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隣人  作者: 鈴木
本編
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2 神はいない

 カナンはこの世界の辜負族(ひと)に関して、過去から現在に至るまでの大体の情報を精霊から教えられた。


 この世界の物質域で彼らの存在しない場所はない。

 また、彼らにとって辜負(こふ)族の事情は大半がどうでもいい、斟酌も関与もする必要がない無関係な些末事である為、客観的事実だけを知るには丁度いい情報源(ソース)であり知恵袋だ。その気になれば国家機密も筒抜けだが、カナンがそんなものを知ったところで何の役にも立たないので端から聞いてはいない。

 そうして、とりあえず必要と思われる情報と自身のスペックとを照らし合わせて出した結論が、「辜負族に関わっても碌なことにならない」だった。


 ここはフィクションでよく描かれている中世なんだか近世なんだか時代背景の曖昧な、所謂、剣と魔法の存在する世界だ。

 治安は安定している場所もあれば劣悪な場所もある。

 都市部では、表界隈は比較的治安が維持されている反面、裏路地へ入れば身の安全など保障されない。スラム街も随所に存在する。

 身分制度はありきたりに存在し、王侯貴族の鼻持ちならなさはテンプレ通りだ。ノーブレス・オブリージュは残念ながら常識的な観念ではなく、個々人の一面的な価値観の一つに過ぎない。

 文明の進み具合は分野によってちぐはぐで、単純に地球の事物と考証したところで整合性など得られない。

 ここは地球ではなく、同一宇宙内に存在しているかも怪しい、地球人から見れば荒唐無稽そのものなのだ。




 この世界に神はいない。

 ここでは人の妄想の中にさえ存在しない。そもそも "神" という概念がない。

 辜負族より高次の存在を否定する、或は全く想定しないのではなく、いてもおかしくない、くらいの柔軟性は持ち合わせている。

 信仰と言えるのは自然崇拝くらいだが、明確な宗教として確立しているわけではない。故に神官に相当する職もない。

 その関連からか、この世界には「祈る」という言葉がない。

 住人達は「どうか~でありますように」「どうか~にしてください」といった、具体的な、或は漠然とでさえ、いるかいないかもわからない対象を想定して一方的に望みを要求することをしない。

 「~になるといいな」といった望む結果という意味での希望を抱くことはある。また他者(の行動)に対して何事かを期待することもある。だが、そうした情動や思考は「祈る」こととは似て非なるものである。


 神にせよ祈りにせよ、地球人類を至上の存在に位置付ける者達はありえない!と目くじらを立てるだろうが、地球人と同じ姿を持つ知的生命体なら必ず同じ思考回路を持って同じ思考展開をし、同じ価値観を形成して同じ行動を取り、同じ結果に至るとでもいうのだろうか。

 いないものはいないのだ。

 根本的なメンタリティが違うとしか言いようがない。

 この世界の "人" は、見てくれが似通っていようと、「人」という仮称でカナンが呼んでいようと、地球人とは全くの別種族なのだ。

 地球人の常識の何もかもが通用する筈もない。




 魔法と精霊が存在する世界だが、ゲームなどでよく見かける精霊を使役する魔法は存在しない(精霊自身が使う力を精霊魔法と呼ぶことはあるが)。

 精霊側に辜負族に対して隔てがあり、辜負族に都合良くは動いてくれないからだ。

 昔から精霊を思うままに操ろうという意思は存在し、その為の研究もなされてきているようだが、未だに実を結んではいない。

 魔法は使用者の魔力を自然現象に似せて発現させているだけであり、仮に火を魔法で発生させたとしても、そこに火の精霊は宿っていない。

 その為か魔法で生み出した水はまずく、非常時用としてしか利用されず、水魔法の使い手でも水筒などで飲み水を携帯している有様。

 また、例えば落雷による火災は、精霊が宿っている為か水魔法の水で消火することは出来ない。火災の規模にもよるが、バケツリレーで井戸や川などから水を汲み上げて掛けた方がまだしも効果がある。

 逆に水の精霊は自然発生の火も火魔法の火も消すことが出来、火魔法相手なら高位魔術師のものでも生まれたばかりの未熟な精霊で消せてしまう。

 精霊を使役したいという妄執が何千年経とうと辜負族の中から消え失せないのは、この(辜負族にとって)忌まわしい現実があるからだろう。


 目に見えない精霊を存在するものとして辜負族が認識しているのは、その事実を伝えた者がいるからである。

 遙か昔から極々稀ではあっても、妖精や霊獣に交わり、信頼を得て彼らの言語を知った者はいた。或いは視認出来ずとも精霊の魔力を感知する魔術師、気配を察する武技者は、やはり僅かながら存在した。そうした者達が現実にいるものとして精霊や禁域の意思を語り継いできた結果、辜負族全体に周知されるようになったのである(後者はともかく前者は妖精や霊獣の側に立つ、辜負族社会の意のままにならない者として過酷な人生と凄惨な末路を辿っているが)。



 精霊が実体化した妖精の拉致は、即行で精霊や妖精から苛烈な報復を受けることになる。しかし、それを知っていても尚、辜負族のその暴挙はいつまでも途絶えることがない。

 精霊が自然界を支配し思うままにしていると勘違いしている者は多く、精霊に対する辜負族の憎悪が枯れることもない。

 精霊は自然界の意思そのもの、その意思が形を持った存在(もの)であるという現実は、辜負族が精霊支配を自己正当化するには邪魔な事実でしかなく、また、厳然と目の前に存在するものを自己都合の優先で認めようとしない者に認めさせる労苦を、一種族の都合にだけ配慮する譲歩を、精霊が必要と感じない為に、両者の関係が改善する兆しは今をもって全くない。






 カナンの使う魔法で生み出した四元素などには精霊が宿っているが、あくまで[ホーム]にいる精霊限定である。

 では先に例として挙げた、落雷による火事をカナンの水魔法で消そうとした場合、可能なのか?

 一応可能である。

 但し、消火を実現する前段階で[ホーム]の精霊に<あちら>の精霊と交渉をしてもらわなければならない。

 <あちら>側の精霊が起こす自然災害はほぼ懲罰的な意味合いを持つが、よほど根深い憎悪に端を発したものでない限り、まず決裂することはない。ただ状況によって交渉時間には長短がある。

 それでも魔法以外の手段で消火をするよりは遙かに短時間で事は成る。



 こうして見ると辜負族の魔法は大して役にも立たず、未だに廃れることなく存在し続けていることに違和感を抱く向きもあるが、彼らの魔法にも利点はある。

 その最たるものが生物を殺す手段としては極めて強力だということだ。








 もう少し俗な利用法と言えば風呂だろう。体を洗うのに味は関係ない。温泉水のような効能は望めないが。





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