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結局、旺伝は睡魔に負けて眠ってしまった。それも聖人が作った手製の丸太小屋に入らずに外で寝てしまったのだ。イノシシやクマが普通に出没する山の中で寝るというのはあまりにも自殺行為だが、それぐらい眠気が全身を支配していたという証拠にもなる。もしも彼が眠たくなければこんな真似はしなかっただろう。実際、眠気とは判断力さえも変えてしまう程の力を持っているのだ。まったく恐ろしい。
そして旺伝が目覚めた時にはもう朝の5時を過ぎていた。早く帰らないと出社の時間になってしまうので眠たい目を擦りながらも、なんとか体を起き上がらせて丸太の上に座った。珍しくダニーボーイがいなくて監視は一切されていない。そんな状況なら普通はハッチャけながら伸び伸びしようと考えるものだが、あまりの眠たさに丸太の上に座ってボーっとする程度の事しか出来なかった。それでも社会という名の鎖に縛られている旺伝にとっては精一杯の抵抗だった。彼は元々、自由をこよなく愛する性格の持ち主であると同時に逆境であればある程、燃えるという性質を持っている。だから丸太に座ってボーっとするという行為だけでも十分意味のある行為なのだ。人から見れば疲れて丸太に座っているという当たり前の行為に見えるかもしれないが、旺伝にとってはまるで違って意味のある行為だ。少しの間でも監視の目から外れた状態で丸太に座るというのは社会への抵抗感が示されている。寝起きで思うように体が動かないからこそ、丸太に座るというのが精一杯になっているのだ。それでいて最近の会社での疲れがピークとして体に残っているので丸太に座るという程度の行為にしかなりえなかった。本来ならば出社するための準備をする時間帯なのだが、その時間帯に丸太の上に座ってボーっとするというのが旺伝なりの抵抗だった。そのあまりにも地味な抵抗は他者から見ればきっと普通の行為にしか見えないだろう。だが旺伝にとっては会社を真っ向から否定する命がけの行為なのだ。
そんなこんなでボーっとしていると、視界にダニーボーイと弟の聖人が入ってきた。二人共背中に謎の物体を抱えていた。旺伝は目が悪いのと寝起きで頭が回らない事もあって何を背負っているのか理解できずにいたが、近づくにつれてそれが何か理解していく。そう、彼らが背負っているのは獰猛なイノシシだ。しかし既に息の根はお目られているようで背中の中で大人しくなっている。
「玖雅旺伝。君は起きるのが少々遅すぎないか? おかげで君の弟と一緒に狩りを満喫する時間に恵まれてしまったではないか」
そう言いながら、二人は背中に背負っているイノシシを地面に置いていた。まるで地響きが起きそうなぐらいの大きさと重量はあるように思える。
「それはどういたしまして」
旺伝は社会への抵抗をしている最中だったので、考え方が少し卑屈になっていた。おかげで皮肉を皮肉で返すという負のスパイラルが生み出されていた。朝から不快な思いをしていては昼や夜の仕事に悪影響が出るのは当たり前の事である。いつもと違って仕事に不安を覚えるのは朝起きてから出社するまでの時間の質が悪いためである。会社で何かあったから、仕事の効率が悪くなるというのはほとんど有りえないと言っても良い。仕事の効率が悪くなるのは会社に行くための準備が十分じゃなかったり、休憩中にスマホを触って集中力を失くしたりするからだ。
「君の弟と相談した結果、朝食はイノシシ鍋に決まった」
朝、あまり飯を食べない旺伝にとっては由々しき事態である。朝から癖のあるイノシシ肉を食べるだけではなく、文面だけでも胃もたれしそうになる鍋を食べるというのだから旺伝も困り果てた。さすがに朝食抜きという最悪の結果よりはマシかもしれないが、それでも朝から鍋というのはあまりにも酷過ぎる。
「ちょい待てよ。朝っぱらから鍋を食うなんて何かの冗談か」
「私が冗談を言うタイプに見えるのか?」
黒いサングラスを光らせて、ダニーボーイはそう言っていた。確かに彼は冗談など言うタイプでは無く、むしろ総合的に考えてベストな答えを口に出すようなタイプだ。決して本心で物事を語らず、今出来るだけの最善策を考えているのだろう。まさしく秘書にぴったりのタイプだ。旺伝とはちがって。
「どう考えても、見えないな」
まさしくその通りである。ダニーボーイが気の利いた冗談を言おうものなら天地がひっくり返る程の大騒動に発展するだろう。それぐらいの緊急事態であるし、有りえない事である。
「つまりそういう事だ。という訳で私は君の弟と一緒に鍋を作るから、朝起きたばあkりで戦力にならない君は丸太の上で寝転がっているといい」
そう言いながら、ダニーボーイはスーツの上からエプロンを装着して料理の準備に入っていた。どうやらダニーボーイという男は料理も出来るらしい。まったく羨ましい才能である。
「そうかい。ならお言葉に甘えて休ませてもらうよ」
旺伝はそう言うと丸太の上で再びボーっとし始めた。それぐらい眠気と疲労感が溜まってどうにでもなりそうだったからだ。もう動くのも嫌だし、眠りにつくのすら面倒だ。叶うなら、一日中この丸太の上で暇を持て余したかった。




