第十三話 クラーケン襲来
「パパ、というわけでプロまでお願い」
ナナは港にいた父親に声をかけていた。
「アキュスか、確かにあそこはプロじゃないと入港証がもらえないけど大丈夫なのか?アキュスは入港管理厳しいぞ」
「私が行くわけじゃないし問題ないよ」
「船を出してやってもいいがプロまでだぞ。さすがにアキュスまでは無理だ」
「それでいいよ~」
「それで、そこの坊ちゃんがアキュスに行きたい奴か」
「ハルです。よろしくお願いします」
ハルは深く頭を下げた。
「ナナが世話になっているな、父親のヤーンだ」
2人は握手を交わした。それを終えるとヤーンはハルの後ろを不審そうに見る。
「で、何だあのバカでかい荷物は・・・」
ハルの後ろには人が入れそうなほど大きな木箱があった。それを聞くとナナは両手を急がしそうに振って。
「あー大丈夫大丈夫。後で見せるから」
「出航する時はともかく入港する時に困るのだが・・・」
こんな荷物保安官とかが見たら絶対に検査される。
「と、とりあえず出航しましょう、もうお昼ですし日が暮れてしまいます」
ハルもことを急いだ。
「デミ~もう出ていいよ~」
その声とともにデミの視界に光が差し込んだ。思わず手でそれをふさぐ。
「暗いのはともかく狭かったよぉ・・・寝ることもできない」
「しょうがないでしょう。こうでもしないと港を抜けられないのだから」
「それにナナのお父さんが船乗りで助かったよ。おかげで話が楽だった」
ナナに続いてハルも木箱から出てきたデミを迎えていた。
「あんたが噂のデミか。いろいろと大変だな」
舵を持ったままヤーンが声をかけてきた。
「ありがとうございまーす」
デミは波にかき消されないように大きな声で答えた。
ナナの父親はキールとプロを結ぶ船を動かす仕事をしていた。貿易品を乗せることもあれば人を乗せることもある。本来今日は休日だったのだがナナの頼みで船を出してくれた。ちなみにナナの母親は探偵らしい。デミの生まれた場所がわかったのも母親が調べてくれたからだそうだ。詳しく母親のことを聞きたかったのだが職業柄あまり口出ししてはいけないらしい。
「順調にいけば夕暮れにはプロに着くわね、それまで船旅を満喫しましょ」
ナナはそういうと船の先端に行って両手を広げていた。帆にでもなったつもりらしい。
「プロの町かぁ、なんだか懐かしいなぁ」
「そういえばデミはヴァンパイアになった後プロに行っていたんだっけ?」
先ほどまでデミが入っていた木箱に腰かけているとハルが声をかけてきた。
「行っていたというより流されたというほうが正解だね」
「じゃあプロの人たちはデミを知っているんだ」
「そうだよ、プロじゃわざわざ木箱に入る必要もないかも。あそこの保安官も知っているし」
チュートの顔が浮かんできた。彼は元気にしているだろうか。
「じゃあなんだか楽しみだね」
「うん、楽しみだよ」
久しぶりのプロにデミは早く着かないかと思っていた。プロはデミがこの姿になって初めての町。ルルが生まれた場所、ナーカが育った場所ならプロはまさに第3の故郷だ。
ドカッ!グラァ・・・
出航してからしばらくたって突然船が揺れだした。いつの間にか眠ってしまっていたデミの意識が急激に戻る。
「これはアレだな、クジラか何かにぶつかったみたいだ」
ヤーンが操舵席で頭をかいていた。
「パパ、大丈夫なの?」
「ああ、問題ない・・・おおっと」
問題あったようだ。再び船が音を立てて揺れ始める。
「おかしいな・・・浅瀬はこの辺りにないはずだしクジラにしてはしつこすぎる・・・」
「少し様子を見てきます」
ハルが船の側面に行ったとき、犯人が顔を出した。いや顔じゃない。
ザパァ・・・
「な、何あれ・・・」
デミは口をあんぐりさせていた。
「見ての通りタコの足じゃない」
「大きすぎるでしょ!」
水面から出したのはタコの足、通常より明らかに大きいタコの足だった。こいつが今船の周りにまとわりついているのだ。
こおおぉぉぉ
「あ、暴れだした!」
ハルが船にしがみつく、正直立っていられない。一通り暴れるとタコの足は再び海に潜っていった。しかしタコは船にまとわりついたままだ。
「今の様子、少しおかしかったね・・・」
ナナだけ冷静だった。
「ど、どゆこと?」
デミが聞き返すとナナは手を顎にあててふむふむ言い出した。まるで探偵みたいだ。
「あの様子を見るとあのタコ、日光を嫌がっていた」
「それってまさか・・・」
「あれはヴァンパイアだ」
ナナは確信持って宣言した。
「ヴァンパイアって水に弱いんでしょ!?」
ハルがすこし冷静さを失っていた。デミはもちろんナナだってヴァンパイアが水中にいるなんて聞いたことがない。
「本来はね。ヴァンパイアワームが水中で呼吸できないのも実験で確認している」
「じゃあ何故タコがヴァンパイア化してしかも巨大化してるんだよ!しかも昼間に!」
「ヴァンパイアは光じゃなく熱に弱いわ、水中では熱量も少ないし昼間でも活動できるのでしょう」
「私はヴァンパイアになって光が前より眩しく感じるけど・・・」
デミが疑問を投げかける。
「光があるところすなわち熱のあるところだからね。本能的に避けているのでしょ」
「なあ、推論はいいからあいつらを何とかしてくれねえかな。ナナは専門家、それにギルドのメンバーがいるなら初めての相手でも追っ払うことくらいはできるだろう」
ヤーンはデミ達が話している間も必死で舵を取っていたようだ。
「そうだったそうだった。パパ、船は大丈夫?」
「しばらくは大丈夫だがタコの重さで定員オーバーだ。早めに何とかしないと最悪沈むぞ」
「幸いにもタコはこの船を日よけに使っているみたいだし刺激しない限りおとなしいはず」
「船はしばらく持つし焦らなくても大丈夫と?」
ハルの問いかけにナナはうなずいた。
「問題は太陽剣が海の中だと機能しないことね、熱が奪われちゃう」
「私が噛みつけばタコが破裂するはず」
デミは口を大きく開けて噛みつく真似をした。
「確かにヴァンパイアがヴァンパイアに噛みつくと相手のワームが急激に増えて体が耐えきれなくなって破裂する。だけどタコは船底にいるわ、デミもヴァンパイアなら水中での活動は危険だよ」
「でも私しか攻撃手段が・・・」
「そこのロープを使え!」
ヤーンが船尾の方向を指した。そこには丈夫そうなロープがある。
「デミ、大丈夫?」
ハルが心配そうに見ていたが「やるしかないでしょう」と答えておいた。
「いい?ヴァンパイアは人とは違う、15秒たったら引き上げるから」
「短すぎない?」
デミは体にロープを巻きつけながら答えた。
「ヴァンパイアは自分自身とそしてワームの為に通常より酸素を多く摂取しなければならない。つまり息切れしやすいのよ。ヴァンパイアは水に浮かないし水中にいられる時間は限られるから」
「まあともかくタコの早食いをすればいいのね」
デミは元気よく答えた。ハルが横で「食べ物じゃないから」と小声で言っていた気がするが気にしない。
「刺激を与えてしまうとタコが暴れだしちゃうから一発勝負!」
「OK!」
デミはサムズアップして見せた。
「いちにのさーん」
ナナの掛け声にデミは海に飛び込んだ。
海に潜ることは初めてだが川で泳いだことはある。ナーカの川は流れが速いし泳げる方と思っていたが。なるほどぐんぐん沈む。
タコは自慢の吸盤で船底に張り付いていた。さっきより大きくなっている気がするがとりあえず噛みつきに・・・いけない!進めない!苦しい!そうこうしているうちに引き上げられてしまった。
「はあ・・・はあ・・・」
「デミ、大丈夫?」
ハルが背中をさすってくれた。危ないところだった。
「予想していたけどやっぱり駄目だったか・・・」
「予想以上に泳げなかった・・・ゲホッ」
人とヴァンパイアの違いもあったが川と海の違いもある。手出しできないのも無理はない。
「デミはしばらく使えそうにないし次の作戦は・・・」
ゴゴゴ・・・
音がする。そして船が振れ始めた、タコが暴れだしたようだ。
「うおぉぉ、これやばいぞ!くそっ!」
ヤーンが舵にかじりついていた。デミ達も近くにつかまる。
やがてタコの足が数本姿を現す。間違いない、さっきよりも大きくなっている。
ゴゴゴ・・・パアァン!
響く音の最後は破裂音だった。タコが破裂した。
「私・・・噛みついていないのに・・・」
船の揺れは収まりあたりに静けさが訪れる。やがて遠いところからカモメの鳴き声が聞こえてきた。
「まあ、貴重な体験だったね」
ナナはどこからかピンセットを取り出すと破裂した残骸をつまんでビンに入れた。
「とりあえずコイツは研究室で調べて起きましょう」
「あのタコの巨大化の理由?」
再び動き出した船上でハルが驚きの表情でナナを見ていた。
「推測だけどね。でもいい線いっていると思う」
おそらく何らかの要因で海に転落したヴァンパイアは真っ先に“生存本能”の4文字が浮かんだに違いない。種として意地でも存続させたいと考えたヴァンパイアはちょうど近くの岩場にいた一匹のタコに必死で噛みつきそして溺れ死んだ。
噛みつかれたタコはやがてヴァンパイア化する。しかし水中はヴァンパイアにとって過酷な環境だった。ヴァンパイアワームは地中というこれまた過酷な場所に凄んでいたのだが地中と水中は過酷のベクトルが違う。
ヴァンパイアワームは酸素を必要としていた。地上場合は寄生元の血液から酸素を強奪するとともに自ら皮膚の表面に出て呼吸する(このためヴァンパイアはザラザラした肌になる)
しかし水中では酸素の供給方法が血液しかなくなる。効率よく呼吸するためにタコはワームの指示で急激にエラを中心に巨大化していった。ヴァンパイアの再生能力の応用だ。
しかしエラを中心に巨大化、そしてヴァンパイア化の影響もあってタコは泳ぎが苦手になってしまった。デミ達の乗った船を襲ったのは日よけではなく移動手段のためだったのだろう。
タコは次に足を中心に巨大化していった。足を巨大化すれば効率よく泳げると思ったのだ。しかしながら行きすぎた巨大化はヴァンパイアワームを大量に繁殖させる行為でもあり、またあまりにも急に大きくなり過ぎて元の体が耐えきれずに破裂した。子供が大きくしようと膨らませ過ぎて破裂した風船に近いものがある。
「ねえ、話の初めの溺れたヴァンパイアだけどどうしてタコに噛みついたの?種としては存続できるけど自分は死ぬでしょ?」
ハルはもっともなことを聞いた。タコに噛みつかずに岸まで頑張って泳げば助かったかもしれない。どちらも水が苦手なヴァンパイアにとっては大変なことだが・・・
「“ヒト”なら種としての存続より自分自身の存命を選ぶでしょうね」
「人だけが特別ということ?」
デミも話に割り込んできた。ちょっと興味深い。
「ヒトは間違いなく食物連鎖の頂点。死ぬことは少ないしそれこそ全滅も無いでしょう。きっと本能のどこかが無くなったかもしくは変わったのよ」
ナナは先ほど採取した瓶を取り出すと片目を閉じてその中を見ていた。
「デミもこのタコもそうだけど世の中にはまだまだ不思議がいっぱいだわ、全部知ってみたいと思わない?」
「ナナはな、母親似なのだよ。顔はもちろん探究心とか行動力とかそっくりだ」
ヤーンがそれを言うとデミとハルはお互いにほほ笑んだ。
「さて見えてきたぞ、プロだ」
夕暮れの先にプロの町が見えてきた。なんだか懐かしい香りがする。
「そろそろ支度しな、デミは箱に入らなくていいのかい?」
「大丈夫です」
この町はこそこそ入るより堂々と入りたかった。みんなの歓迎する光景が浮かぶ。
本当はプロでゆっくりしたいのだがハルの用事やルル村のことを考えるとそうゆっくりはできないだろう。だけど疲れてもいいから時間の許す限りこの町をハルと巡りたかった。




