因果は巡る
ばんははろ、EKAWARIです。
この作品はあらすじのほうでも書きましたが、漫画無料講座「8ページ漫画を描こう」のほうで実際に僕が描いた8ページ漫画をベースとした8ページ漫画「因果は巡る」の再構成小説バージョンとなっております。
本体である漫画のほうは巻末で挿絵機能のほうを使って載せていますので、良かったら小説版と漫画版の違いとか楽しんで頂けましたら幸いに存じます。……ホラーとしては小説より漫画のほうが成功している気がしなくもない。
―――――お兄ちゃん、お腹空いた。
ねえ、食べるものないの?
―――――ないよ。もう、何も。
―――――……ゴミのような町でゴミのように生きてきた。
「キャアアー!」
誰もいない闇の中、若い女の悲鳴が上がる。
その声を無視して、男は女の腕を掴み、路地裏へと引きずり込む。
「イヤッ、やめて! 離してッ」
救いなどあろうはずがない。
この町は人に無関心で、例え隣で誰が殺されようと犯されようと、我が身に降りかからない限り人々は関心など持たないのだ。
だから、悪いのは女を襲う男ではなく、このような時刻に歩いていた女のほうだ。強姦や死さえ自己責任でしかない。そんな、屑のような町だった。
(嗚呼、まさに俺に相応しい)
そんなことを笑みの裏で思い浮かべながら、女の口を塞いで男は彼女の中を自身の雄で貫いた。震える体に悲鳴、恐怖で引き攣った顔、全ては暴力じみた性欲と食欲のスパイスにしかなり得ない。
そうして一通り行為が終わった後、男は女を縊り殺し、其の肉を喰らった。
ピチャピチャと路地裏で人の生き血を啜る音が響く。
けれど、誰も咎めることはなかった。
咎められる人間はいなかった。
そんな町でもう10年以上生きている。
果たしておかしいのは己なのか、それともこの町の全ての人間か。
何人もの女を襲い殺し喰らっているのに、それを未だに追求すらすることのない、賄賂を受け取るしか脳のない警察という名の税金泥棒達なのか。
それは、どうでもよかった。
昼は日雇い労働者、夜はレイプ魔の殺人鬼であり食人鬼、それが男だった。
年齢は30代半ばだろうか、正確な年齢など覚えてはいない。本当の名前だってとうに忘れた。名前など、その場凌ぎであればいいだけだ。きっと戸籍さえ己にはありはしない。己が何者であるか、知っているのは己自身だけだ。
身長は180を超し、ガッチリとした体格に黒い使い古しのランニングシャツと黒いズボンにサンダルをひっかけた姿で、僅かに顎には無精ヒゲが浮いている、身なりが良いとはとてもいえない濁った目の男。真っ当にはとても見えない。なのに、この町では誰もそんな男を気に留めることはなかった。
今隣をこうして歩く男が、凶悪な犯罪者だというのに、誰も気付かない。
それはとても滑稽で、おかしい光景なのではないだろうかとぼんやりと男は考える。
けれどそれは自分が犯してきた行為に対する引け目や罪悪感からなんて理由ではない。
ただ、この町は狂っていると、そう改めて思ったというだけの話なのだから。
そうして、自身の住処としているオンボロアパートの階段を登り、部屋へと向かった。
「こんにちは」
ふと、その場には似付かわしくないほどの愛くるしい声が耳に届き、男は声の主のほうへと振り向いた。
「良い夜ですね」
そういってにこやかに笑いながら話しかけてきたのは、10代前半ほどの見た目をした、この町に似付かわしくないほどの可愛らしい少女だった。
長い睫に彩られた溢れんばかりの大きな瞳、ふわふわとした茶髪を大きな赤いリボンで纏め、レースたっぷりの清楚な白いシャツと後ろに大きなリボンのついたスカート、赤い靴を身につけたまるで人形のように愛くるしい少女。此処は屑のような町であると認識しているからこそ、その透明の笑みは場違いなほどに現実感がない。
その少女を男は知っていた。
まあ、所謂ご近所さんという奴である。
隣に住んでいるこの少女の名前も何故こんなボロアパートに住んでいるのかも男は一切を知らない。
ただこうやって出会う度に、いつも笑って挨拶をしてくるこの少女のことがどうしてか気に掛かって、いつか殺して喰おうと、そう思っていた。
そして今宵もまた男は狩りに出る。
深夜の路地裏で、女を追いかけ、捕まえ、ねじ伏せる。
嫌だ、やめろと叫ぶ女の股を無理矢理開かせ、首を斬り殺し、そうして中に有りっ丈の欲望をぶちまけた後、持っていた包丁で女の内蔵を抉って、まだ生暖かい其れを食らった。
美味いか、美味くないかでいえば、そう美味いわけではない。
あの頃とは違うのだ。人をわざわざ殺さずとも、既に成人を迎えている己は、日雇い労働で得た金銭で食事を買うことくらい出来る。それでもこうして女を犯して殺さずにはいられなかった。
その理由は何故なのか、男自身にもわかっていたわけではなかった。
只、そうしているときだけ、何故か安堵を覚えていた。
あの時代の事を、あの記憶の事をこうしているとよく思い出す。
彼が初めて人を殺し喰らったその相手は、実の妹だった。
既に彼女の顔もよく思い出せないけど、忘れられるわけがなかった。
『お兄ちゃん、お腹空いた』
そういって幼い妹はよく泣いた。
両親なんていない。父親なんて生き物は彼が8歳の時に酒に溺れて、真冬の川に転落して死んだ。母親だって、妹を生んですぐに死んだのだ。彼に残されていたのは幼い妹だけだった。
この妹の事を彼は可愛いと思っていた。
お兄ちゃんと、そう呼んで自分を慕ってくれたのは妹だけだったのだから。
だから、父の生前、その暴力に怯えながら過ごしていた時代も、妹を庇い続けた。自分が殴られて腕を折られても、それでも幼い妹だけは同じ目に合わせないとそれだけがなけなしのプライドだった。
そして酒が飲めないとなれば、自分だけでなく幼い妹にまで危害を加えようとする父が大嫌いだった。
だから、死んだと聞いた時最初に感じた感情は「ざまあみろ!」という気持ちだった。
けれど、父が死んで嗚呼これで解放されると思ったのはとんだ子供の勘違いだったのだ。
幼い身よりもない子供を引き取ってくれるような家なんてどこにもなかった。10歳に満たない少年を雇ってくれるようなそんなところなんてあるはずがなかった。
自分たち兄妹は世間へと着の身着のままで放り出された。
それでも妹は可愛かった。
誰にも必要とされない自分を慕って、必要としてくれたのは妹だけだったから、だから可愛かった。
けれど、その感情だけではきっと駄目だったのだ。
彼は妹に全てを捧げた。
震える妹が凍えないよう夜は共に寄り添って眠り、妹がぐずれば下手くそな子守歌を歌い、お腹が空いたと泣けば、僅かに手に入った盗品の食料を与えた。自分の分を犠牲として。
食欲は人間の三大欲求だ。そんな日々がずっと続くわけがなかった。
見る見るやせ衰えていく兄と、着ている物はみすぼらしく髪質も肌質も悪かったけれどそこそこに食べてきたことがわかる妹。そうして差が顕著になる度に、自身がやってきたことだとわかっていても、彼は思わずには思えなかった。
(どうして、俺がこんなに苦しい思いをしなければならない?)
妹のことは可愛かった。ずっと、守ってやりたいと思っていた。
けれど、自分の分を分け与えて、最低限の食事量は取れているはずなのに、それでもまだ足りないと、お腹が空いたと泣く妹のことが……酷く憎らしかった。
(嗚呼、あんなに美味そうだ)
『お兄……ちゃん?』
どんな声で妹がその言葉を発したのか、もう彼は覚えてはいない。
ただ、ひもじくて苦しくて、彼は自分を唯一慕っていてくれたただ1人の妹を殺して喰った。
その恐怖する妹の瞳も、自分の瞳から流れる一筋の涙も、その感触も、味も、以来、男はあの感覚が忘れられなかった。
* * *
「いらっしゃい」
鈴を転がすような声で、男の隣の部屋に住まう少女はそう歓迎の言葉を口にする。
「来てくれて嬉しいわ。さぁ、お茶でも召し上がって」
その言葉を耳に入れ、誘われるままに茶を啜りながら男は思う。
(まさか、向こうから誘ってくるとはな)
前から殺す機会は探っていた。とはいえ、まさか家の中に招き入れられるとは思わなかった。それが率直な感想だ。そうして殺人鬼とも知らずに隣人を部屋に招き入れた馬鹿な小娘……哀れな贄の子羊は、コロコロと愛くるしい声で歌うように男を歓迎する言葉を更に並べ立てた。
「ずっと前からお招きしたいと思ってたの」
そうして招かれた台所以外は殺風景な部屋……床にはどうしてこんな少女がもっているのだと疑問になりそうな大鍋や冷蔵庫などが並び、壁には包丁やお玉などが掛けられているを見ながら、馬鹿かこいつは? と少女の台詞を聞きながら思いつつ、同時にこの状況は好都合だとも男は思考する。
元より、いつかはこの少女も殺して喰うつもりだったのだ。そのチャンスが早くなっただけだ。
「待って、今お茶請けも出すから」
そう言って軽快な足取りで少女は席を立つ。それを見ながら男はそろそろかと思い、隠していた折りたたみ式のナイフを左手で握りしめて、少女のフワフワとした背中を見ながら、立ち上がった。
そしてその凶刃が少女を襲う―――――ッ!
そう信じていた。
次の瞬間までは。
(……え?)
ガクリと膝が崩れる。次いで体全体が、ドシャリと男の巨体は少女の部屋の床へと落ちた。
体が痙攣する。痺れて、上手く動くことが出来ない。
(なんだ、これは……!?)
どうして、自分が倒れているのかそれさえわからない。
そんな男の元にいつも通りの笑みを浮かべて、笑って戻ってきた少女はとても無邪気そうにコロコロとした鈴のような声でこんな言葉を発した。
「あは。やっとお薬効いてきた?」
一瞬、何を言われたのか男には理解出来なかった。
少女はそんな男の様子を気に留める事もなく、歌うような調子でこう言った。
「前から目を付けてたのよ。おっきくて食べがいありそうだって。ねえ? 殺人鬼さん?」
(知っていた……のか?)
誰も知らないと思っていた。この町はあまりにゴミのようで、例え隣に殺人鬼がいたとしても、誰も気に留めない。だから、誰も助けない、救わない。そう思って、いたのに。
まさか、と男は思う。
どうして、と思う。
けれど、それ以上に、この笑みは。この表情は。この貌は。
既視感。
既視感。
既視感。
……まさか。
「今夜はご馳走ね」
そうして微笑みながら少女は包丁を振り上げた。
それを最期まで見ながら男は、何故彼女のことが気になったのか、いつか殺し喰らうことを望みながら今まで先延ばしにしていたのかその理由に漸く気がついた。
(……コイツは、死んだ妹にそっくりだったんだ)
夜のボロアパートに肉を砕く音が響く。
ゴミのような町に今日も救いはない。
了
ご覧頂きありがとうございました。
尚、この少女の正体が「妹」だったのか、それとも顔が似ているだけのただの別人だったのか、その辺は読む人の解釈に委ねます。