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隣人  作者: 鈴木
本編
38/262

38 混ぜるな危険

 コトリ、と目の前のテーブルに置かれた二つの物にアウレリウスは片眉を上げた。

 一つは何やら透度の全くない朱赤の液体がなみなみと満たされたコップ。

 もう一つは光沢のある黄金色のとろりとした液体がほんの少しだけ満たされた小瓶と小さなスプーン。


「……これは?」

「果汁100%のトマトジュースと採れたてのハチミツです」


 己の質問にしれっと答えたカナンの澄まし顔をアウレリウスは無言で眺め、再度目の前の物体に視線を戻す。


「随分と変わったもてなしだな」

「本当はお二人とも立派な大人なのですし、自己責任とは思うのですけれど、私のヴルガレスが関わっていると聞いてしまった以上、多少なりと意思表示をしておいた方が良いかな、と。――ああ、トマトジュースはお仕置きも兼ねています」

「…………はあ?」


 説明されても訳が分からん、とアウレリウスの眉間に皺が寄る。

 そこはカナンも承知の上なのか、そうでしょう、と言いたげに吐息をついて表情を改めた。何処か呆れたような、困ったような、年長者相手にどんな顔をすれば適切なのか迷っている表情だった。


「その二つは酔い覚ましに良いとされている食品なんです」

「…………………………ああ、なるほど」


 カナンの言葉を咀嚼するには充分な時間を置いてアウレリウスは苦笑した。


「聞いたというのはあれか、あのガキのことか」


 アウレリウスはやや上体を引き、椅子の背に深く凭れて腕を組んだ。

 完全に面白がっている男にカナンは更に溜息を零す。


「魔王様を騙して酔い潰したそうですね」

「騙すとは人聞きの悪い。魔族の領域は寒いからな。一発で体が熱くなる方法を伝授してやっただけだ」


 にやにやと笑いながら言われても欠片も説得力がない。


「ボイラー・メーカーを教えた礼龍(らいりゅう)も礼龍ですけど……」


 うちの子がご迷惑をお掛けしてすみません、と遠い北の空に内心で頭を下げるカナンだった。




 ボイラー・メーカーというのはビールを基酒にウイスキーを加えて作るカクテルである。大元はバーボンで、後世になるとウイスキーであれば何を使うのも好み次第、各人任せになっているらしい。

 由来は諸説あるが、とにかくアルコール度数が高く、ボイラーが燃焼するかのように一気に体温が上昇するらしいので、成人ならば体を急いで温めたい時には方法の一つとして選択肢に加えても良いかもしれない。ただ、その分酔いが早く(高度数=酔い易い、でもないとカナンは聞いたことがあったが詳細までは知らない)、人によっては危険でもある。

 カクテルの味自体はビール、ウイスキーそれぞれの種類の組み合わせで変化するという者もあれば、どちらにも麦芽が使用されている関係からか麦茶に似ていると言う者もあり、一様ではない。

 某国ではこのカクテルに対し顔を顰めて下品と謗る向きもあるらしいが、それはここでは関係ない。

 広まるような事態にでもなれば似た価値観が生じることもあるだろう。しかし、カナンは二度とウイスキーを<あちら>へ持ち込ませるつもりはないのでその可能性はない。いや、萌芽しないよう故意に潰す。双方の精霊のお墨つきで<あちら>に影響がなくとも、家妖精(ブラウニー)のウイスキーがアウレリウスという枷なしで辜負(こふ)族の手に渡った時、どう変質させられるか予測がつかないからだ。



 辜負族基準の有用が辜負族以外の害にならない保証はない。

 いや、有用であればあるほど必ずその裏で悪用を思いつく。そして悪用・反動・副作用の危険性に目を瞑り、或は嘲笑(わら)い飛ばし、有用を最優先にするのは(メリットは種族全体の権利、デメリットは個人の義務(せきにん)というアンバランス(虫のよさ))、いつの時代も、何処の世界でも人は同じらしい。

 たかが酒、されど酒。

 単純な質だけでも辜負族の手による物より高水準らしく(アウレリウス談)、直接的に自然界に影響がなくとも稀少性が辜負族の我欲(飲酒、収集、商売、研究、etc.)を刺激し(いさか)いを誘発すれば巡り巡って悪影響に至らないとも限らない。

 辜負族が知れば考え過ぎだと一笑に付すだろうが、人相手に予防線を張って張り過ぎるということはないとカナンは思っている。辜負族の利便性を考慮する必要を感じないのだから当然そうなる。


 二種以上の酒を混ぜ合わせる習慣は<あちら>にもあるが、それらに対する評価はカナンの与り知らないことであり、正直、[ホーム]産の物が影響を与えたのでもない限りどうでもいい(全き<あちら>産の代物でもフルニエムソウムの類いは流石に "どうでもいい" では済ませられないが)。



 魔王を気に掛ける一方で辜負族に辛辣なのは、それはそれ、これはこれ、である。





 余談だが、アウレリウスの酒質(しゅしつ)の評価は辜負族製悪質酒<辜負族製良質酒<<<(越えられない壁)<<<禁域 or 妖精郷での自然発酵酒=[ホーム]の家妖精製 or 礼龍・精霊共同製作酒、らしい。

 妖精は加工された物を口にしないが、各所の植物が自家製造をする酒は飲むこともあるようで、先を越され、あるだけ飲み干されてしまい、悔しい思いをしたことも若い頃はあった、と冗談混じりに男は慨嘆する。

 自家製造と言ってもアフリカ中部に生育する樹液がアルコールを含有する木と違い、自身の実を自身の根元に穿った(うろ)へ落として発酵させるらしい。何百年も年を経、洞の数を増した木などは年代ごとに寝かせ分けているとか。

 偶然や習性(?)的な行為ではなく明確に意思を持って行っているそうだが、その目的が他者に供する為なのか自己満足ゆえなのかは、一々問い質していないアウレリウスが知る筈もない。


 アウレリウスにとっての "若い頃" が具体的に何歳(いくつ)までなのか、一瞬脳裏に浮かんだ疑問は、敢えて追求しなかった。





 一体いつの間に作っていたのか(カナンは飲まないので関心がなく、その手のことは好きにさせている)、[ホーム]の家妖精からウイスキーもどきを供されていたアウレリウスに、同じく酒好きな礼龍が手っ取り早く酔える方法としてボイラー・メーカーを教えたのが事の発端だった(ウイスキーを作る為の設備はゲームプレイ時代に家妖精の要望で用意してあったが、トリップして売る当てがなくなってからは収入源用としては作ってもらっていなかった)。


 カナンとしては事の詳細を精霊経由で聞いた時、運営はなんて余計な知識を詰め込んでくれたんだと苦虫を噛み潰したような顔になったものだ。


 酒に関心のないカナンがボイラー・メーカーを知っていたのは、故郷で読んだり観たりした小説や映画で具体的な描写がされていたから、というだけでしかない。





 そもアウレリウスはどれだけ飲んでも酔わない。

 一瞬なりと酔いの感覚があって直ぐに覚めてしまうのか、全くその過程すらないのかは訊いたことのないカナンには分からないが、とにかくイイことを聞いたと思ったのか何なのか、ビールと似た酒は<あちら>にも存在するらしく、アウレリウスはウイスキーだけを家妖精から譲り受けて北土を訪い、早速魔王に体を温める方法云々と言って飲ませたようだ(地球のスピリッツのようなアルコール度数の高い酒は、既に滅んだ最北の大陸にはあったとする伝承があるものの、禁域の護る大陸に住む辜負族の間では一応まだ存在していない)。

 どうやら礼龍との晩酌の数日前に魔王が原因で何事か煩わされたらしく、その意趣返しが理由だったと思われる。礼龍もそれを承知で、酔った勢いも手伝って積極的に加担していた。




 今回の件で何が一番の問題といえば、辜負族がどうにかする以前に、ウイスキーもどきと<あちら>の疑似ビールとが思った以上に謎反応を起こし、[ホーム]のビールもどきと合わせた時より更に酔いの回りが早いだけでなく、量の割に深酔いし易くなってしまったことだ(比較対象は礼龍)。<あちら>に影響がないからいい、では割り切れない事実だった。


(大人げない…………)


 とは思うものの、きっかけがヴルガレスの礼龍では、監督不行き届き(?)で(あるじ)であるカナンも余り咎めるようなことは言い辛い。

 先にも言った通り、酒に慣れた成人同士の飲み合いでは自己責任というのもある。ただ、その範疇を越えているようにも思えて複雑だ。


 トマトジュースとハチミツは酔わないアウレリウスへのささやかな嫌みだった。だが、それも、どちらも男が苦手としている物ではないから形ばかりでしかない。


 但し、礼龍へのお仕置きはそれなりに本気である。

 トマトジュースを満たしたコップの周りを、先程から五センチほどのミニサイズの礼龍がうろうろしているのは勿論お預けだからだ。

 新鮮な採れたてトマトは勿論、ただ絞るだけでなく、これでもかと魔法で旨みを凝縮したトマトジュースも当分厳禁。

 半分寝床と化している日本酒もどきの湖に浸るのも禁止。


「……まあ、なんだ。俺が勝手にやったことだからな、こいつはもう許してやれ」


 コップに頬擦りまでしだした礼龍を見かねたのか、その頭をちょいちょいと撫でてやりながらアウレリウスがカナンを宥める。


「まだお預けにして一日なんですけど……」


 ――自分も甘いが、この男もカナンの契約者だというのに大概ヴルガレスに甘い。


(可愛がってもらえるのなら、それに越したことはないんだけど)


 もう飲んでもいいよ、とカナンが言うや否や、礼龍は喜々としてトマトジュースの海へダイブした。








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