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隣人  作者: 鈴木
本編
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41 無駄なもの

 水の上を素足で歩くというのはなんとも楽しいものである。

 一歩を踏み出すごと、指先から小さな波紋が生まれ、あっという間に無限の環を幾重にも広げていく。

 もう一歩を踏み出せば新たな波紋が先の波紋と重なり、美しい曲線格子を描き出す。

 二歩、三歩、四歩、歩けば歩くほど波紋は絶えることなく無限に続く。


 何の役にも立たない魔法の無駄遣い。

 けれど、それがいい。


 時々こうして何も考えず、童心に返って心を洗いたくなる。



 水琴窟かグラスハープか。

 一歩踏み出す度に脳内であの涼やかな音色を再生すると、カナンの意を受けた精霊達が何処までも透明で、清冽な響音を奏でてくれる。


 波紋と同じ波となって澄清な音色は水上の空間を何処までも満たしていく。


 雑音は何もない。

 響くのは涼やかで明瞭で、限りなく澄み渡った、音―――――――――――。




 歩みを止め、天を仰ぎ、両の瞼を閉じて暫し涼音にその身を委ねる。






 そうしてどれほどの間、心地良い協和音の漣に身を浸した後だろうか。音響の終息と共に陶然たる無心を解き放ち、俗欲の込み上げるままに瞼を持ち上げるとそこには―――――――絶望の黒があった。


「………………」


 一瞬で静謐を湛えていたカナンの表情はしょっぱくなった。


 視界の左方から右方へと天空に掛かる、まるでベンタブラックのような真黒と呼ぶに相応しい闇の虹――色がない時点で虹とは呼べないかもしれないが、半弧の帯を宙に描き出す様はその形状だけなら虹を彷彿とさせる。

 天空がざっくりと切り取られ、星のない宇宙空間がぽっかりと顔を覗かせているようにも見えなくはないが、そのどちらでもないことを知っているカナンはひたすらに萎えた。


 闇の虹の一端へ向けて視線を下げていけば、そこには幅一メートルもの巨体を持つ貝が海面にぽっかりと浮かんで鎮座していた。闇の虹はその貝の、ほんの少し開けられた殻の隙間から吐き出されていたのだ。



 色々台無しである。

 が、そのような暴言を相手に投げつけたりはしない。

 真黒の虹など見る者には不吉以外の何物でもないだろうが、吐き出した当人はこの上もなくご機嫌なだけなのだ。



 外見は完全に二枚貝――虹を吐き出すことからも伝説の蜃をモデルにしたのだろうが、中身は貝のそれではなく何故かカメレオンの姿をしている。

 それも一匹ではなく恐らく二匹。

 この二枚貝がぱっかりと完全に開き切ったことはなく、地球のカメレオンより一回り大きい程度の中身が頭や手足や尻尾を出せる程度の僅かな隙間をたまに覗かせ、そこから見える中の様子もまたベンタブラック。

 この中身が色違いで同時に二匹、顔を突き出したことがあり、それをもって二匹、と言うだけであくまでも最低数でしかなく、或は同色の別個体がもっと内に生息(?)しているのかもしれないが、カナンは確かめたことがない。そも中身の全身像が本当にカメレオンなのかどうかも分からない。頭が似ていることから便宜上そう認識しているだけだ。


 ラクルリィマ同様、個体数を数える時は外側の貝をもって一とするため、中身を個別認識する意識が働かず、当人(?)もカナンのその対応に不満がないどころかそれを望んでいる節があり、他愛無い謎は未だ謎のままである。


 この霊獣の種族名はディルイリッチ・ペレフスロイ。

 巨体が浮いているのは海水の影響ではなく自らの魔力で浮遊しているからだ。

 真黒の虹は貝殻の奥に蟠る闇が滲み出ているのではなく、中身のカメレオンもどきがちょろりと殻の隙間から頭の先を突き出し、おもちゃの吹き戻しのように舌を巻き伸ばしする度、口元から空へと闇の帯が放たれていく。

 人ならば鼻歌でも歌いたくなる心境の時に彼ら(?)はこれを思う存分吐き出すのだ。


 (みず)と魔法のコラボレーションはよほど彼らのお気に召したらしい。気付いた時には一匹だったカメレオンはいつの間にか二匹、頭を覗かせており、これまでにカナンが見た中でも格段に幅の広い真黒の虹を共同で生み出していた。





 闇の虹にペレフスロイの機嫌を表す以外の意味はない。特殊効果があるわけでもなく、情景的にも美しくもなく(寧ろ禍々しい)、プレイヤー達には苦笑、嘲笑、無関心のいずれかと共に「無駄」と言わしめた機能だ。


 茶壺狸の "影" 然り、あのVRゲームにはこうした "無駄" が、フィールドに、アイテムに、ステータスに、クエストに、と実にふんだんに設定されており、プレイヤーからは散々に無駄が多過ぎるからなくせ!とクレームを受けていた。




『なんでもかんでも意味や意義を持たせたがるのは人間の悪い癖だ』


  ――時に "意味のないもの" という無駄も必要だ。


 誰にも意味を見出されない無駄が持てるのは豊かな者達だけの贅沢である――そう皮肉る声には『(無駄を持つ余裕のない)"人間" にとって意味がなければ世に存在する価値がないと思うのは思い上がりだ』とA氏は応えたという。


『人間ではない何かにとって人間は何の意味もないから存在する価値がない、と排除行動を取られれば盛大に噛みつくだろうに。自分がやられるのは許せないが自分がやるのはいいというのか』




 A氏のいう無駄は物質(もの)に限ったことではなく、思考や行動においてもだろうが――――それは実現性の薄い理想でしかない。


 肉体的、精神的な飢餓に襲われている時、無駄を許容出来るほどの心的余裕を持てる者がどれほどいるだろうか。

 自分にとって意味のないものに価値を見出す者がいるかもしれない、と考え及ぶ者がどれほどいるだろうか(いや、豊かで無駄を受容する者でも、己に意味をなさないものはその存在価値を否定するか)。



 或はゲームだからこそ、二重の意味で "意味のないもの" を溢れさせたのか。

 現実では望むべくもない理想的な環境を目指し、一方で現実での鬱屈も晴らし――――(どうにもならないバグを意図的な仕様だと主張して誤魔化したのだという疑惑も、いつまでもなくならなかったが)。







(本当に、たった一人の人の為だけのゲームだったんだよね……)


 二つの頭が交互に闇の虹を吐き出すのをぼんやり眺めながら、カナンは今更ながらにしみじみ思い返した。


 プレイヤーにとっては何の役にも立たない無意味で無価値な無駄ものだったとしても、ペレフスロイにとっては意味のある、価値あるものなのだ。



 ――その割に激レアアイテムという "意味のないもの" は無いという。思いっきりブーメラン。見事なダブルスタンダード。



『ブーメランもダブスタも人間の常態だよなあ……。自覚ないのが大半だけど』


 良いも悪いもない、それが当たり前であるかの如く平坦な口調で言っていたのはあの男だったか。


 自分(だけ)は違う、は、もはや本能で、無意識下にさえ持たない、寧ろ持ち得ない者は極めて稀だ。





(大体、人によってはゲーム自体が無駄なものだし……)


 意味付けや価値付け行為そのものではなく、それらに拠った視野の狭さが問題なのだろうが、自己の価値観を常に客観的な位置に据え置いて他事を多角的に測れる者はそうそういない。

 主観と自己肯定からは逃れられないものだ(自己否定、無関心もまた主観に縛られている)。






 つらつらとカナンが益体もない思考に囚われている間に満足したのか、気付けばペレフスロイは虹を吐き出すのを止めていた。

 名残のようにチロチロと出し入れされる舌に誘われて身を屈め、まだストレイジバッグに幾らか残っていた割れや欠けのない良質の貝殻を取り出して口元へ持っていってみる。

 瞬間、シャッと、舌先の粘膜で貝殻を張り付けてパクリ、と口の中へ。

 シャリショリと目を細めて咀嚼する様子は満足げだ。


 カナンが身を起こすとペレフスロイの周囲が一瞬小さく波打ち、次いでかくん、と突然重さを取り戻したかのように、殻の蝶番側から海中へ沈んでいった。





「…………あれ?」


 ペレフスロイが海へ潜る直前、二つのカメレオンの頭の間に一瞬にゅっと覗いたのはカエルの頭ではなかったか。


(…………)


 やはり他にもいる? しかもカメレオン以外?


 ゲームプレイ時代から数えて何十年目か、まだまだ霊獣にはカナンの知らない生態があるらしい。






 ところで、ディルイリッチ・ペレフスロイの好物は貝殻だが、いずれかの貝から生まれてきたわけではない。誕生母体は絵画である。

 クエスト報酬で得た三十センチ四方の、キャンバス全体が濃淡のある青一色で塗り潰された奇妙な絵画がペレフスロイの揺籃だった。その絵画はカナンが[ホーム]へ帰還した途端、勝手にストレイジバッグから飛び出し、描かれていた青を水そのものへと変化させるや一気にどおっと溢れさせた。留まることなく噴き出す水は当時の[ホーム]の四分の一を水没させたところで漸く収まり、出来上がった小海から最初に顔を見せた生き物がペレフスロイだった。

 そうした誕生の経緯からペレフスロイは単純に付喪神とも言い難く、編纂好きなプレイヤーなどはカテゴライズに苦慮していたらしいが、カナンには彼(ら?)が付喪神だろうと海の精だろうとどちらでもよく(そもそも付喪神と精霊は同一視される類いのもので分ける必要もない気がするが、そこは個々の拘りなのだろう)、また家族が増えたなあ、くらいの感慨で済ませていた。




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