11 コレクション
最後の一冊を帙に戻し、棚に入れたところでふっ、とカナンは息をついた。
模様替え完了である。
普段は家の奥、換気用の小窓しかない部屋に収めている大量の本は妖精達に管理を任せているのだが、時々こうして気晴らしも兼ねた本の配置替えをカナンはしていた。
ここにある本は大半がカナンの記したものだ。
ゲームプレイ時に得たものも少しばかりあるが、それらはいわばゲーム世界のhow-to本で、ゲームとは無関係の世界にトリップした今となっては、もはや何の役にも立たない。
架空世界の紀行文として読めないこともなく、不意に過去の縁を懐かしみたくなった時などにパラパラと流し読んだりしている。
そもそもカナンの書き記したものも役に立つかと言えば微妙だ。
それらは全て、<あちら>の精霊達から聞いた昔語りを書き取っただけのものなのだ。
いわばノンフィクション、いや嘘も主観も混じらない精霊語りでは正確無比な歴史書と言えるかもしれない。
ただ、文体は論文調ではなく砕けたもので統一し、内容はともかくエッセイのような体裁だった。
記した言語は日本語と、この世界の言葉だ。
時間だけは有り余っており、日々の雑事の傍ら好奇心で、カナンは<あちら>の精霊から様々な言語を習い始めた。
地球ではせいぜい英語がなんとか話せるくらいだったが、トリップ補正か、ここでは元々良かった記憶力が更に強化され、加えて理解力や応用力もアップしているらしく(この辺りのクェジトルから見た依怙贔屓は、まるで過去の異世界人の苦難への代償をこの世界からカナンが一身に受けているようで何とも微妙ではあるが、トリップに伴う何もかもが、そもそもトリップ自体が彼女には不可抗力である以上、責められても困る、というのが本音だ。非情にも「ただの偶然」、と精霊は言う)、時間を掛ければ教えられた言語はするすると読み書き共にマスターした。
尤も、処理能力がアップしたとはいえ何もしなければ習得は出来ない。故に一つずつ、根気よく学んでいった。
覚えたのは限定的ではあるが辜負族全体に通用するクェジトルの言語と人族以外の各種族特有の言語、人族の大国の言語に魔法に用いられる古語、精霊や霊獣などの辜負族以外が使用する言語だ。
因みに一番最初に覚えたのは精霊語である。
[ホーム]の精霊は最初から声以外の、精神感応形態で<あちら>の精霊と意思疎通が可能だったので、まず彼らに<あちら>の言語を習得してもらい、その後<あちら>の精霊も交えて通訳と教師を依頼した。
製本に使用した紙は全てこの[ホーム]で作製した和紙もどきである。
締まりのない名称だが仕方ない。ここに存在する何もかもが、ベースはゲーム会社の作成した電子情報に過ぎないのだ。
それ故、原材料のコウゾやミツマタ、トロロなどの植物ももどきで、性質は使い勝手が良い方向で本物とは色々違う。
漉き舟などの必要な道具は大型な物から小型の物までゲームプレイ時に一通り揃えておいたが(和紙が必要だったからで、当時は本を作る意図はなかった)、カナンは当時は元より今も相性(?)が悪いらしく上手く仕上げることが出来ない為、家畜や田畑の世話にひと段落ついた時は紙漉手前までの作業に加わることはあっても、それ以降の工程は専ら妖精達に任せきりだ。
そして出来上がる和紙は何故か表面がありえないくらい滑らかだったりする。
原材料が厳密な意味では異なるのに加え、妖精達が何かしら魔法的な処理をしているのだろうが、突っ込んでも意味がないのでカナンは何も言わず放置している。
この手の摩訶不思議は数え上げればきりがないのだ。
訊かなければ不都合があるのならともかく、快適にしてもらっているだけの身としては感謝こそすれ、あれこれ問い質して煩わせたくない。
筆記具は風鈴職人が考案し後に改良された、全てがガラスだけで出来ているガラスペンを使用している。
これまた作製は[ホーム]の山岳地帯に住む妖精任せだが、構造が職人の技術に因り、材料が揃え易いのが理由だ。少なくともシャープペンシルや万年筆を作るよりは現実的だろう([ホーム]は元より<あちら>側の精霊や妖精も、地球の伝説のように金属を忌避したり触れられないということはない。金属もまた精霊の宿る自然物である。人の手によって加工された物は別の意味で精霊が離れていくが、やはり触れられないことはない。妖精には鍛冶を好んで行う者もいる)。
ゲームプレイ時代にリアルの職人がゲーム内で作製したものを1つだけ入手しており、それを見せて予備用に再現してもらったところ思いの外気に入ったらしく、今では実用的なものから工芸品並みの精緻な意匠のものまで気ままに生み出している。
おおよそ作ることには拘泥しても出来上がったものには執着しないらしく、完成するそばからカナンや妖精仲間に譲ってしまっている。
人間と違って売買する習慣はなく、貰った側は思い思いに礼をするだけだ。
装訂は和装本の形にしている。ただのカナンの趣味だ。
インクは奈良墨の製法を参考にした墨もどきを使用している。
やはりもどきなのはもはやどうしようもない。
墨の製造は確固たるノウハウのない素人では製造は不可能と言い切られた経験もカナンにはあり、ネットでかき集めただけだった情報を参考に菜種油、膠、香料(これらもすべてもどき)は[ホーム]で採取・加工が出来たが塩化石灰や防腐剤などはすっぱり諦めて魔法の効果で補った。
煤の粒子をより細かく統一したり、出来上がった墨もどきの経年乾燥も魔法で短縮。
(本職の皆さんすみません。でも何処までいってももどきなので……)
思わず内心で頭を下げてしまうカナン。
それでも試行錯誤は数年を要した。惜しみなく協力してくれた妖精達には感謝しきりである。
* * *
何の気なしに棚を眺めながらのんびりと歩みを進めていたアウレリウスは、その一角でふと足を止めてじっと見入った。
紐綴じされただけで帙はあっても外装のない薄い本が並ぶ中で、その棚に立て掛けられている数冊だけが異様な装幀だった。
徐に一冊を取り出し、手首を返しながら外観を矯めつ眇めつ眺める。
パールホワイトの分厚い表紙と背表紙には見たこともない文字が複数の書体で色鮮やかに記されており、見慣れない装飾がその文字を綾取っている。
掌で本の背を支えてぺらぺらと頁をめくってみれば、極薄ながら柔さのないしっかりとした質の紙は強固な糊によって固定され、限界まで開き切っても外れることがない。その紙面もまた、多彩な文字や図形、模様、挿し絵でびっしりと埋め尽くされており、内容が分からなくとも見ているだけで中々に愉しませてくれる。
この一角の本だけが、カナンが故郷から持ち込んだものであることは早々の〔解析〕で知れていた。ただ、その解析も念の為で、本自体の自己主張の強さが[ホーム]そのものに似て、カナンや[ホーム]の住人達とは別の存在の "手" を窺わせ、そうなのだろうな、との予測は〔解析〕の前に立っていた。
「―――アウルさん」
入り口付近から掛けられた声はカナンのもので、隠す気も必要もない気配を感知済みだったアウレリウスは即座に本を棚に戻して踵を返した。
興味をそそられる本ではあったが、他の和装本との違いから、これを再現する技術はカナン、或いは[ホーム]の住人達にはないのだろう、とアウレリウスは当たりをつけ、もてなしの用意が出来たと呼びに来たカナンにあれこれ追求することはしなかった。
早急に詳細を知りたいと渇望する程の興味はなく、またの機会でいい。
既にアウレリウスの関心の大半は酒と肴に移行していた。
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04 落とし穴




