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隣人  作者: 鈴木
本編
30/262

30 物語は始まらない

 シュッ……!


 カナンの頬を掠めた矢はガッ!と彼女の数歩前に佇む木の幹に深々と突き刺さり、微動だにせずその存在を主張した。

 ここでお約束通りならカナンの頬が切り裂かれ、鮮血が滴り落ちるところだが、彼女の滑らかな肌には傷一つない。

 チッと舌打ちが聞こえたのは、射手としては不本意な結果だったからだろう。


 カナンは振り向きかけるが、


「動くな!」


 即座に怒号が浴びせられ、内心、問答無用でいきなりだからどうしようもないんだけどな……と思いつつ無言で指示に従う。


「貴様、何処から入り込んだ? よそ者は今直ぐこの森から出ていけ」


 忌々しげに吐かれた、これまた実にお約束な台詞を受け、ここからは自由選択出来るからいいんだけどね、と更に思いつつ〔転移〕を発動。


「ッ!!」


 射手が何か言ったようだがカナンの耳には届かなかった。






 * * *






「それは向こうも立場がない、か?」


 キッチンテーブルを挟んで対面に座るアウレリウスがクックッと笑いながら言うのに、カナンは彼に向けてではない溜息をついてみせた。


「出ていけと言われたから即行で出ていったまでで、文句を言われる筋合いはありません」


 あの時射手がなんと言ったかまでは聞き取れなかったが、声の調子に不満が表れていたのは覚えており、それを思い返したカナンは軽く眉根を寄せた。


 先日禁域によって転送(とば)された先は、精霊の言うには大陸南部を支配する妖鬼族の、更に森人(エルフ)がいる国だったらしい。

 エルフと言ってもこの世界では黒褐色の肌の所謂ダークエルフしかいない。その為 "(ダーク)" などと区別をつけず端的に森人(エルフ)と称され、ダークエルフと呼んでも逆に通じない。

 これはカナンが試したのではなく、過去にいた異世界人のやらかしを精霊から聞いて知ったことだ。

 また彼らは完全な動物種族であり、紛らわしく "エルフ" の名称を持ってはいても地球においてと違い、この世界の精霊由来の妖精とは別の存在である。


 エルフは種全体としては排他的ではなく、森を尊崇し、植物を愛し、彼らを不当に荒らすものに敵対する。それも、よほど過剰な場合であって、厳格頑迷に森の守護を主張しているのではなく、彼ら自身大樹に平気で矢を射かけもすれば、下草も踏み荒らし、そもそも菜食(植物の命を喰らう)を好んで行う(だからといって菜食主義なわけではない。ただの雑食だ)。

 ただ、エルフにも人間と同じように一部排他的な者はおり、彼らが他種族と起こす揉め事にそうでないエルフが苦慮させられることは日常茶飯事らしい。


 カナンは射手の姿を見なかったが、恐ら自分に射かけたのはこの排他的なエルフだろう、と思っている。エルフの森に他種族がいないわけではないが、あの台詞である。


「可能性として、禁域は排他的なエルフをどうにかさせたかったのでしょうか」

「殲滅するのでもない限り、どうにか出来るものでもないだろう。せいぜい一時的な揉め事への介入で、お前が転送(とば)された辺りにいた連中でも軽く捻っておけば良かったんじゃないか」

「そのくらいのことは同族でやって欲しいですが」

「尤もだ」


 元よりアウレリウスも本気で言ってはいない。

 質の悪い笑みを浮かべて同意する男に、私も真面目に話していたわけではないけれど、とカナンはどうしようもない自分達に嘆息した。


「――――ところで」


 不意にアウレリウスの声音が変わり、露骨に愉快がる色を見せる。


「……なんですか」


 テーブルで炊き込みご飯用に茹でた枝豆をさやから外して皿へ移す作業をしているカナンは、時々それをつまみ食いするアウレリウスにほどほどにしてください、と苦情を入れつつ何を言われるのかと心持ち身構える。


「森の外に愉快な男がいるようだが、あれの目的はお前か?」


 訊くまでもなく分かっているだろうに、細められた目が完全に面白がっている。

 誰のことを言っているのか直ぐにぴんときたカナンは、目の前の男共々、件の迷惑人に対し深々と長嘆した。


「そうです」

「また厄介なのを助けたな。仇で返す連中よりはましかもしれんが」


 アウレリウスの瞳から悪戯っぽさが消え、柔らかい表情を見せる。

 これは窘められているのだろうか、とカナンは男の引き合いに出した不愉快な過去と己の軽率さを思い出し吐息を零した。


「助けていません」

「何?」

「助けていないんです。私が助けたのはあの男が狩ろうとして傷つけたチェスヴァルの仔です。あの男を襲おうとしていた魔獣の攻撃が逸れてその仔に代わりに当たりそうになり、咄嗟のことで〔転送〕も間に合わなかったのでやむなく魔獣を倒したんです。興奮している魔獣は見境がなくなりますし、男という敵もいましたから、焦って防御魔法で時間稼ぎをして魔獣も生かすという選択には思い至れませんでした」


 作業の手を休めずカナンは淡々と答える。



 チェスヴァルとは霊獣チェスヴルタオランラの略称で、地球でいうドラゴンである。長い首に鋭利な爪、牙、長い尾、全身を強固な鱗で覆われた爬虫類を想起させるお馴染みの姿をしている。巨大な皮膜の翼は幼体で二対四枚、成体で三対六枚持ち、体色は白か仄かな乳白色だ。

 以前カナンが手を貸した復讐者がその背に便乗した帰巣途中の亜竜は(彼らは基本大人しい気性をしており、自由行動を阻害しない限り飛行中であれ疾駆中であれ便乗者を放置してくれる)、このチェスヴルタオランラに外見が似ているという理由で辜負(こふ)族からはルラヴラスクーアと呼ばれている。"ルラヴラス" は正しい種族名を知らない辜負族がチェスヴァルに対し勝手に命名したもので、彼らに()ぐ(クーア)という意味である。

 言うまでもなくチェスヴァルと亜竜とは種族的には全くの無関係であり、実は普通の動物種である亜竜の方が先に誕生し、チェスヴァルは禁域がその姿だけを参考に多少のアレンジを加えて生み出した禁域の分身に近い存在なのだが(<あちら>側の同大陸内の霊獣は総じてこれと同等)、辜負族がその事実を知る筈もなく、単純に一般動物の亜竜を霊獣のチェスヴァルより下等と位置付け、その名に "(クーア)" を足したのだ。

 亜竜はチェスヴァルとは異なり体色は鋼色か濃緑色をしており、体長は成獣同士で比較するなら亜竜の方が一回り以上小さい。翼は一対二枚しかなく、鱗もチェスヴァルに比べれば遙かに薄い。足の指は五本に対し亜竜は四本。知能は霊獣に及ばず動物に勝る魔獣により近い。


 時に精霊の尖兵・先鋒となる魔獣だが、件の個体は霊獣の仔を助けようとしたのではなく、男とは単純に捕食者と被捕食者の構図だった。



「そもそもあの男、最初は『お前、それで俺に恩を売ったつもりか』って言ったんですよ」

「なんだそれは」


 色々痛い事実がカナンの口から齎され、アウレリウスも心底呆れ返った様子で言う。


「それがどうしたらああ(・・)なるんだ?」

「理解不能、意味不明、あの男の心境変化の理由なんて分かりませんし考えたくもありません。あと、思惟の森の前にいるのは私が "隣人(プロクシムス)" だという確信を得たからではなく当てずっぽうらしいです」

「適当だな。お前の力から推測したんじゃないのか?」

「違うと思います。あの男が言うところの『津々浦々捜し回ったのに見つからなかったから後はもう禁域しかない』が理由かと。精霊達から聞いた話ですけど。しかも実際は人族の町をちょろっと巡っただけみたいです。思惟の森へ来る前には深思の山の麓にも行っていたようですし、物見遊山のついでに私を捜している印象を受けます」

「何がしたいんだ、あの男」

「さあ……。特に私を利用しよう、というのとは違うみたいですけど……寧ろそうだった方が分かり易くて対処の選択も簡単だったんですけど」


 目には目を、歯には歯を。――いや、それ以上を。


「とにかく、その内飽きると思いますから放っておいてます」

「まあ、確かに飽きっぽさの窺える行動ではあるな」


 アウレリウスの言葉に「ですよね」と返しつつふと思い出すことがあり、カナンは首を傾げた。


「あのエルフの森って、あの時助けたチェスヴァルの仔の故郷が奥の領域にあった気が。親が迎えに来たのでその時は行きませんでしたけど。もしかして禁域が私を転送(とば)したのは、とても他愛無い理由からだったんでしょうか」

「さあな。仮令(たとえ)そうだったとしても送る場所を考えろ、とは思うが」

「確かに……」


 思惟の森の思惑が何処にあったかは、今更知り得ようもない。ただ、あの霊獣親子はカナンに会いたいからと呼び付けるような性質ではなかったことを思うと、もし森の思惑がそちらにあったなら少し余計なお世話だった気がしないでもない。


「あの仔が今は平穏無事でいることは精霊から聞いていますし、やっぱり違うかな……」

「わざわざ確認しに行くまでもないだろう。そうそう森の都合に付き合ってやる必要もない」


 カナンの迷いを察してアウレリウスはすっぱりと切り捨てる。それこそ精霊達に近況を訊けばいいだけである。





 * * *





「おおぉーーーい! いつまで待たせる気だーー! この俺様が恩を返しに来てやってんだぞーーー! とっとと出て来ーーーい!! いるのは分かってるんだからなーーー!!!」


 まるで立て籠もり犯に呼び掛ける警察官(但しフィクション)のような言い草である。


 思惟の森の前で両手を腰に当てて胸を反らし、傲然と叫ぶ若い男は、もう小一時間そうしている。その間、森に踏み入る素振りを全く見せなかったのは理性的なのか、単に臆病なだけなのか。


 森はただ黙してそれを眺めるだけ。

 "隣人" 達がこの場に居れば、その微かな笑い声を聞いたかもしれない。









覚書

勘違い男    フェウィニル・ターヒアッド

排他的なエルフ ターヴァフ・ベイシールン


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20 復讐は憐れではない

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