Episode 1-5 =道化師と首斬り女王=
国際魔術師統率機構諜報部隊「ハート」
「シャーリー=ローレライ」を統率者とする、主に情報収集を任務とする部隊だ。
若くして統率者となったシャーリーに対して最初こそ反感を持つ者がいたが、現在では隊員だけでなく支配者や他の隊の統率者からも一目置かれる存在となっている。
その最もたる理由は、彼女の仕事への姿勢によるものだろう。
支配者より与えられた任務を、魔術師としての強大な力を使い淡々とこなす姿は、まさに冷酷無慈悲そのものだ。一切の私情を持ち込む事もない。
大鎌で相手の首を一撃で仕留める姿から、「首斬り女王」と呼ばれる程だ。
だが任務以外では、自身の隊の者達への労いと感謝を忘れず、超が付くほど真面目な性格でありながらも、時折意外な一面を見せる事もある。
そう言った彼女の性格が、隊の者達に信頼と尊敬の意を抱かせているのだ。
シャーリー自身の整った容姿もまた(主に男性隊員に対して)魅力の一つなのだろう。
だが、それは仕事、統率機構での顔に過ぎない。
シャーリーの本心、素顔を知る者は、一人としていないのである……。
■ □ ■ □
「クロウ、いますか?」
淡々としたシャーリーの言葉が彼女の赤く潤った口から飛び出した直後、彼女の傍らに人影が現れた。地に片膝を付け、シャーリーに対し頭を下げている。
黒い日本式の着物を着用しており、口元は同色の布で覆っている。髪、瞳ともに黒く、全身の大部分は「黒」で統一されているが、貧血なのでは? と少し心配になるほど白い肌は、その中でもよく映えていた。
彼の名は「クロウ=アルバート」。シャーリーの片腕を務める、「ハート」の隊員である。
「――――此処に」
低い上にかなり小声ながらも、その声は不思議とよく通った。
「お前まで来ていたのか、クロウ」
心底驚いた様に、虚は言う。
さすがの虚も、明細魔術に関しては右に出る者はいないと言われるクロウの気配までは察知出来なかった様だ。
クロウはちらりと虚を見つめ、軽く頭を下げる。
無愛想な態度だが、彼は虚を嫌っているわけではない様だ。
「クロウ、至急彼女を統率機構医務室へ運んでください。
医務室長には、もう話を付けてあります」
「――――承知」
素っ気無くも敬意を込め、クロウは殺魔師を抱え上げ、その場から「消えた」。転移魔術を使用したのだ。本来ならそこそこの時間を要する転移魔術をこれほど早く行使出来るのは、さすがとしか言いようがない。
静寂を取り戻した廃ビルに残された虚とシャーリーはしばし見つめあう。二人とも表情は硬いが、先ほどの虚と殺魔師の様な殺気全く無かった。
静寂を破ったのは、シャーリーの呆れた様な溜息だった。
「先ほどの戦い……急所は外していた様ですが」
「ん? あぁ」
それがどうしたと言わんばかりに、虚は首をかしげる。
そんな彼を、シャーリーはじっと見つめる。
そして、口を開く。
告げる。
「何故……とどめを刺さなかったのですか?」
虚は思わず、怪訝そうに目を細めた。
しばし沈黙した後、ゆっくりとその口を開く。
「結局、俺はまだ人間の事を信じたいんだと思うぞ」
今度はシャーリーが目を細める番だった。
「人間を……信じる?」
復唱したシャーリーに、虚はあぁ、と答え、笑った。
「こんな御時世だ。心が黒く染まっちまっても可笑しくねぇって言うか、むしろそれが運命みてぇなもんだ。そして一度黒く染まっちまった過去は、もう洗い流す事は出来ねぇ。
だが、未来は違う。自分の手で、自分の力で、自分の意思で、白く澄み切らせる事が出来る……それはどんな人間にでも備わってる力だと、俺は思うんだ。どんなに黒く濁った人間でも、再び美しく輝く事が出来るって、信じてぇんだ」
おおよそ道化師と怖れられる存在とは思えない輝いた笑顔を向ける虚に、シャーリーは一瞬見蕩れてしまう。こうして見ていると、普通の少年にしか見えない。
ふと、シャーリーは考える。
もし、仮に《魔術》が生まれず、世界が科学を頂点としてその時計の針を進めていたならば、一体どんな人生を送っていたのだろうか、と。
魔術が生まれなければ、第三次世界大戦が起こらなかった可能性もある。統率機構が出来る事も、世界がここまで荒れる事も無く。
そして、目の前の少年が戦いに身を投じる事も――――。
「……さん? おーい、姫さん」
あまり好きになれない名を呼ばれ、シャーリーは我に返る。
目の前では虚が、心配そうにこちらを覗き込んでいた―――――超至近距離から。
「っ!?」
思わず目を見開くシャーリー。その頬は、心なしか薄っすらと紅色に染まっていた。
虚ほどの整った顔立ちに間近で見つめられれば、これが当然の反応かも知れない。
思わず後ずさりするシャーリー。
「い、いきなり近付かないで下さい……それに、「姫さん」は止めてくれと何度言ったら分かるんですか?」
「え? あぁ、すまん。お嬢ちゃんの時も言ったけど、もう癖見たいなもんなんだよ、コレ。
それに、「姫さん」ってアンタにはピッタリだと思うけど?」
「似合ってなどいません!」
キッと虚を睨むが、肌が紅潮しているため迫力が全く無い。
虚は優しい笑みを浮かべたまま彼女を見据えた。
「金髪蒼眼の絵に描いたような美人、お淑やかな声色に柔らかく丁寧な物腰……どうみても「お姫様」じゃねぇか」
シャーリーは再び肌を赤らめ、視線を逸らした。面と向かって「美人」だとか「お姫様みたいだ」だとか言われると、すこし恥ずかしい。
だが、すぐさまゴホンと息をついて、真面目な表情に戻す。
「それより……「彼女」の事なのですが」
彼女。
その一言だけで、シャーリーの言わんとしている事を察したのであろう虚は、苦く悲しげな笑みを浮かべた。
無論、先ほどまで虚と死闘を繰り広げていた少女、殺魔師の事だ。
「彼女の名は「ルナ=ラスノール」。統率機構がA級違法魔術師に認定している殺魔師です。
まぁ、どこかの誰かさんは、ほんの二、三分で倒してしまわれた様ですけれど」
それも手加減した状態で。下に恐ろしきは道化師、というものだ。
そんなシャーリーの思いを知ってか知らずか、目の前の少年は苦笑を浮かべている。
だがすぐに、それは険しいものへと変わった。
「しかし……何でそのルナってのは、お嬢ちゃんを狙ったんだ?」
ルイが殺魔師に狙われる様な行動を取ったとは考えにくい。それに彼女は毎日、虚に付きっ切りの状態だ。当然、虚から見て彼女が恨みを買うような事をしたとは思えない。だとしたら、なぜルナはルイを狙ったのだろうか……。
その疑問に答えたのは、シャーリーだった。
「おそらく、「ルイさんだから」では無いと思われます。」
「何?」
虚は思わず訝しぶる。
「どういう事だよ」
問われ、シャーリーは虚に視線を向ける。
「今朝の新聞を見ましたか?」
「あぁ、一通りはな」
「だったら知っていると思いますが……彼女は最近この辺りを騒がせている「通り魔事件」の犯人だと思われます」
「通り魔事件?」
一瞬首を傾げた虚だったが、すぐにある事に思い当たった。
「そう言えば、そんな事書いてあった様な気もするな」
「相変わらず時事には疎い方ですね……まぁ良いですけど」
呆れ気味に腕を組むシャーリー。だが、すぐにまた話を戻す。
「今回の事件の発生時期、そして発生場所も一致しますし」
「じゃあ何で、今まで野放しにしてたんだよ」
虚の問いに、シャーリーは少し顔を伏せた。らしくない態度に虚は若干目を細めたが、すぐにシャーリー顔を上げ、虚を見つめた。
「明確な証拠がありませんでしたから……それで諜報部隊としてこの辺りを調べていた所、今回の事件に遭遇した、という訳です」
「……なるほど」
若干不満気に吐き捨てる虚。
シャーリーは空気を変える様に息を吐いた。
「どちらにせよ、彼女が目を覚ました時に話を聞けば分かるでしょうが」
「…………」
虚は目を細め、地を睨む。
気になっている事が、もう一つあった。
「アイツの言っていた「主」ってのは、一体誰なんだろうな」
あの時、確かにルナは言った。「自分は主の命に従う」と。
殺魔師は雇われの殺し屋の様なものだ。主、すなわち「雇い主」がいる事など珍しく無いし、むしろそれが普通だろう。だが彼女の雇い主の場合、少し妙だった。
それは―――――
「……「呪術」ですか?」
虚の心を読んだかのように、シャーリーが口を開く。
虚はシャーリーを見つめ、首肯した。
「あぁ……普通、殺魔師に殺しを依頼する理由は、自らが大した魔力を持たないから、というケースが多い。だが、今回の場合は違う」
「呪術と言う、高等魔術を使用している」
呪術。
それは文字通り、術者が特定の相手に何らかの呪いを掛ける事。
強い魔力、高い魔術力を持たねば使えず、さらにその危険度から現在はその使用を禁止されている《禁術》でもある強大な魔術だ。
今回の場合、使用理由はハッキリしている。
失敗者への口封じ。
万が一の場合の保険。
つまりは、自らの保身のためだ。
「呪術を使える、しかも術をかけた相手に悟られない様に行使出来るという事は、それなりの力がある魔術師という事だ。
そんな奴が殺魔師を雇う理由は、呪術のみに特化しているか、身体が不自由なのか……」
「どちらにせよ、違法魔術師である事に変わりはありません」
シャーリーの鋭い指摘を、虚は首肯する。
「己は手を汚さずに人を駒として扱い、しかもその駒に死に至らしめる呪術を行使するなんざ、許せねぇ……そいつは必ず、俺が裁きを与える」
静かに、だが見る者に畏怖を与える様な雰囲気を帯びた口調。
シャーリーはしばし虚を見据え、やがて視線を地へと落とした。
「残念ですが、それは無理です。違法魔術師への制裁は、統率機構の仕事ですので……では、私はこれで」
そう言ってシャーリーは踵を返し、廃ビルから出ようとするが、
「待てよ、姫さん」
虚によって呼び止められた。
シャーリーは振り返らずに立ち止まり、彼の声に耳を傾ける。
虚はじっと彼女の小さな背中を見つめ、告げた。
「何で……俺に情報を提供してくれたんだ?」
虚は―――道化師は、たった一人で違法魔術師を裁く者。当然、統率機構から無許可で行っている事だ。当然、統率機構内には彼の行動を快く思わない者も多い。そしてシャーリーも、その一人だった筈だ。
そんな彼女が、何故自分に此処まで情報を提供してくれたのか。虚にはそれが不思議だった。
シャーリーはしばし間を置き、やがて素っ気無く答える。
「……さぁ、何故でしょうね」
直後、シャーリーの足元に魔法陣が現れる。
転移魔法だ。之から統率機構へ行くのだろう。
姿を消す直前、虚はシャーリーに優しく微笑み、
「ありがとうな、姫さん」
その声に、シャーリーが答える事は無かった。
一人残された虚は、しばらく彼女が立っていた虚空を見つめていた。
■ □ ■ □
「本当に……何であんな事を言ってしまったのでしょうか」
統率機構内の廊下を歩くシャーリーの脳裏に蘇るのは、先ほどの虚の問いだった。
何故、政府と敵対関係にあるとも取れる彼に情報を提供したのか。しかも自分は、彼の行動を快く思わない側の人間だ。
「そんな事……私が聞きたいですよ」
ため息交じりに零れ落ちる言葉は、とてもか弱いものだった。
何故だろう。虚といると、いつも調子が狂う。まるで自分が自分じゃないかの様に。
そして気付けば、自分は虚の事ばかりを考えてしまっている。これじゃまるで……。
「まぁ、考えていても仕方が無いですね」
「何が仕方ないんだ?」
「っ!?」
突然の返答に、シャーリーは思わず身構えた。
「おいおい御挨拶だねぇ。俺だよ、俺」
声の主は苦笑交じりに言う。
こげ茶色の短髪と黒い瞳を持ち、黒を基調としている事や、男性用、女性用の違いはあれど、シャーリーと同じ統率機構専用の軍服を着込んでいる。しかし彼の場合、上着の前チャックを胸元辺りまで下げていたり(下に白のシャツを着てはいるが)、肘下あたりまで腕捲りをしたりなど、少し着崩している。
彼いわく、この着方が一番動きやすいそうだ。
どこか胡散臭い雰囲気を纏った彼だが、顔立ちは整っている。
彼の名は、「ライト=レグノック」。国際魔術師統率機構武闘派部隊「スペード」の統率者を務める男だ。
「レグノックさん……驚かさないで下さいよ」
「悪い悪い。でもどうしたんだい? 今日はなんかボーっとしてるねぇ」
穏やかな笑みを浮かべるライト。彼のこの表情が、シャーリーは少し苦手だった。
心の底まで見透かされていそうな気がするのだ。
「……別に何でもありませんよ。ただ、少し疲れただけです」
「そうかい……なら良いんだけどねぇ」
いつも通りの間延びした口調で、ライトは言う。
「まぁ、疲れたんなら少し休むこったな。統率者が身体を壊すと、部下の士気にも響くからねぇ」
「お気遣いどうも」
では、と続け、シャーリーは足早にその場を後にする。
ライトはその背中を、やはり穏やかな笑みで見つめていた。
そんな彼の脳裏に浮かぶのは、現在統率機構隊員達(主に男子)の間で流れている、ある噂。
「『あの首斬り女王に想い人が出来た』か……あながち間違ってねぇのかも知れないねぇ」
ライトの言葉が、シャーリーの耳に届く事は無かった。
■ □ ■ □
午後6時。
すっかり日が暮れてしまった、人気の無いルイス郊外を、虚は一人歩いていた。
あれから、近くの住民達に通り魔事件に関する聞き込みを行っていたのだ。ルナを知る事で、もしかすると黒幕へと繋がる「何か」を得られるのではないか、という期待を込めて。
結果としては、たいした情報は得られなかったが。
「まぁ、そんな簡単にはいかないよな」
漆黒に染まった空を仰ぎながら、虚は言い聞かせる様に呟いた。
科学が消失し、排気ガスなどの影響が無くなった空は、星がとても綺麗だ。魔術の台頭によるメリットの一つだろう。
しかし、そんな美しい星空も、虚には嘲笑の様に見えて仕方が無かった。
「すっかり……遅くなっちまったなぁ」
投げやりな様子で、虚は言う。
彼の気がかりはただ一つ。
ルイだ。
「すぐ戻るって約束したのにな……何やってんだ俺ぁ」
自責の念が、虚の中にこみ上げる。
一つの事に集中すると、周りが見えなくなってしまうのは、彼の長所でもあり、同時に短所でもあった。
「まぁ、こうなっちまったもんは仕方ねぇ。ちゃんと謝って―――――」
刹那。彼の身体を「何か」が襲う。
それは、今日の朝方にルイと買い物をしていた時に感じたものと酷似していた。
いや、その時よりも明確な――――「殺意」を。
「っ!?」
虚は目を見開き、殺気の感じる方角へ視線を向けた。
次の瞬間、彼の身体は地に伏す事になる。
その直前に彼が見たモノは―――――こちらに向けて矢を放たんとする、黒い人影だった。