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隣人  作者: 鈴木
本編
18/262

18 精霊王

「せーれーおー?」


 あまりにもあまりなありえなさに、思わずカナンの言葉も幼児化してしまった。

 よりにもよって精霊の王を騙る?


 昼下がり。

 昼寝にもじゃれ合いにも飽きたヴルガレス達の好奇心に満ちた、或は漫然とした眼差しを椅子の背やカウンター、リビングソファなどから浴びせられながら、キッチンテーブルで以前作った柿酢の副産物の酢酸菌で今度は桃酢(果物酢はワインを作れる家妖精(ブラウニー)から三段論法的に色々教えられて挑戦していた。途中過程でアルコールが出来るのはもはや妥協)を仕込んでいたカナンは、不意に[ホーム]へ遊びに来ていた<あちら>側の精霊に話し掛けられ、その内容のとんでもなさに目が点になった。

 精霊は嘘をつかないから真実――今正に現実に起きていることなのだろう。……だろうが。


「…………」


 寸時、思考を巡らせたカナンは、手早く布で瓶の口に蓋をして虫除けの結界を張り、くるくると頭上を飛び回る精霊達を見上げた。


「ちょっと行ってみる」


 彼女の視線に合わせて中空で動きを止めた付き合いの良い精霊に口角を上げて宣言する。

 野次馬なのは否定しない。しかし気になるものは気になる――カナンは己の欲求に従うことにした。


 折角<あちら>側の精霊が目の前にいるのだ、と彼らに今のままで大丈夫か視てもらい、注意を受けた体の周囲の菌だけを魔法で除去していつもの部屋を使わずに〔転移〕した。

 アウレリウスは自己判断で持ち込むものの良し悪しを判断し処理しているらしいが、カナンはまだそこまでを独りでは出来ない。


 留守番のヴルガレス達はカナンの外出を知った時点で方々へ散っていった。

 いってらっしゃいの一言はあったりなかったり。いつものことだ。






 * * *






「私の前世は精霊族の王でした。しかし此度の転生で最悪にも人族へ墜ちてしまった。

 こうなっては私のかつての臣民の献身により、至高の力を取り戻すしか(すべ)はありません。

 さあ、数多の精霊達よ、その力を私に捧げるのです」






「………………手遅れ?」


 勿論、その中身が、である。


 よくある妄想が過ぎてリアルとフィクションの区別がつかなくなっている典型か。

 嘘をつきすぎてどれが本当でどれが嘘だったか自分でも分からなくなったパターンでもいい。

 いや、よくはないが。


「あれって放置しても大丈夫なんですか?」


 思惟の森の前で演説(?)する、服装自体は至ってシンプルな長袖のシャツにズボンに長外套でも、その装飾が実に派手で仰々しく、縫いつけられたビーズも施された刺繍も軒並み金一色に統一されていると言えば聞こえのいい、ただ無節操なだけの意匠の下品極まりない恰好をした若い男から視線を転じたカナンは、傍らに立つアウレリウスを振り仰いで、その高みにある精悍な顔を見上げた。

 カナンより僅か前、この男も物見高くこの場へ来ていたのだ。


 男の位置からは死角になる森の中の藪陰に立ち、カナンはこっそり、アウレリウスは結構大胆に時折首を出しては外の痛々しい一人寸劇を眺めていた。

 自己の言動に酔っ払っているらしいその恍惚とした表情は中々に正視に堪えず、当人から多少視線をずらしてではあるが。


「構わんだろう。実害が出ようがない。精霊に王なんざいないからな。精霊達にしてみれば何言ってやがるんだこの頭のイカれた奴、くらいの認識だ」


 精霊に支配的な上下関係はない。若いか年を経ているか、魔力の大小か、いずれの差異も精霊にとって優劣を決めるものではない。


「精霊達はそんな言葉は使いません……」


 男の語った既知の部分はスルーで、カナンは些細なことながら無視の出来ない違和感に突っ込みを入れてみる。


「そうか?」


 しかし、片眉を上げて意外そうにアウレリウスが言うのにカナンの自信は容易く揺らいだ。


「え……いるんですか?」


 そのような精霊に会ったことのないカナンは半信半疑で訊く。

 カナンの上目遣いに首を動かさず視線だけを向けたアウレリウスは、その、いても不思議ではないかもしれないが出来ればいて欲しくない、でもそれは自分の我儘でしかなく、しかし本音を言えばやはり、とぐるぐる思考のループに陥っているらしい様子を暫く堪能する。


「…………アウルさん……?」


 好奇心や悪意以外でじっと見続けられることに慣れていないカナンは、無言を貫くアウレリウスに戸惑うと同時にやはりいるのかと早合点した。


「…………どう思う?」


 カナンの他愛無い葛藤を読んだアウレリウスは口角を上げ、仕掛けた悪戯の成功を喜ぶ子供のように笑う。


「……っ、アウルさん! からかったんですか!」

「さてな。俺もすべての精霊に会ったことがあるわけじゃない」


 そう言われてしまうと反論のしようがない。アウレリウスよりカナンの知己の精霊の方が数が少ないのは明白だ。


 拗ねた目をするカナンを軽くいなし、ふいと男へ視線を移したアウレリウスはさりげない仕種で身を翻した。そしてカナンの背に右手を当て、


「行くぞ」


と、彼女の同意も得ずもろともに〔転移〕した。







 移動した先は見慣れた[ホーム]の庭先。


「アウルさん?」


 カナンの訝りには知らぬ振りで、アウレリウスはさっさと色鮮やかに、或は色取り取りに咲き乱れ、萌え茂るハーブの間を縫って家へと向かった。

 慌ててカナンが追いかけると、少し先で立ち止まり振り返る。


「一杯、馳走してくれるか?」


 先ほどまでのことはすっかり忘れ去ったように穏やかに請う。


「……それは構いませんが……」

「そうか」


 カナンの返事に微かに、だが嬉しそうに笑う。


「……」


 それだけで、もうカナンには何をも言えない。

 皮肉げな笑い、酷薄な嘲笑い、宥めるような笑い、揶揄うような愉快げな笑い、見守る保護者のような笑い。様々にカナンへ笑みを見せるアウレリウスだが、こうした己の純粋な感情だけを静かに見せる笑みは珍しい。


 カナンの到着を待ってアウレリウスは歩みを再開。今度は二人並んで家へと向かう。



「――――あ、でも、今日はお酒はないですよ?」


 男が酒好きであるのを思い出し、そう断りを入れるが、アウレリウスは珍しくその気がなかったのか、意表を突かれたように僅かに目を見開き、直ぐに笑みの形へ変えた。今度は少し面白がる風情だ。


「今は茶が飲みたいからな。そっちで頼む」

「はい」


 後は家まで心地良い沈黙に身を委ねた。











 二人が去って暫く後。

 自称精霊王の男は、精霊達のうんともすんとも言わなさに業を煮やし、とうとう思惟の森へ足を踏み入れていた。

 それまで森への侵入を控えていたのは、その霊威を畏れていたのでも、禁忌を犯すことへの罪悪感からでもなく、単にパフォーマンスの一環でしかなかったのか。

 境界を越える足取りに躊躇いはまるで見受けられなかった。


 あまりにも堂々と進むその姿は、我こそは森の主である、とでも自己主張しているようで、何ともはや滑稽なものだった。


 当然ながら森が男を主と認める筈もなく、禁忌を犯す者に容赦などする筈もなく。

 まだ侵入も浅い、木々の影も薄い位置でありながら、辺りを押し包む薄闇は瞬く間にその濃度を増していった。


 その後、男がどうなったかは――――。







 この世界、魂は存在するが転生はない。生物の死と共に消滅し、受精や分裂などで新たな命が生じた時に同時発生する。


 男が「前世」や「転生」の概念をどうやって得たのか、男自身が創作したのか。

 精霊達は見て、聞いて知っているかもしれないが、わざわざカナン達に知らせるようなことはしない。

 聞かれないからだけではない、必要がないからだ。妄想は妄想に過ぎず、何処まで妄想しても妄想以外のものには成り得ない。

 この世界で転生が現実になることはない。












覚書

自称精霊王 バルレドス


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13 酒に泳ぐ/霊獣の味覚

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