1 時は過ぎて
造語、当て字、常用外漢字、表外読み、当て字ルビなどを意識的に多用しているので非常に読みにくいです。
(〔転送〕〔浄化〕)
身支度を整えたカナンの全身を、手元から立ち上った粒子の細かい煌めきが一瞬ふわりと覆い、直ぐに消滅した。
<あちら>側へ出かける時はいつも直前に、こうして体にまとわりついているかもしれない諸々を落とす為に魔法を使う。
諸々というのは花粉とか種とか小さな虫とかだ。
[ホーム]内に存在する生き物はすべて地球産であり、うっかり<あちら>へ持ち込んで、生態系に影響でも出ようものなら流石に居た堪れない。
厳密には地球に実在する、或は伝説上の生物をモデルにゲーム会社がアレンジして製作したプログラムに過ぎなかったものが、どうしたわけか実体化した存在で純粋な地球産とも言い難いのだが、運営もまさか創作物が命を得て、外来生物と同じ立場に置かれるなど思ってもみなかっただろうから、生息地以外に移された場合の自制プログラムなど組み込んでいる筈もない。故に所謂、特定外来生物化する可能性を想定して未然に対処しておくに越したことはない。
軽くはたいた程度では不安なので生物は〔転送〕で家の外へ出し、ついでに殺菌もしておく。
[ホーム]では有益な菌でも<あちら>ではどうなるか予想もつかない。念の為だ。
逆に<あちら>から[ホーム]へ戻ってくる時も、<あちら>のものはなるべく持ち込まないようにしている。
ただ、全部が全部そうしてしまうと折角の素材や食材を有効活用出来ず、勿体ない。そこで精霊達に影響がないか選別してもらい、問題がないものだけを持ち込んでいる。
[ホーム]にいる精霊達は<あちら>側の精霊とは別種族らしいが、動物によくある縄張り争いといった敵対する要素はないらしく、双方自由気ままに行き来している。
物の影響に関しては、どちら側のものを行き来させるにしても双方の精霊がその場に揃っていなければ判断がつかないらしい。
その為、[ホーム]に<あちら>側の精霊が滞在している時は識別を依頼し、問題がなければ浄化や転送などせずそのまま出かけることもあるが、今回は生憎不在だったのでカナンは念を入れた。
(〔転移〕)
そう内心で呟くと同時に周囲の様子が一変する。
家に設けた転移用の、物の何も置かれていない殺風景な窓のない部屋から、鬱蒼とした、昼間といえど天より差し込む光の僅かな深い森の奥へと。
そこは『思惟の森』と呼ばれる禁域の一つ。
禁域と称されていても手出しを許されないのは辜負族(この世界の人型の種族)だけで、動物も植物も、自然界のあらゆる存在はその内へ踏み込むことを許されている。
カナンはその辜負族に含まれない。意思持つ森によって定められた "隣人" だからだ。
"隣人" は現在カナンの他にもう一人、魔族でいるらしいがカナンは会ったことがない。
居場所が固定されていないらしく、わざわざ捜してまで会いたいと思うほどの関心もなく、その存在を知っているのも精霊を通して森に教えられたからに過ぎない。
因みに魔族は辜負族―― "人" に含まれる。辜負族は人族、魔族、獣人族、妖鬼族の総称で、妖精は含まれない。
この世界の妖精は接触可能な体を持ち、魔力の微少な辜負族でも視認することが出来る、というだけの違いしかない精霊なのだ。
エルフやドワーフに相当する種族は妖鬼族に含まれ、エルフが精霊との親和性が高いということはない。
―――許されないといっても、禁じられるほどに犯したくなるのが人の性。
始末の悪いことに禁域は、手出しを許されておらずとも辜負族がその内へ侵入することだけは可能なのだ。
まるで人の欲を誘うように、欲に負ける者を待ち構えているかのように、何も知らずに近寄った餌を飲みこむ食虫植物のように―――いや、知りながら敢えて来る、その愚かしさが好物であるかのように。
森は人を拒絶しない。ただ、禁忌を犯した愉快な者を、その懐深くで罰するのだ、喜々として。
* * * * * *
理由など分からない。今更知りたいとも思わない。
この世界へトリップして何十年経ったか。
ぼっち? 引き籠り? それの何が悪い。
コミュニケーションの相手には事欠かない。
[ホーム]のそこかしこにいる精霊、妖精、家族とも言うべき契約者の霊獣(結婚も契約である事実を都合良く忘れ、契約で成り立っている関係を家族(笑)、と嘲笑う者もいるが、きっかけは重要ではない。法的に、遺伝的に家族で括られていようと、視点を変えればそう呼ぶのを憚られるほど破綻している関係など幾らでもある。家族かそうでないかは構成する者達の意識次第だ)。
皆高い知能、優れた知性を持つ者達である。
彼らほどではなくとも精神的な癒しと食生活を豊かにしてくれる家畜の魔獣もいる。
何故、交流相手が人である必要があるのか。
そもそもこの世界の人族とカナンは同じ種族なのか。
地球内においてさえ人種の違いだけで互いを同族(人間)扱いしないことなど日常茶飯事だ。
同じ日本人同士でさえ珍しくもない。
果たして異世界人のカナンを、この世界の人間は同じ人間と認識するだろうか。
* * *
ヴァーチャル・リアリティ・ゲームにログインしている最中だったのが幸いしたのか不運だったのか、十年近く掛けて充実させた[ホーム]ごとトリップし、カナンは暫くの間、現地人達に一切関わることなく自給自足の暮らしをすることが出来た(この世界はゲームにそっくりな世界ではなく、中世風――いや、フィクションなどでよく見かけるヨーロッパの過去いずれかの時代の様相が複数混在していること以外は似ても似つかない別世界だ)。
この世界の人間社会に依存しなければ生きていけない、というのであればそのような我儘を言ってはいられなかっただろうが、有り難くもカナンは[ホーム]で衣食住のすべてが満たされた。
この世界において、地球でいう仙境、隠れ里、妖精郷のような "異界" に位置付ける[ホーム]は、家といっても家屋と庭と小さな畑があるぐらいなリアルの庶民住居というわけではなく、山河もあれば森林もあり、果てのない大海まである、食材・素材集めに必要な自然は大体取り揃えてある、いわば一つの小世界を形成している。
カナンが時間を掛けて数々のイベントやクエストをこなし、その報酬で得たエリア拡張オプションで増設し続けた結果だ(ゲーム内では浮島の形状をとっていたが、今は特定範囲からループしていて境界へ辿りつけない為に[ホーム]の "外" が窺えず、かつても浮いているがゆえの振動もなかったので、浮いているのか地に固定されているのかの判断はつかない)。
<あちら>へ採取に出かけるのも、ここでは得られない珍しいものを求めてのことで――そもそも地球産と完全に同一の物など存在しない――実質[ホーム]から一歩も外界へ出なくともなんら困らないのだ。
* * *
カナンのアバターの外見は、個人情報保護の問題から当然、現実のカナンとは全くの別物だった。
ゲーム内での見かけに欠片も関心のなかったカナンは、サンプルとして用意されていた物の一番最初に提示されたアバターを、カスタマイズもせずに即決した。
それは、万国旗、中央、平均、と特徴付けされた女型のアバターで、現実世界で言うなら、顔は国籍不明で彫りは深過ぎず浅過ぎず、肌は白くも褐色でも黄色でもないフィクション特有の "肌色"(中央はこれを差し、北を選ぶとより薄い、南を選ぶとより濃い色に変化)、瞳と髪は薄茶で、造作そのものは端整の部類に入るだろう(端整だからこそ平均とも言える)。
体型も平均値で、身長は高過ぎず低過ぎず、体格は細過ぎず太過ぎず、凹凸もあり過ぎずなさ過ぎず、七・五頭身。標準的な健康体型。
自分を偽れるゲームで、わざわざ際立って特徴的な外見でプレイしたがる者は比較的少数派に入るのではないだろうか。誰しも紛い物でも美男美女になりたいに違いない――という運営のいらんお世話、いやプレイヤーの手間を省く為の配慮で、サンプルは冒頭から暫く、顔だけは "良い男" "良い女" のアバターが延々と続く仕様だった。
逆にいうと、ゲーム内は案の定、美男美女で溢れ返っており、外見で悪目立ちしない為には最適解でもあった。
人と接する機会のない現在では、以前にもましてカナンは己の外見に無頓着になった。
――だからといってだらしのない、不衛生な格好で日がな一日過ごしているわけではなく、たとえ咎める相手がいなくとも最低限の身だしなみは毎日整えているカナンである。
そこは亡き両親の躾の賜物だろう。
* * *
そうして引き籠っている内に、カナンは人間ですらなくなってしまった。
アバターといえど種族は人間だったのだが、トリップした弊害に気付いた時には既に手遅れだった。
[ホーム]の精霊達は元々条件はほぼ揃っていたと言う。ただ一つ足りなかったものが、こちらへ来て満たされてしまったのだと。
そうなると更に<あちら>の人間との交流などどうでもよくなり、益々カナンは引き籠り生活に耽溺した。やがて禁域の深謀遠慮が彼女を振り回すようになるまで。
――――それでも私は地球人だ。
覚書
トランスジェニック・ヒューマン
強化人間程度の意味での造語。揶揄名称。
トリップする少し前にゲームに加えられた上位種族。
以下、簡単な時系列順です。随時追加します。
並列表記のサブタイトルは同じ時期というだけで、細かい時系列を決めていないものです。
サブタイトルの番号は更新順で、時系列とは関係ありません。
加筆や設定の変更で順番が変わる場合もあります。
番号のないものはシリーズ一覧内にある派生話です。
47 過ぎし日 ※中盤の過去部分
↓ (以降省略)
45 そんなつもりじゃなかった ※過去部分
05 過去
83 真贋 ※過去部分
72 過剰防衛 ※過去部分
75 呪詛による破滅も運命と言うのであれば確かに赤い糸は運命なのだろう ※過去部分
86 甲斐 ※過去部分
97 吟遊詩人 ※過去部分
101 いつかは終わる ※過去部分
104 温度差 ※過去部分
105 心残り ※過去部分
04 落とし穴
01 時は過ぎて / 02 神はいない / 11 コレクション / 13 酒に泳ぐ/霊獣の味覚 / 16 椿 / 24 お礼は欠かさず / 26 生活音? / 46 適度な距離
29 恩讐は廻る ※過去部分
33 後始末 ※過去部分
どうでもいい
14 ゴム
17 二度目もない ※過去部分
09 王にあらず
90 厄介払い
子々孫々
68 再会
33 後始末 ※カナンの部分
67 代わりはいない
20 復讐は憐れではない
31 虚構と真実
15 幸せな思考回路
03 禁域
06 手遅れの見極めは意外と簡単である / 08 運の悪さは呪っても切りがない / 09 王にあらず ※ラスト / 11 コレクション ※ラスト / 19 吸血鬼?
52 予定は未定
61 味わい深い
44 ファンシー / 50 刷り込み / 57 カテゴライズ / 58 破滅願望 / 87 名残
69 深く考えてはいけない(ことはないが考えても大した答えはない)
30 物語は始まらない
23 潜思の海
晩餐
54 美女から生まれた
23 潜思の海 ※ラスト
66 パイを投げつけられる確率
27 残虐性との両立
21 彼我の差
42 荒唐無稽(今更)
12 諸悪の根源はどちらか
22 過去の“人”
41 無駄なもの
43 終わった後まで
49 早さと正しさに因果関係はない
74 話が違う
35 罪の所在
07 気まぐれの代償
17 二度目もない
32 自虐
10 人魚姫もシンデレラもお断り
それはそれ、これはこれ
83 真贋
37 置き土産
60 隣の芝生は青い
40 茶会
18 精霊王
38 混ぜるな危険
71 匣の中身
28 儚い縁
53 見果てぬ夢 ※過去部分
25 因縁
33 後始末
48 適材適所 / 81 身の程
29 怨讐は廻る
53 見果てぬ夢
唯一
64 価値観
63 こんな日もある
何が何でも
39 過不足なく、が大事
36 姫なのか求婚者なのか ※前半
73 子守
34 齟齬
36 姫なのか求婚者なのか ※後半
79 グラッセ
55 無邪気 / 91 知っていることと知らないこと
59 ラブ・アフェア
51 すべて偶然
76 いつも通り
62 ストーキング
56 疲弊
45 そんなつもりじゃなかった
何かの間違い
47 過ぎし日
65 一人のものは全員のもの
70 遺されるものは様々
72 過剰防衛
75 呪詛による破滅も運命と言うのであれば確かに赤い糸は運命なのだろう
78 プラシーボ
77 不可解
80 繰り返し
99 余計なお世話
82 盤上遊戯
84 使い魔
85 裸の王様
86 甲斐
後悔
89 選択の自由
88 侵蝕
95 あるがままに
92 苗床
93 無限(かもしれない)攻防
94 禁忌破り
血気
98 対価と代償
96 幸も不幸も
97 吟遊詩人
103 不慮
102 降られて困るものもある
100 粗忽
101 いつかは終わる
104 温度差
奪還(ラスト前まで)
105 心残り
↓
以降は時系列は前後せず更新通りになるので省略します。
「義務と権利は表裏関係にはなく、義務を果たさない状況では権利が制限される場合もあるというだけ」
というのは21世紀の日本の法での(世界規模でどの程度なのかは調べてない)ことで、この話では主人公達の生きていた数世紀先、舞台である異世界の人間以外の存在にとって、基本は表裏関係にある、という設定です。