20 復讐は憐れではない
残酷な描写があります。
……どこだ
…………どこだ……どこだ
どこだどこだどこだどこだどこだ
どこにいる……どこにいる……
どこにどこにどこにどこにどこにどこにどこにどこにどこに
どこにいきやがった!!!!
* * * * * *
たとえ木偶人形と言えど己と同じ姿をしたものが、乳房を引き千切られ、頭皮を剥ぎ取られ、両目を抉り出され、鼻を削ぎ落とされ、両耳を握り潰され、四肢を切断され、腹を切り裂かれて内臓を引きずり出される様の一部始終を見届けるのは、正直この上もなくしんどい。
(吐いていいかなー……)
口の中が酸っぱくて仕方なかったが、のんびりそう思う割りに意外と吐き気は込み上げてこなかった。
男は甲高い狂気の哄笑を上げながらカナンの人形を嘲り、罵倒し、侮辱の言葉を際限なく吐き出し続けていたが、流石にそれらまで律儀に聴く気にもなれず、耳から脳へ届く前に意味不明の雑音へと変換して流していた。
本音を言えば今すぐにでも立ち去りたかったが、不用意にも約束してしまった手前、見届けないわけにはいかなかった。
* * *
それは死霊というより、残留思念に近かった。
まるでカナンが来るのを待ち構えていたかのように、思惟の森の中の転移先で、"それ" はひっそりと佇んでいた。
辛うじて僅かに残った魔力の性質から生前は霊獣だったのだろうと窺い知れたが、"それ" の姿は既に明確な形状を持たない、ぼんやりとした霞が寄せ集まっただけの代物に成り果てており、かつての種族を憶測することさえも不可能だった。
………………………………どうか
一瞬で全身に鳥肌が立ったほどにヒヤリ、とした冷たい囁きが、その残留思念を視認した途端、カナンの脳裏に響いた。
「…………」
悪意は感じず、それ故に恐怖はない。この声の冷たさは不意に冷菓に触れたようなもので不快感もなかった。だた、途方もない哀しみだけが、カナンの希薄な感情さえも揺さぶろうとしていた。
ふう、と息をつき、カナンは改めて視線を上げた。背筋を伸ばし、真摯に残留思念と対峙する。
「私に出来ることなら受けましょう」
禁域がカナンを転送すのではなく、関わらせたい相手をわざわざ彼女の前、それも自身の内にまで招き寄せるのは、たとえ相手が霊獣であったとしても破格の扱いだ。
それほどに禁域がこの霊獣を可愛がっていたのか、或は他に理由があるのか、生身ではなく残留思念に過ぎないからというのもあるかもしれないが、いずれにしても禁域の常にない執着を感じる以上、無下には出来ない。
それに相手が人族でないのなら、転送ばされていたとしても自主的に関わった可能性が高い。
………………………………どうか………………
甘かった。
霊獣達が積極的に辜負族と関わることは稀で、だからこそまさか、と油断した。
(あの霊獣の気掛かりの相手自体はいいんだけど……)
目標を捜すことは容易かった。それこそ精霊を頼らずしてどうする。
残留思念を前に、その場で居場所は知れた。そしてその人物にカナンがする直接的な干渉は僅かで、数秒で終わった。
だが、その後がいけない。
(彼が復讐の手段を手に入れた後、ターゲットを確実に捕捉出来るよう協力する……って、どうやって?)
復讐が実行されるのはもう暫く先の話だろうから、それまでに件の相手を一度確認しよう――そう考え、時機が近づいているのを精霊から知らされた時、安易に円環列島へ向かったのがいけなかった。
一体あの男はカナンを "なに" と判断したのだろうか。
隠蔽も認識障害も出来ない場所で、危険極まりない(と精霊達が色々忠告する)相手を迂闊に目視で確認する気は端からカナンにはなかった。
光幕(光魔法のスクリーン)に情景を映し出す〔千里眼〕は禁域を対象にする場合、その内に居なければ見ることが出来ない(思惟の森はカナンが "隣人" であり許可されているので[ホーム]からでも可能)。この円環列島までわざわざ来る破目になったのはその為で、身の安全を考え、別の場所から件の男を見るつもりだった。
そして確認は出来た。
――出来た時、とっとと[ホーム]へ帰っていれば良かった。
場所を動かず、復讐者の方の進捗状況も確認するなどという危機感のないことをやっていた為に――襲撃された。
何故? と訝るのは意味のないことだった。
どうやらこの男、魔力の流れを読んで自分を(男の認識では)監視している忌まわしい存在まで辿り着き、その魔力の強大さに二重の意味で甚振りたくなったらしい。
邪魔者の排除に加え、嬲り殺す快楽に酔いしれる為に。
しかも間の悪いことに、禁域から限定的にとはいえ密やかな補正を受けていた〔千里眼〕持ちの復讐者が、今からこちらへ来ると精霊が言う。
つまり[ホーム]へ逃げ帰れないのだ、この男をこの場に留め置くために。
カナンは勿論防御一辺倒だった。相手は復讐者の獲物だ。しかも尋常でない戦闘技能を持っている。
無傷でなければならないとは条件付けされていないが、魔法の手加減をする余裕などない。
まともに相手などしていられない、と早々に身代わりの〔傀儡〕を作り、〔複製〕で偽装し、今度は〔千里眼〕の時の二の舞にならないよう自身と〔傀儡〕との魔力的な繋がりを結界で遮断し、異空間で作り上げたそれを自分自身とすり替えると同時に並列作業で穿っていた簡易異界に避難した。
* * *
(――――来た)
あの男の数多いる無辜の犠牲者の―――唯一の生き残りの復讐を。
ッザシュ…ッ!!
夜の闇に紛れ、上空から飛来した亜竜の背より男の頭上へ飛び降りた何者かを、男はほんのひと振り左腕を揺らしただけで切り裂き、絶命させた。
一瞬雲間から差し込んだ月光を背に中空で血の大輪を開花させ、男の上に赤黒い雨を降り注いだその者の身体は、斜めに傾ぎながらやや後方へと落下していき、乾いた地面へ叩きつけられて沈黙した。
元より木偶人形の疑似血液を全身に浴びていた男は、襲撃者の返り血をも更に塗り重ねたが全く気にする素振りを見せず、頬に散ったどちらのものとも知れない血を舌先で舐め取り、手の中の肉塊を襲撃者の落ちた辺りへと放り投げて踵を返した。
「あーあ、つまんねー…」
気の抜けた、怠惰な、しかしもはや狂気の微塵も窺えない平坦なぼやきを零して、男は街へ戻るつもりなのだろう、森の脇に敷かれた街道へと出ていった。
かつて男が復讐者に半死半生の怪我を負わせ、その近親者を嬲り殺しにしたのには大した理由などなかった。
敢えて言うなら「目の前を横切ったから」。
それだけだ。
たまたま男が無聊を託っていた時に、不運にもそのすぐそばを家族と共に馬車で通り過ぎた。そんな珍しくもない日常の一コマに、理解し難い狂気が無慈悲に割り込んできただけ。
そう、たったそれだけのことだった。
そして年若い霊獣は、稀有なことに親しんでいた人族の一家の窮地を察し、助けようとして――巻き添えになった。
なまじ男の嗜虐心をそそる魔力があったが為に、その執拗で陰惨な拷問とも言える甚振りは霊獣が絶命した後も、肉体が原形を留めなくなるまで続いた。
霊獣は[ホーム]の種もこちらの種も共に半霊体を持ち、生半可な手段では深く傷つけることは出来ないが、男はたとえ魔法を使っていなくとも忌まわしい魔術師と同等の魔力を有しているのだろう――霊獣を害せるだけの魔力を持つ、霊獣狩りの急先鋒である魔術師と。
そうと予め知っていたなら介入はしなかったか? ――――結果は大して変わらなかったに違いない。霊獣がよりにもよって人族と慣れ親しむというのは、同族にしてみれば度し難いほどの情愛が、互いの間に存在すればこそなのだ。
臨時の異空間――簡易異界から全てを見詰めていたカナンは、男の姿が完全に見えなくなるのを待ってから森へと降り立った。
用心の為異界の入り口を背に立ち、木偶の捨てられた方向へ視線を向けて魔力を飛ばす。
偽物とはいえ外見はまま惨殺死体な自分をもう一度直視はしたくないので、離れたその位置から人形に掛けた〔複製〕の魔法を解き、後に残った木屑の山は分解して土へ還した。
そして90度、視線を街道とは逆方向の森の中へと向ける。
「―――やってくれたね」
いつからそこにいたのか、木立の陰から歩み出た男が何処か愉快そうな響きを滲ませてそう言った。
簡素だが、市井の民というには些か質の良すぎる服装のその男は、身形に合った、現状では嫌味に思えなくもない洗練された気を纏っていた。
柔和な微笑。己の武器(貌)を熟知し、効果的に利用する術に長けた、だが、色を売る者とは違う、隙のない、武ではない戦場に慣れた者。
年頃の娘であれば陶然と見惚れるだろうそれも、カナンには背中に氷を差し込まれたような冷たさと嫌悪しか湧かなかった。
「全ては彼の "努力" の結果。私はほんの少し、彼の "運" を上げただけです」
そう、ほんの少しだけ。
カナンが復讐者に掛けた魔法は、VRゲーム内ではアイテムのドロップ率や魔物とのエンカウント率、クエストの発生率など、数値化されている物の、その数値を多少弄れる程度の手段でしかなかった。
現実のこの世界で、運などという目に見えない事象を果たして操作することが出来るのか……出来たのか、結果の出た今でもカナンには分からなかった。
ただ、復讐者はあの男――差し詰めシリアルキラーとでも言おうか――に蹂躙された時には得られなかった "幸運" をものにして見事、本懐を遂げた。
もはや復讐者自身、理性は奈辺にあるのかという半ば以上壊れた状態であったにもかかわらず、身体能力・戦闘技術でシリアルキラーより圧倒的に劣る己が確実に相手の息の根を止められる方法に、既に本能にまで昇華されていたやもしれぬ妄執でもって辿り着き実行した。
「それにしても、よくわかりましたね」
復讐者の前準備の様子を見ていたわけでもないだろうに。
そんなカナンの心の声が聞こえでもしたのか、男は微笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべた。
「ただの推測だね。失敗にしては "彼" の死に顔はとても満足気だった」
雲間から僅かばかり注がれた月光によって、復讐者の死相が暴かれたあの一瞬を、この男の双眸は的確に捉えていたらしい。
鎌をかけられた――と気付けど、シリアルキラーは既に事切れていると精霊からの報せを受けていたカナンは焦らなかった。
そもそも、たとえ未だシリアルキラーが生きていたとしても、この男に知られてカナンが困ることなど何もない。
淡々と、やはり復讐者には運がなかったのだという事実を認識するだけだ。
彼を哀れむ資格もなければ惜しむほどの情もカナンにはない。
「――彼の血、かな。致死毒となったのは」
男の確認にカナンはただ頷いた。
復讐者は指一本シリアルキラーには触れられなかった。そう、触れたのは飛び散った血液だけ。
「厳密には毒の効かないあの男の持つ抗体を破壊、また生成を阻害し、男自身の持つ毒を変質させて身食いさせるものなので致死毒ではありません。毒を体内に持たない者には毒に対し弱体化はさせても直接死に至らしめることはありませんから」
「なるほど。日頃の利点が弱点になったわけか」
精霊から聞いた限りでは、この男はあのシリアルキラーを随分と可愛がっていたように思えたのだが、こうして話していてもまるでその死を悼んでいる様に見えない。
カナンはなんとも得体の知れない不気味さに、じりっと一歩後ずさった。
「ところで、あの "人形" をどうやって操っていたんだい?」
「どうやって……?」
「自律行動していたよね? 操り糸が見えなかったよ」
「……!」
この男――カナンは更に男から距離を置こうともう一歩を下がる。
まさか、魔力の流れを読んだのはあのシリアルキラーではなくこの男――?
「ああ、そういえば―――」
その先を、カナンは最後まで聞かなかった。
背後の異界へと踊り込み、間髪を容れず入り口を閉じて更に[ホーム]へと転移し、簡易異界も消し去って漸く一息ついた。
その後。
あの男がシリアルキラーを身元を偽って飼っていた事実は、既に追及の手が伸びていたらしく世の知るところとなり、あの男を擁していた貴族は多大なる社会的ダメージを負ったようだが、当人はさしたる忠心もなかったのか、件の国からはいつの間にやら姿を消し、その消息は杳として知れない、と世間では言われているらしい。
精霊達に詳細を求めれば行方を教えてくれそうだが、君子危うきに近寄らず。カナンは二度と関わり合いになりたくない、と追求はしなかった。
……いや、関わりたくないのなら寧ろ知っておくべきか?
むーん、と一瞬思い悩むが、当分<あちら>側へ行くつもりのないカナンは出かける直前に回避場所を訊けばいいや、と早々に思考放棄しようとした。
その反動的な楽天がフラグになる。
心配をする霊獣達に諫められ、覚えている件の男の魔力をキーに、常態的にその身に張りっ放しにしている防御結界へ〔警鐘〕機能を追加することにした。
範囲は大袈裟にこの大陸全域。アラートはその時カナンのいる国ないし地域に男が居る場合だけ。
正確な居場所の把握は流石にアラートが鳴った時だけで充分だろう。
「下手に関わるといいように利用されそうだものね……」
直接的によりも間接的に、が怖い。
* * *
肝要なのは過程ではなく結果である。
至るまでの道筋に理想はない。
思うままに利用すればいい、何一つ残さず消え去る為に。
均衡の乱れは危うく、これが正されるならば余興の趣向は問わず、安寧こそが全て。
気紛れは時を選ばず、これを掴む者はただ幸運を噛み締めればいい。
覚書
復讐者 ゼノレード・ユウィンリー
殺人鬼 ダージルッツ
男 レゼロシャイド・メウニトリーツ




