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隣人  作者: 鈴木
本編
15/262

15 幸せな思考回路

 殊更巨大な、それ故に垂れ下がり始めている胸を見せ付けてセックスアピールをする見た目だけなら若い女を、カナンは熱のない白け切った眼差しで見遣った。

 無言でただひたすらに。

 こうした真っ先に胸の大小で人を量る、胸の大小でしか人を量れない輩は何を言ってもしても相手が嫉妬していることにしなければ気が済まない、頑迷に嫉妬しているのだと決めつける者が多く、相手にしないのが最良だ。

 中学に上がる頃には既に "巨" と呼べる規模の胸に成長してしまった幼馴染みの苦労をつぶさに見続けたカナンにしてみれば、巨大な胸に対し欠片も憧憬も嫉妬も抱いてはいない。

 十代前半で肩こりに悩まされ、皮膚が弱く夏でもないのに蒸れ易い谷間や胸下の汗疹に苛々させられ、最悪なのは痴漢行為に常に晒されているのに中々周囲の人間に信じてもらえず、本当に幼馴染みは大変だった。

 人運がないと言われればそれまでだが、同年代からは下心と嫉妬によるいじめの恰好の標的にされ、大人は大人で警察官でさえ、男警官は勿論、女警官にまで定番の「あなたが誘ったんでしょう」で済まされ、悔し涙を流すこと数知れず。

 それでも心が折れず、また自棄も起こさず真っ直ぐに生き抜いた幼馴染みという人間そのものにこそカナンは憧憬を抱いていた。

 彼女が基準になっているので眼前の類いの同性に対する(異性は言うまでもない)カナンの評価は常に厳しい。


(……彼女が生きていたなら多少は郷愁も感じたのかな……)


 数少なかった交友関係を振り返り、ぼんやりとそんなことを考えてみるが、所詮IFはIFでしかなく、無意味だ。

 カナンは感傷にもならない思考をあっさり切り替え、ついでに目の前の女の存在も意識の外へ放り出して身を翻した。

 用があって来たくもない領域に来ているのだ、とっととそちらを済ませて[ホーム]へ帰るに限る。


 この円環列島は辜負(こふ)族の出入りが自由でも一応深淵の一部であり禁域に属する為、魔法で姿を消すことも認識を阻害することも出来ないから厄介だ。

 クェジトルは他者に関心のない者が多く、外套のフードで顔を隠していても通常の辜負族の街ほどには目立たないが、自身の敵に対しては(敵認定の基準は個々人)異様に嗅覚の効く者が多いのもクェジトルである。

 身体(からだ)のラインが出る服を着ているわけでもないのに(逆か、見えないからこそありもしないコンプレックスを妄想されたのだろう)、この女に絡まれたのは運が悪かったとしかいいようがない。



 生殖活動に積極的でない者、関心の薄い者を生物学的におかしいだの欠陥品だのと蔑み貶める輩は数いるが、それもどうでもよかった。

 見下す人間に認めてもらいたい(何を?)わけでなし。そう、「関心がない」のだからどうでもいいのだ。


(蚊帳の外が一番平和だよね……)


 それもちょっと違う。




 * * *




「よお、姐さんに絡まれたって?」


 カナンが顔を見せるや、下卑たニヤニヤ嗤いを浮かべた男は舐めるように外套に覆われた彼女の身体を眺め、その妄想で嬲った。

 場所は路地裏の更に奥。迷路と言っても過言ではない薄暗い廃墟群の一角から、見えない扉を越えて辿り着ける如何にも怪しげな極彩色の部屋(魔法による隠蔽が出来ない筈の町でこの扉が消えているのは、元よりあった空間の歪みに扉を設置したかららしい)。

 壁面も調度も男の服装もその身体的特徴さえ "色鮮やか" では聞こえが良すぎる、見る者に不快感を与える威力の半端なさは悶絶に値する。


「その話、続けます?」


 慣れもあるが時間の無駄はお断り、とカナンはすっぱり撥ね付けた。能面顔で暗に次の返事如何では即行帰る、と匂わせて。


「ちぇっ、付き合いのわりぃ奴だなー」


 未だアンティーク調の豪奢な椅子にふんぞり返って座ったまま立ち上がる気配も見せず、客を迎え入れる態度ではない。

 確かにカナンは招かれざる客だ。男がどう思っているかは分からないが正直どうでもいい。

 彼女がここへ来た理由は、男に憑いている精神体――生霊が知己の霊獣に助けを求め、その霊獣は自らの手に余ると禁域に助力を願い、事態を放置出来ないと判断した、のだろうと思われる(思惑が奈辺にあるのかなどカナンに分かろう筈もない)禁域が問答無用で運悪く思惟の森を訪れていた彼女をこの町まで転送(とば)したからだ。

 普段通りなら関与しようが放置しようがカナンの判断に委ねられ、何もせず[ホーム]へ戻ったとしても何ら問題はないのだが、今回は珍しく精霊を通じて打診があり(後出しもいいところだが)、禁域が看過できないというのも珍しいのでその意向に従うことにした。

 禁域がカナンにさせようとしているのは、この男が今まで喰らい、その身に溜め込み続けてきた深淵の戦利品由来の呪詛を浄化することだった。

 そう、この男は真性のマゾなのだ。

 深淵で得られる様々な物品には結構な確率で大なり小なり呪詛の掛けられているものがある。

 そうしたものはそのまま使用すると大概使用者も呪詛の影響を受けて心身に支障を来す。しかし捨てるには稀少性が高く勿体ない。売るにしても買い手が中々いない上に、いたとしても足元を見られる(何しろ呪詛モノだ)。

 クェジトルのそうした悩みを解決してきたのがこの男だった。

 方法は至ってシンプル。男は呪詛を物品から文字通り口で吸い上げ、喰らうのだ。

 流石に直接口を物に付けるわけではなく、少し離した位置から唇を窄ませて息を吸い込むと対象物から黒い靄の形で呪詛が剥がれ、男の口を通してその腹の中へ納まってしまう。

 身体を張って浄化しているのではない。呪詛は変わらず生き続け男を苛むのだが、男にはそれが堪らない快感なのだという。


 変態である。


 しかし中には死に至る呪いもあるだろうに、未だ死なずにいるところを見ると、ある程度は呪詛を抑制しているのかもしれない。が、あくまでも抑え込んでいるだけで呪詛がなくなったわけではない。積もりに積もってとうとう深淵にまで影響を及ぼし始めたというのだ。

 深淵産の呪詛が何故に、と不可解極まりないが、男の中で統合される内に変異したか、逆輸入は元より御法度だったのか。

 そういえば一度(ひとたび)深淵から持ち出された呪いのアイテムは、再び深淵へと持ち込むことは不可能だった。

 実はそうやって深淵は自身の内に集まる(おり)を排出してきたのかもしれない。それがここへきて、男という揺籃を得た呪詛が更なる成長を遂げ、とうとう深淵を覆う結界を物ともせず牙を剥いてきたというわけか。


 そこまで考えてふと、カナンは男がふんぞり返っているのは本当は単に立ち上がる気力体力がもうないだけなのだと気づいた。

 アホである。

 当然、そうなるまで放置したのだ、キモチイイから。


 SOSを送ってきた生霊もなんだってこの男がいいのか。蓼食う虫も好き好きとはよく言ったものである。


 カナンは溜息を一つついてから決然と宣言した。


「浄化します」

「あー、それはちょっと勘弁。勿体ない」


 この期に及んでまだ言うか、とカナンは更に溜息。


「あなたから言質を取る手間はかけません」


 元より否やはないだろう、この男は。生霊の好きにさせた時点で呪詛の浄化に同意したも同然なのだ。

 生霊は男に逆らえない。たとえ男が指一本動かせなくなっていようと関係ない。何故か――恋は盲目、だからだ。ストーカーではない、たぶん。男が憑くことを許容している。

 生霊の女はとにかく男が好きで好きで仕方なく、男には絶対服従、何を言われようとされようと逆らわない。

 実体のない相手に何をしているのかは考えたくもないが、以前男自身がそう言い、女も頬を染めて肯定していたのだ、なにかをやってはいるのだろう。

 見事な割れ鍋に綴じ蓋。

 その女の行動が、たとえ男を心配してのことだとしても意に沿わないのであれば一言「やめろ」と言えばいいだけなのだ。


「なあ、ちょっとだけ浄化()すってのは出来ねえ?」

「知りません。出来てもしません」


 カナンの邪険っぷりに腹を立てたのか、男の背後の空間が揺らめき、元の造作は良いだろうに見る影もない般若の形相の生霊が現れた。


 キイイィィィィァァァァアアアァァッ


 声にならない不気味な超高音が部屋中に反響し、室内のありとあらゆるものを激しく振動させたが、ポルターガイスト宜しく襲いかかってくる心配は欠片もしていないカナンだった。

 ここにあるもの全てが男の "お気に入り" なのだ。間違っても破壊するような真似を女は出来ない。


 そう思えばそれなりに可愛い反応かも?


(いやいやいやないないない)


 もう何を言うのも無意味、とカナンは実力行使に出た。そもそも浄化に男の協力など必要ない。


(〔剥離〕〔変容〕)


 生霊も巻き込んで床から吹き上げた噴水さながらの純白の光輝が男を一瞬で覆い尽くす。


「や、ちょっ、まっ……!」


 男の中途半端な静止の声を最後まで聞かずにカナンは扉から外へ飛び出し、そのまま地を蹴って飛翔する。




 移動先は町の上空。

 外からは見えない扉の隙間から次々と立ち上ってくる、どす黒い靄の形をした呪詛を片っ端から手の平に展開した小結界の球体に取り込み、全てを収めたところで頭上へ放り投げた。


(〔還元〕)


 内心の詠唱と共に小結界は弾け、溢れ出した呪詛は飛散する花粉の如く(嫌な表現だが人間視点で迷惑なものという意味でも共通する)ありとあらゆる方角へ向けて飛び去っていった。


 カナンは浄化をしなかった。

 ほんの短いやり取りでありながら男との会話で色々と溜まり、本来の呪詛の持ち主に還すことで溜飲を下げたのだ。

 呪詛の持ち主とは、男が引き受ける前に呪詛を帯びていた様々な物品、間接的にはその所有者である。

 大体呪詛の浄化はクェジトルであれクェジトル以外の魔術師であれ〔浄化〕持ちに依頼すれば事足りる話なのだが、その場合は金銭という安くない対価がいる。

 そして男は呪詛を選ぶとはいえ、嗜好に適えばただで引き受けていた。

 そう、金を惜しんだクェジトルがそもそもの原因なのだ。


(死に至るものと重篤な症状が出るものは緩和しておいたから、今度はちゃんと自腹を切ってね)


 ふと、一仕事終えて吐息をついたカナンの視界の端を、呪詛とは違う何かが駆け抜ける。


 ヤアアアアァァァァァァァァァァ


 恨みがましいエコーを効かせてあっという間に見えなくなったそれは、男に取り憑いていた生霊だった。


(あー、剥がしちゃったっけ)


 既に取り憑いている生霊はそのままでは〔還元〕で肉体へ戻すことは出来ないが、先に〔剥離〕していれば可能だった。

 カナンは意図したわけではなかったが、結果良ければすべて良し、になるのだろうか。

 男は嫌がってはいなかったが愛情があったかというと……。


「分かるわけないよ。でもあの執着なら今度は肉体(からだ)ごと直ぐに戻って来るんじゃないかな」


 馬に蹴られるのは御免、二度と関わりたくないとカナンは切実に思うが、


「禁域次第かなあ……」


 浄化せず〔還元〕で済ませたのには禁域に対する意趣返しも多少はあったりする。


(一応個々に結界(おくるみ)でくるんで、もう深淵に干渉出来ないようにはしたけど。…………と、忘れ物があった)


 眼下、見えない扉の辺りを見下ろし、カナンは不意に大事な処置をやり忘れていたことを思い出した。


(〔狭窄:許容量〕)


 今回はエフェクトはなく、ただ男の魔力が抵抗するように悶えたのを嫌々ながら感じただけだった。




 * * *




「おい! いつものヤツ頼む!!」

「…………今は無理」

「なんだと!? 勿体振らずにとっととやれ!!」

「だから無理だっての! やりたくても出来ねえんだよっ!!!」

「はあ!?」

「まだ八分目どころか六分目?四分目? 足りねえ、全然足りねえよクソッ!!」

「なっ……なんだ?」

「だから胃が小さくなっちまったんだよ!! なんでだよ! 前はもっと喰えたのに、ひでえよ!!!」

「…………」


 男の尋常ならざる剣幕にドン引いた客(?)は呪詛で真っ青な顔をもはや真っ白しにしてそそくさと帰っていった。




『呪詛の受け入れ上限を引き下げました。一杯になって新しい呪詛(もの)を食べたくなったらとっとと浄化して下さい』


 事の後、どこからともなく部屋へ舞い込み、男の顔に張り付いた一片の和紙にはそんな無慈悲な言葉が綴られていた。




 男が紙面に目を走らせた直後、お約束的に和紙は発火し、塵も残さず燃え尽きた。

 [ホーム]のものは何も残さない。











覚書

呪詛喰い男 ユアンエント

生霊    イェロゼレナ・パンセルア


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