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隣人  作者: 鈴木
本編
47/262

47 過ぎし日

 カナンだ――――アウレリウスは直感的にそう思った。

 その若い女はアウレリウスの知るカナンとは似ても似つかない。顔の造作も違えば髪や目、肌の色もまるで違う。見た目の年が近しい以外に共通する要素など欠片もない。

 それでも、見慣れない服のそこかしこを赤黒く染め、倒れ伏している誰かに取り縋って慟哭する――いや、全身の衣服を切り裂かれたその体を我が身で隠そうとするかのように覆い被さり、周囲を威嚇さながらに睨みつけて絶叫する女は確かにカナンなのだと、確信した。

 屋内だろうか。壁や床には石とも煉瓦ともつかない建材。何本も立ち並ぶ継ぎ目のない極太の柱。魔道具なのか高い天井自体が光を発しているように見える。女を取り囲む黒山を構成する者達の服装もまた見たことのないものばかりで、彼らは一様に掌ほどの大きさの薄い板らしきものを構え、その表面を指で押したり撫でたりと奇妙な動作を繰り返していた。


「――――消えろ」


 突然のことに思わず見入ったが、我に返ったアウレリウスは即座に魔力を放出し、眼前に展開されている思惟の森の記憶(レコード)を消去した。

 見せられた情景の中にカナン本人がいたのだ、あの記憶自体は別の誰かのもので、カナンが改めて見させられ記憶したものを更に再現したのだろうが、不可抗力とはいえ、当事者以外から知らされて良い内容ではない。


「…………全く」


 森に苦言してどうにかなるものでもなく、森自身にもどうしようもないことなのだと分かってはいても、こう何度も他人の過去を無断で暴く暴挙の片棒を担がされるのは勘弁して欲しい。既に故人であればまだしも、相手は未だ生存しており、しかも明らかに無関係の人間には触れられたくないであろう瑕とも言える繊細な問題を孕んだ記憶だ。


「しかし…………とうとう、直に "見える" ようになったか」


 溜息をつき、手近な樹の幹にやや重たげに体を凭せ掛け、アウレリウスは鬱蒼と生い茂り、複雑に絡まり合う梢によって細切れにされている蒼穹を睨むように見上げた。

 そこに異界の門でも探すかのように。


「条件となる "縁" に情の深さは関係ない。――――そう、何も問題はない」


 問題ない――――自身に言い聞かせるように呟きながら、その実、既に後戻り出来ない域に踏み込んでいる自覚がアウレリウスにはあった。あるからこそ、これ以上深みに嵌まらない為にも、言霊にして自制を促すしかなかった。




 * * *




 突然だった。

 何の前触れもない。新緑の海原の只中。居住区外にいるヴルガレスの許を巡り、一息ついて、さあ帰ろう、と自宅のある西の彼方を見遣った瞬間だった。


 愕然としたカナンは我に返るや、即座に目を閉じてアウレリウスの忠告に従い、一気に魔力を放出した。


(消えて……!!)


 さほどの時間ではなかったが鮮明に脳裏に焼き付いた。余りにも凄惨で悍ましい拷問の様子。

 その被害者が誰か、など大して考えるまでもない。カナンに縁があり、拷問の記憶がある者。

 アウレリウスを介して間接的にしか関わりのない彼の両親の記憶をダイレクトに見させられたというより、両親のどちらか――いや、人としての、女としての尊厳の悉くを踏み躙られている人物が視界の中央にいたのだ、恐らくは父親――の記憶を垣間見て覚えた彼の記憶の方だろう。


 思惟の森の見せる記憶には音声がある場合とない場合とがある。今回は完全に無音であったが、陰惨で救いのない、唾棄すべき光景からは、時折激しく揺らぎ定まらない視界に心情の窺い知れる記憶の持ち主の悲痛な叫喚も、終始逸らされることなくその視線の先で苛まれ続けた被害者の激烈な悲鳴も、全てが生々しく聞こえてきそうで、カナンは震えが止まらなかった。


 ああ、それでも、この世界が例外ではないのだ。

 故郷の過去も生きていた時代も、世界中を探せばそこかしこで行われていた。多くの者が――カナンが、見ない振りをしていただけで、結局、人は何処の世界も変わらない。





 * * *





 憤怒は音もなく密やかに城内を席巻し、男はただ一人の悲鳴を聞くこともなく、断罪の(とき)を迎えた。


『き……さま! 主に対しこのような蛮行が許されると思っているのか!』


 裏庭に面する、いつになく人気のない回廊。

 その一角で白壁を背にじりじりと後ずさる男は、恐怖に脂ぎった顔を醜く崩壊させながらも傲然と喚き散らした。


『誰が主だ。ふざけるな』


 既に物言わぬ、自らが生み出した死体を踏み越えて対峙者が吐き捨てる。


『ふざけているのは貴様だ! 我がダーハヴェイワ家の祖先が消耗品として召喚したのが貴様の親なのだ。その子供である貴様がダーハヴェイワの所有物であり、ダーハヴェイワの為に消費されるべきは当然の事。その家畜同然の分際で主に刃向かおうなど、身のほど知ら……!!』


 一閃。

 男が最後まで暴言を吐き切ることはなかった。


 吹き出す鮮血。たん、てん、ころり、と石造りの床に転がる醜悪な首。


 毒吐きをだらだらと許したのは思いの外よく回る口であった為で、多少恐怖を引き延ばす目的で間を置きはしたが、襲撃者の振るった刃が殊更のんびりしていたわけではない。


 白昼の惨劇。

 今やこの城内に生きて動く者はいない。

 城主もその家族も、仕える騎士も、使用人も。男も女も大人も……子供も。

 ――――いや、裏庭の家畜だけがコッコッ、ブッブヒッ、と暢気に囀っている。そこだけを見れば長閑な、大した異常もない、しかしほんの少し視線を逸らせば至るところに飛び散った血糊と、全員が一刀で二分された死体が転々と存在する、とてつもなく異常な情景。











「………………」


 いつものアラートにも依らず、眷属(ヴルガレス)の起床を促す声でもなく、自発的に目覚めたイレギュラーは夢が夢でなかったが故か。



 体が変異した時、カナンは眠りを必要としなくなった。

 その影響で睡眠不足で眠気に襲われることはなくなったが、幸い眠ること自体は可能なままであり、眠りたいという意思を持って横になるなり座るなりし、瞼を閉じて安静にしていれば、ほどなく眠りに落ちる。

 ただ、肉体が疲労解消の為に睡眠を要求しているのではないからか、一旦眠りにつくと自然に目を覚ますということがない。下手をすれば永遠に眠りっぱなしになる。変異後、精神的疲労から眠りを欲したカナンに[ホーム]の精霊達が忠告しなければ中々に危ない状況だった。今は眠る前に物理的にか魔法的にか、いずれかのアラートを予め設定して "永眠" を回避している。うっかり掛け忘れた場合の保険に精霊や妖精、ヴルガレスに一日経っても目覚めない時は起こしてくれるよう依頼もしている。


 それが当たり前になって随分と経つが、目覚ましを必要としなかったのは初めてだった。



「…………夢で見させられたら、拒絶しようがないよ……アウルさん……」


 ベッドの上で暫く呆然と見慣れた天井を見上げていたカナンは、鮮明に覚えている夢の衝撃が身の内を去った頃、ぽつり、と呟いた。


 目覚めて漸く気付いた。夢の形で見せられていたものがアウレリウスの記憶であったことに。

 視点は当然記憶の持ち主自身であり、その姿が見えたわけではない。だが、城主らしき男の "親"、"召喚"、"子供"、という言葉。カナンとの関わりを含め、該当する存在はアウレリウスしかいないだろう。


 一体いつのものなのか。姿を見られなかったのだ、若い頃のものなのか、ある程度年をとってからのものなのかは判然としない。

 ただ、一度きり発せられた声が随分と若々しく聞こえたのは気のせいか。変声期前、というほどではない。だが今ほどの重厚なバリトンでもない、まだ妥協と諦念と虚無を知る前の、制御し難い激情を宿す声。


「…………」


 早鐘のように打つ動悸が治まるのを待ってカナンは上体を起こした。

 軽く吐息をつき、疲れたように瞼を閉じる。


 抗いようがなかったとはいえ、流石に今回の件はアウレリウスに話さないわけにはいかないだろう。

 話したところでどうなるものでなし、アウレリウスも仕方ないと苦笑うだろうが、義理か礼儀か、理由付けは何でも構わないが、知りながら黙っている居た堪れなさからは解放されたかった。









 窓の外の闇は薄く、明け方なのだろう、庭先の魔鶏(ネウルガリティ)が早くも動き回っているらしき羽音が聞こえる。


 ――――あの家畜達はどうなったのか。


 不意にそんな益体もない疑問がカナンの脳裏に浮かぶ。



   天敵だらけの外界に小鳥を放つなどなんて残酷な。

   危険な外へ誤って出て行かないよう保護する目的で羽を切るのだ。



 ……などと愛護家達が顔を真っ赤にして強弁していたのを思い出したが、同時にペットとして飼われていたインコが逃げ出し、大繁殖していた話をも思い出して笑えた。笑ってはいけないのだろうが、どうしても笑いを禁じ得ない。


 人間の物差しで測れるのは人間に関わる事物だけ。

 人間の物差しで測った結果は人間を基準に導き出されたものだけ。

 一見対象視点であるように装っていても、人間の編み出した事物を利用している限り、いや、そもそも人間が語っている限り、人間本位の思考からは逃れられない。


 世話をする人間のいなくなったあの家畜達は、果たして不幸なのか幸福なのか。

 束縛する鎖はなく、揺り籠から墓場までを人間によって完全管理された、与えられ生かされるだけの生から(異論はあるだろうが客観的事実部分だけの抽出である)、全てを自身で選択し、行動し、獲得しなければならない自活(或は弱肉強食)という名の、ある意味自由へと繋がる門扉は開け放たれていた。


 自活する方法を知らない(と人間が一面的に憐憫する)家畜が、世話をする人間がいなくなったが為に死に果てるのは不幸か?

 一分一秒でも長く生きることこそが唯一無二の最大幸福だという思考自体が人間本位だ(大体食肉用の家畜の不幸な死とは? 家畜が我が身を "美味しく食べてもらいたいと望んでいる" だの "美味しく食べてもらえて喜んでいる" だのとは実に人間的思考だ)。


 彼らの幸不幸を決めるのは人間ではない。

 人間が己の価値観で好きに解釈するのは勝手だが、何をどう言おうとそれは正解にはなりえない。


(私のどんな感情も彼らには意味のないものだ……)


 元より遙か昔にその命は尽きている。


 今更すぎる感傷は、同時代において以上に傲慢だ。






















覚書

城主 ボーラッザ・ダーハヴェイワ


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