Episode 1-3 =崩壊の足音=
西ヨーロッパの北海にひっそりと浮かぶ島『インネオ』。
アメリカやロシアなどの主要国家に代わり、世界の中心となっている国だ。首都『ルイス』を始めとする発展都市も多い。
だが、それはあくまでこの時代にしてはの話だ。
地球にとって発達の全盛期だった西暦2000年代前半に比べれば、文化レベルはかなり落としている。
原因は一つ。
第三次世界大戦だ。
あの忌まわしき戦いにおいて地球は大打撃を受け、先述したアメリカやロシアなどの世界の中心だった地は特に集中砲火を浴び、現在では貧民の溜まり場となってしまった。
かつての歴史の最前線を走っていた頃の威光ある姿は、微塵も感じられなくなっている。
そして此処、インネオもまた、程度の違いはあれど打撃を受けた。
多くの国より魔術攻撃を受け、人は死に、家は焼かれ、辺り一面が焼け野原と化し、その結果他の国と同じく、名前すらも奪われてしまった。
国際魔術師統率機構が設置され、今や世界の頂点とまで言われるこの島が、かつては『イギリス』と呼ばれていた事を知る者も、もう数えるほどしかいなくなってしまった。
まったく、嘆かわしい事だ……。
■ □ ■ □
白昼堂々と市街地を歩くという経験は、虚にはあまり無い体験だった。
現在朝の10時。
いつもなら、まだまだ布団カタツムリ状態となっている時間帯だ。
何度も言っている様に、彼自身が朝に弱い、という事も当然理由の一つだ。
そもそも虚は、。ルイやチェシャ猫、マナなどの親しい者達ならまだしも、他人と関わる事を極力避けている。
違法魔術師とは違い手配書やら何やらが政府から出ている訳では無いが、もし自身を知っているか、恨みを持っている人間などに出会えば、血の気の多い者達がいる今の時代、ほぼ間違いなく交戦になるだろう。
独自に違法魔術師を裁く虚の行動に不快感や嫌悪感を持つ者は、多くは無いが少なくも無いのだ。
人の少ない夜なら、見つかってもまだ良い。万年黒いコートなので、見つかりにくくもあるだろう。
だが昼にそんな輩と出会うと、必然的に周囲にも顔が知られてしまう。
そうなると、街にもいずらくなってしまう。
自分だけならまだしも、今はルイという、家族とも言える存在を、大げさに言えば『養っている』身だ。そんな事になっては、彼女に申し訳ない。
それに、自分達を匿ってくれているチェシャ猫達にも、少なからず被害が及ぶだろう。
無愛想に振る舞いながらも根は情に篤い虚にとって、それは絶えがたい事だった。
(まぁ、俺を狙う理由がある様な奴等も、こんな昼間に市街地には出てこないか)
杞憂だったのかもしれない。
虚は、微笑み交じりのため息を吐いた。
「どうしたの? 虚」
虚の急な行動を不審に思ったのか、ルイが首を傾げる。
「いや、何でもねぇよ」
虚は言い、次にその紅の瞳を市街地へと向けた。
時間が時間なだけに、街は多くの客と店で賑わっている。
店と言っても、四本の木柱に白いテントを張っただけの簡易的なものだ。
大戦で森林が焼かれ、材料が手に入らないのである。
Paradoxの様なちゃんとした建物として存在している店は、この時代では滅多にない。
あの店は場所が中心から離れている事もあり、戦時中の壮絶なる魔術攻撃を、奇跡的に免れたのだ。
それをチェシャ猫が買い取り、現在に至る。
聞いた話ではあるが、20年ほど前までは、Paradoxの様な店がこの辺りを埋め尽くしていたという。
尤も、虚が生まれる以前の話なので、彼も詳しいことは知らないが。
(想像もつかねぇな……殺風景が普通になった今じゃ)
ぼんやりと、そんな事を考える。
昔は良かった、などと言う大人たちは、今でも少なからずいる。
今を見ようとせず、過去の栄光に未だすがり付こうとしている者達だ。
次世代を生きる自分達にとって、それは単なる夢物語でしかない。
縄文を生きた人々に、「2000年後には車という機械が出来ますよ」などとほざく様なものだ。
(結局、進むしかないよな。俺達は……)
思わず、虚は唇をキュッと結んだ。
その時、
「虚……どうしたの?」
ルイの、小さくも耳によく通る問い掛け。
虚は我に返り、苦笑交じりにルイを見る。
「何でもねぇよ。どうした?」
「うん。何か……」
視線を落とし、ルイは悲しげな表情で虚の腹辺りを見つめた。
「虚……凄く怖い顔をしてたから」
虚は思わず、心の中で舌打ちをする。
何てバカな男なんだ自分は。こんな小さな子にまで、いらぬ心配を掛けるつもりなんか。
自分への嫌悪と不快感が、虚の思考を埋め尽くす。
思わず視線を泳がせ、虚は再び、笑う。苦味を交えつつ。
「―――それよりお嬢ちゃん、何を買うんだ? さっさと済ませて帰ろうぜ」
かなり強引な話題転換だった。動揺しているのが見え見えだ。
だが、ルイはそれ以上問い詰めては来なかった。
「あ、うん。えっと……とりあえず魚介類を適当に二、三匹買って来てって言ってた」
「そりゃまた大雑把だな……。
しかし魚介類かぁ……金は足りんのか?」
大戦による海水汚染が原因で、人間が食べられる様な魚介類の水揚げ率は、恐ろしく低下している。
揚がったとしても、かなり高値で売買されており、一般人にはおよそ手が出ない代物だ。
「大丈夫……だと思う」
ルイの返事はかなり心配なものだったが、考えた所で値引きされるわけでもない。
ましてや、こちらの軍資金が増えるわけでもない。
「とりあえず、その辺りの店を周って見るか?」
「うん……」
二人は頷き合い、賑わう市街地の人ごみへと姿を消した。
■ □ ■ □
突如、青を基調とした統率機構の軍服の右ポケットが振動を始めた。
統率機構所属魔術師シャーリー=ローレライは、その源となっている小さな箱を取り出す。
箱の名は、携帯電話。何十年も前に世界を支配した『科学』の、ほぼ唯一の生き残りだ。
魔術が主体となった今、電波塔などがある筈も無い。
使用には電撃魔術を応用し自ら電波を放ち、同時に相手の所在地を正確な座標計算で導き出さねばならず、今や高等魔術師でしか扱えなくなってしまっている。
お世辞にも、便利な代物であるとは言えない。
だがそれは、逆に言えば高等魔術師が扱えば、伝達魔術を使用する事に比べれば格段に早く、かつ簡易的に会話を行う事が出来るのだ。
シャーリーは携帯を取り出し、ディスプレイを確認する。
そこには、デジタル文字で素っ気無く『Alice』と表示されていた。
一瞬眉を顰めつつも、シャーリーは右手の親指で通話ボタンをぎこちなく押す。
そのまま、耳にスピーカーを近づけて行く。
機械のヒンヤリとした感触が、何となく心地よかった。
「シャーリーですか? 私です」
機械越しに聞こえるのは、聞きなれた少女の声。
統率機構の頂点に立つ支配者の声に間違いなかった。
「私の携帯なのですから、私以外の誰が出るというのですか?」
淡々と言ってのける。
「相変わらず詰まらない人ですね」
ため息交じりに呆れられた。いつもの事だが。
「それで、そちらの状況は?」
ほんのりと好奇心の風味が混じった問い掛け。
まるで、何かが起こって欲しいと思っている様だ。
「……今のところは、まだ」
「そうですか」
途端に、支配者の声は落胆の色に染まった。
これもまた、いつもの事だ。自分の思った通りの展開が起こらなければ、あからさまに気分を害する。
シャーリーは、時々そんな彼女が分からなくなる。
「では、失礼致します。変化が生じ次第、こちらより連絡致しますので」
「えぇ、お願いしますね」
プツン、と音がした気がした。
それきり、支配者の声は聞こえない。
代わりに聞こえるのは、通信が切れた事を示す、空しい機械音だけだった。
■ □ ■ □
「やっぱり何処も高いな、魚介は」
途方に暮れた様子で、虚は呟いた。
あれから30分ほど市場を周ったが、どこもかしこも高額なものばかりで、現在の所持金では一匹買うので精一杯だ。
ルイもまた、表情に影を落としている。
「この御時世じゃ仕方なし、なぁんて言っちまえばそれまでだけど。そろそろ疲れて来たな」
「…………コート脱げば?」
「いや、暑いってわけじゃない」
「そう」
本音を言えば、彼のコートの下を見てみたい、という思いも少なからずあるのだが。
「残念」
「は?」
「……何でもない」
ルイは目を逸らす。
虚が不思議そうに首を傾げると、
「おーい! お二人さん!」
男性の声が、人の賑わう街で驚くほどよく通った。虚のものではない。
だが、二人はその声に聞き覚えがあった。
声のした方向に向けられた二人の視線の先に同時に映るのは、こちらに向けて元気に手を振る一人の男。
年は30に届くか届かないか位だろうか。
程よく日に焼けた筋肉質なその男を見るなり、虚はやんわりと微笑んだ。
「よぅ、久しぶりだな。レイン」
「こんにちわ、レインさん」
男の名は、レインナード=パスラル。通称レイン。
その健康的な日焼け肌には、おおよそ似つかわしくない名前だ。
「最近顔見てねぇから、死んじまったかと思ったぜ虚」
「お前の雑貨屋は日が暮れたらしめちまうからな。
それに、俺がそう簡単にくたばる男に見えるか?」
「はは、違いねぇ」
豪快に笑うレイン。
大雑把で無遠慮な彼の性格が、虚は嫌いでは無かった。
むしろ、妙な距離を取られるよりよっぽど心地いい。
「ルイも久しいな! 元気だったか?」
「問題ない……レインさんも元気そうで何より」
「おうよ! それだけが取り柄だかんな!」
レインは再び笑う。朝から元気な男だ。
尤もこの男の場合、年中こんな感じだが。何でも風邪すら引いたことが無いとか。
(何とかは風邪引かないって言うが……ありゃ本当だな)
心の中で苦笑する虚。
そんな彼を、レインは見つめる。
「それより、お前等こんな所で何やってんだ?」
「あぁ、ちょっと買い物を頼まれてな」
「へぇ。チェシャ猫かい?」
「いや、マナだよ。ほら、二週間前に店に入った」
「ああ! あの可愛らしい子か!」
右手でポン、と左掌を叩くレイン。
「それで、何を買いにきたんだ?」
「魚介類を適当に二匹三匹買ってくれってさ」
「魚介!? そりゃまた……大変だろう」
「まぁ、な。さっきから店周ってんだけど、やっぱ高くてさ」
「そうだろうなぁ……そんなお前等に、いいものをやろう」
言うが早いか、レインは何やら後ろの籠をごそごそとかき回し始めた。
虚とルイが顔を見合わせていると、途端にドン! と大きな音がした。
二人がぎょっとした様子でそちらを見ると――――
「わぁ」
「マジかよ……」
反応は違えど、二人の感情には少しの誤差もない。
当然だろう。いきなり目の前に、艶のある身体を太陽に照らつかせた魚が三匹も放り出されたのだから。
驚く二人に、レインは得意げに鼻を鳴らす。
「どうだ。今日の朝入ったから、鮮度は保障するぜ? 何、俺とお前等の仲だ。格安で売ってやるよ」
「いいの?」
「おう! 男に二言はねぇよ!」
「……ありがとう」
ルイはかすかに微笑みを浮かべ、告げる。
感情に乏しい彼女にとって、最大限ともいえる感謝の言葉だ。
レインもそれをよく分かっているのか、ニッと笑ってみせる。
「おうよ!」
そんな二人を、虚は遠巻きに眺めていた。
彼の頭に浮かぶのは、ある一つの疑問。
(ここ、雑貨屋だよな?)
雑貨屋とは、簡単に言えば日常生活に必要な物(文房具など)を売る店だ。まかり間違っても、スーパーや魚屋では無い。
一体どんなルートでこんなものを手に入れたのかは疑問だが……。
(まぁ、お嬢ちゃんが愉しそうで何よりだ)
やはり、虚との出会いは彼女の中で大きなものだったらしい。
多少くすぐったいが、同時にそれはとても嬉しい事実だ。
微笑を顔に張り付かせて二人を見つめる虚。
だが、不意に――――その笑みをかき消す「何か」が虚の背筋を凍らせた。
とても微弱だが、それでいて確かな違和感。
そこから伝わる――――抑えきれないと言わんばかりの、感情。
(どうも、穏やかじゃねぇな)
目を細める虚。
そこへ、買い物を終え、右腕に魚が三匹入った買い物籠を持ったルイが戻ってきた。
「虚」
「え?」
そこで我に返り、虚はルイを見つめる。
なんとなくデジャヴを感じた虚だったが、触れない事とした。
「いや、何でも……」
ない。
そう続けようとして、虚は言葉を止めた。
しばしの沈黙。
その後、虚はゆっくりとルイの顔を見つめる。
「悪いお嬢ちゃん。俺ぁもうちょっと市場を見て周りたいから、先にParadoxに戻っててくれねぇか?」
「いいけど……どうしたの?」
純粋無垢な問い掛けに虚は一瞬言い淀み、やがて苦い笑みを浮かべる。
「別に何でもねぇよ。ただ、久々にお天道さんの下に出たんだし、もうちょいいても良いかと思ってな」
「そう……なら私も一緒に」
「良いよ。せっかくレインが新鮮な魚を提供してくれたんだ。俺に付き合わせて腐っちまったらもったいないだろ?」
「でも……」
ルイは視線を地面へと落とす。
虚は若干良心が痛んだが、やがて微笑みを浮かべ、ルイの頭を撫でた。
「ゴメンな。でも、すぐ帰るから安心しな」
「……うん」
コクリ。ルイは首を縦に振る。
良い子だ、と優しく微笑み、虚は立ち上がった。
「じゃあ、また後でな。お嬢ちゃん」
「うん。気をつけてね」
そう言って、ルイはパタパタと小走りで、人ごみへと消えていった。
虚はそれを、見えなくなるまでずっと見つめていた。
優しく、愛おしそうに、そして何処か悲しげに。
だが、すぐにそれは険しい無表情を浮かべ、己の目的地へと歩を進めた。
■ □ ■ □
市街地から少し離れた、崩壊寸前の廃ビル。
これもまた、Paradoxと同じ。第三次世界大戦の傷跡の一つだ。
安全上などの門題から一時期取り壊しの話も出ていたが、「あの惨劇を二度と繰り返さないため」という戒めの為に、残る事になったのか。
当然、今は立ち入り禁止となっている――――筈だ。
その廃ビルに今、一つ人影が見えていた。
女性だ。年は若い。寝癖だった茶髪が印象的である。
視線の先には、賑わう人ごみ。
だが、彼女の漆黒の瞳には、たった一人しか映ってはいなかった。
年不相応の白い髪と、無感情な印象を受ける灰色の瞳を持つ少女。
右腕には、魚が三匹そのまま入った買い物籠をぶら下げている。
黙って少女を見つめるその瞳は、その少女に負けず劣らず無感情なものだ。
だが、身体から放たれる「殺意」は、隠し通せてはいなかった。
「――――くだらない」
その声は、聞く者を凍てつかせてしまいそうな、そんな雰囲気を纏っていた。
女はそのままゆっくりと右手を挙げ、その照準を少女へと向ける。
その時だった。
「おい」
たった一言。だが、それは重く女にのしかかった。
思わず、女は目を見開き、少女に向けていた右手を声に向ける。
そこに立っていたのは、漆黒のコートと髪を持つ紅眼の少年。
面識こそ無かったが、女の方は、その姿をした者を聞いたことがあった。
「道化師……」
「おっ、俺を知ってんのか? 嬉しいな」
一瞬、虚は笑う。
だが、すぐにそれはかき消されてしまった。
見る者全てに恐怖を抱かせる様な表情に。
「悪いが、その女の子は俺の家族みたいな子でね……手ぇ出さねぇでくれないか?」
「……いつから気付いていた?」
「バレバレだっての。迷彩魔術で必死に気配消してたみてぇだけど、身体中から殺気が滲み出てんだよな、アンタ……おそらくは、殺魔師か?」
殺魔師。呼んで字の如く殺しを性分とする魔術師である「殺し屋」だ。当然、違法魔術師の一種である。
虚の話を聞いてか聞かずか、女は目を細めた。
それは正に、「殺意」と名付けるに相応しいものだ。
「聞く耳持たず、か。しゃあねぇ……」
一旦眼を伏せ、しばし瞑想に入る。
だがすぐに、その瞳は開かれた。
先ほどとは違う、明確な「殺意」が篭った鋭利な瞳が。
「実力行使しかねぇ見たいだな…………」
「最初から、私はそのつもりだ」
二つの殺意が火花を散らしたその瞬間――――
「行くぞ……道化師」
「良いぜ……来いよ、殺魔師」
幕は、開かれた。