39 過不足なく、が大事
神のいないこの世界で行われる人身御供は、当然ながら神に対するものではない。その土地、場所、空間に遍く満ち渡る魔力の安定を図る為のものである。
魔力バランスを壊す前に行っても完成された調和に介入することは出来ず、余剰分は拡散消滅するだけで意味がなく、必然いいほど壊してから行われる。
大抵は人命を出し渋って過少算定し、壊した分を補うには魔力不足で諸々崩壊に至る。
人の代わりに動物を生贄として供することは出来ない。世界がそれを許さない――――人の行いには人で贖え。動物の魔力では補えず、逆に崩壊を早める。
失敗する度に教訓として後世へ伝えられるが、都合の悪い事実には目を瞑る、都合の良いように改変する、都合良く忘れるのが人である。
動物では意味をなさないと分かっていても自分達の命を惜しんで何度でも繰り返す。
ならば最初から魔力バランスを崩す行為をしなければいいだけの話なのだが、自分達が変わるのではなく周囲を自分達に都合の良いように変えさせることを止められないのが人という種族である(人は自身を環境に合わせる儘ならなさを進化と称し、環境を自身に合わせさせる手段を知恵と賞する)。
魔力バランスを崩す行為で最もよく行われたのは、特定範囲内に満ちる魔力を一点に収斂させるもので、収斂先は村や町、田畑や森林、河川などである。
理由は至って単純明快、収穫量が上がる、体調が良くなる、陽気に満ちて命ある何もかもが活性化される、などいいこと尽くめだからだ。
――――ほんの一時的に、でしかないが。
魔力は多くもなく少なくもなく世界に満遍なく行き渡り満たされている状態が最上なのであって、これを過不足に歪めれば当然、弊害が生じる。
魔力を奪われた範囲は枯れ、強欲に奪った範囲は腐る。壊死系の病気が蔓延するか、自然災害とは似て非なる人災が降りかかる寸法だ。
これを防ぐ為に、事が起きる前に人の持つ魔力を死という形で開放してバランスを戻そうとする。
だが、戻そうと画策するのは不足している範囲にだけであって過剰な範囲には手を付けない。それはそうだろう、元に戻してしまっては意味がない。
しかし意味がないのは人の側であって世界には意味がある。そして、過剰部が放置されるならバランスは崩れたままだ。
つまり、人身御供で捧げた魔力が奪った分に足りずとも崩壊し、足りたとしてもバランスは戻らず崩壊する。どう足掻いても "いいこと" だけでは終わらない。
それでも人は懲りずに過剰部をそのままに、自然界の魔力を都合良く集められないかを追究し続ける。
現在では村や町、国単位で公然と行われることはなくなったが、個人ないし組織で秘密裏に魔法研究の名目で人身御供同等の行為が行われることはままある。
或は、過去の名残が現代で思い出したように牙を剥くことも――――。
見渡す限り砂、砂、砂。赤茶けた砂の海は地平にまで及び、上空からでは命の息吹はまるで見えない。
乾き切った空を渡る熱風はオブジェのように時を止めた砂の波を無造作に払い、時に彼方の岩盤を削り取って巻き上げた礫を更に降り積もらせる。
精霊にさえ見捨てられた、いや精霊にも手出しの出来ない不毛の大地。
地球の砂漠とは違い、砂域には特有の生物であろうと命あるものは一切いない。
しかしその中心にあって、一際異様を見せるその一画は、オアシスなどという可愛らしい規模ではなく、正に樹海と呼ぶに相応しい様相を呈していた。
まるで砂漠に満たされるべき恵みの水を全て掻き集めて独占し、独り栄華を貪っているかのように。
――――いや、それは言い掛かりというものか。森に強欲の罪はない。否応なく罪の片棒を担がせたのは人間。己が国を豊穣の森で囲み、潤沢な魔力で満たして栄えさせたムオニネア。
だが、その砂漠にあって、かつては楽園とも言われた深緑の海も、今、正に枯れ果てようとしていた。
* * *
いつからか鳥も虫も獣も、森からその姿を消した。
井戸は尽き、川は干上がり、代わりに滾々と大地から湧き出る――滲み出るのは病を撒き散らす腐り切った汚水。
森の木々は徐々に色褪せ、実りなく、内側から次第に干乾びていく。
ムオニネアの為政者達は原因を突き止めようと過去の文献を漁り、そうして――――祖先の罪を知った。
いや、罪ではなくしくじりと受け取リ、早急に採った手段は人身御供だった。
初めは罪人の悉くを森の中で殺した。
それでも足りず、貧民から切り崩した。
更に足りず、病人を殺し、老人を殺し、生まれたばかりの赤ん坊を殺し、産めや産めやと暴行を奨励した。
それでも、広大な砂漠を潤すほどの魔力など得られる筈もなく――――そう、樹海を満たす魔力ではない、砂漠を覆い尽くす魔力こそが必要でありながら、この期に及んでもまだ人は己に都合の良い解釈をした。
正しく認識したところで既に好転出来もしないのが現実だったが、それでも多少なりとは森の崩壊を遅らせられたかもしれなかった。
だが、それも今更だ。
森に留まった者も砂漠へ逃れた者も、等しく祖先の犯した罪から逃れることは出来なかった。
均しくあるべき魔力の充足を崩した反動は、肉体を侵し、精神を侵し、病に斃れるか幻覚に狂い死ぬか、その二者以外には自殺でしか逃れる術はなかった。
いや、アンデッドと化した元同胞に精気を吸い尽くされ、干乾びて死ぬという選択肢もあったか。
かつては豊かな平原と森とに覆われていたこの大地は、一人の貪欲な為政者と、一人の魔法を極めることにしか興味のない魔術師と、憐れな一人の迷い人によって全てが壊された。
先に物理的な自然破壊をし、砂漠化のきっかけを作ったのは今はもうない別の国であったが、対抗と対処を目的としてムオニネアが魔力の搾取に手を染めるに至った原因の一つでもあった。
たった一人でこの未知の世界の、ムオニネアという一つの国に落とされた異世界人は、魔力バランスを壊しても崩壊を食い止められるのではないかと錯覚させるだけの、この世界の "人" では持ち得ないほどの膨大な魔力を有していた。
そして桁外れの魔力を持っていようと、巧みに使いこなす術を持たなければ只の無力な人間でしかない。まして故郷は至って平和な、魔力などお伽噺にも無い、およそ暴力とは無縁の環境で安穏と生きてきた者であれば尚更。
ナイフの一本もあれば容易く殺せる。研ぎ澄まされたその鋭利な刃で首を撫でれば、たとえ年端もいかない子供でも。
そうしてこの世界へ来て大した日も置かずに殺された異世界人の膨大な魔力は、ムオニネアの思惑通り魔力の過剰な自国と搾取した不足する地域とのバランスを保ち、その歪は代わりのように周辺の本来均衡が保たれていた領域の魔力バランスを崩した。
結果、ほんの数日の間にこの大地は不毛の砂漠地帯へと変貌を遂げた。
その正当な代償が、百年以上を経てとうとう、本来負うべき者達に課せられたのだ。
* * *
魔力バランスを歪め続けた異世界人の魔力も、持ち主が生きて存在しなければこの世に繋ぎ止める楔もなく、何れ拡散し跡形もなくなるのがこの世界の自明。
元より世界に満ちる魔力はこの世界そのものの魔力であり、世界と密接に結びついている。
この世界に属する辜負族の魔力であれば、アンバランス時という条件下では時と共に世界の魔力に馴染み、融合なり変換なりされることもあっただろう。
しかし、異世界人は所詮、交わらざるべき異物だ。
異世界人が生きていれば交渉も可能だったかもしれないが、主なき厖大な力には精霊も手出しを出来なかった。
迂闊に干渉すれば、どんな暴発を招くか知れない。今以上に事態が悪化するかもしれない。
アウレリウスの力をもってしてもどうにもならなかった。彼の魔力もまた異物でしかなく、件の異世界人と同郷でもなく双方相容れない。
いずれ消え失せると分かっていればこその放置――妥協だった。
精霊達にとっては憂慮の種。それがやっと、解消される。
(〔剥離〕――――)
樹海の上方で滞空していたカナンは、森と砂漠との境界に滞留している、もはや僅かばかりの異世界人の魔力を強引に引き剥がした。
強硬手段に出ても影響がないレベルまで漸う削られたのだ。わざわざ完全消滅するまで待つまでもない。
森の輪郭をなぞるように立ち上った赤光の粒子は一端上空で一つに集束し、拳ほどのサイズにまとまってカナンの掌に納まった。
それと同時に樹海は一気に枯槁し、ムオニネアの無残な址が露わになった。
だがそれさえも瞬く間に崩れ去り、カラカラに乾き切った枯木と砂の山だけになる。もはやアンデッドさえもそこにはいない。
この段になって漸く、精霊達の解禁である。
全方位から次々と姿を見せる精霊達はあっという間に砂漠の空と大地を覆い尽くし、カナンも終ぞ見たことのない規模にまでその数は膨れ上がった。
精霊の力は存分に発揮され、干乾びた骸の如き不毛の大地は瞬く間に命漲る魔力に覆われ――――それでも砂は依然、砂のままだった。
一度砂漠化した大地はアドルトラのように一朝一夕には戻らない。
しかしこの先どれほどの時間を要しようとも精霊はこの地を見捨てない。待ちに待った彼らの歓喜の歌は絶え間なく天地に満ち溢れ、いつかこの地に豊かな緑を取り戻すだろう。
不意に目の端を掠めた光に引き寄せられるようにカナンが手の中の魔力珠を見下ろしてみれば、表面からほろほろと粒子の細かい砂のように異世界人の最後の魔力が崩壊を始めていた。
まとまりを外れた魔力砂は一瞬宙に舞い上がり、しかし直ぐに雪のように融け消えてしまう。
そうしてカナンの見守る中、止まることなく崩れ続け、やがて最後の一粒まで跡形もなくこの世界を去っていった。
[ホーム]がなければ、地球のリアルには無い能力を持つアバターでなければ、魔力を使いこなせなければ、カナンもまた辿ったかもしれない終焉。
カナンの代になって家付きで "落とされた" のには意味があるのだろうか――?
アウレリウスは不幸な偶然と言った。ただの偶然を必然にすり替え、相応しない価値があたかも存在するかの如く見せ掛けるのはいつでも人間だ。
なればこれもフィルターのかかった目で見れば出来過ぎていても、所詮ただの偶然なのだろう。
思えば、髑髏となって再会した知人はカナンの後の転移だった。
それにしても、魔力バランス崩壊の代償に精神障害はなかった筈。
(――――――――復讐は成りましたか?)
覚書
百年以上前に落ちてきた異世界人 サキスレンファ




