第一話
「――なんだよ、この点数!」
高校二年生にしては身長に残念なモノがある癖に、胸だけはたわわに実らせやがった幼馴染である三村有希に、俺こと中川和幸は声を大にして怒鳴りつけた。一見すると女子中学生どころか女子小学生にしか見えない童顔で小柄な有希を、三白眼の男子高校生が怒鳴りつけるなんてシチュエーション、どっかの団体が見たら非難囂々だろう。フェミニズム? ジャイアニズムなら知ってるけど、ナニソレ、喰えんの?
「へふ! そ、そんなに怒らないでよ、かずちゃん~」
「怒るわ! 『二点』ってなんだ、『二点』って! むしろ零点取るより難しいぞ、コレ! 狙って取ってるんだったらすげーよ!」
「だ、だって!」
「だってじゃない! 見て見ろ、このテスト! なんで全問題の解答欄が『ミトコンドリア』で埋まるんだよ! 説明しろ!」
「か、かずちゃんが、『この問題は絶対出るぞ』って言ってたから……でも、ミトコンドリアは覚えてたけど、どんな問題か忘れちゃって……」
「だからと言って、○×問題の解答欄にまでミトコンドリアって書くバカがいるか! むしろよくこの狭いスペースに書き込めたな! そっちの方がすげーよ!」
「え、えへへ……そんなに褒められても……」
「盛大に勘違いすんな! 褒めて無いから! なんでそこで照れた様な笑いをするんだよ! ……まあ、生物は良い。お前、文系コースだもんな」
「そ、そうだよ! 私、文系だから――」
「じゃあせめて地理は何とかしようぜ! 『吹田~下関を結ぶ、中国地方のほぼ中央部を東西に貫く高速道路』の名前! ……つうか、高校のテストでこんな問題がある事にもびっくりだけど、まあそれはいい!」
「え? それ、間違ってた? 自信、あったんだけど……」
「正誤の確認くらいはしろよ! ああ、間違ってたよ! 間違ってたさ! 何だよ! 中国自『転』車道って! 中国自『動』車道だろ!」
「あ…………」
きょとん、後、照れ笑い。心持胸を張り、有希は言葉を発した。
「惜しいね!」
「惜しくないわ! アレキサンダー大王をアレキサンダー大魔王って書くぐらいの大間違いだ! なんだ、ボケましょうのコーナーか? だとしても零点だよ、こんなの! お前、見たことあんのか! 高速道路を自転車が走ってる姿を!」
「えー……でも、ホラ、良くテレビでは自転車に乗った人が沢山走ってるじゃん!」
「それは中華人民共和国の話だろ! ここの中国の意味とは違う!」
「………………え?」
「頼むからそこで意外そうな顔をするな! 一体お前は幾つだよ!」
「忘れたの? かずちゃんと同い年だよ~」
「知ってるよ! だから俺は絶賛好評中で頭を抱えてるんだよ! この場合の中国ってのは、広島、岡山、山口、島根、鳥取の五県だ!」
「むう……なんで、中国って言うのかな? 紛らわしい」
『ぷんすか』と擬音が付きそうな怒り方をする有希に頭を抱えて見せる。高校生で『中国地方と中華人民共和国は紛らわしい!』なんていう奴、見た事あるか? 俺は無い――なかったぞ、うん。
「……言っとくけど、『中華人民共和国』より中国地方の方が歴史は古いからな?」
「カズ、その辺で辞めとけよ」
不意に、後ろからかかる声に振り返る。
「勇人」
「相変わらずヒートアップしてるな、カズ。どうした?」
「どうしたもこうしたも……見ろよ、この点数」
隣で、『へふ! か、かずちゃん! や、やめてよ~』なんて有希が言ってやがるが、お構いなし。右肩に燦然と輝く『2』のテスト用紙を、勇人に見せてやる。
「これは……」
「な?」
「う、うーん……流石に凄いな、コレ。つうか、カズ? 今回は教えて無いのか?」
「教えたよ! テスト前の一週間、毎日三時間ずつ家庭教師をしましたよ! にも関わらずこんなふざけた点数取って来やがるから、俺は頭を抱えてるんだよ!」
わざわざテスト前に付きっきりで教えたんだぞ! その結果が『ミトコンドリア』って……俺が怒るのも分かるだろう?
「ゆ、勇人君~。返してよ~」
「あ、わりぃわりぃ……でもな、有希。その……もうちょっと真面目に勉強した方が良いぞ? 折角、学年首席のカズが教えてくれてるんだ。もう少し力を入れてだな……」
「ま、真面目にはしてるよ! 私、一生懸命頑張っているもん!」
「……」
「……」
「……あ、ああ。そうだったな。有希は何時だって真面目は真面目だもんな」
そう言って、困った顔をこちらに向ける勇人。何だよ?
「……どうしよう。フォローの言葉も、注意する言葉も思いつかない」
「知るか。有希は救いようの無いアホだって話だろ?」
「へふ! ひ、酷いよ、かずちゃ~ん」
「酷いのはお前の点数だ! 全く……」
呆れながら溜息をついて見せる。全く、コイツだけは……まあ、これ以上言っても仕方ないから、もう言わないけどな。
「そ、それよりホレ! そろそろ部活だろう? 早く行こうぜ!」
どうやらこの空気に居た堪れなくなったのだろう、勇人がそう言って急かす。まあ、これ以上有希に文句を言っても二点のテストが九十二点になる訳では無い。なら、少しは建設的な活動と行きましょうか。
「そうだな。ほら、有希。帰り支度をしろ。置いて行くぞ」
「あ! ま、待ってよ~」
机の横にかけてある鞄を手に取った有希が小走りに俺達に近づいてくるのを待ちながら、三人で学校の……私立天英館高校の渡り廊下を歩いた。
◆◇◆◇◆
私立天英館高校。
俺と勇人、それに有希が通う私立のミッション系中高一貫校だ。全国的に有名な部活なんてモノは無いし、さりとて県下でも有数の進学校という訳でも無い。良くも悪くも『普通』の高校だ。
「……そう言えば勇人、テストどうだったんだ?」
「ん? ああ、普通だ、普通。百番ぐらい」
「またかよ。お前はもうちょっと真面目にやれ。折角頭良いのに……」
基本的にこの勇人という男、頭が良い。所謂『勉強のできる』タイプの頭の良さでは無いが、何と言うか……そう、『頭の回転が速い』タイプ。正直、もっと真面目に勉強に取り組めばいいのに、と思う。
「そんなに好きな訳じゃないからな、勉強が」
「基本、誰だってそうだ」
「お前は違うだろう、学年首席。趣味、勉強じゃ無いか? 」
そうやって、ニヤッと笑って見せる勇人。
「……それこそ面倒くさいからだ」
テスト前になると、『昨日全然勉強してないの~』とか『ヤバい、終わった~』だとかの台詞があちらこちらから聞こえてくる。ご多分に漏れず俺も、『いや、勉強してないぜ』とか言っていたのだが……
「『そんな事言って、どうせ勉強してるんだろう?』とか言われ続けると、若干ムッともする」
学年首席、ってのも、勉強せずになってる訳じゃないので勉強しているのは間違っちゃいない。間違っちゃいないが俺は毎日の予習復習は欠かさないから、テスト前日に特別に勉強はしていないのだ、マジで。が、どうも俺の言葉は嘘臭く聞こえるらしく、中々受け入れて貰えない。最初こそ、『いやマジでしてないって!』と言い張ってたんだが、段々面倒くさくなって来たので今では『趣味は勉強だから』と言っておく事にしている。この方が下手に突っ込みを受けなくて済むので、楽っちゃ楽だからな。変な目で見られるけど。
「まあ、ソレが学年首席の辛い所だな、カズ」
俺の肩をにこやかに叩きながら、目当ての場所であるソコの扉を開けて。
「……ふむふむ……なるほど」
……黙って扉を閉じました。
「「「……え?」」」
三人で顔を見合わせて、きょとん。慌てて部室に飾ってあるプレートに目を通して……うん、間違えない。此処は俺達三人の所属する『文芸部室』だ。
「……と言う事は……部長!」
「……つまり、この場合コールの買いを選択した方が儲かる、と……そう言う訳だな!」
扉を開けてその部屋に足を踏み入れると、そこではショートカットのメガネの女生徒が一人、パソコンの画面を喰い入る様に見つめていた。何やら机の上には『東大生が教えるデイトレード』や『十万円から始める投資信託』や『必携! チャート早読み術!』なんて本が並んでいる。
……断っておくが、ここは文芸部だ。
「……何してるんですが、部長!」
「おお、和樹!」
「『おお、和樹!』じゃないです! 何してるんですが!」
「見て分からないか?」
「分からないから聞いてるんです!」
「デイトレードだ」
「……は?」
「だから、デイトレードをしてるんだよ。知らないのか、デイトレード」
「知ってますよ! そうじゃなくて! 何でデイトレードなんてしてるんですか!」
「ふふふ。聞きたいか?」
「いや、別段聞きたくありません。唯、早く片付けてくれればそれでいいです!」
「そうか! ならば教えてやろう!」
「人の話を聞け!」
「和樹、アベノミクスを知っているか?」
「ああ、なるほど、俺の話は聞かないんですね?」
「経済成長の柱の一つとして、『二パーセントのインフレを目指す』と言っている。つまりこれは、物価が二パーセント上がると言う事だ!」
「それがどうしたんですか!」
「お前も、お年玉やら入学祝なんかを定期預金という形で銀行に預けているだろう?」
「預けてますけど……」
「今の銀行金利というのは、二パーセントなんて雲の上ぐらいに安い。殆ど詐欺の様なものだ。物価の上昇率が年二パーセント、単純計算すれば今、百万で買えるものが十年後には百二十万になっているという事だ!」
……何を小難しい話をしているんだこの人は。
「対して百万円預けて十年後、今の金利のままならいくらになっていると思う? 二十万もついていると思うか? 断言しよう、ついてない!」
「……はあ」
「いいか? 簡単に言えば、銀行預金に預けていると金利分では物価の上昇率が補えないという事だ。つまり、百万だと思ってるお前の預金は十年後、実質百万の価値は無いという事だ! 要因はこれだけではなく、外国為替相場の影響や金・地金などの商品、それに小豆相場などの先物商品市場を総合的に勘案すると――」
「部長、ストップ」
「なんだ? 良い所なのに」
「もう少し噛み砕いてお願いします」
「株やら外貨やらをやって儲けたい」
「……」
「ヒルズにオフィスを構えるぐらいに」
思わず頭を抱える。全く、この人は……
この人の名前は北川優子。天英館の三年生で、文芸部部長。『綺麗』なタイプではないが、黙って立っていればまあ、美少女に入る部類。成績も悪くない。
何より特筆すべきは、その多趣味さ。その趣味の広さは殆ど冗談みたいで、アニメ、ゲーム、漫画、宗教、芸能人、政治、経済……と、まあ数え上げればきりが無く、何を始めてもあっというまにある一定のレベルに到達する、一種の『天才肌』。どれか一つに絞って打ち込めば物凄い境地に辿りつけそうなのに、壊滅的に『飽き』っぽく、一つの事を継続して続けていく事はまず不可能という性質の悪い性格をしていらっしゃる。『北川優子が、中高併せて六年も文芸部に在籍している』というタダの事実が、天英館七不思議の一つに数えられているぐらいには有名な話。
……恐らく株も刹那的に初めて、刹那的に辞めていくのだろう。
「って言うかですね! 何で、学校でデイトレードなんてやってるんですか!」
「可愛い後輩の為に、分かりやすい資産運用講座を開いてやろうと思ったのだ」
「大きなお世話ですよ!」
そんな一か八かの大勝負は嫌いなんですよ。俺は堅実に預金で増やしますから!
「ふん! この情報弱者め!」
「酷い罵倒だ! え? 何で? 堅実に増やすと言っただけで情弱呼ばわり?」
「今の預金金利は詐欺同然に安いと言っただろう? にも関わらず預金で増やすとは……嘆かわしい! ああ、嘆かわしい!」
「で、でも! 株とかって、一日で何百万と値下がりするんでしょ? そんなギャンブルみたいなモノに、手を出す訳には……」
「どうせ、テレビで言われてる『株は素人が手を出すモノでは無い』なんて言葉にビビらされてるんだろう? 十年後、私が株で大金を稼いだ暁にはお前にこの言葉を送ってやる! 耳の穴をかっぽじって良く聞け!」
「……なんです?」
「ざまぁ。超ざまぁ」
「アンタは最低の先輩だ! つうか、十年後にその言葉は絶対流行って無いですよ!」
アホか、この先輩は!