29 怨讐は廻る
残酷な描写があります。
随分とお人好しな門衛の、苦い忠告と気遣わし気な眼差しを意にも介さず、城門を抜けた男は誰にともなく見せつけるように頭部を覆っていた外套のフードは外した。
外見だけで言うなら三十がらみだろうか。その背に翼こそ現してはいないが、側頭部を飾る大小四本の角は紛れもない高位魔族の証。
日々の生活で精一杯の者はその姿を目に留めても気にもしないが、訳知り顔の商人や識者気取りは起こり得る騒動を予感して眉を顰めた。
町へ踏み出した魔族の男は平和そのものの喧騒に包まれた大通りを抜け、徐々に人影の疎らに、様相の剣呑になる道を選んで歩を進めた。
やがて貧民街の入り口から更に奥深く、官憲にさえ見捨てられた無法地帯ともいうべき瓦礫の城塞まで辿り着いた時、男の周囲に蠢いていた気配は一斉に襲い掛かってきた。
元より男は承知の上、つけられていたことなど、この町の城門を抜けた時から気付いていた。
用もないのに貧民街へ来たのは勿論襲撃を誘う為だ。
相手が何者かは容易く推測がついた。気配と憎悪を隠そうともしない素人の集団、ちらちらと見え隠れする農具、そして男はあの殲滅戦に率先して参加していた。
「死にやがれ! 魔族の糞があ!!」
最初に襲ってきたのはまだ年若い、成人したてのような少年だった。横薙ぎにされた鎌を魔族は難なく避けて少年の腹を蹴り上げる。
「なんで王や貴族がやったことで俺達まで報復されなきゃならなかったんだ!」
間髪を容れず続いたのは体格のいい中年の男。縦割りにするかの如く斧を振り降ろすが、あえなく空振り、側頭部を横殴りにされ吹っ飛ぶ。
「その王を王たらしめていたのはお前達国民だろうが」
軽いフットワークで攻撃を躱しながら、魔族の男は殊更嘲るように言い放つ。
「無力な俺達に何が出来たってんだ! 捕らえられて首を吊るされて終わりだった!」
短躯の男が鍬を闇雲に振り回して魔族を引っ掛けようとするが、仲間の筈の農民達に当たるだけで怨敵には掠りもしない。
一対一であれば格上の獲物に数を頼みとして群がる蟻の如く、農民達はたった一人の魔族へ殺到するが、怨念の深さを物語るかのように固く握り締められた武器が目標を捉えることはなく、彼らにとっての渾身の一撃は悉くが空を切った。
農民達から仕掛けられる攻撃をひらりひらりと余裕で躱していた魔族の男もいい加減つき合いきれないと判断したのか、乱闘の只中から離脱して瓦礫の一角へ身を上げ、演説するかのように眼下の有象無象へ告げる。
「こうして凶器を持って俺を襲っておきながらよく言う。同じように国王も殺せばよかったのだ。それをしなかったのはただの自己保身だろう。それの何処に魔族からの報復を免れられるだけの酌量の余地がある? お前達に王をどうにか出来たかどうかは関係ない。俺達の同胞が苦しみ抜いて死んでいく間も、その同胞を苦しめる王の統治下で、自分に都合の悪いことからは徹底的に目を逸らして知ろうともしなかった無知を理由にぬくぬくと生きていたことそのものが、俺達にとっては許しがたい罪だ」
「うるせえ! なんで魔族どもの為に自分の生活を犠牲にしなきゃならねえ!」
すかさず反駁の声を上げたのは、平素であれば善人そのもの、見る者、会う者、誰一人その善性を疑わないだろう悪人面とは真逆の造作をした壮年の男だったが、今は知己でさえも同一人物であることを疑うだろうほどに、己の正当性を確信して醜悪に顔を歪めていた。
だがその主張も魔族の男には予測の上。寧ろ、その言葉をこそ言わせたかったのだとばかりに歓喜の咆哮を上げた。
「それこそが俺達に憎まれる理由だろうが! 誰もそれが間違いだとは言っていない。ただお前達にとってそれが正しかろうが、俺達にとっては皆殺しに値する罪業だったというだけだ!」
言葉を言い切ったタイミングで魔族の男は広域魔法を発動した。
爆破系だろうか、しかし何か一つを起点として広範囲へ拡散する類いの爆発そのものはなく、農民達の体が個々にその内側から一瞬で弾け飛んだ。一人残らず全員、農民だけが。大地も、瓦礫にさえも、爆発による損壊はない。
飛び散る肉塊、まき散らされる鮮血。粉々になったかつて人だったものは、もはや見る影もない。
根深い忌避の表れでもあるのだろう、魔族の男は同時に自身の周囲に風も巻き起こしており、男にとっては汚物とも言うべきそれらの一切合切をその身に浴びることはなかった。
流石にここまで細切れだとアンデッドとして蘇ることもない。
貧民街の規模からしてもこの地はさほど安寧とは言えず、アドルトラ人の恨み辛み、その執心からすれば、死体が五体満足であったならアンデッド化していた可能性は高い。
住民達にとっては幸いだっただろうが、男は別段アンデッドの被害が及ばないよう配慮したわけではない。寧ろ、アドルトラ人を受け入れたこの町への心証は最悪と言っても良いだろう。
ただ、不快ではあれど再利用を図ってまで報復するほどの怒りはなく、蓄積された憎悪を抑制なくそのままアドルトラ人へ向けて弾けさせずにはいられない衝動に勝るものではなかっただけだった。
凄惨な殺戮の後を、男は何の感情も窺えない冷徹な眼差しで見下ろした。そこに後悔や罪悪感は一欠片もない。
無表情に徹しているようで、その昏い瞳の奥には隠し切れない憎悪が時折掠めては消える。
一縷の望みに縋りながら漸う城の地下で見つけ出した男の妻子は、首以外がもはや人の形をしていなかった。醜悪に捩れ、膨れ上がり、焼け爛れ、腐敗し、有り得ない方向へ曲がりくねり、なまじ顔だけが愛しい妻と子、そのままであったから、その痛ましさは筆舌に尽くし難かった。
魔族は種族特性として優れた自己再生能力と強靭な肉体を持つが、その程度には当然ながら個体差がある。男の妻子の特性は弱く、アドルトラ人によって歪められた肉体の変異を修正出来ないまま、或は再生が追い付かない頻度で行われた実験という名の暴力による損傷を留めたまま、生命活動の維持だけが保たれ、永遠とも思える激烈な苦しみはいっそ死んだ方がましだと自害を実行に移せるだけの確たる意思を抱かせる前にその心を回復不可能なまでに破壊した。
男がこの町へ来たのは、戦火を逃れたアドルトラの国民が身を寄せているとの情報を得たからだった。
一体どうやって魔族軍の包囲網を逃れたのか、或は怒りで軍全体が過度に頭に血を上らせ、理性を欠いて粗雑になっていたか――――故意に逃がした慈悲者がいたか。
この町の為政者がどんな思惑でアドルトラの農民達を受け入れたのかは分からない。貧民街は放置しておきながらよそ者の彼らに土地と農具を与え、生活を保護することになんの意味があるのか。
その行為にどんな理由があろうと男にはどうでもよかった。ただ、許せなかった。男から生きる意味そのものを奪った、その者達を野放しにして安穏と暮らし、今また何の苦もなく同じ生活を取り戻そうとしている彼らが。
先ほど「皆殺しに値する」と口にしたのは誓いでもあった。アドルトラの生き残りは眼下の肉片だけではない。この町においてもまだいる。そして別の町、別の土地にも。
復讐を不毛と言わば言え。
誰に理解されなくとも構わない。
憎めば奴らと同じになる、憎むお前は奴らと同じだと責め立てるが、そうして己の価値観に従わない、染まらない者を蔑み排除しようとする情動は、憎むまでもなく奴らと同列に成り下がっているとは思わないのか。建設的じゃない? 過去より未来を見ろ? 言う者達も同じ目に遭わせてやりたい。
いや、たとえ同じ境遇で奴らを許せる者がいたとしても、共感などほんの僅かにも出来はしない。
俺は俺でしかなく、俺以外の何者にもなれはしない――――。
瓦礫から降り立った男は一気に駆け出した。興奮は未だ止まない。〔探索〕によって見つけ出したアドルトラの血脈がチリチリと男の肌を刺す。
その全てを根絶やしにしてしまうまで、この狂気は終わらない。
王よ。俺を放つのは総意と受け取って良いのか。
魔族と人族はこの先も諍うだろう。
アドルトラが何をしたのかを知る人族も知らない人族も、俺が殺戮を重ねれば一様に責めるに違いない。
それが分かっていても俺は止めない。止められるわけがない。
いずれ誰かが男を止めるだろうか。止められる者はいるだろうか。
断末魔は尚も続く。
* * * * * * * * * * * * * * * *
――――責める罵声は数え切れず、その場にいなかったどころか、伝聞で知った程度の浅はか過ぎる無数の正義が豪雨の如く男に降り注いだが、その強固な諦念を揺り動かすことはなかった。
『殴られてる奴がその様子を見て自分も殴られるのを恐れて助けなかった奴を『俺を助けなかったお前も俺を殴った奴らと同じだ!』って加害者扱いするようなもんだよな。
直接助けに入らなくても警察を呼ぶくらい出来ただろう、ってお花畑ちゃんは言いそうだけど、それだって、その時々の状況や人それぞれの立場で選択肢は変わってくる。
例えば殴ってる奴に顔を見られてて、警察呼んで捕まって、出てきた後に逆恨みされたら怖い、ってんで、呼ばずに見て見ぬ振りをするってのはそんなに悪いことかな。
言っちゃあなんだけど、自己犠牲なんて特別褒められることでもないからなあ。
人生一度きりなんだから自己保身も大事だよ。
まあ、情けは人の為ならず、の逆で、自分が殴られる側になった時、同じことをやられても文句は言えないけどね』
かつてそう言って笑った男が、傍らを通り過ぎて行く幾つもの足音を聞きながら、冷たいコンクリートの上で何を思ったかは誰も知らない。
title:怨讐は廻る
覚書
魔族の男 ヴァハルユレカ・ウィービュガス
男 ジョン・タロウ・スズキ・スミス (ID)
関連
25 因縁




