35 罪の所在
足元に横たわる人物に、さてどうしたものか、とカナンは暫時考え込んだ。
この人族の女は自らの意思で禁域へ入り込んだのではなく、たった今、何者かによって投げ込まれたのだ。
全く以て凄まじいまでの膂力である。森の入り口付近ではなく、結構奥まで投げ入れている。
しかも障害となる木々をものともせず器用にその隙間を狙って。……欠片も褒め讃えられることではないが。
〔転送〕で外へ放り出すことは簡単だが、直ぐにまた投げ込まれる未来が見えてしまう。
投げ込んだ誰かしらを先にどうにかしなければ無限ループ化するのだろうか。
流石に何処かしらで断念すると思いたいが、希望的観測は得てして悪い方向に帰結するものだ。
とりあえず女は魔法で目覚めないようにした後、簡易異界に放り込む。
藪や灌木が実に都合よくクッションの役割を果たしたのか、擦り傷や打ち身程度で済んでいるが、一応液体の自己回復促進薬と消炎鎮痛薬を傷口に振りかけておいた。
侵入が不可抗力であり、一度も目覚めていない――この森の中で何一つ自発的な行動をしていないのであれば生きたままでも外へ出せるだろう。
当人は禁域に入り込んだことすら覚えていないかもしれない。
「……と、忘れる前に身奇麗にさせておく必要はあるかな」
森の中の何をも持ち出させない。植物の欠片や種、小さな虫、菌類、その他思惟の森に存在する何もかも、である。
辜負族以外が外界へ出る場合は禁域自身の力で禁域のものは全て戻される。その力が及ばないのが辜負族と異世界人で、辜負族が入域を許されない理由の一つでもある。異世界人に関してはアウレリウスとカナン以外に禁域まで辿り着けた者が今までおらず、個別対応で済んでいた。各人の事情は様々だが、大概にして碌でもない。不遇という意味で。
同一世界である以上浄化は必要ない、と簡易異界の中の女の身に〔転送〕をかけて森に属するものは残らず森へ還しておく。
問題はやはり投げ込んだ誰か、だ。
目的は女の殺害以外はないだろう。まさか成人した女の身体を投げ飛ばせるほどの力の持ち主が禁域とはなんぞや、も知らない年端も行かない子どもだとは考えにくい。
禁域への侵入、即、死、の認識ならば既に立ち去っている可能性が高いが、念のためカナンは〔千里眼〕で森周辺を見回すと同時に〔探索〕で辜負族がいないかも探ってみた。
果たして。
犯人かどうかはまだわからないが辜負族はいた。それも二人。しかも何やら言い争っている様子だ。
どちらも人族の平均を優に越えているがアウレリウスの身長に及ばず、代わりにではないが横幅はあの男よりも広い。脂肪ではないかなりがっしりとした筋肉質の身体に、脚はどっしりと太く、掴み合っている腕は下手をするとカナンの二倍はあるのではないだろうか。
褐色の肌に濃茶の髪、そして何より特長的なのが額の左右から十センチほどの真っ直ぐな角が二本生え伸びていることだ。
鬼族である。
なるほど、彼らなら人族の女一人、投げ捨てるなど容易いだろう――カナンは妙に納得して独り頷いた。
彼らは見掛け倒しではなくその強靭そうな見た目そのままに、辜負族の中でも種族特性として筋力体力方面での身体能力が抜きん出ている。
その力自慢同士がとうとう殴り合いの喧嘩を始めた。
いや、喧嘩などという生易しいものではない。見るからに腕や頬の骨が折れているだろう、という一切容赦なしの殺し合いである。
呑気に観ていていい事案ではないだろうが、官憲でもないカナンが介入しなければならない義理も義務もない。
どちらかが女を投げ込んだ可能性があるのなら尚更だ。禁域にとってはどちらか、或は両方が罪人である。
精霊に確認すればその辺りは確定出来るだろうが、それも敢えてしない。二人の諍いが女の件と無関係にも思えず、ならばまず彼らだけで決着をつけてもらおう。――禁域が罰する前に犯人が報いを受けるという展開もあり得るが、私刑は心証を悪くするだけだと思い至れるかどうかを見極めたいらしい森の意思も伝わってきており、益々止めに入る必要性を感じられなかった。
最終的に片方が地に伏し、微動だにしなくなった。光幕越しに〔解析〕してみればどうやら死亡しているらしい。
生き残った方は肩で息をしながら暫く呆然とした後、慌てて自ら殺した者に取り縋り、その死体を激しく揺さ振るが、何の反応もないと悟るとそっと地面へ戻した。手加減なしでやり合っていた割に殺害する意図はなかったのだろうか。
そうして徐に立ち上がると、決然とした様子で顔を上げ、急に森へ向けて走り出した。
「森よ! どうか返して欲しい!」
森との境界ぎりぎりにまで走り込んできた男は声を限りに叫んだ。
「森を侵したのは兄で彼女に罪はない! だがその兄を俺が殺してしまった! 兄の罪は俺が負う! だから、どうか彼女だけは許して欲しい!」
精霊に訊く手間を省く状況説明をありがとう、とは流石に思えなかった。
この男の言が何処まで信用出来るのか。結局は精霊に確認することになる。
結果を言えば、女を投げ込んだのはやはり死亡したオーガらしい。
理由までは聞かなかった。痴情の縺れだろうが種族差別だろうが禁域的にはやったことに対する情状酌量の余地にはなりえない。
思えば殺害方法に禁域への投げ込みを選んだのは、女の属する人族の国へのダメージも狙ったからなのだろうか。不法侵入するのは "人族" の女で、自分は侵入しないのだから "鬼族" にはペナルティはない、との自己解釈で。
女の意識が森の中で戻っていようといまいと、投げ込んだ側も懲罰対象になるのは言わずもがなのような気もするが、日頃の禁域の問答無用さが逆に楽観を誘発したか。死んだオーガの為人にも問題はあったのかもしれないが、何れにせよその辺りの事情はカナンにはどうでもいい。
ここでまたしてもどうしたものかと考えに耽りそうになったカナンの脳裏に森の意思が響き、その面倒臭さに溜息が漏れた。
正直そういうことは自分で言って下さい、と思うのだが、森の声が聞こえ、辜負族に姿が見え、尚且つ(辜負族相手に)辜負族の言葉を操ることに忌避感のない者がこの場にカナンしかいないのだから仕方がない、との諦めもあった。
最近すっかり森の出力端末と化している自分の存在意義にカナンは疑問を抱くのも疲れてきた。
それでも嘘偽りない選択の自由がある分、人に利用されるよりは比較にならないくらいマシではある。
「罪の肩代わりは誰にも出来ませんよ」
「! あ、あなたは……」
オーガらしい気の短さはあってもそれなりの礼儀があり、先程からの発言を聞くに生真面目な部分もあるのだな、とカナンは内心目の前の男に比較的好印象を抱いた。
何しろ今まで会ってきた辜負族は一人の例外もなく初対面のカナンを「あんた」「お前」「貴様」以外では呼ばなかった(単にカナンの人運がないだけとも言う)。
男は眼前に忽然と現れたカナンに怯んだ様子で一歩後ずさるが、直ぐに彼女が何者かに思い至ったのか、己の咄嗟の態度を恥じるように一歩を戻って背筋を伸ばした。
「ですが兄はもう、森の裁きを受けることが出来ません」
恐縮した態の男に、しかしカナンは僅かながら眉を顰めた。
「あなたの兄殺しの罪を禁域に裁かせようというのは感心しません」
「それは……!」
自覚がなかったのか、カナンの指摘に男はさっと顔色を変えてやや視線を落とした。
「あなたの罪を裁けるのは被害者の家族か、あなたが身を置く共同体――オーガ族だけです。それにあなたの兄個人への罰とは別に、連帯責任としてあなた方の属するオーガ族へは別の罰が禁域から科されると思います。その辺りは従来通りです」
「ですが、それなら彼女は……」
「あの女性を五体満足で還すことには問題ありません。幸い森へ放り込まれてから一度も目覚めていませんから。自身の身に何が起こったのかすら分かっていないのであれば尚更に好都合です」
「それは大丈夫です! 兄は彼女を薬で眠らせてからここまで運んで来ましたから、自宅で気を失ってからのことは何も知らない……」
光明が見えたというように男は勢い込んで言葉を重ねるが、カナンの変わらない無表情に先走りを悟って最後の言葉を途切れさせた。
「……何か、他に問題が…………?」
恐る恐る訊いてくる男にカナンはこれ見よがしに溜息をついてみせた。
「あります――――あなたです」
「え!? 俺……ですか? 先ほど俺では兄の罪を負えないと……」
「言いました。そのことに相違ないです。問題なのはあなたが、彼女が生きて禁域から出て来た、という事実を知っていることです」
「それは……! 一生涯誰にも言いません!」
「……と言うのは容易いですが、その言葉が信用に値するかどうかを証明する術はありません。信用信頼は一朝一夕に成り立つものではありませんし、あなたがほんのつい先刻、怒りと勢いに任せて何をしたかを考えれば、あなたの言が何の保証にもならないことも自明です」
「そんな……」
顔面蒼白で絶望する男にカナンは更に溜息を零した。
「この件に関して、思惟の森はある指示を私に下しました。あなたは "知っている" 記憶そのままに、そのことを誰にも口外出来ないよう物理的に封じられることになります」
この世界にもカナンにも他者の記憶を消去したり改変したりする手段はない。仮令あったとしても、それが禁域の望みでも、カナンは実行しないだろう。誰であろうと、当人ではない者の都合で他者の記憶を操作する権利はない。脳内に存在する記憶はその記憶を持つ者だけのものだ。覚え続けるのも忘れるのも。いっそ忘れてしまえたらと痛嘆するほどの忌まわしい記憶でも、自力で忘れ去るのならともかく、他者に忘れさせてもらうという、己でない者の手を汚させる権利もまた、ない。
(それにたとえ消せたとしても、記憶に刻み込まれていた事象が起きなかったことにはならない)
――――たとえ私が忘れても、幼馴染みの死の瞬間が凄惨で救いのない、絶望に彩られた悪夢であった事実は変わらない。たとえ狂気が最強の免罪符となり、償いなくして全ての人間が許し忘れたとしても、その罪業がなかったことにはならない。
(彼女が生きて禁域を出ることもだけど……)
「物理的に封じられる……? それは……」
「死ではありません。女性が禁域から生還した事実を言葉は勿論、文字や身振り手振り、その他どのような方法であっても他者へ伝えることを出来なくするんです」
「そんなことが可能なんですか?」
それは寧ろ願ってもないことだが、と男は短絡的に思うが、それを見透かしたカナンは苦い表情で応えた。
「あなたは兄を殺した罪を償う意思があるように見受けられましたが、あの女性が禁域へ投げ込まれた事実を話せないということは、あなたが何故、兄を殺したのかの正確な説明も出来ないということです」
「……あっ」
生還した事実が話せないなら当然、前段階の禁域へ投げ込まれた事実も話せるわけがない。その時には女は生きて禁域の外にいるのだから。
投げ込まれていないことにするなら何故兄を殺したのかの説明がつかず、兄が禁域を侵したことにするならそもそも男は兄を殺せない。
殺すなら男自身も森へ侵入しなければならず、そうなれば男も生きては出られない。
しかし一族へ科される森からのペナルティで誰かが禁域を侵した事実だけは疑いようもなく知られてしまう。
男に兄殺しの罪を真摯に償う気があるのなら、自己保身の為に殺害時期を偽装するなどということは出来ないだろう。
なれば禁忌を侵した疑惑の目を向けられるのは避けられない。
だが兄の死体がそこにあり、男も生きてそこにいる、となると矛盾が生じる。
兄の死体を隠す。女を隠して出て来られなかったことにする。
何か一つでも自分都合で嘘をついてしまえば事は楽に収まりそうだが、己の罪に正直でありたいのであれば男は自縄自縛するしかない。
「…………」
「あなたがたとえ嘘をついたとしても禁域は一切関知しません。禁域にとって大事なのは生きて出られた辜負族がいる、という事実を辜負族全体に広めないことです」
その事実を知れば必ず真似をする輩が現れる。小細工の手法まで今予測する気にはなれないが、禁域内部に存在するものを生きて外界へ持ち出したがる者は "隣人" の拉致とは別でいつの時代も一定数いる(らしい)。
そうなったらそうなったで、もはや投げ込まれた者にも自覚のあるなしに関わらず連帯責任を課されるだけだが、今女を生きて出すなら、予測される事態を未然に防ぐ為に、相応の対処をしておくのも一つの責任だろう。
「……それも俺が負うべき罰なのだと考えるのは、やはり狡いのでしょうか」
罰されたい者にはそれもまた甘美になるのか。
「禁域に刑罰の意識はありませんが、それに関してはあなたの好きに受け取ってよいのでは。
何にせよ、処置はここでしてしまいます。――――その前にまず、あの女性を返しておきましょう」
「! 本当に!?」
途端に喜色を表す男にお構いなく、カナンは簡易異界から女の身体を転送させ、男の目の前の宙に浮かせた。並行して女に掛けた魔法も解いておく。
「ああ……!!」
咄嗟に男が両腕を差し伸べたところで女を落とす。
難なくその体を受け止めた男は感極まったように抱き締め、号泣した。
それは単純に女が無事だった喜びだけではないのだろう。
カナンは男に数種の制約魔法を掛けてから何も言わず姿を消した。今の男に掛ける言葉などない。
覚書
オーガ兄 ジュファザ・ガラヴェンク
オーガ弟 レノカラル・ガラヴェンク
人族の女 ティズレア・ルーネニグ




