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隣人  作者: 鈴木
本編
46/262

46 適度な距離

 居住区の東側に設定してある一区画、常春エリアの森へのんびり徒歩でやって来たカナンは、新緑鮮やかな草木をぐるりと見回し、意識的に梢の先や葉陰を少しだけ丁寧に観察した後、徐ろにストレイジバッグから人差し指ほどの小さな笛を取り出した。

 [ホーム]に人間はカナン一人しかいないこともあり、ゲームプレイ当時、森林や平原、山岳地帯などに整備した道は設置しなかった。長距離移動には魔法による転移や飛翔、騎獣となるヴルガレスで事足り、そうした移動の容易さから狩りや採取以外でも遭難を気にせず気ままに森を散策したりするカナンだが、今回は踏み入って闇雲に探すより確実な方法をとることにした。


 森の外周の一角に立ち、音の出ない笛を森へ向けて吹き鳴らす。

 厳密にはカナンが音を聞き取ることの出来ない犬笛のようなそれは、蜘蛛の魔獣トラルルデルを呼び寄せる為のいわば蜘蛛笛だった。

 如何にもゲーム的な、ただの洒落アイテムである。

 ネットで人家に入り込む蜘蛛の対処について調べていた時にカナンも見掛けた覚えがあるが、人間には聞こえない音を出して蜘蛛が鳴くという話があり、真偽はともかく(詳細確認までしていない)それをネタに運営はこの笛を思いついたと裏話をしていたことがあった。

 当然この笛が通用するのはトラルルデルに対してだけで、通常の蜘蛛には何の効果もない。


 吹き鳴らしては暫く間を置き、を三回ほど繰り返し、カナンは蜘蛛笛をストレイジバッグへ仕舞った。トラルルデルがすぐそばまでやって来たからだ。

 ――と言ってもカナンの目の前の森は小鳥の大人しめな囀りやそよ風が揺らす木の葉の微かな擦過音が時折聞こえてくるぐらいで、彼女がこの場へ来た時と変わらない静かな佇まいでそこにある。魔獣という名称から想起させられる存在感を誇示するような目立った生き物は何処にも見当たらない。カナンがその来訪に気付けたのは馴染みのある魔力を身近に感知したからだった。


 数歩を踏み出したカナンは近付いた若木の低い位置にある枝の先へ右手を差し伸べた。

 すると、上方の葉陰からするすると一本の白銀色に煌めく極めて細い糸が掌へ向けて降ろされ、それを伝って一匹の小さな、一センチもない蜘蛛が現れた。

 これが魔獣トラルルデル・レストチカである。

 見た目はメガネアサヒハエトリのメスに近く、大きな眼、黄味がかった体色に黒い斑模様、足の色は薄く半透明にも見える。

 ユカタヤマシログモのように口から糸を吐き(口から吐くという一点以外は糸の性質も量も何もかもが似ても似つかないフィクション蜘蛛)、その小さな体躯に似合わず、ひと吐きで大量の糸を出す。大凡シャツ一枚分くらい。カナンがトラルルデルを呼び寄せたのもその糸が目的だった。

 カナンの掌へ自身の糸から飛び移ったトラルルデルは、心得たように彼女へ向けていた体を反転させ、ついと虚空へ顔を上げると、何の気負いもなくその小さな口から小さな体躯の何十倍?何百倍?もある大量の真っ白な糸を吐き出し始めた。しかし霧雨さながらの細やかなその糸は、吐き出されるそばから前方の何もない空間へと吸い込まれるように消えていった。その様子をカナンは驚くでも慌てるでもなく静かに見守っている。

 トラルルデルの糸は直接ストレイジバッグ内の専用スペースへ収納されているのだ。

 劣化が速く、何の処置もせず外気に触れさせておくと一日足らずでボロボロになってしまうトラルルデルの糸は、時間経過の遅延・停滞が出来るストレイジバッグの中で一定の太さまで縒り合わせ、魔力でコーティングをしてしまうと、バッグの外へ出しても劣化しなくなる。

 因みに糸の染色は通常の植物や鉱物由来の染料に魔力を付与するか、元々の魔力量が多い個体が精霊と決別し(その身に宿らなくなる、直接的な庇護を外れ独立する、というだけで対立するわけではない)獣性を得て魔獣化した植物由来の染料を使用する。前者と後者は染められる色の種類が異なるという以外に差はなく、発色の程度は前者なら込めた魔力の量、後者なら元となった魔獣の保有魔力の量で変化する。同一の染料で意図的に付与魔力量を増減させ、自由に発色のヴァリエーションを得られる前者の方が使い勝手が良いと言えなくもないが、後者の色は後者の方法でしか得られない以上、商売をしているのでもない限りどちらを使用するかは嗜好の問題でしかない。


 トラルルデルが量にして三吐き分の糸をストレイジバッグに収め、げふっ、とげっぷを吐き出したような挙動で息をついて掌にお尻をつけ、寛ぎ出したところでカナンは早速糸を縒りにかかった。

 感謝の言葉を掛けつつ、トラルルデルを乗せた右手では蜘蛛の小さな体の負担にならないよう、抑え気味の柔らかい魔力を小出しにして与えることでお礼とし、左手はバッグの中身を映し出した虚空の映像の表面で立てた人差し指を撫でるように右へ左へと滑らせた。指先に纏いつかせた魔力を絵の具に見立て、指の動きに併せて残る軌跡でおおざっぱな紡錘を描き、蟠るように積み上げられたトラルルデルの糸の端をドラッグする要領で引っ張り出してその紡錘に引っかける。始めは緩く紡錘を回し、ある程度糸が絡んでから一気に高速回転させた。

 瞬く間に紡錘の周囲が糸玉となって膨らむと、適度な量で回転を停止して新たな紡錘を描き出し、同様の作業を繰り返す。

 そうしてすべての糸を紡ぎ、今度は縒った糸二本を更に縒り合わせて紡錘に掛け、より太く丈夫なものにする。


 家に帰ってから椅子にでも座ってすれば良い気もするが、何となく、でカナンはトラルルデルへの謝礼の目安を糸紡ぎが完了するまでに決めて作業に没頭した。





 全ての糸を紡ぎ終わると、一旦、糸ごと紡錘をストレイジバッグから取り出して魔力を固形化――実体化させ、改めてバッグ内の別の場所へ移して保管する。

 その後、トラルルデル・レストチカをそばにある枝先へ移せば、つれなくもあっという間に樹上を走り去ってしまった。

 いつものこととてカナンは苦笑で流し、こちらも用は済んだと踵を返す。

 数歩を進んで僅かばかり森から距離を置いた場所で、ふわり、とその身は浮き上がった。柔らかいボトムの裾をはためかせながらぐんぐんと上昇し、森を遙か眼下に一望出来る位置で一旦滞空して向き直る。森を越え、平原を過ぎ、山裾の合間に微かに見える青――目指す先を定めて一気に加速する。

 地上の数多の営みには目を向けず、前方だけを見据えて空を駆る。

 [ホーム]ではお馴染みの光景か、擦れ違う鳥達も駆け抜けるカナンを気にも止めない。

 求める遠景は瞬く間に眼前へと迫り、山間(やまあい)をすり抜けて辿り着いた場所は、[ホーム]の東の最果てに広がるディルイリッチ・ペレフスロイの揺籃――海である。


 打ち寄せる波の遠い砂浜へと静かに着地する。

 [ホーム]には太陽も月もあるが光源の主体は別で、この世界そのもの、その規則正しい増減で昼夜を形作る。

 潮の満ち干は天体の影響によるというが、[ホーム]の海は太陽も月も張りぼてで[ホーム]自体星ではないにもかかわらず干潮と満潮を繰り返す。そこは何でもありなゲーム仕様だ。

 そして今は引き潮。

 遊びに来たわけではなく、波や砂浜に戯れる気のないカナンは〔障壁〕と〔飛翔〕で防水と浮遊状態を維持し、ぬかるんでいる潮間帯へと踏み入った。

 上体を倒し、浜辺の泥の表面をじっと探るように凝視しながらゆっくり移動する。

 求めているのは小さな穴だ。泥土と海水で一見窪んでいるようにしか見えないそれを注意深く探す。



(………………あった)


 数十分ほど彷徨いて漸く見つけた小さな穴のそばで立ち止まると、カナンは徐にストレイジバッグから糸を取り出した。

 服飾用に縒った糸より一周りほど太いものを、紡錘ごと出さずに必要な分だけを引っ張り出して風魔法で切る。長さにして三十センチ程度。〔硬化〕で合成樹脂の釣り糸さながらに蜘蛛糸を鋭く固め、一端を摘むように持って反対側の端をそろり、と泥穴へと差し込む。

 初めにこの方法を試したのは、松の葉を使ってアサリを釣り上げる様子を故郷のテレビで見たことを思い出し、アサリでなくとも何かしら引っ掛からないものかと好奇心が疼いたからだった。

 今回松の葉でないのは色々試した結果だ。松の葉は松の葉でアサリはちゃんと釣れた。それでは蜘蛛の糸で何が釣れたのかと言えば――――。


(ホラー?)


 少々でなく遠い目になるカナン。


(インセクト・パニック(仮称)?)


 思い出して背筋がうぞうぞとなるのを我慢出来ず、辟易と大袈裟に言ってみる。

 故郷では「蜘蛛は平気な癖に」(蜘蛛は昆虫ではない、とはよく聞くが、包括的(大衆的?)な意味では蜘蛛も虫だ)と腐されたことのあるカナンだが、虫全般が大丈夫な人間には過剰に過ぎても、特定種だけでも駄目な人間にはこのレベルなのだ。

 叶うことなら再見は遠慮したいのだが、あちらに罪はなく、必要なことでもある為避けて通れない。更には拒否反応が出てしまう自分にもほんのり嫌悪感が湧く。生理的な反応は如何ともし難く、いつか平静に対峙出来るようになれれば、と儚い希望的観測に縋る現状。ひたすら溜息しか出ない。



 ほどなく、糸を持つ指先に魔力的な刺激が伝わってきた。

 振動はなく重量にも変化はない。ただ糸を伝って純度の高い魔力が次々と送られてくる。

 来た……と悟れど直ぐに引き上げる覚悟は持てず、しばし逡巡。

 しかしいつまでもそうしていたところで目的は達成出来ない。

 眉間により深く縦皺を刻みながら意を決して右腕を持ち上げた。

 が、直後は咄嗟に顔を背けてしまい、往生際の悪い自分を叱咤しつつ、恐る恐る視線を糸へ戻していく。

 植物の茎にびっしりと張り付くアブラムシのように、引き上げた蜘蛛の糸には泥に差し入れた先端から半分ほどの位置まで、針金じみた四本の手足が小さく扁平な形をした体から四方へ生え延びている、奇妙な生き物がわらわらと大量に群がり蠢いていた。

 カナンは反射的に投げ出しそうになる右手指に気合いを入れて力を込める。

 その挙動から虫のように思えるそれは、よくよく見れば胴体がソラ豆の形をしている。色もフォルムもままソラ豆。しかしサイズはエンドウ豆の半分もない。この胴体の四隅から黒く細く、凹凸のない真っ直ぐな、丸と線だけで描く "人" の絵のような手足が生えている。

 平たい胴の側面に顔がないのは寧ろ視覚的には好都合だろうか。これで人間の顔でもあったなら本格的にホラーだ(いやどっちもどっちか? 瞭然とした昼日中ではシュールレアリスムかもしれない)。

 幸い、カサコソと蠢いてはいても現在の位置から上へは上ってこない。同族を踏みつけにして一定範囲を行ったり来たりしているだけだ。


 さて、虫というには奇妙なこの生き物。正体はというと…………これでも妖精なのだ。カナンが生理的に受け付けない一方でそこはかとなく罪悪感に苛まれてしまうのはその為だった(妖精にはそれで、虫に対する苦手意識は放置で良いのかと言われると返す言葉もないが)。

 泥の中にいるものの、彼らは土の妖精ではなく潮汐を司る妖精だ。

 そしてトラップでもある。

 カナンとはゲームプレイ時代からの付き合いになるが、定期的にこうして蜘蛛糸で釣り上げて外界へ放たないと、潮汐を怠るだけでなく海の面積を際限なく広げてしまうのだ。

 しかし彼らを "見つけて" しまわなければその必要がない。

 砂浜の小さな穴に糸や棒状の物を突っ込み、泥中の生き物を釣ろうとするプレイヤーがどれほどいると運営は想定したものやら。当時、無精をして[ホーム]を海だらけにしたプレイヤーの話を聞かなかったのはトラップに引っかかった者が他にいなかったからか、それとも見つけてしまった者は皆、律儀に彼らを構い続けたのか。


「………………………………」


 糸を伝って上ってくる魔力を押し返しながら、ひたすら辛抱強く待つ。

 待つ。

 待つ。

 待つ。


 やがて細く狭い糸の上で三重に折り重なって整然と並んだ妖精達は、高い位置にいる者からぽとり、ぽとり、と浜辺へ落ちて行き、全員が落ち切ったところで一斉に四方八方へ散っていった。

 その姿は瞬く間に見えなくなり、後には軽微な労力に見合わない過度な精神的疲労感に襲われたカナンが一人ぽつねん、と残された。


「………………………………………………………………帰ろ」


 同じ妖精の群れでも、ブラウニー達の微笑ましい(?)せせこましさに癒されたいと痛切に思うカナンだった。







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