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級帝曇叡神殿に到着した旺伝とハリティーは束の間の休憩を楽しんでいた。疲労困憊の状態にありがらも楽しいと思える理由の1つとして考えられるのは、達成感だ。旺伝達が住んでいる碩大区の中で最も雲に近いのが級帝曇叡神殿だ。いつ終わるかも分からない階段を登りきって頂上に辿り着いた達成感はゲームの比じゃない。ゲーム中毒者が社会問題になっているのは手軽に達成感を味わえるからだ。ということはすなわち、達成感を得られるコンテンツを作ればユーザー数が爆発的に増える訳だ。達成感を感じるには人それぞれの性格も違ってくるだろうが、唯一万国共通の達成感を感じる瞬間がある。それは勿論、夢を叶えた時だ。子供の時から目指していた夢を叶えた瞬間、人は心臓をバクバクと動かして鼓動を高める。これまでに幾度となく血反吐の努力と貴重な時間を費やしてきたのだ。叶うかどうかも分からない不透明な夢に対して。その夢に向かって歩みを進めてこれたのも自分だけのおかげじゃない。人は一人じゃ生きられない。自分を評価してくれる者が周りにいるからこそ成長が可能なのだ。ある意味では、自分以外の人間は全て師匠なのだ。有名な作家が残した名言である。ここで話しは脱線するが、名言は地位によって決まる。そこらの鼻水垂らした高校生が立派な事を言っても相手にされない。名言は何を言ったのじゃなく誰が言ったのかが重要なのだ。世間的にも認められていないニートが「俺を支えているのは地球上の全員だ」とか言い出したら誰だってムカつく。旺伝自身もそうだ。どうでもいいニワカ名言を押し付けられて迷惑するのは此方なのだ。大して努力もしていないニートや社会不適合者には出来る限り当たり障りのない言葉を使って欲しいと旺伝は節に願っている。これは自分自身にも当てはまっていた。旺伝も去年まではニートに等しい存在だった。フリーのエクソシストには違いなかったが、依頼内容は弁護士に猫の捜査を依頼されるレベルだ。もはや雑用に等しい仕事しか回ってこなかった。というのも、今の日本ではエクソシストは信用されていない。これ以上は歴史の解説になってしまうので過去に踏み込もうとは思えない。未来だけを信じて歩こうとする旺伝に昔語りなど似合わないのだ。一言で表現するならば一族の恥だ。玖雅家は代々のエクソシスト一家であり、恢飢や悪魔が跋扈する時代になってからは一族全員がその道を辿っている。しかし、一人だけ神聖なるエクソシストとは程遠い罪を犯した……と、なるべく過去を振り返らないようにしていたのを忘れそうになった。いかんいかん。旺伝は首を横に振って一歩前に足を踏み込んだ。人間に生まれた以上は一秒だって無駄には出来ない。無駄な一秒が積み重なって面白くもない休日を過ごしてしまっては休日の意味をなさない。御立派な社会人の中にも勘違いされている方も大勢いるが、休日は会社から与えられているのだ。つまり休日とは仕事と一緒である。自分が出来る範囲内でのコンディションを整えて次の出社に備える必要が出てくる。なのに、休日は楽しいと思い込んでゲームばかりで徹夜をするのは実にもったいないし、社会的に自慢は出来ない。その事実を念頭に置かないと、いつまでたっても前には進めない。年末になって一年を振り返り「何も足跡を残せなかった」と嘆くのでは後の祭りだ。なんでもいいから夢を抱いて、その夢を達成するための努力に身を捧げる必要が出てくる。そうじゃないと年末に後悔するのは自分だ。旺伝はそう言い聞かせて自分の宿命と真っ向から向き合っていていた。旺伝の宿命とは散々これまでに述べてきたが、敢えて言うならば内なる悪魔との決別だ。悪魔の呪いが全身に廻って人間の形を保てなくなるまでおよそ1年。もはや一刻の猶予も残されていない。
「この先に俺達が会いたがっている人物がいるのか」
「はやく行こうよ!」
思い悩んでいる旺伝を後目に、ハリティーは笑顔を振りまいている。やはり異性の笑顔には癒しの効果があるようだ。それがたとえ幼女であろうと。