Episode 1-6 =変わるもの、変わらないもの=
国際魔術師統率機構最上階に位置する一室。
扉以外の壁が書棚で囲まれており、床には茶色ベースの質素なクローゼットが一応敷かれてはいるが、それを埋め尽くす程の、新旧様々な棚に入りきらなかった本、本、本―――――。それ以外には、奥の窓の近くに、同じく茶色の机が置かれているだけだ。
かなり地味な印象を受ける部屋だが、その中心。机と向かい合っている少女の姿は、色んな意味で華やかだった。
黒く艶のある肩辺りまでの黒髪は左側だけ胸元まで伸びており、赤いゴムで結んでいる。二重の大きな瞳はオレンジ色に輝いている。
「可憐」という言葉は彼女のためにあるのではないか、と思えるほどの美女だった。しかしそれ以上に目を引くのは、彼女の華奢な体を包む服装だ。
古代日本の乙姫を模した服装なのだが、丈が女子高生よろしく、太腿までとかなり短い。
脚には何も纏っておらず、白く美しいそれが惜しげもなくさらされている。
かなり華やかで奇抜な印象を受ける彼女こそが、国際魔術師統率機構、そして現在世界の頂点に君臨している少女『支配者』である。
だが、わかっているのはその程度。統率機構の四人の統率者、更に彼女直属の部下達すらも、名前はおろか国籍なども一切不明なのだ。
東洋系の顔立ちをしている事からアジア系ではないかと言われているが、真偽の程は定かではない。
そんな彼女は今、机の上の書類と睨めっこしている状態だ。美しい顔には、少し憂いの色が見える。
「はぁ……どうした事でしょう」
左手を頬に添え、どこぞのお嬢様然とした口調でため息を吐く。理由は不明だが、とにかく悩んでいる様である。
その時、コンコンというノック音が、室内の空気を切り裂いた。
支配者は机との睨めっこ状態を保ったまま、口だけで「どうぞ」と告げる。
「失礼します」
淡々とした口調で扉を開け、室内へと足を踏み入れたのは、金髪蒼眼の美女。国際魔術師統率機構の「諜報部隊」の統率者を務め、「首斬り女王」と恐れられるシャーリー=ローレライだった。
支配者はちらりと視線をそちらに向けてシャーリーの姿を確認すると、やんわりと微笑んで見せた。しかしその表情には、少し陰りが見える。
「あぁ、お疲れ様です。シャーリー」
疲れた様子で労いの言葉を掛けてくれる支配者に対し、シャーリーは眉をひそめた。
本の山の隙間を見つけては慎重に、かつゆっくりと支配者へ歩み寄っていく。
「大丈夫ですか、支配者様。貴女の方こそ、お疲れのようですが」
支配者の前に立ち、心配の言葉を掛けるシャーリーに対し、支配者は再び力なく微笑んだ。
「えぇ……実は今、人生最大と言ってもいい選択を迫られていましてね」
思わず息をのむシャーリー。他者を圧倒する実力とカリスマ性と、自分に対して絶対的自信を持つ彼女が「悩む」というだけでも珍しい事だ。しかも彼女は、世界の頂点に君臨する統率機構の支配者。その彼女にとって「人生最大の選択」という事は、つまり「世界の命運を左右する選択」とも取れる一大事である可能性も大きい。
シャーリーは険しい表情で、支配者の眼前に顔を突き出した。
「支配者様……私とて、統率機構の一軍を預かる身。微力ながらも、貴女のお役に立てましょう。
よろしければそのお話、私にも話して頂けないでしょうか」
顔を上げ、シャーリーをしばし凝視すると、支配者はやがて優しく微笑んだ。
「ありがとうございます、シャーリー……今回ばかりは、アナタのお言葉に甘えさせて頂ましょう」
支配者は机の上に置いてある書類をシャーリーに差し出す。
シャーリーはその書類を手に取ると、内心覚悟を決め、黙読を始めた。
例え何が書かれていようと、決して目を背けない。そして、必ず支配者に協力しよう。
そう、心に誓って―――――。
書類の一行目、でかでかと書かれた見出しには、こう書かれていた。
『数量限定・特製チーズケーキ&チョコレートケーキ御予約に関するご案内』
「…………何ですか、これは?」
シャーリーの一言は、緊張とは違う意味でかなり尖っていた。
支配者は、憂い混じりの表情でため息を吐いた。
「どう思いますか、シャーリー」
「いや、どう思いますか、と言われましても……」
正直意味が分からない、というのがシャーリーの感想だった。
それは「書類」ではなく、どちらかと言えば「チラシ」と呼ぶべきものだったのだ。
簡潔に内容をまとめると、『特別仕様のチョコレートケーキとチーズケーキが予約限定で販売される』という事らしい。
つまり、支配者はチーズケーキとチョコレートケーキのどちらを買うべきかで悩んでいたのである。
「チーズケーキとチョコレートケーキ……この二つは、どちらも違った魅力を持っています。しかも今回は二つとも特別仕様で予約限定販売されるんですよ」
「はぁ……」
「どうした事でしょう……どちらも捨て難い。しかし両方食べては太ってしまいますし……」
両手で顔を抑えながら、呻く支配者。巨大組織のトップとは言え、まだまだ若い少女である事に変わりはない。スイーツに興味を持つ事は自然といえば自然なのだが……間違いなく仕事中に行う事ではない。だが、目の前の少女はそんな事お構いなしに身を乗り出す。
「さぁ、貴女の意見を聞かせて下さいシャーリー……チーズとチョコ、貴女ならどちらを選ぶのか!」
すがる様な瞳をこちらに向けてくる支配者に対し、シャーリーはため息を一つ吐くと、端的かつ的確な意見を彼女に告げた。
「……仕事して下さい」
「なるほど、やはり道化師は、殺魔師を倒しましたか」
数分後。
半ば強引に支配者を説得し、シャーリーは事後報告に入った。
最初こそ不貞腐れていた支配者だったが、シャーリーの口から「道化師」という言葉がつむがれた瞬間に目の色を変え、シャーリーの声に耳を傾けていた。
「それで、現在そのルナ=ラスノールはどうしているのですか?」
「はい。現在統率機構医務室で治療中ですが、幸い傷は深く無いため、そうは時間が掛からないかと」
それを聞くと、支配者はクスクスと笑い始めた。
思わず目を細めるシャーリーに、支配者は口元を抑え、堪えんとする。
「ゴメンなさい。道化師は相変わらずだなぁと思ったら、少し可笑しくて」
「そう、ですか」
呟く様に言い、シャーリーは視線を下に向けた。そんな彼女を見て、シャーリーは首を傾げる。
いつもなら此処で、「彼の行動は政府への反逆だ」とか何とか言う所だろう。
「どうかしたのですか?」
思わず支配者の口から放たれた問いかけに、シャーリーはハッとした様子で目を丸くし、目の前で手をぶんぶん振った。
「あ、いえ。その……」
シャーリーは言いよどんだが、総てを見透かしていそうな支配者の目を前に黙っていられる筈もなく、やがて、口を開いた。
「たいした事では無いのですが……ただ今回の件で、「道化師」という存在に対する見解が、自分の中で少し変わった気がして」
搾り出されたシャーリーの言葉に、支配者は目を丸くした。
そして、興味津々といった様子で身を乗り出し、シャーリーを凝視する。
「《変わった》とは……具体的には、どんな風にですか?」
「え?」
思わずシャーリーは支配者に視線を向ける。毎度の事ながら、一体なぜ、彼女は道化師の話題に対してこんなにも食いつくのだろうか。シャーリーにとってははなはな疑問だったが、統率機構最高権力の持ち主に反論が出来る筈も無い。
視線を落としたまま、シャーリーは彼女の問いに答え始めた。
「今までは、道化師なんて唯の違法魔術師予備軍かと思っていました。
しかしその割には、不器用で、鈍感で、自分の信念を決して曲げない……まるで野良猫みたいな、自由で気ままで……真っ直ぐな強い眼をした人でした。違法魔術師や、統率機構の人間とも違う、別の強い何かを感じました。
もしかしたら……あの人は、そこまで悪い魔術師では無いのかも知れません」
自身の胸に両手を添え、シャーリーは微笑んで見せた。
それはとても綺麗で、優しく、とても戦いに身を置く冷徹な女王とは思えないものだった。
これは……これでは、まるで……
「恋する乙女の様ですね、シャーリー」
「ふぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声を発するシャーリー。
それに対して、支配者はニコニコと(見ようによってはニヤニヤと)笑っている。
最初はポカンとしちたが、やがて見る見る顔を真っ赤に染めていった。
「わ、わわわわわわ私はここここ恋なんてしてないですよ! 下らない! これで失礼します!」
嵐の様な機関銃を放ち、足早にシャーリーは部屋を後にした。明らかにシャーリーのキャラではない。こんな姿を男性隊員が見たら鼻血物だろう。
支配者はシャーリーが消えた後の扉を見つめ、満足げに微笑んでいた。
その時、また別の人物が、室内へと入ってくる。支配者の部屋にノックも無しに、だ。
こんな無礼な態度を彼女に対して取るのは、一人しかいない。
「何か用ですか、ライト」
国際魔術師統率機構武闘派部隊「スペード」の統率者、ライト=レグノックである。
ライトはしばし部屋の外に視線を向けた後、目を丸くして支配者を見つめた。
「何なんですか? アレ。何か顔真っ赤にして走っていっちゃいましたけど。
普段『廊下は走るな』とか学校の教頭先生的台詞を吐いているシャーリーが」
ライトの問いに対し、支配者は未だ満足気な笑みを崩さない。
その整った顔でライトを見つめ、事の顛末を端的に、そして的確に告げた。
「別に何にもありませんよ。
ただ、アナタも知っているでしょうあの噂が本当だったというだけです」
「…………ああ、なるほど」
答えを聞いたライトは、満足そうに笑い、しばし支配者と共に微笑みあった。
■ □ ■ □
すっかり日も暮れて人々が寝静まった頃にも関わらず、ルイス郊外に構える喫茶店「Paradox」はまだ明かりを灯していた。
とは言え店内に客らしき姿は当然無く、店員も店長のチェシャ猫のみであった。
人気のなくなったカウンターで、一人黙々とグラスを拭いていると、ガラガラと音を立てて店の扉が開かれた。
チェシャ猫はちらりとそちらに視線をやると、やがて微笑んだ。
「遅かったじゃねぇか、虚」
「……あぁ、ちょっとな」
頭をボリボリと掻きながら、虚はカウンター席のチェシャ猫の前に座った。
そして店内をぐるりと見渡すと、
「やっぱ客いねぇな」
「もうとっくに閉店してるっての。毎回思うんだが、お前わざとそれ言ってるだろ?」
虚の何気ない一言に、チェシャ猫は溜息交じりに言う。
いつもの会話。だが、二人を包み込む空気はいつものそれとは違っていた。どことなく気まずい雰囲気が流れている。
だがこれは、決して二人の仲が悪くなったというわけではない。そして気まずいと感じているのは、主に虚だけだろう。
虚は机に片肘を付け、その上に自身の顎を乗せる。
「あー……お嬢ちゃんは?」
若干間を置きながら、虚はチェシャ猫に問う。
帰り道、ずっと気になっていた事だ。すぐ帰ると言っておきながら、もう時刻は9時を回っている。
例え明確な理由があったとしても、約束を破った事に違いは無い。
チェシャ猫は虚の表情から彼の心境を読み取ったか、苦い笑みを浮かべた。
「ついさっき寝ちまったよ。『虚が帰って来るまで起きてる』って張り切ってたんだけどな。
『帰って来たらすぐに文句言ってやるんだ』ってさ」
「そっか……」
覚悟はしていたが、どうやら彼女の心中は穏やかではないらしい。。
虚が視線を泳がせていると、チェシャ猫はやんわりと微笑む。
「コーヒー、飲むか」
「寝る前にか?」
「どうせ寝付けないだろ?」
得意げに言ってのけるチェシャ猫に、虚は思わず笑いを零した。
彼なりに、自分を気遣ってくれているのだろう。
それが嬉しくもあり、少し照れ臭くもあった。
「そうだな、じゃあお言葉に甘えて頂くとするよ」
「おう、ちょっと待ってな」
言うや否や、チェシャ猫はコーヒーを淹れ始めた。
しばらく、沈黙が二人を優しく包み込んだ。
だが直後、その心地よい沈黙を、チェシャ猫が切り裂く。
「……昼にな、統率機構の連中が来たよ」
虚は目を見開いてチェシャ猫を見つめたが、やがてまた視線をカウンターへ落とした。
「そうか、やっぱ来たか……じゃあ、全部聞いたのか?」
「あぁ、お前が殺魔師と戦って勝ったって事までな。
その後は知らんが、どうせお前のことだ。聞き込みでもしてたんだろう?」
「……ハハハ」
チェシャ猫には全てお見通しだったと言う事か。やはりこの男には叶わない、と虚は内心、心地良いため息を吐いた。
そして、若干迷いを抱きながらも、やがて決心した様にそっと左手をカウンターの前に差し出した。
その時、「カチャン」という音が、店内に響いた。
チェシャ猫は一瞬、そちらに視線を向けると、やがた訝しげに眉をひそめた。
そこに置かれていたのは、
「これは……矢か?」
彼の言う通り、そこに置かれていたのは、全長三十センチ程の弓矢だった。
「さっきコレで射抜かれかけた」
「射抜かれかけたって……大丈夫なのか?」
チェシャ猫の問いに対して虚は得意げに微笑み、口に右手の人差し指を添えて見せた。
「眉間を狙って来やがったけどな。《此処》で止めてやったよ」
虚がこちらを狙う人影に気付くのがあと1秒でも遅れていたら、間違いなく命を奪われていただろう。だが、彼は気付いた。そしてこちらに矢を放たれた際、彼が自身の「口」、詳しく言うなら「歯」を使って、文字通り「喰い止めた」のだ。
「いやーちょっとビックリして転んじまったけどさ」
「ちょっとビックリしてってお前なぁ……」
子供のように笑って見せる虚に対し、チェシャ猫は呆れ気味に告げる。
「まぁ良いけど。それで、顔は見たのか?」
チェシャ猫の問いに、虚は苦笑を浮かべた。
「いや、暗くて顔は見えなかったが……割と小柄だったよ。おそらくは女子供だろうな」
虚の答えに、チェシャ猫はそうか、とだけ答え、再びコーヒーを淹れ始めた。
再び沈黙が店内を支配した頃、虚が口を開く。
「なぁ、チェシャ猫。この矢の事なんだけど……」
「分かってる。ルイ達には黙っててほしいんだろ?」
「……あぁ、頼む」
軽く頭を下げる虚。もしこの事をルイ達が知れば、きっと心配するだろう。それはありがたい事なのだが、これ以上彼女に心配事を抱え込ませる訳には行かない。やっと「家族」との平穏な時間を手に入れたルイから、幸せを奪う事など、出来る筈もない。
憂いを交えた表情を浮かべる虚の眼前に、良い匂いを漂わせるカップが置かれた。
「はい、コーヒーお待ち」
得意気なチェシャ猫をしばし見つめると、虚はやんわりと微笑んだ。
「相変わらず良い仕事すんな、お前は」
何気なく口をついて出た虚の一言に、チェシャ猫は笑う。
「当たり前だろ?」
不敵に笑って見せるチェシャ猫を、虚は安心しきった笑みで見つめていた。彼といると、心が落ち着く。家族といるみたいに、暖かい気持ちになる。それは彼も、そしてルイも同じだった。
手放したくない。絶対に。
今ある幸せを噛み締めながら、虚はコーヒーを一口含んだ。
昔と変わらない優しい温もりを放つその黒い液体は、少しばかり苦かった。