がある。しかし、混血はなく女ならサイレン、男ならガンダルヴァとなる。
この世界では異種族婚で子供が生まれるのは、鳥人と、ガンダルヴァ同様男しかいない夜叉族のみで、鳥人同士以外の組み合わせで生まれてくるのは自身の種族の子供だけである。但し、サイレンと夜叉の婚姻の場合のみサイレンしか生まれない為、夜叉が自身の子供を望む時にサイレンを選ぶことは稀である。夜叉でなくとも自分の血を分けた子供が欲しいと思うことは短命の夜叉には本能的に難しいらしい。またサイレンは卵生で、ガンダルヴァとの子供は男女どちらでも卵で生まれてくるが、ガンダルヴァがサイレン以外を妊娠させた場合は胎生になる。
この世界の人種族は他の生物同様、寿命が短いほど多産で、サイレンは一度に五、六個の卵を産み、男しかいない夜叉が他種族の女に一度に産ませるのは二人ないし三人である。胎生の場合のガンダルヴァの子供の人数は相手の種族に依り、卵生の場合は上記のようにどちらの種も生まれる可能性があるので定まっていない。つまりガンダルヴァ相手のサイレンも、卵は五、六個産んでもその内の何人が同族になるかは不定だ。
妊娠期間はサイレンが百日未満、夜叉が百五十日未満しかない(夜叉の子供を身籠った場合だけ、母体はどの種族でもこの妊娠期間になる)。ガンダルヴァは妊娠させる期間も相手の種族特性準拠だ。
サイレンだけは妊娠条件や成長速度も特殊で、前の出産から半年間は妊娠せず、男女双方に子供を作る明確な意志がない場合も妊娠しないが、条件さえ揃っていれば性交渉によってほぼ百パーセント妊娠する。サイレンの卵は十センチ前後で生まれ、七日前後で三十センチ程度に成長し孵化する。そして幼児期の子供は心身の成長も早く、一年で人族の三歳児ほどになり、以降は他の種と同じように緩やかになる。
短命な彼らとは逆に長命な魔族や龍人は必ず一度に一人しか生まれず、妊娠期間も丸一年、と長く、双子以上はない。妊娠確率も低い。
上記以外の種族は大体一人か二人で妊娠期間は二百日前後だが出産のリスクは地球より遙かに低く、医療技術が劣っていても出産時に母子が死亡することは稀である。母体がよほど衰弱しているか、極端な早産でもない限りまず死なない。肉体がそういう構造になっている。
種族によって多少の長短はあるが、分娩は滑らかに行われ長くとも半日はかからず陣痛は微弱。その際、胎児が産道を上手く通れず死産となることも、母親の身体が損傷して死亡することも滅多にない。赤ん坊は三歳辺りまでは地球の子供に比べ食事量も少なく更には病気にもなりにくく、母親が弱っていても存外頑健に生まれてくる。
但し母親が妊娠中に死亡した場合は、その時点で腹部(胎児)が無事であってもほぼ死亡する。母親の死体の腹を裂いて取り出した子供が生きている話はフィクションで度々見掛けるが、この世界ではサイレン以外は絶望的である。サイレンだけは、母親の死亡時に体内で既に卵の殻が堅固に形成されていれば、腹を裂いて取り出し、通常の出産時と同様に温めてやることで孵化する可能性がある。
幼児期の死亡原因は病気や栄養失調よりも重度の怪我や殺人(間引きを含む)の方が多い。
治安や医療技術の関係から人が死に易くとも、放っておけば辜負族が増える一方なのは、こうした妊娠・出産の容易さや乳児期の生存率の高さが一因でもある。
話は戻るが、サイレンの子供は孵化の段階で既に他種族の一歳児並みの知能があるらしい。らしいというのは、カナンはアウレリウスとの雑談で知った程度で、実際には会ったことがないからだ。また、鳥のようにサイレンの子に "親" という概念?認識?が本能としてあるかどうかは聞いていない。いや、そもそも鳥がインプリンティングで最初に見たものを "親" と思うと言っているのは人間であって、鳥達自身がどういう認識を持っているのかは分からない。何をもって "親" というかでまたややこしくなり、孵化時の鳥の子の内実を正確に表す唯一絶対の言葉はないのかもしれない。
ぐるぐるとそのようなことを考えて、はた、とカナンは我に返った。
もっと単純に、生まれたてのサイレンの子供が最初に目に入ったものの後を鳥の雛のようについて回るのだろうかと思っただけで、特に答えを欲したわけではない他愛のない疑問に過ぎず、孵化時の子供の行動にどのような名称付けがされていようとどうでもいいことだった。
(まあ、後付けで認識を改められないと常態的に人間関係が面倒なことになりそうだけど)
もしくは卵が孵化するまでは強硬に他人を近寄らせないか。
しかし幼い子供がいる家庭でそれを徹底することは果たして可能だろうか。
子供の行動は予測がつかず完璧に制御することは難しい。特に好奇心が旺盛で我の強い者は禁ずれば禁ずるほど反発してむきになる。うっかり孵化したての赤ん坊が幼児を親と認識し、上書き修正出来ないようでは流石に目も当てられない。
(小さい子の後をよちよちと一生懸命赤ん坊がついて回る様子は微笑ましくてかわいい気もするけど…………不謹慎か。やっぱり上書き出来るのかな)
掌の中の卵を軽く転がしつつ、カナンは自力では正解答に辿り着けもしない問いを脳裏で繰るが、知りたい欲求は薄く、わざわざ精霊にサイレンの生態に関する解説を乞うようなことはしなかった。
* * *
精霊には訊かなかったが、いつものように先触れもなくふらりとやって来たアウレリウスに、何とはなしにサイレンの話題を振ってみれば、この上もなく渋い顔をされた。
「あるぞ。お前の言う "刷り込み" に相当する習性」
「そ、そうですか」
渋面の訳に見当がつかず、やや引きぎみにカナンは相槌を打つ。
彼女の顔に後悔を読み取り、アウレリウスは大した理由じゃない、と軽い吐息をついて表情を改めた。
ロングチェアと入れ替えでデッキテラスへ出していたスクエアテーブルに着き、カナンの供する、凍結済みの抹茶で割った日本酒で軽く喉を濡らす。
コーヒー割りと抹茶割りのどちらがいいかと問われ、即答で抹茶と返したアウレリウスは、以前コーヒー(もどき)でもてなした時には何も言わなかったが、苦手ではなくとも好んで飲み続けたくなるほどの味ではなかったらしい。
「昔の話だ。間抜けにも孵化直前の卵に不用意に近付いて付き纏われたことがある」
「孵った子供がアウルさんを最初に見てしまったんですね。親はどうしていたんですか?」
腑に落ちない、とカナンは首を傾げた。アウレリウスの語る情報だけでは状況が想像出来ない。認識の上書きが可能だったとしても生まれる直前の卵に赤の他人を近付ける意図とは?
「捨て子……とは少し違うか。あれは人族の、お前の故郷の言葉でいう専売特許だからな。サイレンの場合は放置された子供、か」
アウレリウスは状況を端的に表す言葉として選んだだけだろうが、皮肉にも "放置子" もカナンの故郷では認知・確立されている言葉だ。
「鳥人は短命ゆえに享楽的で刹那的な性情が大なり小なりある。その場の盛り上がりと勢いで子供を作り、産んで後悔する例は多くはないが珍しくもない。
愛情を抱けないわけではないらしく捨てたり殺したりすることはないが、鳥人は多産でもあるからな、自力で育てるには数を持て余し、自身の愉しみを優先して卵を放置したまま家を何日も空けることがある。
群れに属しているなら他のサイレンが面倒を見る場合もあるが、それも、生まれた子供が世話をしていた者を親と思い込んだのをこれ幸いと、親の権利だけは主張する癖に成育は他人任せにする無責任な輩が過去に現れた為、あまり歓迎されていない。
そうでなくとも子供の認識を改めさせるのは骨が折れる」
ああ、やっぱり出来るんだ、と納得するも水を差すことはせず、カナンは静かに拝聴を続ける。
「放置でなく偶発的な事故による誤認識でもな。
単独で生活しているサイレンは卵が孵ったことを数日知らなかったという笑えない例もある。
家を高地に作ることから俺のように他人が孵化時に居合わせる偶然は滅多にないが、代わりに迷い込んだ動物を親と思い込み、その後について家を出ていってしまい、慌てて捜すというこれまた洒落にならない事態も何度も起こっている。
父親が同居しない、同居させない習慣なのも問題なんだろうが、やらかす者が同一でないからか、種としては一向に改まらない」
"骨が折れ" た当時を思い返したのか、アウレリウスは深々とした溜息で話を締め括った。
付き纏われたとはいっても、生まれたばかりのサイレンの子が何処までもアウレリウスについて回ることは不可能だろうから、転移なり飛翔なりで家を離れたか、親が都合良く戻ってきたか。
アウレリウスの対応、その後の顛末は追求しなかった。
自分が当事者となった時に取る行動が褒められたものではないだろうと容易に想像出来るからだ。アウレリウスの対応がどうであったかを聞いたところで何事かを評せる言葉をカナンは持たない。
言うは容易い雑音に煩わされる僅かばかりあった繊細さは、もう砕け散って随分と久しい。
カナンが遭遇した街道の卵に関しては、単なる落とし物だとあっけらかんと言われてしまった。
「どうしたら落とすんですか」
「俺に訊くな」
呆れるカナンに知ったことかと返すアウレリウス。これも頻度は低いが先例のある "うっかり" らしい。
テーブルを挟んで対面の椅子に腰を下ろしたカナンは、自分用に入れた緑茶で喉を潤しつつ、この日だけでサイレンに対する認識が深まったやら覆されたやら、特別嬉しい情報でもなかったな、と遠慮のない正直な感想を口には出さず脳裏に思い浮かべた。
後日、魔が差してうっかり精霊に確認してみれば、卵の両親は引っ越し途中の幌なし馬車の上で久しぶりの逢瀬に盛り上がり、"戯れ" るのに夢中でうっかり転がり落ちてしまった卵に気付かなかったらしい。
聞くんじゃなかったとカナンが後悔したのは言うまでもない。真実を齎した精霊に非はない、カナンが望んだことだ。
――――享楽的にもほどがあるだろう。
だが、二十年前後の寿命の者に、何を言える資格が自分にあるというのか。
こぼした溜息は殊のほか重いものになった。
覚書
卵を落としたサイレン ヴォズレナ・コルメファ




