特別編2 状況変化
波の音が聞こえてくる。1度目、2度目……3度目からはめんどくさくなって数えるのをやめた。どうせ数え続けなくても波は押し寄せ続けてくる。
「拠点が必要とは言っていたがその拠点がまさかプロだとは…」
しかし考えてみればプロほど最適な場所はなかった。まず捜索ポイントであるアキュスに近い事、プロから2~3時間も船で揺られていればアキュスに着いてしまう。次にプロの環境、プロはデミが一番最初に訪れそしてヴァンパイアの恐怖から救った町だ。そのため表には出さないがデミに対する好感は強いのだ。特に町長のチュート・アイレの存在も大きい、2年前の彼は保安官でヴァンパイア襲来時にはデミと共に奮闘した。彼はデミにとても感謝しているのだ。
「そろそろ停泊だ、一応貨物船で通ってはいるが……」
「大丈夫よ、既に町長には話を通してあるわ」
いつの間にチュートに話を付けてあるようだった、ハルを訪問する前から下準備は十分だったというわけだ。
「久しぶりだな、英雄さん」
チュートは港に待機しておりハルを見るなりそう呼んだ。ハルとしては勘弁願いたい呼び名である。
「その呼び方はやめてください」
「この間町長に就任した時にはお手紙ありがとう」
「いえ、直接お会いできずに済みません……」
「いや、大丈夫だよ……状況はわかっているつもりだからさ」
「話しているところ悪いかしら?」
会話がぎこちなくなってきたところでナナがわって入ってきた。男2人だけでは華がなかったがこれで会話に新しい流れが加わる。
「それで……私たちがアキュスに向かいたいのは知っているわね」
「あぁ……ようわからん女が直接会いに来たからな」
そのようわからん女とはもしかするとナナの母親なのかもしれない、彼女とは直接会ったことはないが得体の知れない人なのは分かっている。
「アキュスにはどう考えたって船がいる、そういうことだね」
「ハル、そしてナナ……用意はしてあるさ」
チュートが挨拶早々にハルとナナを手招きして港横の造船所に案内した。この造船所、2年前にはなかったものだ。まだ真新しいこの造船所はチュートが町長になるに当たっての公約の一つだった。
「ここの造船所で生まれる初めての船、名前はまだない……」
中型の船にはナンバーも付いていなければ目立った塗装もされてない……新品ピカピカの船だった。
「名前が無いねぇ……当然船の登録もされていない」
通常は新しい船を作ったら船を首都にその旨を届けなければならない、しかし造り途中でしかも持ち主も決まっていない船には当然登録はされていない、だいぶグレーゾーンだがこの際は仕方ないだろう。
「操縦は済まないがあんたの父親に任せてくれないか?」
「頼んでみる、休暇中だし多分大丈夫よ」
どうやらヤーンはデミ搜索のために休暇を取っていたらしい、まぁどちらにせよ島であるアキュスに行くには舵を取る人が必要になる、下手したら捕まる航海になるのにこの仕事をプロの人に任せるわけには行かない、ヤーンにも任せるわけにはいかないのだが……
ナナとハルは船に乗り進路を旧アキュスに向けていた……デミらしきものがこの近海で目撃されたからだ。ちなみに船は結局ヤーンが舵を取った、「俺は親ばかだからな」とのことである。
「ナナ、見えてきた!アキュス!」
「正しくは“旧アキュス”ね」
この世にはもうアキュスは街ではない、地図にも街ではなくあくまで地名として載っているだけだ。あのアキュスでのヴァンパイア襲来、これは要塞の異名を逆に突かれた結果だった。人間の要塞は今やヴァンパイアの要塞と化しており島であるここは人間が攻め込むことも難しいが泳げないヴァンパイアは逃げることもできない。
「なぁナナ、ヴァンパイアワームは生物に寄生しないと生きていけないって……」
「知ってる、正確にはそうかなーと思っていたことが現実になったのだけど」
いい終わる前にナナが回答した。ちょっと気になる発言もあったけれども今は別にいい。
「アキュス……どうなるんだろ?」
「ヴァンパイアだらけな上に島だから調査が進んでいないのよね……多分ヴァンパイアの数は減っていると思うけど」
ヴァンパイアワームは本来地底に住んでいたもの、地中という厳しい環境に適合したのはいいのだが逆に地上ではすこぶる弱くなりほかの生物に寄生するしか生きるすべがないのだ。
「なぁ、仲良く話しているところ悪いか?」
舵をとっていたヤーンが抜いている途中の毛のように顔を出してきた。表情は険しくあまりいい話でもなさそうだ。
「パパ、どうしたの?」
「アキュスの港だが……船が何席か停まっているようなのだが?」
ハルの目にもナナの目にもアキュスの港の様子まではよく見えなかった。目がいいのは船乗りの証拠なのだろうか?それとも視力の問題ではなく注意力の問題なのだろうか?
「アキュスには確か4席ほど座礁している船があります、それでは?」
泳げないヴァンパイアがなぜアキュスを落とすことができたのだろうか?それはヴァンパイアクイーンであるルコが指揮をとって船を動かしたからである。未だアキュスにはその時に利用された船が放置されているのだ。
「いや、港に停泊しているというより沖合に待機している感じだな……」
ヤーンが望遠鏡を取り出して本格的に様子を確認している。船の数は5つ……そのうち4つは例の難破船なので1隻がアキュスにやってきていることになる。
「アキュス用のある船なんて無いような気がするが……」
「いえ、ひとつあるわ!保安部!」
保安部の大型船、その一隻が旧アキュスにあった。ヴァンパイアの島と化したここに保安官の船が来たのは”人鬼戦争後のヴァンパイア調査”となっている。実際のところ人鬼戦争後はヴァンパイアが人里から離れるようになったので調査といわれても不思議はない。しかし調査とは名目だけで実際は“半人半鬼の捜索”である。
「クレミー司令、中間報告です。ヒトのヴァンパイアの数ですが2年前よりも半減しているものと思われます」
「人がいないのですから当然ですよ、虫や小動物のヴァンパイアは増えているのでしょう?」
「確かに虫や鳥のヴァンパイアは見られましたが少数、ヴァンパイア自体の数が減っています」
「ふむ、身構えながら上陸したというのに拍子抜けですね……」
クレミーは顔を俯けて振り返る、もう部下の報告には興味がないようだった。
「それで表向きな報告はそれでいいとして“本命”は?」
部下に顔を合わせないまま会話を再開した。こうなると部下にはクレミーの服のシワと会話している感覚である。
「半人半鬼は今のところ見つかっていません」
「そうですか、アテが外れましたね……」
首を横に振るクレミー、これで本当にすべての報告に興味がなくなった。
「もうこれ以上は無駄です、引き上げましょう」
「まだ調査を終えていない場所がありますが……」
「本命がいなければ無駄ですし“調査”は済みました……それに」
「なんでしょう?」
「さっきからあそこで浮いている船が気になります」
アキュス沖で待機をしている名も無き船、アキュスに上陸したいこの船が未だ海の上を浮いているにはわけがあった。
「困ったわね、まさかドンピシャなタイミングで保安部が来ているなんて」
ナナはこの2年で見事にボサボサになった髪を掻いていた。
「島の影に行ってやり過ごす?僕もナナも今見つかるとヤバい」
現在ハルは幽閉状態、ナナは指名手配の身だ。こんなメンバーが居た状態で保安部の船と鉢合わせすれば何があるかは目に見えている。
「ナナ!悪いが隠れる時間もなさそうだ!」
先程から保安部の様子を見ていたヤーンが眉間に皺を幾重にも寄せながら叫んでいた。
「パパ!?」
「あっちの船が動き始めた!様子から見てこっちに気づいている!」
「パパ!とにかく船を出して!」
船乗りの目は良い、それはヤーンを見ているとわかる事だ。しかしそれは向こう側にも言えることでこちらから保安部の船が見えるということは向こうからもこちらが見えるということになる。
ひゅうぅぅぅぅぅぅ……パン
保安部の船から一発の花火が響いた。波の音が騒がしい海上ではあるがこの花火はやたら響き渡る。
「停船命令か……」
「パパ、そんなの無視してよぉ」
ナナが船の上で地団駄を踏んでいる、しかしこの船上で”停船命令を無視する”という選択肢を持っていたのはナナただひとりだった。
「ナナ、停船命令の無視はヤバイから……」
「どうして!?」
「無視したら攻撃してくるぞ、それこそこちらを殺す勢いでな……」
ヤーンはナナの同意を待たずして船の速度を緩めていった。
大型船の船首には司令官らしき人が乗っていた。その風貌や態度から相当な階級だとは思われるが年齢自体は若い、多分20歳をようやく超えたところだろう。
「おやおや英雄さんが乗っておられましたか、私は保安部副司令官のクレミー・バスカスと申します」
クレミー・バスカス……ハルはその名を聞いたことがある。確か保安部総司令官のミクス・バーンに気に入られ若くして保安部の副司令まで上り詰めた人間だ。司令官としての実力はあるのだが若いという理由で気に入らない連中もいると聞く。
「その呼び方はやめてもらえますかね?」
「そしてその横にはかの戦争の戦犯ではないですか」
「失礼ね!言っておくけど私が戦争を仕掛けたわけではないわ!」
「しかし英雄さんは今キキの勤務のはず、どうしてそんな英雄さんがこんな大海原の真ん中でしかも戦犯と一緒にいるのでしょうか?」
「だから戦犯じゃないって!」
ハルが英雄と呼ぶなといってもクレミーは英雄と呼ぶしナナが戦犯と呼ぶなといっても戦犯と呼ぶ、どうやら向こう側はこちらの話を一切聞く気がないらしい。
「まぁどちらにせよハルさんは職務放棄、ナナさんは人鬼戦争重要参考人、そこにいる船乗りはその援助ということで拘束いたします」
ここは大人しく捕まるしかないのだろうか?ハルは反省文程度で済むかもしれないがナナとヤーンは最低でも禁固刑、最悪死刑だが状況から考えて後者になる可能性が高い、つまりここで捕まるわけには行かなかった。
「この状況をどうする・・・」
このまま逃げ出したとしたらそれこそやばい、向こうからの攻撃に合うだろう。現在戦えそうなのはハル一人、しかも向こう側は大型船なので保安官がたくさん載っていると思われる。成功法は危険、ここは頭脳を使わなければならない。
「そんなこと考えていられるかぁ!」
さっきから船上でドタドタバタバタ騒いでいたナナがついに我慢できなくなって行動に移し始めた。
「ちょっナナ!」
「おいナナ落ち着けって!おい!」
ナナは船から飛び降りるわけでもなかった。ただ駆け出したのは父親であるヤーンのもと、そして父親に抱きつく……わけでもなく父親の握っている舵を奪い取った。そして……
「うぉおおおおりゃあぁぁぁぁぁ!」
強引に出港した。
「ナナのバカぁぁぁぁ!」
「バカ娘ぇ!」
味方からの罵声を浴びなながらもナナは全力で船を動かしていた……というかナナ、船を操縦できたのか……
「ク、クレミー指令……追いましょう」
「放っておきなさい」
流石に驚いている様子だったクレミーだったがすぐに冷静を取り戻し冷静に指示を出した。内容的には実にそっけないものだったがクレミーは諦めていないようだった。
「クレミー指令……しかし」
「あの戦犯、以外に冷静な方でしたね……」
あれほど騒がしかった海が少しずつ静かになっていく、クレミーが落ち着いていたので周りの保安官も落ち着きを取り戻してきたのだ。上に立つ者はしっかりしていなければ部下もしっかりできない、それは上の者が若くても同じだった。
「あの先の海域は浅瀬が多いですのでこの大型船で追跡は無理ですよ。それにアキュスに半人半鬼はいませんでしたがこの辺りにはまだ無人島があります」
「半人半鬼もそこでしょうか?」
「恐らく、それに先ほどの船もそこに向かうでしょう」
クレミーの考えはナナが逃走を図った時から既に決まっていたようだった。




