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新人社員は血眼になりながらも何とか資料を作成してコピー機に向かっていた。すっかり千鳥足になってフラフラと歩いている姿はゾンビそのものだ。それもそのはず、本来ならば残業覚悟の仕事を死にもの狂いで時間に間に合わせたのだから。
「ぐうう、疲れたあ!」
社員は缶ジュースを開けて、ゴクゴクと飲み始めた。この男にはジュースすら飲む暇がなかったので、狂ったようにコーラを喉に叩きつけている。喉がカラカラになって仕事の終わりに飲むジュースは格別だろう。もしもこれがビールならばきっと天にも昇る気持ちだったろうが、今は生憎ジュースしかない。
「お疲れ様だな」
旺伝も労いの言葉をかける。
「いやあ……さすがに残業無しはキツイっすよ」
社員は額に汗をかいて、ハアハアと肩で息をしていた。今は8月なので会社内はクーラーがつけられているが、それでも汗をかいてしまう程の集中力を全身から放出していたようだ。
「そうだな。残業があり過ぎるのもキツイが全くないのもキツイ」
「本当ですよ。ヤッパリ仕事はほどほどがいいですね」
カードを押して退勤しているので、今は自由だ。この男はすっかり仕事の顔からリアルの顔になりテンションが上がっている。さっきまでニコリともしなかったのに、今では歯茎を剥き出しにして笑い飛ばしている。それほど、開放感が凄まじいということなのだろう。
「人は理想を求める生き物だから、理想とのギャップを感じると、つい愚痴をこぼしてしまう。愚痴ってはストレス解消になるが同時に雰囲気を悪くしてしまうよな」
「本当ですね。分かります」
社員も同意しているようだ。思わず、愚痴をこぼしてしまう会社システムに不平不満を持っている。
「あんたのおかげで、会社員も大変だと再認識する事が出来た」
「毎日同じことの繰り返しですから、旺伝さんにとっては退屈かも」
「そいつは嫌だな。同じことの繰り返しだなんて」
旺伝は同じことを繰り返すのを苦手としている。家で仕事をする内職という職業をすればきっと発狂して口から破壊光線を発射するだろう。意味不明だが、それぐらいストレスを感じるのだ。
「仕事はそんなモンすよ。それで金が貰えるんだから儲けもんですし」
「せっかくだから好きな事を仕事にしたいと思わなかったのか?」
問うた。
「僕に好きな事はありません。無趣味ですから」
「無趣味だと!?」
「ええ。ここでいう趣味とは履歴書に書ける趣味の事ですが」
「履歴書に書ける趣味とは何だ?」
疑問を感じたので、素直に聞いた。
「珍しい趣味です。読書やゲームなどのありきたりな趣味を書くのは御法度ですから」
そう、面接官は珍しい人間を好む傾向があるので、間違っても趣味欄に読書を書くのは駄目だと言われている。なんでもいいから面接官に「おっ!」と言わせる趣味を持つ事が大事だ。
「例えばどんな趣味だ?」
「私がオススメするのは山登りです。山登りは疲労感があるので、それを趣味としている人間は少なくとも体力がそれなりにあるとアピールポイントにもなりますから」
「山登りか……あまりいい思い出はないな」
今日の早朝から山を登り降りしたので、すっかり疲れている旺伝だ。
「私は山登りなんて1回もした事ありませんが、山登りが趣味といいましたし」
「ちょい待て。それは嘘じゃないか」
「面接に嘘本当は関係ありませんから。もし後から嘘が発覚しても笑って誤魔化せばいいのです」
それが、この男の哲学のようだ。
「それはナンセンスだろう」
就職には全く興味のない旺伝だったが、それでも嘘をつくのは嫌いなので、ナンセンスだと言い放った。
「ナンセンスであろうと、就職出来ればいいのです」
手段を択ばない。そういう性格のようだ。
「だが、俺は違う。事の優劣はセンスの問題で決める」
ナンセンスな事は絶対にしない。それが旺伝のポリシーだ。
「やっぱり人によるんですね。考え方は」
と、ここで缶ジュースを飲み終えた社員は立ち上がってコピーした資料を手に取った。




