44 ファンシー
ゼリーの湖を見る度に思うのだが、これは寒天なのかゼラチンなのか、どちらなのだろう?
ぷるん具合からゼラチン説がカナンの中で最有力だが、中央辺りを摘んでみると寒天独特の固さがあるように思えなくもない。
……などとくだらないことをつらつら考えていられるのも至って平和だからか。
暇だからではない。やることなら幾らでもある。ちょっとした息抜きだ――――と、言葉にはせず、誰にともなく自己弁護する。
塩湖同様、ゲームプレイ時代に設置した物だが、このゼリーが何で作られているかの説明は、設置前のアイテム付属のコメントにもメニュー内の解説ページにも記されていなかった。そんなどうでもいいことを追究するプレイヤーもいないだろうと判断したのか、実は気になって再現出来ないかと試行錯誤していた者はいたのだが、その人物が自身で作り出すことに拘泥して運営に問い合わせなかった為にその存在に気付いていながら放置したのかは分からないが。
カナンがこのゼリー湖を設置したのは湖塩目的の塩湖とは違い、実用性を全く考慮せずの完全な洒落である。コレクション気質も多少は影響したかもしれない。[ホーム]の規模に余裕がなければ見送っただろうが、広さだけは拡張しまくっていたのでクエスト報酬で得たオプションを当時のカナンは後先考えずガンガン設置していた。これもその内の一つだった。
味のほどはこのゲームには珍しく(?)目に見える色から想像されるものとほぼ合致しており、裏切られることはない。岸辺近くの淡青色は、気泡を内包している辺りは炭酸ソーダ味で、泡のない、より無色透明に近い場所は味らしい味のないアガーを使った水ゼリーのようなもの。そこから中心へ向かって様々な色合いのグラデーションを成しており、黄はグレープフルーツ、橙はオレンジ、赤は苺、朱はサクランボ、淡黄は林檎、黄緑はライム、緑はキウイ、乳白色はココナッツ、白は杏仁、紫は葡萄、ピンクは桃、黒は珈琲(確認していないだけでまだあるかもしれない)、とこれらが混ざり合うことなく存在し、実にやりたい放題のファンシー仕様だ。
言うまでもないだろうが、この湖には生物は何も棲息していない。
(ゼリーの精霊……も、いないなあ)
宿るものは何もいない上にある意味人工物だが、妖精達は割と好んでこのゼリーを食しているようで、常に誰かしらが湖の上空や湖畔で戯れている。
その影響か元々の設定かは分からないが、精霊という管理者がいない状態でカナンが意識して何くれと手入れをすることなく放置していても、この湖とその周囲一帯は常に清浄に保たれている。
幾ら食べても量が減少しないのはゲーム時代からのご都合主義だ。
このゼリー湖に併設で砂糖水の湖がある。
そちらも文字通りまま湖水が砂糖水で出来ており、生物はいない。
ただゼリー湖と違い、砂糖水を舐める妖精がいない代わりに虫が大量に寄り付く為、常に虫よけの結界が張られている。
設置した順番でいうなら砂糖水の方が先で、ゼリー湖はそちらに絡んだクエストの報酬だった。
クエスト内容は既定期間内に一定濃度の砂糖水湖を[ホーム]に設置出来れば、そこからペットのように扱える(とはいえ自我はない)綿菓子雲が発生するようになる、という訳の分からんものだった(何故砂糖 "水" で綿菓子?と突っ込んではいけない)。
勿論綿菓子雲は食べられるが、たったこれだけの説明文でこのクエストをクリアしようと判断したプレイヤーがどれだけいたものか。
カナンも何故このクエストに手をつけたのか、当時の自分の心理をもはや忘れた。
後悔はしていないし、このクエストには続きがある。
クエストクリアと同時に生じた最初の綿菓子雲は空へ上ると同時に金平糖の豪雨を降らせ、共に発生した飴細工の落雷の稲妻から転がり出たのがグルステルリィラである。
このグルステルリィラ、飛行能力がない癖に綿菓子雲が好物の為、よく食べるのに夢中で転げ落ちる。
大抵は付き添っている飛行能力持ちのヴルガレスが助けるが、助け損なった場合、地面に衝突すると同時に黒黄縞模様のタンポポの綿帽子のような形に変化してしまい、暫くは元に戻れなくなる。
カナンのヴルガレスとなった影響でグルステルリィラも彼女の能力の一部を共有し〔転移〕魔法を使用出来る筈なのだが、落下中は何か制約が掛かるのか単純に焦って思い至らないだけなのか、自力でどうにかした例がない(〔飛翔〕はグルステルリィラでは使用出来ない。種族特性に関わる能力は共有出来ないらしいが、明確に "飛べない" と設定付けされているヴルガレスは不可でも、飛べるとも飛べないとも設定されていない(が素の状態では飛べない)曖昧な個体は可能となる場合もある、というのだからややこしい)。
この砂糖水の湖の衛生管理はグルステルリィラが率先して行っているので通常ゼリー湖の妖精達は関わっていないが、ランダムに発生する(カナンは[ホーム]の管理者権限で故意に発生させることも出来る)綿菓子雲は彼(彼女?)等にも好評なようで、相伴を望む時は押しかけ女房的に湖の浄化を請け負っているとかいないとか。グルステルリィラに否やはないらしく、事は常に穏便に、両者の関係は極めて良好である。
* * *
「………………むず痒くなるような空間だな」
[ホーム]を訪れた途端、頭上へ容赦なく降ってきた狛虎の首根っこを捕まえ引き剥がしたアウレリウスは、付き添いの礼龍から理由を聞き出し、興味半分、仕置きに何か細工出来ないかという思惑半分でやってきた湖を前に、何とも形容し難い表情で後を追ってきた傍らのカナンへぼやいた。
対象は砂糖水湖、にゼリー湖込みのぼやきだ。その右手には依然グルステルリィラがぶら下げられており、丁度湖面にぽわりと浮き出した綿菓子雲に興奮して暴れるのを左手で押さえつけている。本日二つ目の雲だが、実は珍しい。大抵は発生してもその日には一度だけ。二つ目が出現する場合は味が違うらしく、グルステルリィラとしては逃し難いご馳走なのだ(カナンが管理者権限で発生させる時は一日に一つだけの制限がある)。
「ええと……まあ……そうですね。
……あ、でも、アウルさんが育った妖精郷には、こうしたちょっと変わった空間とかはなかったんですか?」
「ない」
即答である。
「そうなんですか? でも、ほら、禁域みたいな」
「そっちはある」
「あるんですか? ……え、でも今の流れからすると、禁域でも……」
「奇妙とか禍々しいとかおどろおどろしい系統だな」
「そ、それは…………」
勢いで否定的な見解を口にしかけたカナンは、ふと、故郷の妖精を思い出し、言葉を飲み込んだ。
彼女がいた時代には可愛らしい、美しい、といった形容が当たり前の容姿をしていた妖精も、かつては醜悪と呼ぶに相応しい外見をしていたり、彼らを語る逸話にはぞっとする内容のものも珍しくなかった。
価値観の変容、というより、鏡を見るように、自身の中に厳然と存在する醜悪な部分を目の当たりにし、認め、折り合いをつける潔さを人々がなくしたが為に、綺麗なものだけを見て、聞いて、それだけが自分の中にあるのだと錯覚しようと、或いは(偽りの)証立てをしようと、醜さを象徴するものの悉くを改変し、覆い隠していった結果なのだろう。
醜悪なものは醜悪なもので地位を確立してはいたが、善悪の区別なく両極合わせ持っていた古神が、良きものと悪しきものの二極へ明確に分かたれてしまったように、醜悪なものに対する人々の認識はもはや自分とは相容れない、徹底して無関係な存在でしかなく、表層では我が事のように語ることがあっても、深層では鏡を伏せ、対峙することも受容することも拒絶していた。
妖精郷に端を発し、カナンの脳裏を過ったのは思惟の森の定まりない様相、その意思の底知れなさ。
禁域の峻厳は難しい。
そうした<あちら>側にも顕在する人の専横という醜さを拒絶しながら、その醜悪の全てを否定しているのでもない。
あの世界は未だ混沌の中にある、と言えるのかもしれない。
「…………どうした?」
急に押し黙って考え込んだカナンを訝しみ、アウレリウスはすっかり毒気を抜かれてどうでもよくなったグルステルリィラを綿菓子雲へ向けて放り投げつつ横目に彼女を見下ろした。
「……いえ、妖精郷のことで、ちょっと納得していたというか、しっくりきていたというか…………この[ホーム]こそが虚飾に塗れた幻想なのかな、と」
何処か自嘲を滲ませて笑うカナンの小さな頭に、ぽん、と大きな掌が載る。
「これはこれで別に構わんだろう。全てが確として存在し、命あるものも皆、生きてこの世界にいる。全てを愛しむのなら疑ってやるな」
宥める声はただ優しく、男の深い瞳は稚気そのままに綿菓子雲へ身を躍らせ、ご機嫌な尻尾だけが外側でゆらゆらと揺れている様子を穏やかに慈しんでいた。
男を見上げたカナンは、次いで無邪気な眷属を見、その周囲を円舞する妖精を見、取り巻く森を、大地を、天空を見遣って、ただ何処かぼんやりと頷いた。
「……………………はい」
愛おしむ気持ちに嘘はない。だが、この世界の変異を、生成を、単純に言祝いで良いものか、カナンには分からなかった。




