218
どんな事にせよ、ひとつだけハッキリとした点がある。それは結末だ。無限にも思えてくる階段を登り続けてようやく終わりが見えたと確信した頃、やはり終わりが見えた。ハッキリ言って階段を登る事に関しては素人同然の旺伝と付添人が、汗水流して登り終えて充実感に満ち溢れているのは誰の目から見ても明らかだ。この地に住んでいるのは足若丸魔法学校創設者の十文字左衛太朗だ。彼ぐらいの実力者ならば悪魔の呪いについて知っている事も一つや二つあるだろう。そう思いながら後ろを振り返って登ってきた階段数を数えると、恐怖心を跳ね除けて積極的な行動力を手に入れた甲斐がある。ここまで疲労感を重ねて級帝曇叡神殿に足を運ぶまで、度重なる挫折を経験していた。足が棒になるという典型的なババア症候群を初めて体験して、これ以上は登れないと多々感じた。やはりこれは自由時間を約束された代償だろう。ある程度の暇を持て余す人間に未来など訪れない。家に帰っても勉強に追われて自由な時間なんて捻出出来ないと豪語するぐらいの拘束感が人間には必要なのだと改めて感じさせられた。ラストら種の元で奴隷に近い待遇を受けていた際は、睡眠不足と疲労感で目を血走らせながらも、何故か怒りは芽生えなかった。怒りと似たような感情を抱いても、誰かを心から憎むような真似はしなかった。それは何故か。怒る暇すら無かったからだ。怒っている暇があれば手を動かしてキーボードを打たないと仕事が終わらないのだ。これだけ多忙を極めれば人間は不思議とストレスを感じない。ストレスを感じる余裕すら与えられない拘束感こそ玖雅旺伝には何よりも必要だったのだ。自由な時間を求めてフリーターを目指していた自分を殴りたい。そう思える程の圧倒的な違いだ。どれだけ疲労感が溜まっていようとしったこっちゃない。自分もしくは会社が定めた最終目標に向かって突き進むしかないのだ。たとえそれが間違った方法だとしても精神が安定していれば問題はない。なんにせよ、前に進むのが大事だと会社員時代から教わった気がして溜まらない。疲れていても仕事上では関係ないのだ。身体が動く限りは某睡眠欲撃退剤を飲んでまで仕事をこなしていく必要がある。これは勿論余談ではあるが、人間は求めようと意識するほど、それが離れていく傾向がある。睡眠など典型的な例だ。寝ようとすれば返って目が覚めてしまい、いつまでたっても眠れない。ところが、仕事中に何としてでも期限にまで終わらせなければいけない重要な書類があったとしよう。その書類を完成させようと目まぐるしい作業に追われている中、猛烈な睡魔に襲われるのは日常茶飯事だ。それは美意識の高い人間だろうとまともに洗顔さえしない人間だろうと同じだ。ぽかぽか陽気の午後に温かい社内でひたすらキーボードを打っていれば、眠くなるに決まっている。昨日はあれだけ眠れなかったのに、仕事中に睡魔が襲ってくるのだから勘弁してほしいのだが、こいつから逃げるのは至難の業だ。必然的に効率が落ちて動きも鈍くなる。普段の自分とはかけ離れたスケジュールを余儀なくされて頭がパンク寸前に陥る。こうなってしまうと後はどう乗り切るかが重要となってくるだろう。ある者は自分の顔を往復ビンタしてもらったり、またある者は扇風機のように首を回転させて意識が朦朧とする中でも仕事をこなそうとする。当たり前だが会社の中で居眠りなど考えられない。高校時代や大学時代は此方が金を払っているので居眠りが許されるケースも多分にあったが、会社員となると話しは別だ。金を払っているのは向こうだ。決して仕事中の居眠りは許されない。何かしらのミスが原因で上司に怒られたとしても、居眠りが原因で怒鳴り散らされるより遥かにマシだ。仕事中に睡魔に襲われた際は、そう考えるべきだろう。