28 儚い縁
その日、魔鶏ネウルガリティの産んだ卵の中に奇妙なものが混じっていた。
いや、奇妙と言っては魔鶏に失礼だろう。ゲームプレイ時代には定期的に起こっていた現象だ。ただ、トリップしてからは一度も見掛けたことがなく、カナンが珍しく思うのも致し方ない。
通常の卵の他に一つだけ、色の違う卵が混じる。シンプルにプレゼントエッグと名付けられたそれはサプライズアイテム、所謂当たりくじのようなものだ。
ランダムで赤青黄緑銀金虹の七種のどれかが一回につき一つだけ出現し、赤い卵は食材、青はポーション類、黄は魔物由来の素材、緑は何故かピンポイントな植物の種、銀は装備品、金はゲーム内通貨、そして虹は霊獣がそれぞれランダムで一品(一匹)だけ入っていた。
しかし、今、カナンの手にあるのは、まるでモノクロ写真のような灰色の斑模様の卵。
それはカナンの体温を感知したかのように、上向けた端の部分から殻にヒビが入り、一気に下まで亀裂が走り抜けると同時にぱっかり割れるのではなく砂のように崩壊し、残骸も残さず消え失せた。
そうしてカナンの手に残されたのは一枚の写真だった。
二十歳前後の女性が二人、並んで顔を寄せ合い、満面の笑みを浮かべて写っている――――カナンと、非業の死を遂げた幼馴染みとの最後のカラー写真。
故郷の、ゲームではない、リアルの世界に置き去りにしてきた、せざるを得なかった宝物。
何故――――と問うたところで誰も答えてはくれないだろう。何故、今頃。何故、今になって――――。
震える両手でそっと捧げるように持つカナンの目の前で、写真はやがて急速に色褪せ、端からボロボロに崩れ落ち、まるで元から何もなかったかのように跡形もなく消え去ってしまった。
手元に残らないのなら、残せないのなら何故見せたのか。もはや涙も出ないカナンの乾いた慟哭を嘲笑う為か。誰が? 運命が、などとは口が裂けても言いたくない。
偶然はこの上もなく常に残酷だ。
* * *
思惟の森で再会したアウレリウスは、その心内の何もかもを見通したかのように唐突にカナンに語り聞かせた。
「この森は生きるもの全ての記憶を呑み込み、無限に溜め続ける。これは森の意思で行われているのではなく、森自身にもどうしようもないことらしい」
渡る風一つない、静謐な森の中をぐるりと見回し、最後にカナンをひたり、と見据え更に続ける。
「蓄えられた記憶はその殆どが外界へ吐き出されることはないが、稀に、何の拍子にか、様々な形で表出される。幻影となって眼前に展開されることもあれば、文字として書きつけられた何らかの形ある物となって手元に迷い込むこともある」
文字……、とカナンは小さく繰り返す。
「表出の仕方は一様ではない。ただ、どのような形であれ直ぐに消滅し、後には何も残らない。そしてこれもまた、森の意思ではない――――悪意ではないんだ、カナン」
不幸な偶然ではなく、幸福な偶然だったのだと、そう思えれば楽なのに――――息苦しげに顔を歪めるカナンを、アウレリウスは一瞬痛ましげに見詰めるが、次には何処か諦めたような苦笑へ変えた。
「今直ぐ割り切れというのも無理な話だろうがな。あれは何度やられても慣れるものじゃない」
「…………もしかしてアウルさんも?」
アウレリウスの言葉に含まれる昇華し切れない苦みを感じ取り、自分ばかりが、と悲運に酔っていた己を恥じてカナンはバツの悪い表情で男を見上げた。
「ああ。しかも始末の悪いことに、森が溜め込むのはこの大陸の生物だけじゃない、この世界に存在する全ての生物の記憶だ。既にない大陸や島の、既に消え去った生物が積み重ねていた記憶も全て」
「……まさか…………」
カナンが何に気付いたのかを酌み取り、アウレリウスの苦笑は更に苦みを増す。
「まるで縁のない相手なら、見せられることはないんだがな」
そうして何かを探すかのように天を仰ぐ。
「だが――――そう悪いことばかりでもない」
アウレリウスはそうして知ったのだろうか。余りにも幼過ぎ、顔も覚えていられなかった両親の姿を。
そうであるのなら余りにも無慈悲だ。幸せだった頃の記憶だけならまだしも、アウレリウスの両親の最期は――――。
その時。
森が一気に様相を変えた。
けたたましいクラクション。不快な急ブレーキ音。耳障りなアイドリング。ガヤガヤと耳に痛いほどの喧騒。終わることのない大量の足音。そうして視界を埋め尽くす人、人、人。
立ち並ぶ高層ビルが薄汚れた空さえも覆い隠し、それらを見上げ圧迫感にカナンが眩暈を覚えると同時に一転、何処かの駅の改札口前へ世界が変わる。
途端にカナンの全身は総毛立った。
忌まわしい記憶が蘇る。この後、この後は――――――――。
「――――――――――失せろ!」
アウレリウスの怒号が響き渡り、世界はまたしてもその姿を変えた。
「…………」
静寂。
辺りはもう、見慣れた思惟の森の中だった。
カナンは暫く呆然とした後、深々と息を吐き出した。
「ありがとうございます、アウルさん」
「どうやら、お互い見ていたものは違ったらしいな」
真っ青だったカナンの頬が多少なりと赤みを取り戻したのを確認して、アウレリウスも安堵の吐息をついた。
「何故そう思うんですか?」
自分自身だけでなく縁のある存在の記憶も含まれるのであれば、二人共通の何がしかの記憶を同時に見る可能性もゼロではない。
今回カナンが見たのは自分自身の記憶だが、"縁" とは何処までの深さを言うのか。
いつかアウレリウスがカナンの記憶を見、カナンがアウレリウスの記憶を見る日も来るのだろうか。それが今である可能性はないのだろうか。
「俺が見せられたものは、今にも死にそうな顔で硬直するような凄惨な代物ではなかったからだ。俺には覚えのある光景で、尚且つお前に会う前。途切れた先がどうなるかも知っているが、他愛ない日常が続くだけだ」
種明かしをされてみれば単純明快な根拠だった。誰の、何を、が判断材料だったのではなく、見せられたものの属性が肝要だったらしい。
「凄惨……ではなかったです。そうなる前にアウルさんが止めてくれました」
少なくとも森の見せた記録は。
あの先の展開をカナンは知っている。だが、それは記憶にあることを承知しているだけで脳裏で思い返さなければいい―――。
そうやって今までなんとか自分の中で折り合いをつけてきたものを、目の前で無遠慮に克明な再現をされるのでは、たとえ森に悪意がなかったとしても勘弁して欲しいとつくづくカナンは思う。
駅前での待ち合わせだった。
人のひしめく構内に響き渡る、耳を劈くような悲鳴。遠く、しかし確かに視界の中に捉えた待ち人の倒れ込む姿。円く穿たれる人波。咄嗟に駆け出そうとする足を、まず乗車券を見せろと引き留める駅員。
決して小さな駅ではなく、警備員が常駐している筈だった。取り囲む野次馬の群れは数え切れず、自分が何の到来を阻んでいるかの自覚もなく、爛々と輝く好奇の目だけが役立たずにも場を支配していた。
森の記録に誘発され、引き摺り出されてしまった記憶をどうにか脳の奥底へ押し込める。
「でも、また見させられる可能性があるんですよね……?」
「まあな。だが、嫌なら兆候が表れた時点で破壊してしまえばいい。魔力を少しばかり放出すれば容易く弾け飛ぶ。但し、その場合、見たい記憶も見ることは出来なくなるがな。
記憶の再現が本格的に始まる前にやらなければ効果がない。一旦、再現が始まってしまえば当事者にはどうしようも出来なくなる。今回の俺のように、周りにお前の意を酌んで外から破壊してくれる者でもいれば、記憶の内容を確認した後に最後まで見るかどうかを決めるという選択も採れるが、時に過剰となる傷を負ってから選ぶのは、今のお前にはあまり薦められん」
顔色は回復しても何処か精彩を欠いたままのカナンを気遣うようにアウレリウスは忠告する。
「そうですね……私もそう思います」
自覚のあるカナンも否やはなく、まだ少し力のない声でアウレリウスの言に応えた。
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