37 置き土産
商業国家コルリスタの首都コンヴェッタに住む商家の主達は、現在眠れぬ夜を過ごしていた。
ここひと月の間に大店と呼べる規模の商家の主が何人も殺されているからだ。
しかも誰も犯人を見ていない。
被害者以外に人のいない状況ですべての殺人が行われたわけではない。時に人目のある場所で堂々と行われた。にもかかわらず誰も見ていない――誰の目にも見えなかったのである。
突然被害者が痛みを訴えたかと思うと、顔や手などの剥き出しになった皮膚に引っ掻き傷のようなものが無数に出来、その直後首筋から血を噴き出して絶命した。
第三者が見ている見ていないを問わず全員が同じ方法で殺害されていた。首を鋭利な鉤のような何かで一突きだ。直前の引っ掻き傷も例外なくある。
まるで何がしかの動物が襲ったかのようだが、大店の主という限定された人間だけを殺害しており、被害者達に動物が襲いたくなるような共通点を見出せない以上、人が関わっていることは疑いようがない。
だがそうと分かっていても未だ手掛かりが何も見つかっておらず、憲兵は被害者の商売敵を片っ端から当たるしか手がない状態で膠着していた。
せめて殺害時に魔力の識別が可能な者がその場に居れば被害者の周囲の魔力を記憶し、指紋宜しく容疑者と照合でも出来たかもしれないが、そうそう都合良く事が運ぶ筈もない。
媒体なしで個の魔力が場に留まることはなく、犯人は直接触れなかったのか遺体に魔力の残滓はなく、凶器も残っていない為に捜査は困難を極めていた。
* * *
コンヴェッタの町は商業国家の呼称に相応しく、大通りの両脇には大小様々な店舗や露店が途切れることなく立ち並び、路地を入った先にも健全そうな店からあからさまに怪しげな店、一見してそうとは分からない店までがひしめき合っていた。
通りを行く人々も他の国々とは違い、個人客より明らかに商人と分かる出で立ちの者が目立った。人の移動を主体とした馬車ではなく商品の輸送を目的とした荷馬車が所狭しと留められ、そこかしこで激しく、或は穏やかに見えて水面下では厳しい駆け引きが行われていると思われる商談の様子が見受けられた。
そうした町の喧騒を眼下にしながら姿を消して上空を飛行移動していたカナンは、中心街よりやや離れた位置で妙に牽かれる気配を感じ、店主達の居住区ともいえる大通り裏の、ある屋敷の中庭らしき場所へ降り立った。
木と石とが絶妙なバランスで使用されている瀟洒なその二階建ての建物は、〔解析〕で所有を調べてみると、この町でもかなり規模の大きい商家の主の自宅らしかった。
一階の一角がアーチ状になっており、そこから繋がる回廊の向こうにも建物が見え、どうも店と続きになっているようだ。
「あ、こらっ、また入ってきて!」
不意に聞こえて来た声に引かれ、カナンが二階へ目を向けてみれば、開け放たれた窓から使用人らしき女が上半身を乗り出し、入り込もうとしていたカラスによく似た黒羽の鳥を追いやっているところだった。
換気の為に開けていたのだろうが、再度の侵入を忌避してかぱたりと閉じられてしまった。
追われたカラスは暫く未練ありげに窓の外を行ったり来たりしていたが、やがて諦めたのか飛び去っていった。
その様子を何の気なしに見ていたカナンは、ふと、建物の窓脇に位置する庭木の枝に妙な魔力を感じ、今度はそちらへ視線を移してみれば、異様に存在感の希薄なカラスが一羽留まっていた。3Dホログラムのような実体のなさではなく、確かにそこにいると分かるのだが、どうにも視覚情報が頼りなかった。
その何とも言葉にし辛い違和感が気になり、カナンは〔解析〕で探ってみた。
("コルスラピ(類似:烏)" に、"透明化" 状態……?)
何故カラスが? と思いつつ、何処か悄然とした気配を哀れに思い、〔解呪〕で姿を元に戻してやると、直後は自身の身体の変化に驚いたようでバサバサと翼をばたつかせていたが、直ぐに喜々として枝を飛び出し、何処へともなく去っていった。
どうしたんだろう、あのカラス、と首を傾げたカナンは、先ほど閉められた窓の奥から、カラスに纏わりついていた魔力と同種のものが発せられていることに気付いた。
どうにも気になったカナンはここにきて漸く、精霊達に今、この町で何が起こっているのか、この屋敷がそれにどう関係しているのかを問い質した。
一通り精霊から必要な情報を得たカナンは、ふわりと体を浮かせて件の窓の前まで上がり、〔透過〕で一時的に体を変質させ、窓を摺り抜けて部屋の中へ入った。
透過状態のままでは床も摺り抜けてしまう為(その関係で〔透過〕だけでも軽い浮遊状態になる)、透明化状態に戻してから〔飛翔〕を解いて降り立つ。
書斎だろうか。壁一面にアウレリウスよりも高いだろう棚が据え付けられ、本や書類らしきものが整然と並べられている。
その内の一つにカナンは近寄り、〔解析〕を発動させた。
案の定、ありがちな二重棚になっており、鍵をあけると片開き戸のように手前の棚が動き、奥にもう一つの棚が現れる仕組みだ。
しかしカナンは何もしなかった。
帰宅したこの部屋の主に物色した形跡があると気付かれてもカナンは何ら困らないが、流石に憲兵の邪魔をするのは気が引ける。
そこで〔千里眼〕を行使して、奥の棚に実にあからさまな鍵つきの箱があるのを見つけた。
更に〔解析〕を(今日はよく使うと多少辟易しながら)併用して中身を確認し、最後に〔探査〕と〔変容〕の魔法を掛けて細工を終える。
「動物達を巻き込まないでね」
カナンが何をしたかと言えば、箱の中にある物の効果を辜負族限定に変更したのである。
箱の中身は小さな瓶に小分けされた〔透明化〕〔透過〕〔解呪〕の三種類の液状魔法薬だった。
今この町を騒がせている殺人事件の、正に真犯人であるこの部屋の主はこの魔法薬を使って殺人を行っていた。
〔透過〕と〔透明化〕は後に掛けた魔法の効果が優先される性質を持っており、〔解呪〕は直接的な魔法であれば術者の技量次第で対象指定出来る場合もあるが、この魔法薬に関しては単体限定だった。その為、犯人はまず〔透過〕を飲んでターゲットまでの障害物を全て摺り抜け、接近した段階で〔透明化〕を服用。効果の上書きを図って物理攻撃を可能な状態にし、姿を見せずに相手を殺害。その後〔解呪〕で〔透明化〕を無効にし、先に掛けていた透過状態に戻って悠然と帰宅していた。
二種の魔法薬とカラスの嘴に似せてわざわざ作ったらしい凶器は、〔透過〕の薬を飲む前に身に着けている。透過状態になった後では触れられないが、なる前に身に着けておけば、衣服同様、薬を服用した際に一瞬だけ身の内から発せられる特殊な魔力の影響で同じ効果を望め、薬そのものの効用には影響がない。
以上の犯行の一部始終が精霊達に筒抜けだったのは、単純にカナン同様、彼らにも〔透明化〕〔透過〕のどちらもが効いていなかった、つまり丸見えだったからだ。術そのものが精霊に無効なのではなく、薬に込められている魔力が精霊のそれより圧倒的に弱く、影響を与えられなかっただけである。
この町の住人にとっては肝心の、カナンにとっては関心外でしかない犯人の素性はというと、実は二番目の被害者の息子で、相続に絡んで父親と諍いになっていたらしい。
対外的には体裁を気にして仲の良い親子関係を見せており、家人にも不仲を知られる前に犯行に及んでいた為、憲兵の疑惑の目から逃れていた(今のところは)。
父親以外は勿論カモフラージュである。商売敵だから、という動機の推測も出来なくはないが、どの商家も後継の育成が上手くいっていたようで、店の運営に目立って支障が出ている例はないらしい。
犯人も商人ならそのくらいの情報は握っていただろうから、ライバルの蹴落としに多大な期待をしていたとは考え辛い。
ともあれ、その辺りの事情はカナンにはどうでもいい。
〔解析〕で来歴を見てカナンは知ったが、この薬を作った者はいつだったかに精霊から聞いた、人族唯一の〔透過〕の使い手、その事実が露見すると同時に為政者の指示で処刑された件の魔術師だった。
興味が湧かなかったカナンは当時詳細までを聞かずに済ませたが、その事実だけを見れば為政者が暴君のようでも、今回の事件を合わせて考えると魔術師にも問題があったのではないかと思えてくる。
魔法薬を王家が完璧な管理下に置いておけるのであればまた別の結末もあっただろうが、こうして薬が市井に出回ったまま残存し、のっぴきならない事態にまで発展している現状を思うと、過去も似たようなものだったのかもしれない。
犯人はどうもカラスに、或はカラスを使った架空の誰かに罪を擦り付けて迷宮入りさせ、自身は逃れるつもりのようだが、果たして、カラスに殺人は可能なのか?
地球のカラスの生態にも詳しくないカナンはこの世界の似て非なるカラスの身体能力にも詳しくはない。同じように興味がないからだ。精霊に訊けば分かるだろうが、今必要な知識でもないのでスルーした(コルスラピが巣を守る以外で率先して人を襲う種でないことくらいはカナンも知っている。生態に興味がないからといってカラスを軽んじているわけではなく、何もかもを知り尽くすことだけが相手を大事にすることでもない。優先順位で人より人以外が上位にあり、人の利害に配慮する気がカナンにはないのだから尚更だ。人為による歪みに首を突っ込むのも、人以外から何らかの形で要請があるか環境に大きく絡む時くらいで、個体単位の自然の成り行きに対して神経質に干渉するつもりもない)。
今回の事件に絡んでカラスに物理的に殺人が可能かどうかはカナンには重要ではなかった。うっかり〔透明化〕の魔法薬を飲んでしまった件のカラスは被害者達とは全く接触しておらず、全ては犯人が一人で行っており、完全な冤罪だからだ。その一点さえ分かっていればカナンには充分だった。
では何故犯人は殺人の前科があるわけでもないカラスを身代わりに仕立て上げようとしているのかと言えば、透明化したカラスは唯一、犯人を襲っていたから、らしい。
精霊達の話では、犯人が目を離した隙に、昼の内に部屋へ侵入しそのまま閉じ込められていたカラスが試し飲みで残されていた薬をこっそり舐め、体が透明化してしまったパニックで闇雲にこの書斎の中を暴れ回った。その際、既に透明化していた犯人の身体にもぶつかることになり―――要するに逆恨みである。
自身の身体に付けられた引っ掻き傷にヒントを得たのもあるのかもしれないが。
(それで身代わりになるって思い付くのは犯人が限定的に物を知らないからなのか、この世界のカラスは本当に人を殺せるからなのか、どっちなんだろう?)
純粋な疑問に首を傾げるカナンだったが、やはりどちらでもいいのでそれ以上は思考を発展させなかった(前者の仮定が適当なのは端から真面目に考える気がないからだ)。
「変容させた痕跡も消しておいた方がいいかな」
今回の件では当然憲兵側も透明化を視野に入れているだろうから、魔力を識別する者が捜査に加わっている可能性は高い。
カナンは自身の魔力の残滓を最小限に抑える工夫も一応施しており、精霊、妖精、霊獣にアウレリウスでもない限り識別は出来ない筈だが、念を入れて魔法薬に残っている〔透過〕使いの魔術師の魔力の特徴を参考に偽装しておくことにした。
〔変容〕で付与した「辜負族限定」は、辜負族以外が魔法薬を飲んでも透明化、透過はしない、というだけでなく、辜負族が魔法薬を使っても辜負族以外にはその姿が見える、というものである。〔透過〕による摺り抜けも精霊の既に離れた人工物以外には出来ない。
姿を消して辜負族以外に悪さをされたのでは堪らない。影響は良くも悪くも辜負族にだけ。
人族以外は関係がなさそうだが、そこは公平にした。薬が犯人の手許へ齎されるまでに何人もの人族以外が関与していたからだ。
幸い、人騒がせな魔術師の残した厄介な薬はここにあるもので最後らしく、他にもまだあるのではと気を揉む必要はない。
憲兵達は暫く探し回る破目になるだろうが、そこは頑張れ、としかカナンには言いようがない。そこまで関わる気は毛頭ない。
禁域の悪戯の意図もこれでクリアかな――――自己解釈してカナンは早々に撤収した。
律儀なカラスが一度カナンを探して中庭へ舞い戻っていたことは知らずじまいである。
覚書
連続殺人犯 ザリュヘズ・ガラセネッニ
関連
32 自虐




