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なんやかんやありながらも徳山から発作を抑える精神安定剤を渡された旺伝は会社に帰ってラストラッシュに報告していた。報告と言ってもそこまでたいそうな事では無く、世間話程度だ。いかに社長と秘書という間柄であっても世間話は大切である。もはや世間話が人間関係を作ると言っても過言では無い。それぐらい、人は会話する事で信用を勝ち取るものだ。何もこれは芸人のような話術を身に付けろという訳ではなく、普通に談笑を交わす程度の技術で構わない。なんせ言葉を発するのはタダで出来る。しかも言葉を発する事で上司から信頼される可能性もあるのだから話さないと損である。旺伝は貧乏であるが故にお金がかからずに時間の潰せるコンテンツとして会話を堪能するのだった。
「徳山に会って薬を貰ってきた」
「ほう。あの有名な徳山先生ですか……それはご苦労様でした」
どうやらラストラッシュも徳山の噂は知っているらしい。どんな病気も治せると自負していて、実際に医者としての腕はピカイチだ。しかし、彼の病院に辿り着くまでには相応の覚悟がいるのでボディーガードを雇える程度の金持ちか、旺伝のようにそれなりの実力を持った人間ではないと近づく事すら困難だろう。徳山の住んでいる場所は碩大区の中でもっとも危険だと言われるエリアだ。そこはもはや無法地帯と化していて、マフィアの抗争や暴力団と警察の衝突など日常茶飯事だ。死体が転がっていても何ら不思議ではなく、そこに住んでいる者にとっては「犬の糞が落ちてる」程度しか思わないだろう。それぐらいの危険を犯して徳山の病院を目指そうと考える者は少ない。ところが、金は有り余っているが寿命は残り少ないという金持ち連中はこぞって彼の病院を訪れるのだ。そして彼らから大量の報酬を受け取った徳山はかなりの金を持っているだろうが、いっこうに引っ越しどころか改装すらしない。
「お前も知ってるのか。徳山さんの事?」
「勿論ですよ。徳山さんは性格こそアレですが、名医ですからね。それに科学者としての一面もお持ちのようですから、我が社にスカウトした事もあります」
そうだと言うのだ。徳山という天才を取り込んで更に会社を発展させようとしたのだと。しかし、徳山があの廃病院で今も仕事を続けているという事はどうやらヘッドハンティングも失敗に終わったようだ。
「どうやら現状的に考えると失敗したらしいな」
「ええ。あの方は誰の下にも就くつもりは無いと言ってました。それ相応のお金を用意させて頂いたのに、残念です」
ラストラッシュは今も尚悔やんでいるようで本気で落ち込みをみせていた。やはりラストラッシュという男は優秀な人材をどうやって獲得するかの重点を置いている。だからこそ、彼は有望な相手なら例えニートだろうがフリーターだろうが中卒だろうが自分の支配下に置きたがる。だが、普通に採用する時は有名大学の新卒しか募集していないのが謎である。旺伝のような中卒を採用するぐらいなのだから、ハッキリと学歴不問と書けばいいのにだ。
「徳山さんは典型的な一匹狼のタイプだ。群れるの嫌いなんだろうよ」
「成程。あの方は環境に拘るタイプなのですね」
仕事場の環境はとても大切なのはもはや言うまでもない事だ。環境になれろと人は言うが、明らかに自分とは合っていない環境は存在する。例えば昨日までバリバリのサラリーマンだった男が急に明日から「コンビニのレジに立って」と言われても環境が違い過ぎて恐らく吐き気をもよおすだろう。恐らく徳山はそれぐらい環境の変化を嫌ったのだろう。
「誰だって正社員にはなりたくないさ。本当はな」
しかし、男だろうが女だろうが最終的には正社員にならないといけないという考えが今の日本には根強く残っている。それでは夢を目指してフリーターとして生きている人々があまりにも差別的に視られて可哀想である。
「そうでしょうね。人はお金さえ持っていれば働かなくとも生活できますから」
「そういうお前は金持ちのくせに何で仕事してるんだ? 朝早く起きて、丑三つ時に寝る生活は肉体的にも精神的にも辛いだろう?」
「いいえ。人は楽しいと感じている時はストレスを感じないのですよ」
そう。仕事が楽しいからこそ続けているというのだ。
「羨ましいな。俺なんて正社員って肩書だけで吐きそうになってるのに」
プレッシャーとサービス残業という意味でだ。




