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隣人  作者: 鈴木
本編
40/262

40 茶会

 椅子を引いてどかり、と深く座り、少し低い位置で腕を組んだアウレリウスは、ティーテーブルの上のポットをじっと見据えた。

 何をするのでもない。ただ微動だにせずじっと見続ける。

 命あるものであれば何かしら反応を望めるかもしれないが、相手はティーポット。

 フォルムは魔法のランプのような扁平なタイプではなく、やや末広がりな卵型で蓋は大きめに全体の三分の一弱、取っ手は女性の繊手ならすっぽりと収まっても余裕があり、注ぎ口は鶴首のようにするりと美しい曲線を描いて長い。

 陶磁製のそれは何処もかしこも真っ白で、側面の描画も成形段階での立体装飾も一切なされていない極めてシンプルな、まるで工場生産の量産品のようだ。いや、量産品でももう少し趣向を凝らしているだろうという素っ気なさである。

 カナンが言うには、彼女が見つけた段階では全面に美麗な文様装飾が施されていたが、[ホーム]へ持ち帰った途端、すっぱりと消え去ってしまったらしい。

 呪物か?の問いに返されたのは苦笑。その理由はその場で直ぐに知れた。それと意識して視れば魔眼は魔法をわざわざ使わずとも真実を映す。



「いつもぼんやりしていて人の視線は全く気にしないですよ」


 呆れを含んだ声にそちらへ目を向けてみれば、トレイを両手で掲げ持ったカナンがハーブ園を抜けてちょうどやってきたところだった。

 まずトレイをティーテーブルへ置いたカナンは、その上から陶製のポット、小さな蓋つき小鉢、茶碗二つ、茶杓、茶漉し、茶筅を順に下ろしていった。

 何を作るつもりかは一目瞭然。抹茶(もどき)である。ポットにはお湯、小鉢には数日で使い切れる分だけ家妖精(ブラウニー)に用意してもらった抹茶が入っている。

 チャノキの栽培や加工は自然に[ホーム]に憑いた家妖精では無理で、カナンはわざわざピンポイントなクエストをクリアして勧誘していた。日本人なカナンとしてはやはり日本茶は必須だった。

 抹茶と聞くと茶道のイメージが強くそれだけで敬遠しがちだが、抹茶を自分で入れて飲むだけに作法は要らない。

 カナンも地球では日常的に愛飲していた。しかし、だからといって "抹茶の正しい点て方" を知っていたわけではなく、茶漉しを通して茶杓で二杯分の粉末を茶碗に入れ、お湯を注いで茶筅で掻き混ぜて終わりだ。その作業を行うのも畳の上で正座をしてではなく、椅子に座ってテーブルの上で、だった。

 アウレリウスという客に供する(もの)の用意を、自分で飲む時と変わらない手順で済ませるのは礼を失していると言われそうだが、茶道の茶会ではないのだ、そこまで一々こだわらない。


 カナンの到着で腕組みを解いたアウレリウスは、肘掛に頬杖を突き、茶の用意をする様子を興味深げに眺めた。抹茶を供されるのは今回が初めてではないが、手際良くこなしていくカナンの挙動は見ていて楽しいらしい。



 やがてことり、と目の前に置かれた茶碗をアウレリウスは右手で掴み上げ、少しばかり香りを楽しんでから一口、口に含んだ。

 それを見届けてからカナンも椅子に座り、自分用に抹茶を入れる。

 カナンが持ち込んだのは抹茶だけで、茶といえばつきものの菓子や漬物などの茶請けは一切ない。

 以前形ばかリを揃えて出した時、抹茶の苦味をいたく気に入ったアウレリウスは甘味や塩味(しおみ)で濁す意味が分からんと言って全く手をつけなかったからだ。

 カナンも特に必要と感じる嗜好ではない為、男に合わせて今回は用意しなかった。


 先に飲み終えたアウレリウスは茶椀をテーブルへ置き、両手で包むように茶碗を持ち上げて飲むカナンの様子を一瞥してから、初めに目を向けていたティーポットへ再び視線を戻した。


「これに湯を注ぎ入れるとどうなる?」

「どうもなりません」


 唐突な質問だが、アウレリウスの目線がそちらへ向いた時点で予測していたカナンは即行で返した。何が言いたいのかも分かっており、苦笑が滲む。


「熱がらないのか?」

「故郷の昔話に登場する幻獣は熱がりましたけど、そうした先人の豊かな想像力の遺産を模倣して生まれてきた存在なので色々改変されているんです」


 幻獣というと随分印象が変わるが、カナンの言うのは妖怪である。


「模倣? お前が生み出したのか?」

「私にそんな力はありません。この世界(ホーム)の原型を作った存在です」


 ゲームの詳細はアウレリウスに話していない。その構築過程は元より霊獣達のAIなど専門家でもないカナンには説明が難しく、"[ホーム]は故郷の異界の一つ" で済ませていた(それで長らく通してしまうとあながち間違っていない気になってくるのは色々問題かもしれない)。


「禁域のようなものか」

「見方によっては似ているかもしれません」


 精霊、妖精は自然界そのものでも、霊獣の始祖はこの大陸に禁域が生じた後にその意思でもって生み出された存在である。ゲーム世界の意思=運営とするならヴルガレス達霊獣を作ったのは彼らであるのだから似ていなくもない?


 そう、霊獣なのだ、このティーポットも。

 この霊獣に合わせてカナンは抹茶を選んだわけではないのだが、妙に符号していてなんとも乾いた笑いが漏れる。


 こうしてすぐそばで憚りなく平素の声で会話しているというのにティーポットは相変わらず微動だにしない。

 「ぼんやり」だの「熱がらない」だのの言葉が出てくる対象ではないのだ、事情を知らない第三者がいたなら、さそかし二人の遣り取りは奇妙に映ったことだろう。


 ヴァゴス・アニマリスなら眠っているだけともとれるが、このティーポットはこれでも起きているのだから実に自分だけの時間の中で生きている。


「お前の眷属は魔族以上に呑気で好き勝手にやっている連中が多いが、こいつも大概だ」

「この霊獣()は特にマイペースなので」

「"マイペース"?」

「故郷の言葉で他者の都合や思惑、価値観に左右されず、一貫して自分の望む方法だけを選り、自分の思うままの速度で行動する人のことです」


 英語本来の使い方ではないのだが、和製英語がどういったものなのかを解説するのも面倒なので説明不足(そこ)は心の中で謝っておく。


「成程、言い得ている――――まあ、こいつの場合、単に鈍感なだけとも言えそうだが」


 ティーポットを挟んで互いの苦笑はより深まった。






 カナンとアウレリウスは抹茶のおかわりをしつつ暫く歓談し、その後、家の中へと場所を移した。



 それから更に時を置き、漸くティーポットは息することを思い出したかのように動き出した。

 始めに取っ手の部分が霞のように消滅し、代わってにょっきりと長くふさふさで先が少しだけ黒い尻尾がふぁさりと生えた。

 次いで上部の蓋がカタカタと揺れたかと思えば、黒い縁取りのあるやや丸みを帯びた短い耳がつまみの両側に一つずつぴょこりと現れる。

 斜めに持ち上がった蓋の奥から外を窺う二つの目が一瞬白く光り、その様子は少々不気味と言えなくもない。

 更に注ぎ口の両脇上下から真っ黒な毛に覆われた長い腕が四本ぽんぽんと弾けるように現れ、再び蓋が大揺れに揺れて残る頭が中から突き出るのかと思えば――――ぽふんっ、とコミック的な煙がわいて、晴れた後にはティーポットは跡形もなくなっていた。

 ティーポットに代わってその場に鎮座していたのは、もはや恒例になりつつある尻尾のサイズが膨らむ方向で極端にデフォルメされた、どう見てもただの狸である(尾の強調された霊獣が多いのはやはりA氏の嗜好だったのだろうか。しかし尾持ちの全員が全員ではなく、グルステルリィラにはしなやかで鞭のようにシャープな尾を持たせている辺りよくわからない趣味である)。

 ふっくらと豊かな灰褐色の毛並みに目の周りの黒模様の範囲はやや小さめ。ぴんと立った全身を覆えるほどの尻尾は、本体を現すと同時に力尽きたようにぽてんとテーブルに落とされ、円らな瞳は眠たそうに半眼で虚空をぼんやり見詰めていた。


 種族名、茶壺狸。

 元ネタは言うまでもなく分福茶釜だ。

 本家本元は狸が茶釜に化けて戻れなくなったものだが、茶壺狸は茶壺に宿った付喪神に近い。狸ありきではなく茶壺ありきだ。

 それにしても相変わらずA氏のネーミングセンスはどうなんだ、と狸が[ホーム]へ来た当初、カナンはつくづくと思った。茶壺と言っても欧風ならティーポットラクーンくらいに…………安易さでは差がないか。


 その茶壺狸だが、体そのものが姿を変えただけでなく、他にもある一点に於いて、ティーポットの時とは決定的に違う要素があった。

 剥がれ落ちたかつての文様が、今は日差しを受けて形成される狸の影となっているのだ。

 誰しも真っ黒い筈の影が、この狸だけは黒地にグレーのアラベスクのような文様を描き出している。中々に不気味である。

 この文様に何か意味があるのかというと、特に何もない。

 バグらしい、或はただの仕様だ、などの噂をゲームプレイ当時カナンは小耳に挟んだが、茶壺狸自身に不調が出ているわけでなし、当人が気にしないのならまあいいか、とあっさりスルーして今に至る。



 狸の姿を現しはしたがそれで何をするでもなく、まともに動いたのは変化時だけで、ティーポットの時と変わらずまたしても置物のように微動だにしない。

 家の中ではアウレリウスが窓越しにその様子を眺めていたのだが、遠すぎて視線に気付かなかったのか、やはりどうでもいいのか、狸はマイペースなまま、ぼんやり行く風を感じたり流れる雲を見上げ続けた。






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