32 自虐
円環列島はクェジトルの領域と思われがちだが、ここにも例に漏れず犯罪組織は存在する。
クェジトル自体は犯罪組織とは対立しており、列島内で拠点の所在が明らかになれば直ちに壊滅させられ、その方法は苛烈を極める。それでも、それを承知の上で列島の一角に犯罪者が拠点を構えるのは偏に魔法による隠蔽が不可能だからだ。
当然犯罪者にとっても諸刃の剣となる。しかし、魔力を魔法に変換出来ない者にとっての最大脅威はやはり魔術師である。
本来、体を生き物の目から見えなくする隠蔽魔法は〔透明化〕と言うのだが、名称が陳腐だからという理由で行使出来る限られた者も、何故か出来ない者も話題に上る時は揃って「隠蔽」と呼んでいる(厳密には辜負族の言語では「透明化」という端的な一単語ではなくもう少し長い魔法名だ。ただ、効果も名称の意味合いも殆どカナンの魔法と大差ないものは、一々分けて表記しても煩雑になるだけなのでカナンのものに統一している。辜負族固有の魔法に言及する必要が生じればまた異なる表記になる)。
〔透明化〕は見えなくはしても触れることは出来る為、人込みでの使用には向いていない。姿を見えなくするだけでなく触れることすら出来なくする〔透過〕の魔法は、現状行使出来るのはカナンとアウレリウス、魔王の三人だけである。
過去には鳥人の女のみの種族サイレンに歌声で同等の効果を齎せられる者がいたものの、サイレンの寿命は二十歳前後と短く(あくまで人族の上層階級を基準にするなら。下層階級であれば二十五歳辺りが平均になる。但しサイレンと違い種としての寿命ではなく環境要因による)、噂が広がる前に生涯を終えた。
人族にも一人、存在が確認されたが、行使出来ると発覚した時点で時の為政者に殺害されている。
* * *
そこは壁面に吊るされた三つの小さなランプの炎が僅かばかりを照らしているだけの、随分と暗い部屋だった。
床に直座りをした者が何人がいるようだが、互いの存在は分かっても顔までは認識出来ない暗さに、しかし全員が丸まったり膝を抱えたり蹲ったりとお互いには関心がないようで、そちらを気に掛けている者は一人もいなかった。
その暗がりの中心に、突然、際立った気配が出現した。
部屋にいた全員がハッとして顔を上げると、その存在の上部に、小さいながら室内の様子をくっきりと浮かび上がらせるほどの量の、それでいて何処か柔らかい光の球体が投げ上げられ、天井すれすれで止まった。
そうして明らかになった気配の主は――カナンだった。
この建物のある島は深淵の影響力が薄く、隠蔽(カナンの言う "隠蔽" は透明化、透過の双方を含む)や認識障害は相変わらずダメでも、<深淵の門>の本拠がある列島最大の島と違い〔転移〕をしても失敗する恐れがない為、手っ取り早く翔んできたのだ。
深淵以外の禁域では自由に〔転移〕が可能でありながら深淵でだけ制約がつくのは、日々大量に〔転送〕が行われているからなのか。はっきりとした理由は分かっていない。
アウレリウスが何処であろうと難なく行使することから考えると、単にカナンが未熟なだけかもしれない(――という推測は自己の客観視で、千年越えの経験値と張り合っても仕方がないと当人はあまり気にしていない)。
〔転移〕〔転送〕は禁域、アウレリウス以外が行う場合、過去一度でも行ったことのある場所であれば失敗することはほぼない。しかし、行ったことのない場所となると明確な目標がなければ失敗をして何もない異空間に閉じ込められる危険性がある。
目標というのは例えば特定の魔力や、その魔力によって与えられた加護や呪詛。後者の二つは掛けた当人の魔力さえ認知出来れば、カナンならばこの大陸内の何処であろうと探し出してそばへ飛ぶことが出来る(アウレリウスならこの世界全域だろう)。
一度も来たことのないこの場へ、カナンはそうして〔転移〕してきた。
明るくなった室内を改めて見回してみると、そこにいたのは複数の若い女達だった。
全員見目は良いが身形は粗末なワンピースだけで、更には全員が何処かで見たような首輪をしていた。
カナンは突然現れた彼女に怯える女達の一人に近付くと、咄嗟に頭を抱え縮こまるその頭上にスッと右手を翳した。
何をされるのかと他の女達は一斉に距離を開け、そうして恐怖に歪んだ複数の眼差しが見守る中、カナンの手はポウッと微かに光を放ち、それと同時に女の傍らに小さな、二十センチほどの妖精が現れた。
人に似た、いや人がその容に近付いた、優美な肢体に中性的な相貌の、トンボのような翅を四枚持つその妖精は、しかし何処か虚ろな瞳をして手足はだらりと垂れ下がり、まるで動こうとしない。
種族特性で羽ばたかずとも浮いていられるが、その首からは血染めを思わせる赤い糸が伸び、その先端は女の髪の一部であるかのように頭頂部へと消えている。まるでペットのリードじみたそれの為に、妖精はふらふらと宙を漂いながらも一定以上女からは離れられないようにされていた。
この赤い糸――魔力糸は呪詛の一種である、妖精にとっては。
だが一部の人族はこれを「妖精の祝福」と呼び慣らし、捕らえた妖精を無理やり人に縛り付けることでその人間の運気を上げたつもりになっている。
まるで紐つきの風船か凧紛いの扱いをされた妖精は自我も魔力も封じられて助けも呼べず、その姿も隠されて貼り付けられた人間が死ぬまで解放されることはなく、死んだ後も解放は一瞬で、ある種殉死をさせられる。そこに妖精の意思はなく、残り滓の始末をするかのようにただ操られて自害するだけだ。
カナンは痛ましい思いで妖精を両手でそっと掬い持ち、結界でその身を包み込んでから一瞬で魔力糸を断ち切った。
分解・消滅させるのではなく殊更衝撃を与えるように魔力を叩き付けたのは呪詛返しを狙ってのことだった。
この呪詛を掛けた、一度だけその姿を垣間見た魔術師が今頃どうなっているかはカナンの関知するところではない。
正直どうでもいい。
生き延びていたとしても精霊達が放置する筈もない。
「げえっ!!」
その時、扉の激しく叩き開けられる音と、横合いから差し込んだ光球の柔らかな明かりとは違う、強烈な眩しい光がカナンの体を打ち、それらと共に発せられたのは一人の男のひしゃげたような吃驚の声だった。
カナンがそちらへ視線を投げると、男は彼女の手の中を見て顔面を蒼白にしたところだった。
目に見える位置の傷、というと目や頬、額などが思いつくが、男はまるで誇示するかのように剥き出しになった首筋にざっくりと長い傷跡を持っていた。よほどの強運の持ち主なのか、致命傷一歩手前だっただろうと窺える位置の傷である。
歳は四十を過ぎた辺りだろうか。外見的には同年代でも、アウレリウスとでは貫禄が違い過ぎると感じるのは、決してカナンの贔屓目や欲目だけではない筈だ。そもそも実年齢差を考えれば比較すること自体が無意味か。
見覚えのあるその顔にカナンは深々と溜息をつき、男の視線から妖精を守るようにくるりと背を向ける。そして妖精の首にかかっている魔力糸の残滓を消滅させ、〔転送〕で同族の許へ送ってから再度向き直った。
男の手には大型のランプが握られており、光の不快な刺激性から魔道具だろうと当たりをつける。
カナンの眉根が寄ったことに気付いた男はランプを部屋の外の廊下だろうか、自分の身長よりやや高い位置の壁際に引っ掛けるような仕種をして手放した。そして何処か緊張した様子で唾を呑み込み、カナンに問いかけた。
「俺達も一蓮托生か……?」
「あなた方がこの件に加担していないことは分かっていますが、今後のあなた方の処遇はこの女性をどう扱うかで精霊が決めるでしょう。私に決定権はありませんのでどうすれば最良かはそちらで考えてください」
そうは言っても選択肢はそう多くはない。
女を庇うのは論外、男が口にした通り一蓮托生の末路が待っているだけだ。
また厄介事を持ち込んだと女を精霊に先んじて殺害するのも良策ではない。精霊は自らの手で罰したがる。さもなければ溜飲が下がらないのだ。
「……おいっ」
男は首を回さずに背後へ呼び掛け、それに応えるように直ぐに一人の男がカナンの位置からでも見える扉の外に姿を現した。
その男はカナンに気付いて眉を顰めるが、余計なことは言わず、先にこの場にいた首領らしき男の指示を無言で待った。
「あの……あー、立ってる女の直ぐ脇で蹲ってる女を連れ出して何処でもいいから捨てて来い」
男は手前にいるカナンの顔色を窺いつつ、件の女へ顎をしゃくった。
「間違ってもクェジトルの連中には見つかるなよ」
即座に諾、と応じた手下に釘を刺し、男は手下が女共々出て行き易いよう入り口の前から体をずらした。
クェジトルに見つかるな、というのは保険だ。
万が一女を見つけたクェジトルがその身を保護すれば累は彼らへ及ぶが、その可能性を予測しながら対策を取らなかった男達にもとばっちりが来ないとは限らない。
手下の男は完全にカナンを存在しない者として振る舞うことにしたのか近付いてもちらりとも見ず、己の役目を果たすことに専念して件の女を引っ立てた。
女はひっと怯えた声を上げ、嫌嫌と泣き喚きながら引きずられていくが、男達に何をされるのかという恐怖だけで、精霊からの報復には意識が向いていないようだった。
犯罪者から受ける仕打ちと精霊からの報復とでどちらがより過酷かは明確に決められるものでもなく、大差ないのであれば恐れの対象はどちらでも良いように思えるが、精霊の怒りに思い至らないということは罪の意識がないということ。
女は妖精を付けられたことも、その行為が何を意味しているかも間違った知識のまま知っている。
洗脳と同じで誤りを教え込んだ者が悪く女は被害者だと言う者も人族にはいるだろうが、精霊にとっては無知は罪、である。
魔力糸に繋がれる時、妖精は嫌がっただろう。その姿が見えなくなる前、妖精がただの虚ろな人形と化す様を見ていただろう。
それでも尚 "祝福" だなどと思える神経を洗脳による麻痺で済ませられるのか。済ませよと言うのか。何処までいってもそれは人族だけの都合でしかなく、なれば精霊も精霊の都合を押し通すだけ。
同胞を虐げるという悪行に加担しておきながら、罪を犯している自覚すらないのでは火に油を注ぐだけだ。
――――人の言う "罪" が精霊にとって罪でない例があるように、今回の件は人族にとって "罪" に当たらないという認識が彼ら全体にあるのなら、そもそも女の心理状態は洗脳ですらないが。
女の声が遠ざかり、殆ど聞こえなくなった頃、カナンと男は改めて対峙した。
「聞くまでもないかもしれませんが、私のこともどうにかしますか?」
どうにか出来ないことは分かっていながら敢えて嫌味たらしく訊くのは、勿論、カナンなりに犯罪者に対し思うところがあるからだ。
とりあえず厄介事の一部を遠ざけられて心理的余裕を取り戻したのか、カナンのあからさまな挑発に、男は彼女の故郷の海外ドラマで見掛けるような、おどけた調子で肩を竦める所作をしただけだった。
「俺達が長くしつこく生き延びるのに必要不可欠なのは相手が敵に成り得るかどうかを的確に判断する能力だ。
この敵ってのは、早急に排除しなきゃならねえ邪魔者か、絶対に正面からでも背後からでもやりあったらダメな、触るな危険物かのどっちかだ。
敵にもならねえザコは本音を言やあ放置したいんだが、たまに思いもよらねえ行動を取って迷惑かけられることがあるからな、あれこれ考える前に始末する」
窮鼠猫を噛む、か、もっと単純に小人閑居して不善をなす、か。
「で、あんたは言うまでもなく触るな危険、だ。っても有り難いことに人族に関心がないとくる。
今回の商品の件だって、見逃してくれんだろ?」
過去の不本意な遭遇を思い返しつつ期待を滲ませて男は言う。
「見逃すというより、辜負族の問題は辜負族だけに責任のあることなのですから辜負族だけで解決して下さい、と思うだけです」
「だが、あんたは蟻の存在やその売買は嫌ってんだろ?」
カナンの物言いの殊更に突き放した部分はスルーで、納得いかない、と言いたげに男は言い募る。人族に拉致された妖精達を助ける為に、カナンが男にとっても敵であった勢力を死体すら残さずに全滅させる様を見せ付けられた経験があるからだ。正確にはカナンではなく、相当数のこちら側の精霊達が報復を行っていたのだが、それは精霊の見えない辜負族の男では知り得ようもない。直接手を下してはいなくとも終始関わり続け、助力を惜しまなかった己を無関係の立場に据え置いて穢れないつもりでいる気のないカナンは、男の勘違いを察しながら訂正していない。
そして当時、カナンは同じ場にいたこの男の勢力と、彼らが確保していた様々な種の辜負族の蟻達を、苦い表情を見せながらも放置して去っていた。
男にとって幸いだったのは、妖精を買い取ろうなどという自滅行為を、それとは自覚せず自重していたことだ。その意思を僅かでも見せていれば、仮令カナンが見過ごしたとしても精霊達は決して見逃しはしなかっただろう。妖精が売買されていると知りながら、精霊達の手で始末させ、労せずして利を得ようと犯罪組織を放置していた国家が無傷では済まされなかったように。
「私や私の大切な存在に累が及ぶなら、です。
こうした問題で辜負族が辜負族ではない、他の突出した力のある存在に頼った場合、事の成否に関わらず、堕落の一途を辿るだけです。
辜負族の困窮に対し、他者が行う親切という名の労働は常に無報酬でなされなければならず、対価を要求する行為は罪悪だという。困窮から他者の手を利用して逃れたいという極めて利己的な欲を当然のものとし、自身は何をも失わず他者にのみ何事かを支払わせてその欲を満たそうとするずうずうしさは卑しいと思わず、他者の物理的ないし精神的な対価を望む欲は下劣だと詰る。
そうして事が成った後は指導も統制もお断り。
事が成る前までに供されていた有形無形のものは一切返す必要があるとも考えない。
もはや独立独歩の意思は失われ、困難があれば自分達より力のある誰かが何とかしてくれる、するのが当たり前、しないのはおかしいと憤り、相手を貶めることだけに終始するようになる。力がありながら助けないのは傲慢だと謗りはしても、相対的な実状を無視して誰も彼も無条件に助けるのが当たり前だと断じる、その自身の偏狭な価値観を押し付ける傲慢は省みない。
事が失敗したらしたで、頼った存在を無能と罵り、失敗するまでの過程で失われたありとあらゆるものの完全なる返還を要求し、それをもって未だ解決しない困難を楽に、一時凌ぎで根本的には何も解決せずにやり過ごそうとする。
その間に自らの労力ですることといえば、別の力ある存在を捜すことくらいです。
それらが分かっていてどうして手を出す必要があるのですか」
「言うねえ。だがそれが人ってもんだろ」
「そうですね」
ニヤニヤとそれがいいんじゃねえかと言わんばかりの愉快げな嘲笑いを浮かべる男にカナンはあっさり同意する。勿論「良い」の部分ではなくそれが人という種なのだ、という意味で。
同じ形をしているだけで、こうも「人」とは似るものなのか。全く同じでないことを思えば、ついこうしたマイナス面こそ違っていればよかったのに、と尊大で身勝手な希望を抱いてしまう。
全ての辜負族がそうだとはカナンも思っていないが、声の大きい者ほどその傾向にあるのだから始末に負えない。
そしてその声の大きい者をどうにかするのも、やはり辜負族の責任である。
「――で、そろそろ消えてくれるのか?」
カナンはただ静かに佇んでいただけだったが、何かしら察するものがあるのか、男は彼女の情動を読んでその帰還の意思を確認した。
「出来りゃ二度と会いたくねえんだけどな」
「それはお互いさまです」
双方憎まれ口ではなく、偽らざる本音だった。
二人が一見緩いようで、その実緊張感満載な殺伐とした話で興じている間、外洋側からこの島へ船で上陸する一団があった。
クェジトルである。
この島にもクェジトルの町はあり、それ自体はさほど珍しくもなかった。
ただ彼らは上陸した後、途中までは細い山道を真っ直ぐ上がっていたのだが、いつの間にか一人二人と片脇の木立へ逸れていき、やがて藪に紛れてその姿を消していった。
彼らが向かった先にあるのは、今現在カナンのいる犯罪者達の拠点である。
だが、首領の男も既にここを引き払う手配をしていた。男がこの部屋へやってきた目的は "商品" を搬出する為の最終確認だったのである。
クェジトル達の動向をカナンは知っていた。知っていて何も言わなかった。手を出す必要がないのだから――口も出さない。
クェジトル達に対しても何もしていない。拠点の在処を知らせることも、男が拠点を放棄しようとしていると忠告することも。
もはや運比べである。
カナンはどちらにも関与しない。関与せずにただ去るのみである。
覚書
犯罪組織の首領 ティッダーカ
部下の男 ヤヅキアド
妖精持ちだった女 エノロルア・ディデクス
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17 二度目もない




