14 ゴム
この世界にゴムはないがゴムに似た物は存在する。
ついでにスライムにも似ている。
アリカームという物質で、辜負族が知る限りでは高山の断崖絶壁の壁面に張り付いており、まるでスライムのように常時伸縮を繰り返している。
繰り返しているが決して生き物ではなく、無機物である。
その性質は製品化されたゴムに近く、用途に合わせたサイズに裁断して使用すればゴムの代わりにならないこともない。しかし、如何せん "常時伸縮を繰り返している" ので人間の都合で伸び縮みはしてくれない。
思い切り引き延ばしてその反動を利用することは出来るが、例えば衣類の開口部を絞る用途には使えない。常に開いたり閉じたりしているのでは落ち着かないことこの上ない。いやそもそも視覚的に気持ち悪い。
伸縮の長さ及び太さは個体によって異なり、アリカーム塊の規模や在所環境によって様々に変化する。
故に同サイズだからといって伸縮限界が同一とは限らない。
しかし限界値に拘泥し追究するのは研究者くらいで、たまに崖下に落ちているアリカーム塊を使い捨ての玩具程度にしか扱わない庶民は殆ど気にもしない。
その為、時々痛ましい事故が発生する。
いずれの世界にも愛すべきフールはいるもので、このアリカーム塊を使って所謂バンジージャンプをする者が時々出現するのだ。
そして大抵予想以上に伸び切って地面に激突し……遺族は大変痛ましい表情で墓石の前に佇むことになる。
この手の惨事は事後暫くは同様の行為を人々は自粛するのだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる? 対岸の火事? 要は身につまされ "ない" 者達は一定数いるもので必ず繰り返される。
橋や小崖から遊びでダイブするほど頻繁に起きないのは、アリカーム塊自体がそうそう入手出来る物でないからに過ぎない。
訂正。
庶民ばかりではない、研究者にこそフールはいる。
なんでもかんでも自分自身で体感しなければ気が済まない、愛らしい人種が。
他者で代替されるよりはまし、というだけで、周囲の人間にしてみればたまったものではないだろうが、得てして当人は幸福の内にある。
「ぅああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
今日もまた無謀な研究者が一人、アリカーム塊を採取しようと断崖絶壁に挑んで盛大に転落。
何故慣れない者ほど命綱を適当につけるのか。
しかし彼はまだ運が良かった。
後を追うように壁面のアリカーム塊が次々と剥がれ落ち、落下する途中で何が起こったか、一つ二つと消滅していった。
そして地表で彼を待ち構えていたのは大量のアリカーム塊。
びよーんぶよーんと伸縮しながら彼を中央へ転がし、暫く右へ左へ上へ下へ、お構いなしに思う存分弄ぶと、ぺいっとばかりにその身体を藪の中へ放り捨てた。
落ちた先には灌木や背の高い草が生い茂り、本来ならまず助からない高度からの落下にもかかわらず、多少きつめの打撲と擦過傷程度で事なきを得てしまった。
「?????」
何が起こったのか直ぐには察することが出来ず、呆然とする研究者の視線は木の間から見える崖上の蒼天へと向けられていたが、その中空に一瞬、布のようなものが閃いたのを彼が認識することはなかった。
* * *
「うー、裾を挟んじゃった」
境界を繋ぐ扉を一度開閉し直したカナンは、くっきり跡のついたスカートの裾を掬い上げて凹んだ。
カナンが戻ってきたのは[ホーム]でも森の中。
目の前には透度の高い、藍から露草、白藍へとグラデーションを成す美しい湖があり、その湖岸や湖上には何故かシャボン玉のような拳くらいの大きさの、斜光の加減で虹色に煌めく球体が無数浮かんでいた。
これまたシャボン玉のようにふわりふわりと緩やかに思い思いの方向へ流れ、互いに、梢に、湖面に触れては軽やかに跳ね返り、またふわりふわりと漂う。
スカートの裾を離したカナンはそれらのシャボン玉を前に両手を掲げ持つように立ち、ストレイジバッグからある物を取り出し、
「おやつだよー!」
そう叫んで湖上へと掬うように投げ上げた。
放物線を描いてシャボン玉の上方まで飛んだそれは、中空で突然親指の先ほどの粒に弾け飛んだ。無数に広がったそれらはシャボン玉の上へと容赦なく、また満遍なく降り注いだ。
すると、意思もなく漂っているだけに思われたシャボン玉達が、動きはさりげなく、だが明確な意思を持ってその "何か" の粒を身の内へ取り込み始めた。
"何か" はぷるん、とした艶のある半透明のグミのようなもので、シャボン玉に取り込まれる前は何やらぐにぐにと伸縮しているように見えたが、シャボン玉の内へ収まると、まるで核となったかのように真球となり、おとなしくなった。
"何か" は暫くシャボン玉の中に留まり、やがて徐々に溶けるように小さくなっていって跡形もなく消え失せた。
――いや、文字通り溶かされたのだ。
このシャボン玉、これでも霊獣の一種族である。
種族名はラクルリィマ。シャボン玉は一つ一つそれぞれに意思を持っているが、個体数を数えるときはこの群体で一、となる(隙間なく結合してはいなくとも、個々のラクルリィマが一定距離を離れることはなく、魔力の共有という形で繋がっている為、ゲーム内では "群体" と称されていた)。
"何か"――も何もない、アリカーム塊を食べたラクルリィマはご機嫌なのか、先ほどまでよりは多少軽快な様子で湖上をふわふわと乱舞した。
彼らは鉱石から生まれた霊獣だったが、不思議と元となった鉱石をあまり好まず、専ら[ホーム]の大気に満ちる霊気や[ホーム]の住人達の余剰魔力を貰って過ごしていた。
それがどういうわけか、<あちら>から興味本位に持ち帰ったアリカーム塊をいたく気に入り、これまで他の霊獣達のように食に於いて楽しませてあげられなかったこともあり、カナンは定期的に採取してはおやつとしてあげるようになっていた。
* * *
研究者は自らの無謀が招いた絶体絶命の状況から無事生き延びたが、そこに干渉したカナンの自己満足に、更に無意味無駄の文字が付け加えられるかは研究者次第。
場所は辜負族の領域ではなく円環列島。そこに内在する全ての持ち出しを許されているのはクェジトルのみ。
この研究者はクェジトルではない。円環列島に研究を進める為の生活拠点もない。そのような人間がアリカーム塊を採取してどうするのか?
後日、大袋を抱えた研究者の姿が町の船着き場にあった。
覚書
研究者 ニギーローシル・ハクワスフ




