Episode 1-7 =ある日の深夜の出来事=
魔術と科学が支配権を交代して様々な変化が起きた一方、変わらないものも在る。
古来より命ある者達にとって必要不可欠の休息行動「睡眠」もその一つだ。
数十年前までは人々、特に子供にとって夜更かしの原因となっていた「ゲーム」や「テレビ」などという電子機器も、今のこの世界にある筈もない。
そのため、違法魔術師などの異例な者達以外は、午後9時にもなれば寝静まってしまう。
ましてや現在、夜中の12時に差し掛かろうとしている。起きている者など、そうそういないだろう。
人だけではない。森も、海も、街も。そしてわずかに生き残った他の動物達も、既に活動を終えている。
それは、国際魔術師統率機構の隊員たちにとっても同じ事だ。
毎日毎日、違法魔術師と終わりなき戦いに追われる彼らにとって、睡眠は貴重な休息時間となる。
朝が6時起床のため、早い者では7時には身体を休め、明日に備える。
これが、統率機構所属の魔術師達の基本的な生活サイクルだ。
だが、例外もある。
統率機構の一部隊をまとめる四人の魔術師「統率者」と呼ばれる者達だ。
上記の通常任務に加え、彼らの場合はデスクワークや配下隊員達の鍛錬や管理なども、当然上司としての仕事に追加される。
よって、図らずとも彼等は普通の隊員達よりも就寝時間は遅くなってしまう。
統率機構内部にある隊員寮3階「ハート寮」最奥部に住まうシャーリー=ローレライもまた、その一人である。
彼女はつい先ほどデスクワークを終え、自室にてシャワーを浴びている最中だった。
シャワー、と言っても、この時代では当然お湯の源は魔力である。小さな魔力の塊を蛇口に植え付ける事で、一時的な放水を可能にしているのだ。
かなり無駄な力の使い方の様な気がしないでもないが、支配者曰く『残っている資源の有効活用』なのだそうである。
普段はゆるく内側に巻かれている金髪も今は濡れて、彼女の白い肌にぺたりと張り付いている。
サーサーと降り注ぐ温かい雨に降られ、純粋の如く澄みきった蒼い瞳にそれを映し出す彼女の姿は、童話に出てくる「人魚姫」の様な雰囲気をまとっていた。この姿を見た男性は、百人中百人が虜になってしまう事だろう。
「………………」
シャーリーは湯を頭から浴びながら、無言のまま立ち尽くしていた。かなり疲れている様だ。
彼女が一部隊の統率者として君臨して早3年。最初の頃こそ慣れない仕事に頭を痛めていたものの、今では他の三人の統率者を合わせた「四天王」の中でも随一の事務処理能力を身に付けている。
そんな彼女が、今になって「仕事に疲れた」などと言う事はない。むしろ、この仕事に誇りを感じている程だ。
今、彼女の疲労の根源となっているのは、一人の青年。
道化師こと曽根崎虚である。
別に、彼が特別彼女に何かしたというわけでは無いのだが……何故か最近、彼女は彼が気になってしかたがないようだ。
例えば。
情報収集のために外出した時、無意識に視線が彼を探してしまったり。デスクワークをしていても、今彼が何処にいるのか、などと考えてしまったり。食事を取る時も、「これは彼が好きそうだ」とか「これは嫌いそうだ」とか思ってしまったり(思わず口に出てしまう事も)。
とにかく、最近の彼女は原因不明の不調(?)に苛まれているのだ。それも全て、シャーリーにとって忌むべき相手である筈の青年、曽根崎虚に関係した事で。
「らしくありませんね……」
どこか自虐的なものを含みつつ吐き捨て、シャーリーはシャワーの蛇口を閉める。
「一体どうしてしまったというのでしょうか。私は」
彼女自身はまだ気づいていない。彼女の心を蝕む不調の正体を。
いや、周りから見ればかなり分かり易い症状だ。
今の彼女を見れば、おそらく百人が百人、「アレ」と答えるだろう。気付いていないのは本人と……不調の原因となっている張本人である虚くらいのものだろう。全く罪作りな男だ。
「知り合ってまだ2年程ですが、彼と出会ってから碌な事がありませんね」
はぁ、と。吐息を付いて、シャーリーは浴室を後にした。
体中の水滴をふき取り、その上から下着も付けずにバスローブを羽織る。
シャーリーは眠りに付く時、いつもこうだ。余計な束縛がないため、眠りやすいのだと言う。
思春期の少年達の教育には、よろしくない格好だが、色々な事に疎いシャーリーにとってはどうでも良い事だ。
それに、どうせ室内で誰と会う訳でもない。こんな深夜に、首斬り女王の眠りを妨げようとする命知らずがいる筈が無いのだから。仮にいるとすれな、彼女の右腕とまで言われるクロウぐらいのものだろう。
シャーリーは髪をタオルで拭きつつ、リビングへと向かう。今日は一日、あの道化師との接触もあり非常に疲れた。早々にベッドに入り、睡魔に身を委ねよう。そんな事を思いながら。
すると、
「よぅ。こんばんは、シャーリー」
リビングに戻った彼女を迎えたのは、聞こえる筈が無い男の声だった。
ふとそちらを見ると、確かにそこには一人の見覚えある男が、シャーリーが之から目を休め様としているベッドの上に、ふてぶてしく座っていた。
焦げ茶色の短髪と漆黒に塗られた瞳を持つ、国際魔術師統率機構『特別戦闘部隊』統率者を務める青年『ライト=レグノック』は左手をベッドに突き、右手をシャーリーへ向けてひらひらと振っていた。
「やっぱ風呂入ってたのみたいだねぇ。いやー入ってもお前はいないし、浴室からはシャワーの音が聞こえたし、そうじゃないかと思ってたんだ」
事の顛末を饒舌に話し出すライト。そんな彼を、シャーリーは目を細めて見つめていた―――まるで虫けらでも見る様な目で。
右の掌をライトへと向け、淡々と、そして冷徹に告げる。
「…………火炎魔法陣展開」
「俺が悪かった! 不法侵入とかもうしないから!」
端正な顔に焦りを浮かべ、ライトは眼前で両手を一心不乱に振って見せた。
武闘派集団として知られるスペードを束ねる彼も、同期の『首斬り女王』の前では形無しだ。
「全く貴方と言う人は……今回で何回目だと思っているんですか?」
シャーリーは怒りやら呆れやらが混ざった吐息を吐くと、銃口を下ろす。
彼女が言った通り、ライトがこの様な、およそ政府に勤める人間が行う事ではない様な訪問を繰り返しているのだ。
「鍵を開きっ放しのお前もどうかと思うけどねぇ」
「うっ、それは……」
思わず口ごもってしまうシャーリー。仕事はともかくとして、私生活の彼女はかなりルーズだ。
今は掃除したてのため、部屋も片付いているが、あと数日もすれば本やら衣類やら、酷い時は下着などもそのまま放置されてしまう。
過去に、掃除前の彼女の部屋(隊員達の間では『禁断の部屋』と呼ばれている)に彼女の元を訪れた隊員(※男)は『天国であり、同時に地獄だった』と、鼻血を噴出しながら答えたという。
その真意を知る者は統率機構内でも、統率者の三人と支配者、クロウを除けば片手で数えられる程しかおらず、その偉業を達成した者は『勇者』と呼ばれている。
「そ、そんな事より」
わかりやすく話を逸らし、シャーリーは濡れた髪を右手で背後にまわした。
「こんな夜遅くに、何の用ですか? 貴方がこの時間帯に起きている事も珍しいというのに」
見た通りというか何というか、ライトは事務仕事はからっきし出来ない。
戦闘面では虚とも互角に張り合い『神童』とまで謳われ、新参の隊員から古参の隊員まで幅広い尊敬を集め、虚も親友・好敵手と認める程の彼だが、見ての通り、かなりの自由人且つ行動派だ。ただ机に向かってじっとしている、などという行為が出来る筈もない。そのため、大体事務仕事は何ヶ月も溜めてしまい、後で支配者やシャーリーなどに叱咤されて嫌々処理していく、という場合が大半だ。
しかし、決して『頭が悪い』とか『書類仕事自体が全く出来ない』という訳ではない。むしろ頭は良い方だし、現に何ヶ月も溜めた書類物を、毎回ほんの一時間足らずで全て処理している。彼の場合、事務処理が『苦手』と言うより『面倒だからやりたくない』と言うのが本音だ。しかしそんな一面も含め、彼は隊員達から慕われているのだが。
シャーリーの問いに、ライトは一瞬呆気に取られた様に目を見開き、やがて肩を落とす。
「コレだよ、コレ」
そう言ってライトが差し出したのは、数枚の束になっているコピー用紙だった。一枚一枚が履歴書の様になっており、それぞれ別の人物のプロフィールが事細かく載せられている。
それを見て、ようやくシャーリーは彼が此処に押し寄せた理由を、明確に理解した。
「お前が俺に頼んだんだろ。『今回の一連の通り魔事件についての資料を渡して欲しい』って。
今日支配者から貰ってきたんだよ」
おそらく、顔を真っ赤にしたシャーリーとすれ違った時だろう。彼は、通り魔事件に関する書類を貰う為に最上階のあの部屋に向かっていた。支配者からは「ライトが私に書類を貰いに来るなんて……明日は嵐か吹雪でしょうか」などと大層驚かれたらしい。
「それはそうですが……まさかこんなに早く頂けるとは思っていなかったので。どうもありがとうございます」
軽く頭を下げ、シャーリーはライトより資料の束を受け取る。
「思ったんだけどさぁ。お前が直接支配者に頼んで資料貰えば早かったんじゃないのかぃ?
最近、支配者と随分仲良くしてるみたいだしねぇ」
「いえ、それは無理だと思います」
断定の込もった否定に、ライトは思わず目を丸くする。
「今回の事件については、私は支配者様より『傍観者』に徹する様に、との命を受けているので。
事件に深入りする様な言動を受け入れて下さるとは思えません」
「……ふぅん」
ライトは肩肘を付き、溜息を吐く様に呟いた。
その表情は口元が緩み、笑みを浮かべていた。いつもの様なニヤニヤした笑みではなく、微笑ましい光景を見ている様な、やさしい笑みだった。
シャーリーはそれを見て、思わず顔をしかめる。
「何ですか、気持ち悪い」
「ん~? いいや、別に。ただ……アンタが指令範囲外の行動をしようなんざ、珍しい事もあるもんだと思ってな」
そう言われれば、とシャーリーはふと思う。今回の事件に対して、自分は今まで以上に積極的になっている気がする。普段は、ただ言われた仕事を淡々と、迅速に行うだけだった。
だが今回は違う。
シャーリーは自ら、この事件の真相を知ろうと動いている。これは任務の為ではない。自分の為だ。
部隊の見本となるべき統率者の違反は、当然ながらかなりの重大事だ。下手すれば、階級を取り下げになる可能性だってある。それは、シャーリーも重々承知している事だった。
だが、それでもシャーリーは、この事件の全てを知ろうとしている。その為に動いている。
自分の手で、自分の身体で、そして自分の意思で。
「虚が絡んでるから、か?」
シャーリーの肩が震えた。
今回の事件と深く関わっており、そして今の彼女の心の、常に中心に位置している青年の名を耳にしたからだ。
普段ならば、ここで全力否定が入る所だが、今の彼女にそれは出来ない。それもまた、この通り魔事件への執着理由の一つである事は、シャーリー自身がよく分かっていたのだから。
少し戸惑いつつも、シャーリーは意を決し、ライトにある事を問うた。
それは。
「あの……道化師は、どういう方なのでしょうか?」
「虚?」
思わず素っ頓狂な声を上げるライト。
統率機構の中で『道化師』ではなく『虚』と呼ぶのは、互いに『親友』『好敵手』と認め合っているライトくらいのものだろう。
つまりは、それだけ二人が親しいという事だ。
「う~ん、そうだなぁ……その前に、シャーリー。一つ聞いて良いか」
「? 何ですか?」
返答を聞くと、ライトは身を乗り出した。
黒い二つの瞳をシャーリーへと向け、告げた。
「さっき風呂上がりに俺が部屋にいたのを見た時、アンタ魔法陣展開しようとしただろ?」
「え? えぇ……」
「もしそれが虚だったら、アンタどうしてたと思う?」
シャーリーは目を丸くする。
つまり、風呂上りを虚に見られ、しかも自分の部屋に断りなくに入られたら、どういう反応をするか。まとめると、こういう事を聞いているのだろう。
シャーリーはしばし思考を走らせるが、何分あり得ないシチュエーションのため、情景が全く思い浮かばなかった。
「…………多分、アナタの時と同じ反応をすると思いますが?」
語尾が自然と疑問形になってしまったものの、シャーリーは返答する。
ライトは、ふぅん、と興味なさげに呟いて、首を細かく振った。
「まぁ良いか。それより、虚かぁ……まぁ一言で言えば『変人』だよねぇ」
それは確かに、とシャーリーは内心頷いた。あれに勝る変人は、自分の知る中では他にいないだろう。
「変人で面倒くさがり、何考えてんのか分からない。でも顔は良いし根は良い奴だからモテるんだよなぁアイツは。こっちとしてはかなり不思議なんだけどさ」
不意に、シャーリーの心に、モヤモヤした何かが覆い被さった。思わず不機嫌そうに表情を歪めてしまう。
「まぁアレだ。『ラノベの主人公をそのまま実体化させた様な男』。
イケメンで天然ジゴロ。しかもかなりの朴念仁。つくづく罪作りな男だよねぇ。でも……」
ライトは一旦言葉を切り、優しい笑みを浮かべた。
「アイツは強い。戦闘面だけでなく、精神的、身体的にも。それに何より……『信念』をしっかり持ち、決して見失わない。それがアイツの最大の強さだ。
アンタがアイツに惚れちまったのも、そこなんじゃないのかぃ?」
「ほ、惚れっ!?」
「アンタ、さっき俺じゃなくて虚でも同じ事しただろうって言ったよな? でも俺は、多分アンタと今の状況になったら、『顔を真っ赤にして、照れ隠しに形振り構わず魔術を乱射する』と思うんだけどねぇ」
両手をベッドに付いて立ち上がり、扉へと歩き出すライト。その手前で立ち止まると、顔を真っ赤にしちえるシャーリーへ向けて身体を振り返らせた。
「まぁ何にせよ、自分の信念をしっかり持ってる奴は強い……俺はそう思うよ、心からね」
そう言うと、右手をひらひらと振り、ライトは部屋を後にした。
後に残されたシャーリーはしばし扉を見つめ、徐々に遠ざかっていく足音に耳を済ませていた。
「信念をしっかりと持っている人、か……」
ベッドの上に寝転がり、先ほどのライトの言葉を反芻する。
道化師の事が全て分かった訳では無いが、徐々に彼女の中で、彼を包むベールが解けて来ていた。
所詮、彼も人なのだ。自分が生きるため、自分の信じるモノのためにその剣を振るっている。
湧き上がって来るのは、彼への親近感と、何かふわふわした感情。その正体を、シャーリーはまだ知らない。これから分かるのかも分からない。だが、今はそれでいい。少しずつ、少しずつ知っていこう。
思わずシャーリーは微笑みを零したが、すぐにいつも無表情に戻った。
感じるのは、静かな、されど確かな存在感を放つ、感じなれた雰囲気だった。
「……何かありましたか? クロウ」
姿無き従者に、シャーリーは問う。
「――――先ほど、ルナ=ラスノールが昏睡状態より目覚めました」
思わず声の主のいる天井へと視線を向けた。
「それで、今は?」
「――――現在取調が行われていますが、口を割る気配は無いかと」
「……そうですか」
視線を天井から外すシャーリー。
目を細め、何やら思案しているが、やがて目を伏せ、
「今日はもう遅いですから、取調は中断し、隊員は休息を取る様にと指示して下さい。
明日、私がそちらに向かいます。その時は、クロウ。アナタに動いて頂く事になると思うので、よろしくお願いいたします」
「――――御意」
直後、クロウの気配は天井裏から姿を消した。
シャーリーは、はぁ、と息を一つ吐き、ベッドへと潜り込んだ。ルナから情報を聞き出せれば、事件解決に大きく近づく事になるだろう。
クロウの話では、彼女が口を割らないと言っていたが、彼女には勝算もあった。虚の様な特異な存在以外ならば、勝率100%を誇る策が。
とにかく、今日はゆっくりと身体を休めよう。そして一刻も早く、この事件を終息させよう。
シャーリーは明日への決意を強く心に刻み、襲い来る眠気に身を預けた。
星空の中心に輝く月は、静まり返った夜の地球を、ただじっと照らし続けた。