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隣人  作者: 鈴木
本編
3/252

3 禁域

 この世界には禁域と呼ばれる場所が幾つか存在する。

 "禁域" と言っても実質、諸々禁じられているのは辜負(こふ)族だけだ。

 人というのは何処の世界にあっても同じと言おうか、或は生物はと言うべきか、大概「この世界は人のもの!」という認識を持っている(いや、自分の物は自分のもの、他人の物も自分の物、か?)。

 そして何かというと領有権問題(自分のもの宣言)で殺すの殺されるのを人同士で繰り返す。


 この世界もその辺りのメンタルか本能かは残念ながら例外でなく、所属のはっきりしない土地は「自国の領土」と主張し、よほどのデメリットでもない限り、いずれの国も領土に取り込もうとしたがるのだが、それが物理的に不可能なのが禁域である。

 何故かといえば、たとえ冗談であっても禁域を自国領宣言しようものなら、該当する言葉を発した途端、その人物の属する国に禁域が版図を拡げ飲み込もうとするからだ。


 辜負族に苛烈な禁域には森、海、山の三ケ所があり、森ならば件の国のあらゆる場所から一気に無数の大木が生え伸び、瞬く間に国土を樹海と化してしまう。

 海ならば何十メートルにも及ぶ大津波が国を飲み込み、あっという間に水没させてしまう。

 山ならばありとあらゆる土地が隆起して火山と化し、その山という山が噴火して大地は火山灰と溶岩流で埋め尽くされてしまう。

 これはほんの小声による呟きでも許されない。

 この世界にいる限り何処にいようと、人の声は禁域に届いてしまうのだ。

 これらの事象は勿論、過去に実際起こったからこそ辜負族全体に周知されているのだが、いつの時代も物事を自分に都合のいいように解釈し自己正当化する輩はいるもので、特に野心を持ち易い支配層には定期的に上記のような愚行を犯す者が現れ、未だ領土を狭めたり滅ぼしたりを繰り返しているのである。

 一部の辜負族を見て辜負族全体に学習能力がない、と言ってしまうのは酷かもしれないが、それにしても懲りない。



 この世界には基本、天災はない。

 天災に相当する事象の大半は辜負族が引き起こした災厄、人災である。

 "禁域" を侵すという蛮行、時に蛮勇によって。

 上記のような大災害は自領宣言をした場合に限る。しかし、不法侵入であっても禁域は侵入者以外へ(当事者へは勿論 "死")ピンポイントに大なり小なりペナルティを科す(己の祖先を顧みない者達が連帯責任は不当だと謗ろうとも、聞く耳を持たない者に対し、禁域が労力を割いてまで辜負族の過去を詳らかにすることはない。それは同族の手で連綿と語り継がれるべき事柄だ。度々起こる事実の歪曲を怠らず正していくことも)。

 逆を言えば、誰一人禁域に関わらなければ、天災という最大脅威とは無縁の安穏とした暮らしを手に入れられるということなのだが、災害が発生しなかった時代は不快を通り越して愉快なほどに、無い。


 禁域への不法侵入で、飢餓に苦しむ者が財や食料を求めてやむを得ず、という例は存外少ない。

 禁域の外周付近に腹を満たせるものが何もないのも理由の一つだろうが、満たされない者ほど禁域を前にするとその霊威に身を竦ませる。

 同じと言っては語弊があるだろうが、我欲が強いという意味で満たされない者ほどそれをものともしない。


 一人、二人の行動の責任を全体で取らされるのは理不尽だ、と声高に主張する者が絶え間なく現れ憎悪を向けてきても、禁域が人の事情に斟酌することはない。

 都合の良い時だけ種族としての権利を主張し、都合が悪くなると個の責任で済ませようというのは虫のいい話である。




 禁域の外観については、外周をぐるりと(めぐ)るだけなら大した面積ではない。しかし、一歩、内へ入ると測り切れない広がりを見せる。

 方向感覚が狂わされてそう錯覚させられるのではなく、実際、内と外とで面積が違う、半異界とでも言える領域である。






 * * *






 一瞬、辺りの空気が揺れた。

 人が何かをこらえて肩を震わせているかのような揺らめきである。

 但し、こらえているのは笑いではなく怒りだ。


「……」


 カナンの頬を呆れを含んだ一滴の汗が滑り落ちる。

 禁域が怒気を発しているのに呑気でいられるのは、怒りの種類が頑是無い子供のわがままに似ているからだ。

 悔しがっているのである。

 何を?

 恐らく入り込んだ辜負族を森が "罰する" 前に魔獣辺りが屠ってしまったのだろう。

 よくあることだ。


 そう言えば、とカナンは森へ来る前、[ホーム]で虚空に描いた光幕画像を通して見た情景を思い出し、首を傾げた。


 ―――アレ、だろうか。


 猟兵らしき装備(とはいっても銃は存在しないので携帯しているのは弓や短剣などだ)の人族が数人、森の一角で対峙し争っていたのだが、カナンには「コントか」としか思えない滑稽なやり取りだった。

 しかも珍しくない、頻繁にではないがそれなりの頻度で発生する喜劇だった。

 彼らは "隣人(プロクシムス)" を捕らえに来ているのだ。

 何故かは言うまでもない、禁域を手に入れる為だ。――甚だしい勘違いだが。

 "隣人" は禁域の支配者でも管理者でもなく、単なる気の置けない "お客さん" でしかないのだが、人は例によって都合のいいように解釈する。

 "隣人" を押さえれば禁域を好き勝手に出来る、と。

 馬鹿馬鹿しい話だ。





 * * *





 ――――何故、禁域は人だけを差別するのか。



 私に訊かれても困る、と辟易しつつもカナンは律儀に推測(こたえ)を返した。


「辜負族は際限を知らないからでしょうか。

 動物も食物連鎖の一角が崩れれば際限なく数を増やし、留まることなく餌を食べ尽くしてしまいますが、その後は大概、自然の成り行きのままに滅び去ってくれます。

 しかし、辜負族はそう易々と退場してはくれません。

 更なる崩壊を代償に何処までも、それこそこの世界が終わるまで、或はこの世界さえも礎にして生き延びる強かさがあり始末に負えません。

 禁域は辜負族抜きで完成された、絶妙なバランスで整えられた箱庭であり、辜負族の介入は不要なのでしょう。

 禁域以外で増え続ける辜負族を適度に間引く為の罠の役割も、あるのかもしれませんが」


 淡々と答えるカナンに女騎士は実に分かり易く反応し、憤然と眦を吊り上げた。


「間引くって……人をなんだと思っている!」


 この、死がすぐそばにある世界で、しかも事が起これば真っ先に死と隣り合わせになるだろう騎士がこの言葉、よほどの箱入りなのだろうか。

 いや、戦時でもなければ、村の自警団・都市の憲兵(日本で馴染みの憲兵ではなく国家憲兵に近い。対貴族に関する権限に制限はあるが)ならともかく、貴族階級の騎士ではこんなものかもしれない。

 この世界の騎士は所謂準貴族のナイト相当はなく、純然たる貴族だけで構成されている。

 憲兵は貴族平民混合で町の治安維持を司っているが、騎士は勲功を立てるにもってこいな戦争以外では貴族の警護や城の警備が専らで、職業的な立場と実の伴わない称号に二極化し、上位貴族になればなるほど名誉職化していたりする(地球の中世期に近いかどうかは微妙だ)。


「この世界に生きる数ある動物の中の一種族、でしょうか」

「人と獣を同列に扱うか!!」


 カナンが先の言葉を継ぐ前、やや被せぎみに女騎士が吠える。


「動物という括りで言うなら同列でしょう。人だけが突出した特別な存在だと自認するのは自由ですが、それを禁域に求めるのは過分です。

 この世界への有り(よう)を考慮するなら寧ろ禁域の中では下の扱いかもしれません。

 ともあれ、私もしていますが、辜負族は常日頃から植物の芽や実を自分達の認識・都合で間引き、その際彼らの意思確認などしたりしないでしょう。

 禁域にとってはそれと同じことなのでは。

 それに植物にとっての辜負族より、辜負族にとっての禁域の方がまだしも相手を尊重していると思います。

 欲をかかなければ禁域は無害なのですから。

 そもそも辜負族は同じ辜負族同士でも数を持てあませば間引いているではありませんか。

 禁域も同じことをしているだけなのでしょう」


 厳密には、カナンは気難しい植物に対しては精霊を介して間引いていい芽や実を訊いているのだが、それはズルでしかないので精霊に隔てられている彼女達に言うのは憚られた。

 貧しい村や、都市でも貧民街などでは未だ子供の間引きが行われている事実は知っていたようで、女騎士は反駁の言葉が見つからないことが悔しいのか苛烈な眼差しでカナンを睨みつけたが、紅を塗っているわけでもないようなのに妙に赤々とした唇は、ぎゅっと引き結ばれたまま開かれることはなかった。


 カッコウの托卵やライオンの子殺しなど、動物にも間引きに似た行為をする者はおり、それこそ動物で括るなら辜負族の間引きに良いも悪いもないのかもしれない。

 自らの血を残す為に前のリーダー(たにん)の子供を殺す(雌はそれを黙認する)行為と、貧しく自分が食べるのに精一杯で育てられないからと実の子供を殺す行為を同列に扱うな、と双方から抗議されそうだが(カッコウの托卵は過程にも結果にも複合的な意味合いが生じ、これまた同じには扱えず、動物全体で見る托卵は更に一様ではないが。また、他にも共食いなども間引きの側面を持つ。これを言えば激しく非難されるだろうが、上記の人間の間引きの理由はハムスターの子喰いに通じる)。



「世界を踏みつけてでも生き延びそうってのは、寧ろ褒め言葉だよなあ」


 対する連れの男は一貫して飄々としたもので、のんびりとした、それでいて何処か癇に障る口調で言う。


「そうでしょうか。……そうかもしれません」


 言われて気づいたというように、カナンは不本意そうに眉を顰めた。



 * * *



「全滅……した、のか?」

「禁域は辜負族の入域を禁じています。知らないとは言わせません。本当に知らないのであれば教育の怠慢と言わざるを得ないでしょう」


 呆然とする女騎士にカナンは変わらず淡々と告げる。


「きっ……さま、何故助けなかった!!」

「必要がなかったからです」


 気付いた時には既に全滅していた、とは言っても無駄だろう。


「貴様っ、それでも人間か!」

「人間です。でも辜負族ではありませんし、ましてや人族でもありません。あなた方の優先順位の最上位が常に同国人であるように、私の最上位が禁域なだけです」


 現時点において、[ホーム]以外では。


「なにをっ……」

「そもそも自分を過酷な環境下で酷使される家畜の如く使役する目的で捕らえに来た者達を、どうして助けなければならないんです?」

「……てことはやっぱり、あんた……」


 元より疑ってはいたのだろう。確認するように男が呟く。


「……」


 沈黙が肯定になる。今更否定したところで意味はない。

 カナンが迂闊だったのではない、切りをつけるつもりで誘ったのだ。


 ガッ!!


 一瞬だった。

 ほんの一呼吸の間、男の手がカナンの首を捕らえていた。

 常人では刹那で詰められる距離ではなかった。カナンの警戒を察し、己の射程と相手の許容範囲をすり合わせ、仕掛けられるギリギリの位置でカナンの様子を窺っていたのだ。

 だが、失神させる目的で絞められた男の手は、次の瞬間、砂を掴んだ。

 カナンの体が砂と化すと同時に弾け飛んだのだ。


「……っ!?」


 飛散した砂塵は容赦なく男の目を潰し、後方にいた女騎士が咄嗟に剣を抜くが、振るうべきカナンはもはやその場にはいなかった。


「待て……っ!」

「追うんじゃない!!」


 既に禁域の木の間に身を躍らせていたカナンは挑発するように強い視線を向けて来たが、後を追おうとした女騎士を男が常にない厳しい語調で引き留め、言葉だけでは足りないと判断したのか、痛む目を辛うじて開けながら彼女の体を羽交い絞めにした。


「離せっ……!」

「今さっき言われたばっかりだろ!? 死にたいのか!!」

「だが……っ!」


 二人の茶番を最後まで見ることなくカナンはとっととその姿を消した。

 森の前まで来たものの入ることを躊躇った彼らを、禁域は彼らの同国人のように臆病者と蔑みはせず、一定の評価をしたらしい。

 カナンが殊更露悪的に突き放したのは本音半分、森の意思半分だった。

 同国人の死に逆上して森へ侵入すれば容赦はされなかっただろう。

 禁域を侵す行為は自戒しても、禁域の定めた "隣人" の奪取に賛同していたことは看過し難いものだったようで、こうして "試した" のだ。


(それで私を使うんだから、私も試されてるんだろうな……)


 だが、どう行動すれば森の意思に適っているのかなど、カナンは未だにわからない。

 今回とて、彼らの前に放り出されはしたが、関わらずに[ホーム]へ帰っていたとしても森は怒りも失望もしなかっただろう。

 これまでの経験から、そこだけは妙に確信するカナンだった(それだけ森に振り回されてきたとも言える)。











覚書

女騎士 アラムビスナ・テーヴミゼ

男   シェズウ・レハーキエル


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