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人間は誰しもが孤独を抱えている。これだけは誰にも否定できない決定事項であり旺伝も孤独と闘っていた。例の銀行強盗事件が悪魔と関わっていたとしても完全には安心出来ないので孤独感が消える事は今の所は無さそうだ。それよりも精神的に不安定な状況を作る事によって異常をきたしている自分に情けなさと不甲斐なさを感じていた。自分が早くも衰えているのかどうか分からないが、最近は呼吸のやり方が分からなくなっている。呼吸が不自由なのはすなわち息の吸い方が悪いのと同じなので、そういう時は早寝早起きをしてグースカイビキをかいて寝るのが一番なのだが、仕事の関係上睡眠時間が極端に短くなっている。旺伝はロングスリーパーにあたるので毎日9時間以上寝ないと幸福感を感じない体質を持っていた。それ故に、今の平均3時間睡眠は肉体的にも精神的にも苦痛で言葉を発するのも面倒だと感じるようになっていた。そもそも息が上手く吸えないので呂律が回らずに上手く言いたい事が伝えられない。特に声を出している時に息が吸えなくて、いつも『舌が前に出てしまう』。これは恐らく、息が吸えない事で口呼吸をしようと体が勝手に反応し、それが原因で舌が勝手に前に出るのだろう。それがたまらなく辛くて日々の絶望感を助長する引き金となっていた。しかしだからと言って言葉が出ない訳ではないので、喋る必要がある。特に社会人は如何にして他人とコミュニケーションを図るかが重要となってくると学んだので、喋らないで黙々と仕事を続ける訳にはいかなったのだ。
それに精神的苦痛が続いていると、どうしても人としての醜い欲望が表面状に現れてしまう。食堂のメニューでも白御飯がカピカピになっていればムッとし、コップの水を飲んでいく内に残量が減っていく瞬間を見ていると発狂しそうになる。それだけ自分に余裕が無くて今という状況を愉しめなくなっていた。これに良く似た症状で自律神経失調症があるが、明らかに旺伝は心の中に悪魔の血脈を抱いている事が精神を蝕んでいる理由だった。早く悪魔を雇い主の元に送り飛ばして、自由を得ない限りは毎日のように自分に自信の無い日が続いてしまう。それだけは何とか阻止しないといけないので、日々の鍛練を忘れない旺伝だった。そしてこれも当たり前だが、毎日同じ事を自発的すると張りのある生活を過ごせる。無論、これは趣味であってはならない。多少の苦痛を含み、それでいて自分を高めるための作業が必要だ。旺伝の場合は読書である。彼は昔から活字を読むのが苦手だったのにで、今でも本を読むには苦痛を伴う。しかし本を読んでいると日々のストレスが頭の中から抜けていく感覚があるので、どんなに忙しくて丑三つ時が周った時でも読書はしている。だから睡眠時間が極端に短くなって寝不足になっているのだが、もともと寝不足な生活を強いられているので、この際、睡眠時間が4時間から3時間に減っても大して変わらないのだ。毎日、テーマ性の高い小説なりエッセイなりを読んで自分を高める行為は人としてかなり大切だ。旺伝にとって、本を読むのが趣味に成りえないのがまた高ポイントでもあった。多少めんどくさいと思えるから、本を読破した時の充実感と満足感は読書を趣味としている人の比ではないのだ。
それに読書は就職するための趣味には為りえないと旺伝は散々叩き込まれた。なので、旺伝は外に出て皆とワイワイとはしゃぐ趣味を持ちたいと密かに考えていた。昔は人と一緒に行動するのを苦手としていたが、社会人を体験すると自分はどれだけ一人ぼっちなのか手に取るように分かるので、人肌が無性に恋しくなるのだ。恐らく、会社の役員もそれを分かっているからこそ、外に出て他人と関わる趣味を持っている若者を羨ましいと思っているのだろう。会社の役員は長い社会人生活で発狂寸前の孤独感を感じているから、もう読書には興味さえ抱けないのだ。




