Episode 1-9 =真実=
虚は今、人波途切れぬルイスの市場に来ている。
ルイとのほとぼりがさめるまで時間を潰す、と言っても、彼には今手が空いている様な暇な知人に心当たりがなかった。
そのため、しばらくこの市場をうろつき回ろうと決めたのだ。
周りから見れば、この炎天下の中漆黒のコートを着て市場をうろつき回っている彼はさぞ不審な事だろう。
「あー、暑いなちくしょう」
人間を無視するかの様に燦々と照りつける太陽を右手で遮りながら睨む。
第三次世界大戦によって『季節』と言う概念を失なったこの地では、いつ晴れるか、いつ雨が降るか、いつ雪が降るかなどを以前の様に「天気予報」などで察知する事など不可能なのだ。
この快晴も、あくまでも天の気まぐれ。明日には雪が降る可能性も、雨が降る可能性もある。
だが、いついかなる時であろうと、決して彼はコートを脱ごうとしない。別に恥ずかしい格好をしているわけでは無いのだが……つくづく謎な男だ。
――――ふと、じりじりとこちらを燃やさんとする勢いで輝き続ける太陽を見て、虚は思う。
太陽は、今の人間の状況をどう思っているのだろうか、と。
「自業自得だ」と嘲っているのか。
それとも「哀れなものだ」と同情しているのか。
無論、太陽に意志などない。
あったとしても、その意思を感じ取る術を人間は知らない。
魔術という未知の力を手に入れても、科学という人間の創造物でも、未だに自然という強大な力に対抗する事は叶っていないのだ。
もしかするとそれは、何百年経っても、例え人間が滅ぶ寸前になっても叶う事は無いのだろう。
下らない、と思いつつも、虚は思考を巡らせる。だが、いくら待っても太陽が答えてくれるわけもない。
「お前はいつもそうだよな……太古の昔から人類を視ているのに、過去のあやまちを再び繰り返すのをただ黙ってみているだけ。助言などしてくれない」
結局、人間の事は人間でどうにかしろ、という事なのか。
他人に答えを求める事自体が、おかしいのかも知れない。
戦争を引き起こしたのも、過去の傷跡を綺麗さっぱり忘れ、再び引き起こしてしまったのも人間なのだ。
太陽や月からしてみれば、なんて滑稽な話だろうか。
彼らには、人間全てが「道化師」に見えてしまっているのかもしれない。
(それにしても……)
人波を避ける様にテントの陰に隠れ、虚は少し顔を伏せた。
脳裏に浮かぶのは、今朝の光景。
朝起きて、ルイが怒りを露わにし、マナに諭され、こうして街市場に繰り出すまでの経過。
はたから見れば心温まる家族愛物語、なのかも知れないが……。
(何だ……この妙な違和感)
あの一連の流れに、虚はどこか腑に落ちないものを感じていた。
正体はわからないが、何か重大な事を見落としている気がする。
もしかしたらそれは、虚だけが感じている事なのか。それともマナやチェシャ猫も感じていたのか。それは分からない。
だが確かに、虚には今日という一日の中に一点の黒がある気がしてならなかった。
「……ん?」
その時、虚はふと思考を止め、ある一つのテント―――もとい、店に目をやった。
みるとそこには、この市場で一番と言っても過言では無いような人だかりが出来ている。
「あそこは確か……」
呟き、虚はその人だかりが出来た店――――彼の友人が経営する『雑貨屋』へと歩を進めた。
「はいよ! 毎度ありがとう! またよろしくな!」
一件の店を包む人の中心にいる彼、レインナード=パスラルは、目の前の客たちに向かって叫んだ。
人々はそれぞれ思い思いにざわめきながら、店の前を後にしていく。
その手に持っているものは、文房具や家具や食材など多種多様だ。
彼女らに共通しているのは女性である事と、その顔に満面の笑みを咲き誇らせている事。
そしてそれを見送るレインもまた、日に焼けた顔を嬉々とした表情をしている。
「おいおい、随分と上機嫌じゃねぇか」
不意に、レインの耳に届くのは、男性と言うには少し高い聞きなれた声。
声の主に目を向けると彼の想像通りの人物、友であり世界的な魔術師である曽根崎虚がそこにはいた。
相も変わらず黒いコートを着て、目を丸くしてこちらを見つめている。
「よぅ、虚」
「さっきの人だかりは何だ?」
遂に訴えられたのか? と続ける虚に、レインは苦笑する。
「遂にって何だよ。うちは安心安全の雑貨屋だぞ」
「なん……だと……」
「何だその新鮮な驚きは!」
思わず叫ぶレイン。虚と二人でのやりとりは、だいたいこんな感じだ。
こうして気軽に冗談を言い合えるのは、虚にとってはParadoxの面々を除けばレインくらいのものだろう。
虚は心なしに軽く笑みを浮かべた。
「それで、本当にどうしたんだ?
安心安全常時暇人の雑貨屋で、何であんなに混んでたんだ?」
(否定出来ねぇのが痛い……)
確かにレインの雑貨屋は、正直言って混む事は滅多に無い。
と言うより、多くの店が集まるこのルイスで有名店になる方が至難の業だろう。
虚の問いに、レインはニヤァ、と気持ち悪い笑みを浮かべた。
「いやいや、実はな?
ウチがあんなに繁盛したのは、お前とルイのお陰なんだよ」
「はぁ?」
レインの口から発せられた言葉に、虚は素っ頓狂な声と共に首をかしげて見せた。
自分たちのお陰……と言われても全く身に覚えがない。
最近レインと絡んだのは昨日、魚介類を買った時くらいだが……ルイが店の宣伝でもしたのだろうか?
「お前らがあの日、三匹も魚介買ってっただろう?
それを見た一人の女性客から広まってったんだよ。『ここの雑貨屋は品揃えも良くて値段も安い』って」
所謂口コミという奴だろう。
確かにこの御時世に、一気に三匹も新鮮な魚介類を購入出来る店などそうそう無い。
そんな噂が広まったとしても、不思議では無いだろう。
「なるほど。俺たちがお前の店で魚を買ったお陰で、お前も旨い汁を吸えたってわけだ」
ため息交じりに苦笑する虚に、レインは豪快に笑って見せた。
「いやいや本当にそうだよ。たまたま入った魚介類三匹を格安でお前に売った時は勿体ない事したかと思ったが、結果オーライって奴だな。本当に感謝してるよ」
「いや、俺もお前のお陰で買い出し出来た様なもんだからな」
雑貨屋でありながら魚介を売っていた謎は、未だに解けないが。
虚は一度店内を見回してみるが、そこにはペンや紙などの文房具類の他に、アフリカか何処かの原始民族のものらしき怪しい御面などが何の脈絡もなく置かれている。その品揃えは小規模でありながら、『ドン・○ホーテ』並みだ。
ますます、この店の謎は深まるばかりであった。
レインは虚と違って人脈が広いため、これだけのものを確保するのは可能だろうが……店名を『雑貨屋』から『何でも屋』に変更した方が良いのではないだろうか。
「まぁ俺に言わせれば、お前も一お客様だからな。
お前にサービスしようと思ったら、思わず周りの人間も買いに来てくれて……海老で鯛を釣ったわけだ。
まぁ、普段より値引きしなけりゃいけなかったのは少し残念だったけどな」
「当たり前だろ? 俺だけ値引きして魚売って他の客に売らなかったら、そりゃただの贔屓――――」
その時。
ふと、虚は表情を固めた。
同時に、様々な憶測が彼の脳裏を過っていく。
(そうか。もしかして……)
ある一つの仮説が、虚の脳に張り付いた。
レインは突然停止した虚に首を傾げる。
「どうした? 虚」
問うても、虚は微動だにしない。
ただ一点、遠くの方を見つめていた。
レインが更に深く首を傾けると、
「レイン―――つまりお前は、俺にサービスして魚介を格安で売ったら、他の客たちにも値引きせざるを得なくなった……って事だよな?」
「? お前が今そう言ったじゃねぇか」
いきなりどうした? とレインが虚の顔を覗き込む。
刹那、虚はそのままレインに背を向けると、突然駆け出した。
「あ、おい虚!」
呼び止めるレインに目もくれず、虚は人ごみへと己の体を溶かしていった。
「何だぁ? アイツ」
レインの呟きが、ルイスの街に空しく響いた。
レインと別れた虚がやって来たのは、市街地から少し離れた場所にある廃ビルの一室だった。
その風景は、彼の記憶の片隅に真新しく残っている。
昨日、殺魔師であるルナ=ラスノールと戦った場所だ。
「あの日……ラスノールはこの場所からお嬢ちゃんを狙った。
姫さんの話じゃあ、ルナはここ最近ルイスを賑わせていた通り魔事件の犯人だって話だったな」
更にルナの裏には、呪術と呼ばれる禁術を使用出来る『違法魔術師』がいる。
その人物の目的は未だ不明だったが、とにかくその違法魔術師は殺魔師であるルナに依頼し、通り魔事件を起こさせた。
その内の一人としてルイは狙われ、それに気付いた虚が彼女の元へと赴く。
するとルナは予め仕込んでおいた魔法陣と体術を駆使し、虚を迎え撃った―――――。昨日の出来事をまとめれば、簡単にはこう言う事になる。
だが、
(――――それじゃあ、あまりにも妙だ)
この事件には、謎が多すぎる。
何故、通り魔事件などを起こす必要があったのか。
何故、人が賑わう真昼間に殺しを行おうとしたのか。
そして何故、呪術を使用出来る様な人物がわざわざ殺魔師を雇ったのか。
この三つが、昨日より虚が抱えていた大きな謎だった。
だが、虚にはこの三つの謎が解けかかっていた。
『何故、通り魔事件を起こす必要があったのか』という事だ。
それは、先ほどのレインとの会話。
レインは親しい虚に対して魚介類を格安で売るというサービスをした。
だが結果、それを見ていた客によって『虚がレインの店で格安で三匹も魚介類を買った』と言う噂が広まり、レインの店に人だかりが出来、レインは多少の値引きはあったものの、大きな利益を得る事が出来た。
(もし……この事件もそうだとしたら?)
部屋の中心へと歩み寄りながら、虚は考える。
(この事件の狙いが最初から《道化師》であって、通り魔事件を起こした目的が『道化師は通り魔事件の一被害者でしかない』と統率機構に思わせる事だったとしたら?)
つまり、こういう事だ。
ルナ=ラスノールが依頼されたのは『通り魔事件を起こす事』では無く、『道化師・曽根崎虚を殺す事』だった。
だが虚だけ殺せば、『彼に恨みを持つ者』を調べられる可能性が高く、その結果依頼主の足が付く可能性もある。
しかし、通り魔事件の一端として虚を殺してしまえば、虚は街を賑わせる通り魔事件の犯人にたまたま殺された、という事になる。
そのカムフラージュのために、ルナは多くの人間を殺したのだ。
そしてもう一つ。
何故、白昼堂々とルイを狙ったのか。
その理由はただ一つ。
(『道化師を誘き出すため』―――――か?)
あの日ルナは、この部屋に大量の魔法陣を敷いていた。
それは、『万が一感づかれた時に迎え撃つため』だと虚は考えていたし、それも理由の一つだっただろう。
だがそれならば、普通ならば『岩石魔術の魔法陣』など敷くだろうか?
あれだけ魔法陣を敷き、魔術の源を床に埋め込むという作業を終えるには、少なくとも30分か、長くて1時間は掛かる。
(そんな手間をかけるくらいなら、逃亡用の『転移魔術』を敷いた方が圧倒的に楽だ)
それにもし通り魔ならば、誰かに殺害計画を気付かれれば、無理に戦ったりなどしないだろう。一旦その場から逃亡し、別の地で殺人を行うか、ほとぼりが冷めてから再開するかする筈だ。
つまり、ルナの狙いは最初からルイではなく、彼の同伴で付いて来た虚だったと言うわけだ。
あれだけの殺気をルイに対して向けていれば、虚が気付かない筈が無い。
必ず虚は気付き、彼女の安全のためにルナを排除しようとするだろう。
それが、ルナの目的だったのだ。
『道化師を誘き出し、抹殺する事』が。
だから大量の岩石魔術の魔法陣を敷き、虚を迎え撃った。
「周りくどい事しやがって……」
険しい表情で、虚は吐き捨てる。
自分のために多くの人間の命を犠牲にしたルナの行動が、彼には許せなかった。
そしてルナの裏で彼女を操り、彼女にそんな非道をさせた人物も。
「後は、その雇い主だけだ……一体誰が?」
頭に右手を当てて目を閉じ、虚は考える。
ルナを雇ったのは、自分に恨みを持ち、自分が死ねば得をする人物。
そして呪術に長けた、禁術使い。
分かっているのは、これくらいだった。
これだけのヒントで探り当てる事は、さすがに困難だろう。
(他に手がかりっていやぁ、昨日俺を矢で狙った小柄な人影くらいだが……)
おそらくその人影が、ルナの雇い主という事で間違いは無いだろう。
後はその人影が誰か、と言う事だ―――――と、虚が考察していた時たった。
ふ、と。
虚はある事を思い出す。
それはあの夜、自分を矢で狙った人物。
拳銃を使えば大きな音が鳴るし、ナイフなどで刺そうとすれば顔を見られる可能性があるため、音が小さく遠距離で狙える矢を使ったのは納得できる。
だが、問題はそこじゃない。
問題は、今日の朝からずっと感じていた違和感。
それだけでは無い。
ルナが何故、この場所からルイを狙ったのか。
そして、昨日から今日まで自分が行って来た会話の中に隠れていた重要な手がかり。
これらの謎を組み合わせた時、虚の脳裏に浮かぶのは、ある一人の人物。
「―――――そういう事かよ」
呟く虚の表情には、怒りや哀れみの他に、仄かな悲しみの色が見えた。
だが、悲嘆に暮れている暇などない。
それは彼自身が一番よく分かっていた。
「――――お嬢ちゃん」
言うや否や、虚は部屋を飛び出し、走り出した。
目的地は、喫茶店『Paradox』。
認めたくはない気持ちはある。信じたくない気持ちもある。
出来ればこの推測が、間違いであって欲しいとも、心の何処かで思っている。
だがもし、彼の推測が正しければ――――。
(お嬢ちゃんが……危ない!)
悪寒と焦燥に背中を押されながら、虚は全速力で駆けて行く。
あれだけ晴れていたルイスの空を、濁った雲が少しずつ覆い始めていた。