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隣人  作者: 鈴木
本編
5/252

5 過去

 そのゲームは一個人が自分自身の為だけに作った、自分の嗜好のみを追求した、極めて我儘な、それでいて真面目過ぎる駄作だった。




 * * *




「……、…………、………………」


 頭の中でアナウンスがしきりに鳴り響いているがカナンは完全無視。

 揚げ物をしている最中で目も意識も離せないのもあるのだろう。





 このフルダイブ型ヴァーチャルリアリティ(以下VR)ゲームは所謂 "大規模多人数同時参加型" と言われるロール・プレイング・ゲームにカテゴライズされているが、珍しいことにソロプレイの環境がとても充実していた。

 高い自由度を謳っておきながら、いざログインしてみれば、プレイヤーが群れてくれないと金にならないと言って、パーティを組むことを前提としたクエストしかない、クラン所属に限定されたイベントしかない、ソロではレアアイテムがドロップしない、などシステム的にソロ排除をしている看板に偽りありなゲームがゴロゴロしている中、実に奇矯なことに寧ろソロ推奨だった。

 独りで遊ぶことを主旨にしているゲームであるのに何故オンラインなのか。ごく単純な理由だ。オフラインゲームやブラウザゲームが作られなくなって幾星霜……というほどではないかもしれないが、とにかくコンピュータゲームというとオンライン、が当たり前の、世俗的認識による弊害(?)である。

 このゲームが完全無料、基本料金は元より課金(ゲーム用語的誤用の方)やどのような手段によってであれ広告さえない、まるで昔は当たり前のように溢れていた黎明期のフリーゲームのような採算度外視であるのは、運営の為の儲けは別で稼いでいるから必要ないという太っ腹な、とある大富豪ハッカーのA氏の趣味で作られたものだからというのが一番の理由である。但し、その代わりにシステムやシナリオなどゲームに関わる一切に文句は付けさせない、という条件――規約がついている。元々そのA氏が自分の為だけに、自分の嗜好全開で作り上げたもので、散々遊びつくして満足したから一般に無料開放しようと気まぐれを起こしたのがweb配信のきっかけだった。

 VRゲームというとプレイヤー同士でコミュニケーションするのは当たり前、しない奴は出て行け!的な風潮があり、このゲームのソロ推奨も御多分に漏れず苦情や批判があったそうだが、A氏曰く、

 『現実での人間関係のストレスを発散する為にゲームをしているのに、なんでゲームの中でまで人間関係に煩わされなければならないのか』

 ということらしい。



 複数のプレイヤーが同時に同一世界内に存在しているというだけで、社会性・社交性は要求されず、ゲームを進めていく上でノンプレイヤーキャラクター(以下NPC)との関わりはそれなりに必要でもプレイヤー間の交流は全くなくても問題ないので、厳密にはかつてのブラウザゲームに近いかもしれない。

 複数人で協力する方が行動に選択肢が増え、その後の展開も複雑化して多様性に富み、よりゲームが面白くなるだろうに、それをシステム的に封殺するのではゲームをオンラインでする意味がない、という侮蔑も数えきれないほど浴びせられたようだが、web上で仮想世界とはいえ実社会と変わらない社会生活を送るのであれば、それはもはや "遊び" ではない、遊びを円満円滑に進める為のルールを既に逸脱している――それがA氏にとっての、従来の "大規模多人数同時参加型" なるオンラインゲームに対する認識だった。

 とはいえ、複数のプレイヤーが協力したところで益するシステムは何も無いが、それこそ現実世界と同じように目に見えた利のない、効率至上主義者には全くの無駄に映るたわいない関わり(但し対面)を妨げるものも無いのだ。ゲーム攻略的に社会性・社交性を要求されなくとも、それ以外でしたければすればいいだけの話ではある(迷惑・犯罪行為はアウトだが。その部分でだけ社会性を要求されるのはA氏の嗜好だ)。

 要は、このゲームの世界はプレイヤー達のもの――プレイヤー達の共同作業で好き勝手に弄り回し、作り変えられる(高尚な言い方をすれば発展させられる)ものではないのである。




 NPCは高性能AIを搭載しているようだが、言動パターンや感情表現のバリエーションは豊富でもプレイヤー相手には当たり障りのない対応をするだけで、NPCとの関係でプレイヤーにストレスになるような行動は基本取らない。

 ストレスフルな問題を起こすのはいつでも生身の人間で、AIにさせるまでもない、だそうだ。

 生身の人間的な対応が必要なクエストでは中の人がいるようで、NPCというよりスタッフ・プレイヤー?

 特定の名称があるわけではないが、遊ぶ為でなく運営の仕事でインしているプレイヤーがNPC的立場で進行するようだ。

 クエストに絡む悪役NPCは役者を起用しているとかいないとかの噂があるが真偽は不明である(そもそも対人クエスト自体が少ない)。




 先に少し触れたが、犯罪・迷惑行為に対するペナルティが非常に厳しいのも(過去、よほど不快な経験でもしたのか)A氏の好みらしい。

 それなら最初からシステム的に出来ないようにすればいいだろう、という批判も当然噴出したが、A氏、更に曰く、

 『力加減を間違えれば容易く他者(ひと)を傷つけてしまうのだという緊張感を(現実世界と同じように)持て』

  ――いつ、自分と同じプレイヤーに殺されてもおかしくない、という緊張感ではない――

 リアルと同じように、或はリアルより厳しく。その点に関連して痛覚を操作することは出来ず常に100%。その為、ゲーム開始前にはくどいくらいにプレイヤーに対し注意喚起され、規約への同意の事実を確認される。

 リアリティにこだわる割にシステム的に殺人が出来る=殺人が許されていると短絡的に考える人間は今やプレイヤーの大勢(たいぜい)を占めているが(人殺しがメインのゲームは山ほどあり、そうしたものに慣れ切って所詮ゲームだからを言い訳に規約も碌に読まないのは往年と変わらない)、包丁やカッターナイフが量販店で誰でも買えるからといって殺人が現実で許されているだろうか。

 このゲームで殺人が出来るのは、殺人という行為そのものが可能=リアル、を主張する為ではなく、犯罪に対するプレイヤーの行動にリアリティを求めているからである。

 現実で物理的に人を殺せるからという理由で気軽にジェノサイドをする人間はそうそういない。

 "自己責任" で人殺しを容認している時点で、その思考にリアリティがないことを(現実でも倫理観の破綻している者ならともかく)、殺人可能=リアル、を主張する者達は華麗にスルーしている。

 ゲームシステムは所詮 "物" でしかなく、単純な五感情報以外では、そこにリアリティを付与するのは人間の行動あってこそなのだ。

 流石に現在の現実世界は、外へ出れば視界に入るそこかしこで殺人が挨拶の如く行われている、などという世紀末な情勢ではない。


『人殺しを思う存分したいのなら、リアリティ=人間の殺し方・殺され方、人間の肉体の損壊過程、人間の死体の状態、などの忠実な再現に特化したゲームで遊べばいい』


 そのようなわけで、このゲームでは殺人=即アカウント削除(以下アカBAN)、未遂でも長期アカウント停止、再犯すれば被害者が死に戻っていなくとも即アカBANである。

 その他犯罪・迷惑行為も大概似たようなもの。

 しかも、"プレイヤーキャラクター(以下PC)やNPCに捕縛・討伐されたら" などの条件下ではなく即時、である(この辺りのリアリティはすっぱり切り捨てられている。リアリティは犯罪・迷惑行為以外ではCGで突き詰めればいい、システムはA氏的快適さ+嗜好最優先で、らしい)。

 故意でなく死亡させた場合は状況次第だが、例えば喧嘩に巻き込んでNPCを死なせてしまった、となれば、喧嘩していたPC達は一人も死に戻っていなくとも、直接の死亡原因になったプレイヤーだけでなく喧嘩に加わった全員がアカBANだ。

 逆に、人込みで人に押されてそばにいたPCなりNPCなりを押し倒してしまった結果打ち所が悪く死に戻りないし死亡してしまった、などはペナルティは受けるがアカBANにはならない。

 ただ、故意かそうでないかの見極めが難しい状況は往々にしてあり、被害者や目撃者の証言で一度目はアカBANを免れても二度目はない。




 このゲームのレイティングは十八歳以上だが性行為は出来ない仕様になっている。A氏としては、合意か強要かの区別がつきにくく面倒だかららしい。

 殺人の場合は合意(嘱託殺人)でも罪に問われるのに対し、合意の上での性行為は年齢にもよるが基本犯罪ではない。

 その境界を見極める為に、スタッフは元より管理AIに一々プレイログ(他人の情事)を確認させるのも嫌だ、と要望という名のクレームをつけてきたプレイヤーに答えていたという。


 余談だが、ゲームに限らず創作の世界では、昔から、何故か一般向けという曖昧なラインの創作物に於いて、セクハラやレイプよりも罪の重い筈の殺人が軽く扱われるという逆転現象に誰も疑問を抱かない(抱いても声高に問題提起すると煙たがられる)。性的表現は厳しく規制しながら、不思議と殺人表現が具体的に描かれている物に未成年が容易く触れられる。推理(探偵)漫画やファンタジー小説、RPGゲームなどはその際たるものだ。

 VRゲームでいうならR18でなくとも殺人が出来ることをリアリティ自慢にしている物は多いが、セックスやレイプとなると徹底的に規制していたりする。その理由の一つはプレイヤーキリング(以下PK)は実際には死に戻るだけで死んではいないのだから厳密には殺人に当たらない、ということなのだろうか。

 だが、あれは死んでいないのではなく、直ぐに蘇りはしても一度は確実に死んでいるのだ。そして攻撃を加え、被害者が死ぬまでの殺人描写は克明に描かれている。「実際には死んでいない」からというのならレイプだとて生身の肉体が犯されるわけではない。

 また、痛覚の有無がどうであろうと、殺害時に被害者が受ける恐怖、精神的苦痛はレイプの苦痛と優劣のつけられる類いのものではない。

 にもかかわらず何故レイプは駄目で殺人は "自己責任" なのか?

 まさか殺人はレイプのように局所を露出しないから問題ない、などということはあるまい。それではまるでわいせつ物陳列罪(生身の身体でするのではないから公然わいせつ罪にはならない?)の方が殺人より罪が重いかのようだ。




 物理的に他者へ被害を与えていなくとも、言葉や物で相手に嫌な思いをさせる所謂ハラスメント行為も、男女を問わず警告・アカウント削除の順でペナルティを受ける。

 その際、被害を受けているのはほんの数人で、大多数のプレイヤーには寧ろ恩恵を与えており、アカBANなどにすると不都合が出るから処罰しない、などということはない。

 それをまかり通らせるならPKとて同じになる。ゲームに対する貢献度さえ高ければ人殺しをしてもいいだろうと。

 現実においても、例えば新薬を開発し、何万、何十万という患者を救った研究者が人殺しをしたとして、たかが一人や二人の殺人、新薬で救った圧倒的な人数に比べれば取るに足らない、寧ろ服役で研究出来なくなることの方が問題だ、などといって殺人の罪を免れることがあり得るか。よくあることなのだから目くじらを立てるほどのことではないという主張がまかり通るか。或は殺人は免れられなくとも、ハラスメント行為による精神的殺人くらいなら肉体に損傷を与えたのではないのだからと社会的貢献度が常に優先されているか。

 その程度の理不尽は現実では溢れ返っている、と勘違いした正当性を主張する者もいるが、法が遵守されていない=法を遵守しないのは当たり前、遵守しなくても良い、ということにはならない(「規則は破る為にある」という屁理屈になんら正当性がないように)。

 その不条理を忠実に再現してこそのリアリティだというのであれば、そのようなリアリティはゲームでまでいらない、とA氏は返すだろう。

 何にリアリティを求め、何を切り捨てるかはA氏次第。

 このゲームの中で遊ぶことには飽いていても運営面ではまだまだ "自分が楽しめること" が最優先なのだ。


 もっとも完全なソロ推奨のこのゲームで一個人がゲーム全体に与えられる影響は、後述するアイテムやクエストの仕様からしても殆どない。

 有用なアイテムを発明したから皆で有効活用しよう、という状況にはなりえない仕様になっている。




 他にもリアルマネートレード(以下RMT)は勿論禁止されており、ゲーム外で取引されたアイテムはゲーム内に持ち込むと即時贋作、貨幣は贋金に変換され、前者はスペックオール1特殊効果なしのポンコツ、後者は売買での使用不可。所持者は即犯罪者認定され、贋作贋金の譲渡や破棄は出来ず、ある種呪いのアイテムになる。

 ただこちらは初犯にはアカウントペナルティがない。代わりに町や村などのセーフティエリアへ入れなくなり、ステータスはその時点で上限認定されてロック、魔物はアクティブで固定――エンゲージゾーンがゼロ、いや無限大になり、休む暇もなく常時交戦状態になる。

 これらのペナルティについてはあらかじめ規約に明記されており、故意か否(規約を読んでない)かに関わらずその状態からの脱却方法はなく、キャラクターを作り直して最初からやり直すか、戦闘狂(バトルジャンキー)ならば延々息つく暇もない戦闘漬けの日々を過ごすか(勝ち続けたところで経験値もアイテムも何一つ得るものはないが)。

 キャラクターを作り直すにしてもそのまま続けるにしても、もう一度RMTをした場合は問答無用でアカBANである。


 このような関係で通貨をはじめとしたゲーム内資産をリアルでの個人資産同等と見做している国ではゲーム配信は行われていない。

 特にVR空間の不動産を個人資産と見做す国は、A氏曰く『ゲーム配信を終了する際の処理が面倒臭い』。ギャンブルでも競技でもリハビリでも仕事でもない、あくまでも利益を考えないシンプルな遊び(ゲーム)として完結させることにA氏はこだわっており、ゲーム内に存在する物全て、リアルの金銭やその代替物に換金するつもりが全くないのだ。



 RMT絡みといえば "横殴り" という行為があるが、このゲームではこれは出来ない仕様になっている。

 一旦戦闘状態になれば他のプレイヤーもNPCも一切割り込めない、つまり誰の助けも望めない仕様なのだ。たとえ疑似的にパーティを組んだような形で複数のプレイヤーが同じ場にいたとしても、戦闘はプレイヤー1人に対しモンスター1匹以上となる。

 まあそうだろう、"ソロ" 推奨なのだから。

 バトルフィールドは隔離されるのではなく同一フィールド上で展開され、交戦中に繰り出される攻撃や破壊されたオブジェクトによるダメージはイベントでの罠以外、当事者のプレイヤーと魔物にしか入らない。

 その関係でモンスタープレイヤーキリング(以下MPK)もシステム的に不可能となっている(故意に出来なくしたのではなく副産物)。

 割り込めないだけでなく、ターゲティングはプレイヤーか魔物かどちらかが斃れるか、特定距離を引き離すまで外れず、プレイヤーが死に戻るか逃げ切った時点で魔物は初期位置へ戻されるからだ。

 うっかりその初期位置に他のプレイヤーが居合わせた場合は警告が入り、即時行動するならパッシブまでの距離を退避出来る程度の時間は魔物の移動が保留され、二次災害に遭うこともない。

 警告を無視して居続けた場合は自己責任である。

 またトレイン自体は発生するが、他者に擦り付けられないのは勿論、町や村には、その状態のままでは一定の距離以上近付けなくなる。

 セーフティエリアは結界が張られていて魔物が手出し出来ないという設定になっており、魔物にターゲティングされている状態のプレイヤーは魔物同等と見做され、シャットアウトされるのだ。

 これはシステムバグや設定ミスではなく意図的な仕様である。逃げ切るには一定距離を稼ぐ必要がある、というシステムを無意味にしない為らしい(A氏の嗜好)。

 つまり一度(ひとたび)接敵したなら、近距離にある安全圏へ逃げ込んで難を逃れるという戦法は取れない。

 MPKが自身を囮にせず、他者や物を使って魔物や他のプレイヤーを互いの場所に誘導した場合はMPKではなく通常の犯罪・迷惑行為扱いになり、被害者の申告やログ確認の上で厳正に処罰される。




 金銭関係で言えばよくある買い占めもNPCの店では出来ない。

 そもそも店売り品に上限はなく、イベントでも発生しない限り品切れにはならない。

 プレイヤー同士の場合は同一プレイヤー間での一日に取引出来る、同一アイテムの数量に上限が設定されている。

 任意で決めさせろという要求も当然あるが、各人任せにするとまず買い占め要求(強要・脅迫)事案が発生する為、却下され続けているようだ。

 転売は出来るが、製作者自身や製作者が委託している店舗以外での売買では買値以上の値段をつけることが出来ず、プラスマイナスゼロになるだけで旨みはなく荒稼ぎは出来ない。

 更にアイテムには製作者名が入っており、名称が同一の物でも個別認識され、転売しても一日の取引上限にカウントされる為、当然上限いっぱいに製作者ないし店舗から購入した場合、その日は転売できない。

 金銭だけの譲渡はイベントやクエストなどの特殊な状況以外では出来ず、提示価格以上の金を払わせようとしてもシステム的に不可能だ。

 これは複数のプレイヤーが一人に資金を集中させて高額な買い物を共同でする、という行為も出来なくしている。

 大抵のゲームでよくある、大規模ギルドが潤沢な資金源に物を言わせて高性能・高レアなアイテムを独占するのに等しい行動が出来ないわけである。

 それ以前に、このゲームはそもそもギルドやクランどころかパーティを組むシステムすら存在しないが。




 更には情報公開が非推奨でゲーム内に掲示板がなく、ゲーム外へのアクセスも出来ない(緊急時用は別設定)。

 『答え見てゲームして何が楽しいんだ』がA氏の言。

 あくまでも "非推奨" なので口頭や現実世界での情報交換を禁止するものではなく、外部には攻略サイトもあるにはあるが、情報公開の強要はアカBAN、と厳しい。

 またゲーム内で文書などの形で情報をまとめ、これを他者へ配布したり閲覧、書写(コピペ機能はない)させた場合は強制削除。関わったプレイヤー双方には初回は警告だけでペナルティがないが、度重なればやはりアカBANである(記憶力の良い者が優遇されてる!というクレームはスルー。自分用の覚書として自力で得た情報を記録する分にはOK)。

 強要かただの "お願い" かの判断は難しい為、ゲーム外で行われた場合は音声を録音する、文書を保存するなどの自衛をしてもらうしか対処法はないが、証拠が提出されるのなら専門家も交えて運営が対処してくれる。

(一見過剰サービスに思えるが、疑念を抱いたプレイヤーにA氏は『 "被害者側の" プレイヤーに対し悪意は全くないが善意だけでもない』と答えたとか。では加害者側には……?)

 ゲーム内での強要なら常に管理AIが目を光らせ、音声や動画のログを取っており、GMコールがあれば即時対応してもらえる。


 もっともリドルの解やクエストの展開、魔物の種類や出現場所、ドロップアイテム、戦闘パターン、ステータス、迷宮の構造などはかなり頻繁に変更されてしまう上、生産レシピは基礎が町の図書館やギルドに初めから閲覧フリーで存在し、応用となると公開してもシステム的にレシピを確立した当人以外再現出来ない仕様となっており、攻略サイトがあっても余り役には立たない。

 地上にある迷宮は構造が日々変化するが、あくまでも特定の場所だけで、基本、地上の地形は変化しない。そうなると地図情報は攻略サイトに書き込まれそうに思えるが、地図はギルドや図書館に詳細度に応じて無料から有料まで取り揃えられており、比較的簡単に入手できるのでこれまた必要性がない。地図はいずれも書き込み可能な為、マッピング好きは金はあっても敢えて無料の簡易地図を購入して自身で完成させたがり、益々攻略サイトへの書き込みに需要がない。

 そうして自力でゲームをクリアしたいプレイヤーが増えるに従い、ゲーム内からはアクセス出来ない攻略サイトへの書き込みは減少し、攻略本片手に効率重視で最速強化・最速クリアをしたがるプレイヤーは逆に淘汰されていった。


 他者のレシピを再現出来ないからといって、優れた発想力や手先の器用さ、要領よさなどのプレイヤースキルの優れた者が生産無双できるわけでもない。

 基本はどれだけ応用過程に違いがあっても出来上がる物のスペックに差はなく、逸脱した性能の物は作った本人にしか使えなくなっている(その逸脱物もプレイヤーそれぞれの固有レシピを探し出せれば同等の物が作れる)。

 そのアイテムを使用することで個人的な攻略が捗ることはあるかもしれないが、上記したようにクエスト内容や魔物のスペックはコロコロ変わる為、常に高性能なアイテムの所持が有利とも限らず、当人にしか使えないこともあって特定のアイテムを求めて一個人に依頼が集中するようなことはない。

 特にクエストに絡んで必要とされるアイテムは大概自前で用意したものでなければクリア出来ないので、それがたとえ馬車や船などの移動手段であっても他のプレイヤー任せには出来ない。


 フラグ管理などで最も一個人や小集団がゲーム全体へ多大な影響を及ぼし易い、ゲーム開始時から一貫するメインクエストやグランドクエストなどといった呼ばれ方をする類いのイベントも当然ない。各プレイヤーごとにそれまでにクリアしたクエストのラインナップで先々の展開が変化することはあるが、それはあくまでも個人レベルで他のプレイヤーの攻略進行に影響することはない。


 一個人がゲーム全体に影響を及ぼすようなことは殆どない、というのはこのようなゲームシステムだからである。




 また、このゲームはソロ推奨の関係からかフレンド登録システムがない。それに伴ってかゲーム内にいる者同士のメール機能もない。メールは外部の、近親者など限定された相手からの緊急連絡用にのみ設定されている。所謂テレパシー系の電話機能も勿論ない。

 そうした仕様は自然、対プレイヤーに特化した生産職というものをプレイヤーの選択肢から除外する結果となった。

 連絡手段がないのではオーダーメイド品のサイズ・性能調整に関する問い合わせや完成報告などが出来ないからだ。

 待ち合わせ場所を決めておけばいいようにも思えるが、厭らしいことにこのゲーム、同じものを同じ工程で作製しても、完成までの日数が一定していない、完全ランダムなのだ(単調作業を飽きさせない為の工夫でメリハリをつけてみた、とA氏が言ったとか言わないとか。いらん気遣い(?)である)。

 またリアルの都合も考慮しなければならず、目安を伝えたとしても、客に何度も足を運ばせることになれば相手も攻略に支障を来して苛立ってくる可能性がある。

 リアルでの便利な通信手段に慣れ切ったプレイヤー達には許容し難い不便さだろう。

 そうなるとPC相手であれNPC相手であれ、店頭の既製品で間に合わせるか自身で製作した方が手っ取り早くなる(NPCの店の商品がプレイヤーズメイドに極端に劣るということもなく、NPCへ製作依頼することも出来る)。

 よほど、リアルスキルがマイナス方向に振り切っているのでもない限り、全ての装備品を生産職任せにする者は総プレイヤー数の乱高下が収まる頃には殆ど見かけなくなっていた。


 このゲームは魔物の討伐や生産が経験値稼ぎの主体ではなく、何でも屋的な、プレイヤースキルをさほど必要としない依頼の消化やフィールド上のそこかしこに仕掛けられているリドルの解読がメインで、取得経験値はクリア時に一括ではなく段階ごとに入手出来、多少クエストを選るが討伐・生産どちらにも手を出すことなくレベル上げや攻略を進めることも出来る。

 防具はどちらかといえば魔物から身を守る為でなく、えげつない罠をやり過ごす為に活躍することが多い。

 勿論、討伐や生産活動に邁進しても問題ないが、したからといって特別攻略が優位になるということもなく、そこは好き好きである。



 因みに冒頭のアナウンスは中央広場で催されていた季節限定イベント終了のおしらせである。

 このゲームでは細分化されたランキングなどによる個人のステータス暴露はない。

 パーティやギルド、クランがないので戦争などの大規模戦闘イベントもなく、そちら方面での競い合いもない。




 公共の組織としてのギルドは存在し、プレイヤーは各々の職業に対応するギルドに所属した状態からのスタートになる。固有のギルドが存在しない職業は総合ギルドに所属し、そちらで依頼クエストを受けられる。兵士は当然ギルドではなく軍所属になる。ただ、総合ギルドには職種を問わない依頼もあり、そういったものは他のギルドに所属していても受けられる。

 組織に所属することになるが何処までいってもソロ推奨ゲームであり、複数のプレイヤーが協力しなければクリア出来ないクエストは発生しない。複数人必要となる場合はNPCと組むことになる。

 各人が自分のペースで好きなように進められるスローライフSLGに近い側面もあり、変な嫉妬ややっかみによる嫌がらせもある程度抑えられている。

 スローライフ系でも先行プレイヤーが場所の占有をして新規プレイヤーを締め出したり、PK以外の嫌がらせ行為をしてゲームから排除しようとするなど、上記のハラスメント行為者のように迷惑な人間は幾らでも迷惑行為を次から次へと考え出しては実行していくが、目に余るようならやはりアカBANである。

 大抵のゲームのように運営不介入、プレイヤー同士で解決してね、というスタンスはこのゲームではない。

 製作者でスポンサーなA氏の匙加減次第である(最初から規約にもそう明記されている)。それでも常識的な行動を取っていれば息苦しくもならない。

 干渉がウザい! 自由がない! 監視してんじゃねえ! など、この手のことで文句を言う人間は大概、自分基準で好き勝手やりたい者達だ。





 このような塩梅なので人を選ぶというか、はっきり言ってこのゲーム、人気がない。





 全世界で合計しても四桁いかないのではないだろうか――プレイヤー人口は。

 逆を言えば好む者はのめり込む。

 冒頭に挙げたように儲けに頓着しない、A氏としては最悪ゼロになっても何ら困らないゲームなので自然、嗜好の合う者だけが厳選されストレスも少ない。

 最初から嫌がらせ目的でインしてくる迷惑プレイヤーもなくならないが、そうした輩は大抵即行で問題を起こしてBANされ、寧ろゲーム外での迷惑行為の方が深刻だとの噂がある。

 定期メンテナンス以外のアップデートの期間が一日二日に留まらず一週間以上にも及ぶ時は、運営のコンピュータ全般に対するクラッキングに対処している、などとまことしやかに囁かれていたりするが真相は闇の中だ。

(邪推する者は、そうしたクラッカーとの攻防こそがA氏の新しい楽しみ(遊び)なのではないかと言う。攻防の際に構築され続けていくシステムを利益に換えているのでは、とも)


 ともあれ、今の時代、VRゲームのプレイヤーは残念ながら迷惑・犯罪行為を思う存分堪能する為にゲームをしている人間が圧倒的に多く(そうでないプレイヤーは初心者・低レベル段階で徹底的に嫌がらせ(PK、ハラスメント、etc.)を受けてやめていってしまうか、或は正式サービス開始時から数段突出して始められるテストプレイヤーか、365日24時間に限りなく近いプレイ時間を確保出来る特異な者達だろう。彼らは高レベルと高性能アイテムと、あるかもしれないリアルスキルによる力技で迷惑・犯罪行為を凌ぎ切れる)、ソロプレイ環境の構築に固執しているだけでなく、そうした大勢(たいぜい)まで排除するシステムでは人が集まらないのも自然な流れである。


 ゲーム業界は作る方も遊ぶ方も、耽溺する者の間ではもはや(ゲーム内での)倫理観は崩壊している。

 かつてのモニターを前にしてキーボードやコントローラーを操作し、アバターを動かしていた時代となんら変わりない感覚で、彼らはゲームだからを理由に自らの手足を使って人を殺す行為に全く躊躇をせず罪悪感を抱かない。

 よりリアルな人殺しの感覚を追求し、痛覚を調整することさえ出来なくして、ありとあらゆる残虐行為を可能にしたものを一般向けで配信することに疑問を感じない。

 リアルと同じ苦痛を体感する、それも殺人に至らなくとも拷問や強姦といったPTSD待ったなしの行為が公然と行われれば当然何度も社会問題になった。

 だが規制は行き過ぎた自由主義とVR技術の有用性を盾に退けられ、もはや年齢制限と何処まで "自己責任" による行動が可能であるかを規約や口頭で明確にしてさえいれば国の認可が下りる始末(五感操作の有無はゲーム内容に応じて個別に審査される)。

 VR技術の危険性を声高に主張する行為は、規律や規範、道理を蔑むことこそ一段上の高みにいる者の証だと言わんばかりの中二病的嘲笑によって一蹴され、「誰にも迷惑かけてないんだからほっとけ」がゲーマー達のゲーム内における強姦・拷問・殺人の "正当" 理由である。

 とはいえ、世間一般の倫理観、社会常識は幸いそこまで狂っておらず、VRゲームに絡む者達に対する認識は総じて "係わるべからず"。

 あからさまな差別はしないが、価値観を許容したくないが故に個人レベルで深い付き合いはしたくない、というわけだ。

 VRゲームで殺人をしているから現実でも殺人を犯すようになる、という思考は今の時代ではごく少数を除き大半が否定的な者で占められるようになっているが、同時にVRでストレスや殺人欲求を解消することで現実での殺人が減る、というVR開発者側の主張も概ね否定されている。どれだけVRの技術が発達しようと、相変わらず毎日何処かしらで殺人事件は起きているし、VR経験者の中からも殺人者は出る。その数はVR技術を依拠として殊更に増えることもなければ減ることもない。

 もっとも、残虐行為の解禁を否定して配信し、プレイヤー同士のやりとりでPTSD患者を出して適正な対処をしなかった場合は、ゲーム会社も加害者プレイヤーも厳罰に処されるが。



 新規が定着しない現状は市場が拡大出来ず、いずれVRゲーム業界は行き詰まるだろうと思われるが、実際既に行き詰っており、自虐的にはある意味問題ない。

 今やゲーム市場を支えているのは金と暇を持て余したコアファンが主流で、新規は賑やかしに過ぎなくなっている。

 新規からコアへ移行する者も全くいないわけではなく緩やかながら世代交代も行われており、世界規模で見渡せばそれなりの数の安定した金蔓(プレイヤー人口)は確保されているのだ。


 それ故に、逆に定型化している無法ルールを徹底排除したこのゲームの主流ユーザーは、意外にもか必然か、無料・課金なしであることも影響し、興味はあれど金銭的・ストレス的にVRゲームに手の出せなかった新規層がかなりの割合を占めていた。




 話は戻るが、季節限定イベントに興味が沸かなかった為、カナンは参加しなかった。

 大人数が参加しなければ攻略が進まないなどのギミックはなく(くどいようだがソロ推奨ゲームである)、僅かな人間だけを優遇するレアアイテムが入手できるわけでもなし。

 このゲーム、よくある最初の一人だけが入手できる激レアアイテムというものも存在しない。

 ああいったものはほんの一握りの廃人達が総取りするだけで、彼ら以外には関心の埒外、そんな物もあったなあと思い出されればまだまし、下手をすると存在自体知らない、A氏にとってはそんな位置付けの、不要物だった。

 競争がなくて何が面白いんだ、まるで一昔前の順位付けする競技をやめさせた小学校の運動会のようだ、など嘲る声も多々あるが、元より競い合うのを目的としたゲームではないのだ、これまた無問題である。




 * * *




「……うん、サクサク、かな」


 そうこうしている間に揚げ物終了。カナンが揚げていたのは食パンの耳。

 ……。

 いや、メインはパンに挟む為の魔鳥のささみチーズフライで耳はついでである。

 砂糖とシナモンをまぶして出来上がりだ。

 この安上がりでチープな味の菓子をカナンは好み、サンドイッチを食べる時は必ず併せて調理する。


 作っている場所はカナン個人所有の[ホーム]。マイルームやプライベートスペースなど呼び名は様々あるが要はプレイヤー個人の家である。

 最低限は四畳半のがらんどうな部屋でログイン・ログアウトのみ。そこから物も金(ゲーム内通貨)もかけて快適に増改築していくのだ。

 当然(?)カナンも改築しまくった。

 今は平屋一戸建て(二階がない代わりにだだっ広く、地下室も完備)、庭に田畑に牧草地に森林、水域も山岳地帯もある。全て自給自足する為だ。

 フィールドで採取した植物は大概のものがここで栽培できる。……イイものだけでなく妙なモノもだが。

 フィールドには一応季節があるが[ホーム]にはない。エリアごとに自由に設定できるので促成栽培をするのでもない限りビニールハウスも温室も不要。

 家の中にはキッチン、ダイニング、ベッドルームの他に服飾や装飾、調合、錬金の工房もあり、外には各種の素材加工設備にサイロ型(外観だけ)の飼料小屋。農具入れが併設された家畜小屋には牛、山羊、羊、鶏を飼っている。

 といっても通常の家畜ではなくて全部魔獣だ。収穫物の品質が高いだけでなく飼育が楽なのだ、魔獣は。

 それも中盤辺りまでの人手が自分自身だけの間で、家妖精(ブラウニー)が住みつくようになれば彼らの手を借りることで世話もかなり楽になり、通常の動物の家畜とあまり差はなくなるが。

 いや、その段階になると寧ろ人によっては魔獣の方が手がかかると思うかもしれない。

 通常の動物は餌やりから体調管理、飼育小屋の掃除など全ての世話を妖精と分担出来るが(家妖精はあくまでもサポートで、[ホーム]運営はプレイヤーが主体でなければならず任せきりには出来ない)、魔獣は定期的なブラッシングだけはプレイヤー本人がこなさなければ機嫌を損ねて脱走したり生産物の提供(?)を拒否したりする。

 その代わりではないが魔獣は病気にならず、搾乳や毛刈りを長期間行わなくとも生死にかかわるようなことはないのだが(そもそも寿命もない)、魔獣自身もそれを知っている為、プレイヤーによる直接の世話を怠るとストライキが長期化することもある。

 カナンはブラッシングに関してはさほど苦にならないこともあって、魔獣が入手出来るようになった後はそれまで飼っていた家畜をNPCへ譲ったり寿命が近いものは老衰で逝くまで待ってから順次入れ替えていった。

 牛や羊の魔獣だけでなく鶏の魔獣にもブラッシングは必須だ。

 カナンは鍛冶や陶芸には手を出さず(彫金はある)、金属装備や什器は店売り品やクエスト報酬などで済ませており、その為の設備はない。


 森にいる野生の蜂の巣からハチミツが採取出来る為、養蜂はしていない。

 カナンが蚕を生理的に受け付けないので養蚕はせず、代わりに蜘蛛の魔獣から絹に似た糸を採取している。蜘蛛魔獣は牧場で飼育せず森で好きなように暮らさせており、必要になったら森の入り口まで呼び出している。

 肉は基本、家畜ではなくフィールド上の野生動物や魔獣を狩って得ている。

 エゴは承知の上、家畜ではどうしても情が移るからだ。

 カナンは肉はそれなりに好むが、食肉生産者になれない自覚は早くからあり、自己欺瞞せず食うか養うかの線引きを自分なりにして割り切った。

 このゲームは獣や魔物を倒せば肉の塊がドロップする、ということはない。現実と同じように死体を捌く必要がある。

 料理や解体そのものに興味を持たないプレイヤーは大抵NPCの精肉店や商会などに手数料を払って依頼するが、カナンは解体処理の全てを自分でしている。

 解体の出来る人型の霊獣がいないのもあるが、カナンは生家の方針で幼い頃から魚介を、小学校の高学年に差し掛かる頃には鳥獣も、絞めて捌く方法を教え込まれていた。

 日常的に肉を食べておきながら、或は植物を "命" にカウントしないでおきながら、自らの手で解体をしたことのない自分は善良で慈悲深く愛護精神に溢れた穢れのない素晴らしい人間なのだ、と自認している者達にでもかかれば、さしずめ児童虐待だ!とでも喚き散らされるだろうか。しかし、世間の実情も合わせて教えられたカナンの一家がそうした理不尽に晒されることはなかった。

 沈黙は金、である。


 また、この[ホーム]の外観は浮遊島になっている。

 ある段階までは[ホーム]も通常の家同様地上に建っているのだが、広域をカバー出来るようになるとその広さ故にフィールドから切り離される。

 [ホーム]への出入りは物理的な玄関からではなく、メニューウィンドウ内の『ホーム』を選択して転移する形式だ。

 エリアの端からはフィールドを一望でき、その壮大さは中々に見応えがある。

 カナンもログイン中何もせずに眺めっぱなしで過ごすこともあり、それほどにCGのリアル再現率が半端ないのだ。

 浮遊島は一所に留まらず、地上を踏破したマップなら自由に上空を移動出来る。

 ただ[ホーム]からフィールドを「見る」以外で干渉することは出来ず(逆も然り)、他のプレイヤーの浮遊島と出くわしてもすり抜けるだけで、空中が浮遊島で溢れ返っていても衝突事故などの心配はしなくて済む。

 [ホーム]はフィールドからも他者の[ホーム]からも不可視なので、すり抜ける仕様に関してはメニューの説明文からプレイヤーは知り、経験から知ることはない。

 また島の周囲は境界の少し手前で自動的に体が戻される仕様になっており落下する心配もない。


 浮遊島の一方向には海が存在し、その外周は崖のようになって落流を成している。

 舟や飛翔系の騎獣で境界を辿った場合はぐるりと半周して陸地へ戻ってくるのだが、境界から離れた位置から海中を進むと何故か外周の境界に辿りつけず延々と海が続く。

 海面を泳ぐ場合は舟や騎獣の時と同じだ。

 境界に近い位置から潜水してそちらへ行くと、陸上と同じく強制的に戻されるが、その勢いは強く、体の自由を奪われている間に海中環境は変更されてしまい、そのまま潜り続けるなら海に終わりはなくなる。

 潜水で境界を越える直線距離を進んだとしても、海上へ出れば海中の位置が何処であっても最も陸地から遠い境界のそばに体は出現する為、早く(おか)へ戻りたいのであれば海面付近を泳いで行った方が多少なりと時間短縮になる(海中からなら同じ距離を戻る必要がある)。


 海があるとはいえ塩の製造は大変、という俄か知識から、カナンは少しでも楽をするために海とは別で塩湖も設置している。




「みゅう~」

「ああ、はいはい、ほら」


 猫なんだか羊なんだか、やたら気の抜ける鳴き声が足元から聞こえてきたのでカナンがそちらへ顔を向けると、腰より下ぐらいのサイズの羊がいる。直立歩行である。


「みゅ」


 パンの耳のシュガーラスクをカナンから受け取り、両手で捧げ持つようにしてむくむくと食べる様は……、


(かっ、かわいい……っ)


 羊と言っても顔は人間の子供のようで、ぷくぷくの頬にふわふわもふもふの真っ白な毛皮で全身を覆われたこの獣?は霊獣の一種である。

 収穫間近のキャベツの中心からこの霊獣の上半身がにょっきり出てきた時にはカナンもフリーズしたものだ。

 最初は(伝説上の植物ではなくそれをベースに作られた)ゲームキャラクターのバロメッツかと思われたが、呆然としている間に、うんしょ、うんしょ、というコミック的掛け声?が聞こえてきそうな様子でキャベツからよじ出て来て、べつものかー、と失望とも感慨ともつかない呟きをカナンは当時漏らした。

 特別バロメッツに思い入れがあるのでもないらしく、どちらでも良かったようだが。

 それにしてもキャベツから産まれるのは赤ん坊だろう、と言ってはいけない。所詮ゲーム、言うだけ無駄だ。


 この契約者(ヴルガレス)の霊獣の種族名はヴァゴス・アニマリス。中二全開、ラテン語で「迷子の動物」という意味らしい。

 羊の学名を個々の単語で和訳すると中々に困った意味になるらしく、適当に拾ってきた上記の名前になったとかならないとか。

 具体的な外見は、直立する漫画的な仔羊の身体に、白髪の天然パーマで巻き角を側頭部に生やした幼児の頭が載っている容体だ。

 一応実体はあるものの妖精ではなく精霊寄りに位置付けられる。魔力のない人間(特定のNPCとMPがゼロになっているPC)には見えないのだ。

 とはいえ精霊のように属性魔法的な何かが使えるわけではなく、日がな一日牧草地で日向ぼっこをしているか、大気に満ちる霊気をむふむふ食べているか、好物のキャベツをぱりぽり食んでいるか、ぽやぽやとリビングのソファで寝こけているか、要は好き勝手やっているだけである。

 それペットじゃね?と言われそうだが、どちらかというと家畜枠?だろうか。原種のアルガリのような角を持つが、羊だけあって羊毛が採れるのだ、それも高品質の。

 この羊毛で作った衣類は防御力はそれほど高くはならないが、付加効果は抜群。

 作り手のレベル次第で(触り心地が)壊れ性能なものも望めるという垂涎の素材産出者なのだ(つまりピンポイントな嗜好品が作れるだけである。……作った本人にしか装備出来ないが。そもヴルガレス由来の素材はNPCの店で売る以外、プレイヤーと売買したり譲渡したりは出来ない。その素材で作ったアイテムも同様)。

 その分頻繁に採れるわけではないがカナンに不満はない。基本は癒し枠、目の保養がメインなのだから。

 羊毛が採れるタイミングは背中の毛の一部分、一般的な習字用太筆の穂先位の束がピンク色に染まった時。

 そのピンクの毛をくるくると引っ張っていけばその時得られる分だけの羊毛を集めることができる。

 上限に達したら自然と毛が途切れるので実に分かりやすい。

 また毛を収穫してもヴァゴス・アニマリスはもふもふのままで裸(?)にはならない。……A氏の趣味?


「もっと欲しい?」

「みゅみゅっ」


 食べ終わったタイミングでそう訊くと、少し背伸びしながら一生懸命小さな両手を伸ばしてくる。

 カナンはその様に内心悶絶しつつも焦らしたりせず、すぐにパンの耳をあげたのだが、不意に視界を黒っぽい何かに塞がれた。


(あー……)

「キミも食べる?」


 目の前にはプカプカと浮いている小さな龍。そう、龍である。ドラゴンな竜ではなく東洋龍だ。

 この龍も霊獣で礼龍らいりゅうという。「礼」に意味はなく「精霊」の「霊」と音を掛けただけらしい。あとは字面? 要するに雰囲気名称だ。

 今は仔龍のような小さい(なり)をしているが本性は1000メートルを越える巨大な成獣である。

 言うまでもなくそのようなサイズでは家の中に入れないので仔龍形態になってもらっている。

 サイズはミリ単位で自在に変えられるらしく、屋外にいる時はその日の気分で大きくなったり小さくなったりもする。

 そしてこの霊獣も野菜から生まれた。しかもトマト!


(うん。なんでだ)


 完熟トマトから汁塗れで皮を食い破って出て来るのを見た時、カナンは顔を引き攣らせてドン引きした。

 出るついでに自分の殻なトマトを食べ尽くし、犬の如く身震いで体についた汁を払い落したのだが、近くにいたカナンにモロ被りして遠い目にもなった。


 この霊獣達の幾種かは[ホーム]外に連れ出し戦闘に参加させることも出来るが、このゲーム、よくある「調教(テイム)」「召喚術(サモン)」といったスキルがない。

 入手方法は野菜から生まれる以外にも色々あるが、どれも上記2つとは関係ないスキルで事足りる。

 例えば野菜から生まれる場合は「農業」や「栽培」、発展スキルの「品種改良」など。

 他にも鉱物から生まれる場合は「採掘」「カッティング」、経年劣化した様々な人工物からだと「審美眼」「修繕」などで、基本霊獣を従わせるスキルはないのである。

 ではどうやって入手するのか? それは現実のペットと同様、自身の言動で懐かせ従わせるしかない。

 その為天然タラシ(?)のプレイヤーは何をやっても懐かれ、リアルで壊滅的なプレイヤーは何をやっても仲間に出来ない。

 折角育てた野菜から霊獣が生まれても即行[ホーム]外に逃げられたり(霊獣はプレイヤーを主人ないし仲間認定すると、ステータスにV(ヴルガレス)マークが付き、その状態ならプレイヤーと行動を共にして勝手に[ホーム]を出入りすることはないが、Vマークがない生まれたばかりの状態だと出て行ってしまうこともあるのだ)、生まれた時その場にいた別のプレイヤーに懐いてしまうこともしばしば。

 後者は人間関係が気まずくなるからか、いつ生まれるか予測できないのもあって、誰が広めたわけでもないのになんとなく[ホーム]に他者を招き入れるのはNG、がプレイヤー全体で暗黙の了解となった。

 一見トラブルの元になりそうな仕様だが、この辺りのヴルガレスのシビアな事情(懐かせる為の専用スキルがなく、逃走もあり。[ホーム]の持ち主であることに優位性なし)はNPCによるゲーム開始時の案内で説明され、その後メニュー内の解説ページでも繰り返し確認することが出来るのだ、大体のプレイヤーは承知の上で始めており、深刻化することは殆どない。説明を聞き流したりメニュー内情報の確認をしない無精者への配慮は当然なく、暴れるようなら迷惑行為認定されるだけである。

 ヴルガレスになった後の霊獣との具体的な付き合い方、リアルのペットでいう飼い方は、その生態と合わせて王都の図書館にある書籍で知ることができる。

 ゲームの進行具合で順次開放される霊獣の種類などの単純情報はともかく、上記のような詳細情報はヴルガレスになった霊獣限定で、契約前に予め知っておくことはできないが。

 好物は分かり易く、人工物以外は生まれてきた植物なり鉱物なりで、餌付けによる好感度維持はそれほど難しくない。

 ただ好物ばかり与えていても個体によっては飽きがきて詰むこともあり、餌のバリエーションはあるに越したことはない。


「はい」


 目の前でぷわぷわ浮いている礼龍の手元にパンの耳を近付けたが、ちらりと見ただけで受け取ろうとしない。


(いらないの?)


 首を傾げるとふんふんと顎を何度も反らした。なんともエラそうである。

 どうやら食べさせろということらしい。甘えているのだ。


「あー……もう、ほら、口開けて!」


 仕方なくパンの耳の先をちょいちょいと揺らして促す。

 するとゴキゲンな様子で小さいけれど鋭い牙の生え揃った口をぱっかり開けて……、


 ひゅんっ!


 一瞬でカナンの手と礼龍の口の間を通り抜けた何かがパンの耳を掻っ攫っていった。


「ガッッ!」


 礼龍が即座に抗議の声を上げたが、横取りした何かは知らんぷりであっという間にパンの耳を食べてしまった。

 ホバリング(?)したまま嘴だけで器用なものだ。

 そう、鳥である。いや、トリはトリでも鶏。ガルスガルスガルスという。……ガルスが1つ多い。

 学名ガルス・ガルス。セキショクヤケイ、つまり鶏のご先祖様、らしい、名前通りなら。

 鶏のように少し高い枝に飛び上がる、程度ではなく、優れた飛翔能力を持っているのでヤケイの方なのだろう。

 だが。見た目はまんま鶏である。羽毛だけでなくトサカも真っ白いが。

 因みにこの霊獣は野菜ではなく木の実から生まれた。というより、まんま木に生っていた(遠い目)。

 "シルクもどき" というあんまりなネーミングの、ほわほわの真っ白い長毛の生えたラグビーボールサイズの実の生る木なのだが、鈴生りになっている実の間に一つだけ一回り大きいのがあるな~とカナンが呑気に眺めていたところ、急に翼が生えた(広げた)ものだから心底吃驚……するには大分馴らされてしまっていた為、一瞬目が点になったもののすぐに生暖かい眼差しで諦念した。

 単に実の間に紛れていただけじゃね?と言われそうだが、トサカが枝に結合していたのだ、生っていた、で合っていると思われる。

 なんというか、ポロッと呆気なく取れてしまったが、あれは確かに一体化していた。

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