100 粗忽
地球で呪いの宝石といえばホープダイヤというものがある。ただの偶然と捏造によって、その効果が誇張されて語り継がれている代物だ。
魔法の存在するこの世界でも、ホープダイヤのように呪いは見せ掛けで、持ち主の不運は偶然の産物だったり人が陰で行っていたりする偽物はある。しかし、同時に本物の呪詛が付与された宝石もある。
前者は魔術師に調べさせれば容易く見破られてしまう為、呪物として長く語り継がれることは殆どなく、また魔法的な実害がないので石そのものを放置しても全く問題はない。偽の呪いが原因であると見せ掛けた辜負族の問題行動にしても、石がなければないで別の嘘原因を作って行われるだけで石のあるなしは重要ではなく、やはり躍起になって偽物の処理に奔走する理由にはならない。
対して後者はその存在を認知された後、速やかに解呪の魔法を使える魔術師の手によって処理出来ればいいが、そうそう都合良くいくものではなく、無害化を免れて人の間を転々とし続けている物がそれなりにある。
深淵の戦利品に呪詛物の多い円環列島であれば、呪詛祓いを得意とする魔術師も力量はぴんきりながらそれなりの人数が常駐している。しかし他所では数が少なく、更に人族は呪詛を解ける(かもしれない)魔術師が確実にいると分かっていてもクェジトルに頼ることをよしとせず、手を拱いている間に遺失してしまうケースが少なからずある(遺失といっても大抵は不届き者の手で持ち去られているだけだ)。
質の悪い商売人になると、呪詛はそのままで処理したと嘘をついて売り、客がそのことに気付く前に行方を眩ます。呪詛を受けるか未然に察するか、未処理であることに気付いた客が呪詛祓いの出来る魔術師を捜すと、客の動向を監視していた商売人と結託している術師が近付き、弱みがあれば法外な処理料金をふっかける。
呪詛物は多くの国で公的機関への申告が義務付けられていたり、義務はなくとも公に知られれば没収され、国の研究機関に収められてしまう。その為、客に買った物に対する執着があれば詐欺を訴え出ることも出来ず、売る側、呪詛を祓う側もそれを見越して足元を見る。
欲をかいたクェジトルのように、事前の処理費を惜しみ、買い手の事情や能力を調べもせずに呪詛物を売ろうとして逆に安く買い叩かれる場合もあるが。
* * +
(あ、また……)
カナンの〔千里眼〕は、またしても素足の片方を抱えて飛び跳ねている涙目の魔術師を映し出した。
そう、またしても。
これで何回目だろうか。まともに数えてはいないが、ほんの一時間の間に数回は同一の挙動をしている。
尖塔の上部だけを切り取ったような円筒形をした石造りのその家は、町の郊外の森のそばにちんまりと建てられていた。
二階建てで、下階には大きな扉があるだけで窓はなく、上階は対面で大きな十字格子の、珍しいガラスを張った観音開きの窓が二つあり、換気の為か一つは全開になっている。カナンはその窓越しに、森の外縁にある木の枝上から魔術師の様子を窺っていた。
室内は死角になる部分もある筈なのだが、位置が良いのか偶然か、〔千里眼〕を使っていない時も不思議と魔術師はカナンの視界内で悶絶していることが多かった(いや、故意に過剰表現しただけで気絶はしていないが。"悶絶" の意味を調べると "悶え苦しんで気絶する" とあるにもかかわらず、気絶しない前提での使用が故郷で目についた文章に多かったのは何故なのか。上記の使用理由と似たようなものなのか、今更訊ける相手もおらず、カナンにとっては永遠に解決されない疑問だ)。
あの魔術師が元よりそそっかしい性格をしているのかどうかは分からない。ただ、飛び跳ねることになっている原因は一応特定していた。
魔術師の左手人差し指に嵌められている銀製の幅広で平打ちの指輪、その地金表面に直接埋め込まれているスクエアカットの淡緑色の石が問題だった。葛粉を溶かしたような白みのある淡い緑色に、濃緑の亀裂じみた模様が幾つも内に走るその宝石には呪詛が掛けられているのだ。しかもその呪詛は持ち主が柱の角で足の小指を強打するという愉快(不謹慎)なものだった。
「………………」
家の中でも靴履きで、素足になることの少ないこの世界の人族が足の指、それも小指限定で打ちつける機会は中々ないのではないだろうか―――カナンは首を捻る。いや、その稀少な機会に頻繁に遭遇させるからこそ呪詛なのか。
靴先が破れていたり、そもそも履く靴がなく素足でいる貧しい者の手にでも渡れば、強打の程度次第で深刻な事態になるやもしれないが、幸運(?)によってであれ犯罪行為によってであれ、彼らが入手しても、非合法による売却や司法・他階層者・無法者などによる没収で手放さずに所持し続けられるとは思えず、呪詛対象に想定されているとは考えにくい。
流石にわざわざ承知の上で靴を脱いで石の床を歩き回っているマゾ――研究熱心な目の前の魔術師のような人間は想定外だろう、と思い掛けたカナンは、逆にああした性癖の持ち主をピンポイントに狙った可能性もありなのか?と考えて眉間に皺を寄せた。
この呪物を作った魔術師は何を思ってあのような滑稽な呪詛を付与したのか。
物事に絶対はない。殊更に奇矯な人間相手でなくとも、他者の思考を想像で隙なく把握することなど不可能だ。主観で完結させて良い状況は限られている。
眼前の魔術師の愉快(失敬)な振る舞いに焦燥感を煽られることもなくのんびり構えていたカナンも、この辺りで不可解を解消するべきかと、もう少し掘り下げた情報収集を行うことにした。製作者の魔術師の事情に関心はないが、その意図に看過し難い不穏があっても困る。
結果。
〔解析〕と精霊から得た指輪の来歴には、思ったよりも深刻な理由が含まれていた。
貴族の暴虐で娘の両足を砕かれた小心の魔術師が、真っ向から刃向かう気概はなくとも報復はしたいと、貴族の装飾品に片っ端から呪詛を掛けたのだ。
但し、当初は持ち主の足を不随化するつもりだったのが、魔術師の能力が足りずに足指を繰り返し強打する粗忽者化に留まった。しかも標的の貴族が痛打する前、使用人の犠牲で早々に呪詛の存在は察知され、一つ残らず解呪をされてしまい、"犯人はこいつ以外いないだろう" というまともに調査もされない決め付けで当の魔術師は捕縛され処刑された。
現存している呪物は、何らかの理由で解呪を免れた貴族の持ち物ではなく、魔法の試し掛けをした魔術師の私物だった。
審美眼のない商人から魔術師が二束三文で汎用素材として購入した、本来それなりに値の張る良質な代物で、貴族に没収される前に売り払った魔術師の親族も見る目がなく、価値の分かる商人に買い叩かれていた。
その後は先に例として挙げた "質の悪い商人" と、迂闊な客との間を転々として現在に至る。なまじ効果が中途半端で、放置はしがたいが深刻になる程のものでもない為に、商人の思惑と客の妥協によって呪詛は生かされてきたらしい。
(…………)
極めて悲劇的なのだが、どうにも要所要所で不謹慎を誘う内容である。
(…………また打った)
カナンが何とも言えない表情で眺める先では、魔術師が盛大な打撃音が聞こえてきそうな勢いで壁の一部になっている柱の角に足を激突させていた。何も知らなければどうしてそうなる、と問いたくなる自然でありながら不自然な挙動で柱に向かって突進したのだ。
そうして足指を押さえて蹲った魔術師は、とうとう微動だにしなくなった。
それから暫く後、呪詛の効果を実地で検証していたらしき魔術師も、いい加減、連続する打撲痛には耐えかねたのか、漸く指輪を外して立ち上がった。窓際にある雑然と物の散らかっている机の上の、小山を形成している本の上に指輪を置き、深々と溜息をついてよろめきながら部屋を出ていく。その背後で、置かれた位置が悪かった指輪は、安定を失ってころりと本と本の谷間へ落ち込んだ。
その直後である。
窓辺に一羽のカラスに似た鳥、コルスラピが飛来した。
(あー……)
ありきたり過ぎるフラグにカナンは呆れた目を向けた。
この世界の烏も、光り物を殊更に好んで遊び道具にしたり巣へ持ち帰ったりする(地球の烏は興味を示す一方、恐がりもするらしいが、この世界の烏は興味を持つか警戒をするかで、後者は恐がるのとは微妙に違う)。
もはやこの先の展開は一択だろう。
ひょい、ひょい、と跳ねるように室内へ入り込んだ烏は、早速机上に置きっぱなしにされている食べかけの焼き菓子に目をつけた。躊躇わず近寄っていって嘴でつつき回す。少しだけ口に含んだようだが、持ち去る気はないのか、一頻り弄り倒して砕けた菓子の粉を敷き紙や周囲の実験器具らしき物の上に撒き散らすと、無造作に積み上げられた本の陰から一部が覗いていた例の指輪に視線を移した。
今度は直ぐには行動を起こさず、愛らしい仕種で左右に何度も首を傾げてから、漸くそろそろと慎重な足取りで近付いていった。
指輪の端に嘴を引っ掛けた烏は、まず狭い本と本の隙間から多少なりと空きのあるスペースへ引っ張り出した。
一端口から離して机上に転がす。嵌め込まれている宝石が気になるのか、或いは外そうというのか、指輪の対側を足で押さえながら頻りに嘴で穿つように石の縁を突く。しかし強固な接合までされている石はびくともせず、早々に諦めをつけたらしい烏は、嘴の下部に輪を通す形で指輪を銜え、まず窓の下枠に跳ね乗ってから翼を羽ばたかせて飛び立った。
実に意外性のない展開に、カナンは即時行動はせず、最初は烏の後ろ姿を何とも気のない顔で見遣った。
試し掛けの段階での呪詛の仕様は、人族や小指への特化もされていなければ、本命以外に対する除外処理もされていなかったので、当然ながら烏にも影響が出る。しかし、最初から条件付けされていた、足指を打ち付ける先が "柱" という限定的な設定はどう作用するのか。野にある樹木も柱と認識されるのだろうか。
―――放置して結果を見たい誘惑が全くなかったわけではないが、優先する程の執着もなく、カナンは烏の姿が視界から完全に消える前には、いつも通りの対処をした。
呪詛の仕様変更。効果対象は魔術師の復讐に準拠して人族限定で。
指輪自体を奪うなり消滅させるなりしなかったのは、件の烏が野生種ではなく、別の魔術師の使い魔だったからだ。
使役者が意図的に指輪を盗ませたのか、烏の自主性に任されていたのかは調べない。どちらでもカナンには大差ない。肝要なのは、使役者が、呪詛物が持ち込まれるのを阻止するに値する存在ではないということだ。カナンにとって。
また、魔術師と烏が対等契約を交わしているのであれば、呪詛の除外対象からあの烏は外していた。いつぞやのマウルスノーヴと同じで、自主的に加担しているのであれば扱いは魔術師同等だ。しかし、烏は隷従契約を強いられているようだったので、指輪を魔術師の元へ齎した後も自身の解放欲求が失せていないのであれば禁域へ助力を求められるよう、契約に組み込まれている制限を緩めておいた。使い魔契約は行動そのものの制約に伴い、具体的な命令を受けていない時の行動範囲も制限されている。禁域に何事かを仕掛ける目的でもない限り、魔術師は使い魔を禁域には近付けない。
指輪の仕様変更はともかく、自身に起きた変化に烏が気付くかどうかまでは関知しないことにした。自由になろうとする気概があり、その隙を窺い続ける根気があるのなら、いずれ気がつくだろう。隙は魔術師の動向だけでなく、自身に掛けられている魔法にも期待する筈。他者からの干渉がなくとも、何かの拍子に魔法の効力が弱まることはある。
(動物の場合は魔法に精通していなくても、本能でその辺りを察するみたいだし、機は逃さないんじゃないかな……)
二階の部屋に戻ってきた魔術師が机上に置いた筈の指輪がなくなり、慌てふためいて探す様を目の端に捉えながら、カナンは両手を上げて軽く伸びをした。
終始、緊張感を抱けなかった一連の成り行きを思い返して小さく吐息をつく。
いつもの事といえばいつもの事。
ただ、魔道具(呪うしか能がなくとも比較対象として便宜上)を作り出した魔術師に対する悪態は、流石にいつもとは違い出てこなかった。
* * *
深思の山の麓に広がる、鬱蒼たる森の端。
繁茂する下草に紛れる形で転がされていた銀製の指輪を、男は苦笑いと共に拾い上げた。
覚えのある魔力を帯びた呪物の存在に、何故そんな物がこんなところにと来てみれば、早速、精霊達が姦しく囀り、聞かされた事の顛末に笑うしかなかった。
まあ、どちらでもいいか―――
男の口元に笑いの余韻が残るうち、その手の中の指輪はふっと消失した。
転送先は尖がり屋根の家の主か、それとも。
この場に指輪の行方を気に掛ける者はいない。
森に息づく誰にとってもどうでもいいこと―――。
覚書
検証中の魔術師 ディヒカミリマ・パフウルラ
呪物製作者の魔術師 セズラダル・ミンアーガッド
コルスラピ トッヴェーボーガ
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