Episode 1-2 =ごく有り触れた日常(しあわせ)=
国際魔術師統率機構。通称『IMCS』。
全ての魔術師を束ね、管理する総本山的存在。そして、実質的に世界の頂点に立つとされる、巨大魔術組織だ。
統率機構は四つの部隊、「スペード」「ハート」「クラブ」「ダイヤ」に分かれている。そしてそれぞれの隊長を『統率者』、そして彼等四人の長、実質的な世界の頂点に君臨する者を『支配者』と呼ぶ。
だが、一般国民が知っているのは、その程度の漠然とした知識でしか無い。
何を行動原理とする組織なのか。目的は何なのか。誰が何のために創設したのか。詳細は何一つ分かっていない。
誰か、何処にあるのか、何をしているのかも分からず、その存在自体認識出来ない。
そんな曖昧極まりないモノに、人は今、支配されている。
不安もある。何故自分達に姿を現さないのか、と言う怒りも当然ある。だが、今この世の中では、彼等に支配される以外、生きる手段はない。
彼等と敵対する、という事は、それすなわち『死』を意味するのだから。
国民は今日も、見えざる支配者に恐怖や不安を抱きつつ、この腐りきった世界を生きて行くのだ―――。
■ □ ■ □
「今朝、ルイスの表通りの路地裏で、違法魔術師が倒れているのが発見された様ですね」
「……はい」
四方が黒によって埋め尽くされた密室に、二人の女声が響き渡った。
一人は、少女の様な高い声を持ちつつも、何処か妖艶さを纏った声質をしている。
もう一人は、お淑やかで落ち着いた声質を持ち、たった一言呟いただけで、確かな存在感を醸し出していた。
「聞く所によれば、彼は昔からあの辺り一体で処女を攫っては喰らう下衆……もとい、違法魔術師だったそうじゃないですか。確かルイスの管轄は、アナタですよね?」
「はい。間違いありません」
「何故、今の今まで放置されていたのですか?」
「彼は己の姿を晦ませる魔術の扱いに長けており、発見にかなりの困難が生じておりました」
「なるほど……いるんですよね、そういう輩が。夜は大きく尊大に振る舞いながら、日が昇るとただ己の保身に走る卑怯者が」
溜息交じりに、少女は吐き捨てる。
「それで……発見時の状況を聴きたいのですが……」
少女が問う。その声は、何処か楽しそうな雰囲気を帯びていた。
女性は問われるや否や、溜息を吐いて目を伏せる。
「男は表通りの方へ頭を向け、うつ伏せに倒れていました……。
首裏に青い痣が出来ており、おそらく鈍器の様なもので強打されたと見て間違いないかと」
「そうですか……」
それだけじゃないでしょう? とでも言いだげに、少女はニヤニヤと唇を吊り上げている。
女性は目を開き、しばし少女の顔をじっと見つめると、やがてゆっくりと口を開いた。
「それだけですよ。他には何の痕跡も残っていませんでした。ただ……」
「ただ?」
答えを急かす様に、少女は言う。
その声から、興味津々なのが見え見えだ。どうやら彼女は、感情が言葉に乗って出てくるタイプの人間らしい。
「通報して来た少女の話では……『十字架を背負った青年と小柄な少女が現れ、一瞬にして男を倒した』との事らしいです」
答えを聞くと、少女は満足そうに笑みを浮かべ、椅子に深く腰掛ける。
「そうですか……やはり、彼等が動いたのですか」
「『動いた』と言うより、『偶然事件を目撃し、首を突っ込んだ』らしいですよ」
「同じ事ですよ」
女性の返答を、少女は遮る。
「どちらにせよ、彼は現れた……それだけの情報が聞けただけで、私は満足です」
女性は、目を細める。
「そう怪訝そうな顔をしないでください。別に彼の行動を賛美している訳ではないのですから」
「当然です。彼の行動は、統率機構への反逆とすら取れる物です。
何故、ブラックリストに載っていないのかが不思議なほどです」
「良いではないですか。別に一般市民に手を出しているわけではないのですよ?
むしろ違法魔術師のみを狙っている、義賊の様なものです。今、世界政府に害を与える様な存在ではない以上、私達が狙う相手ではないでしょう?」
「今は、の話ですけどね」
「もう、アナタは相変わらず超が付くほど真面目ですね」
つまらない、と言った風に少女は言い、わざとらしく頬を膨らます。
だが、すぐにそれは真剣な眼差しへと変わった。
「それより……あの件はどうなっているのですか?」
あの件。その一言で通じたらしく、女性は目を細める。
「変わりありません。しかし……道化師が動いたのだとしたら、そろそろ動く時かもしれません」
「では、引き続き監視を続けてください」
「はい」
「分かっているとは思いますが、今回は完全なる傍観者に回る事です。
しかし、もし『アレ』が世界政府にとって邪魔となりえる存在であるのならば……」
「……分かっていますよ」
その声は、心なしか少し曇っていた様に聞こえた。
少女は女性の心を知ってか知らずか、微笑みを浮かべてみせる。
「では、行ってください。健闘を祈っていますよ、ハート部隊統率者・シャーリー=ローレライ」
少女の優しくも威圧的な言葉の前にシャーリーは方膝を付き、頭を下げた。
「はい――――支配者様」
■ □ ■ □
翌日。
悪い意味で大きな変貌を遂げてしまったこの世界にも、朝は平等に訪れる。
ルイス郊外にひっそりと構える喫茶店『Paradox』も、当然例外ではない。
この喫茶店の二階を間借りしている身である曽根崎虚は、朝が大の苦手だった。
元々夜行性型人間だという事もあるが、あの気だるい感覚や燦々と輝く太陽の光が、どうも苦手だった。
故に彼は、朝滅多に外に出る事がないのである。
今日も、このままベッドの中にカタツムリ状態で朝を過ごし――――
「虚、起きて」
――――と言うわけにもいかない様だった。
ベッドの優しい温もりに身体を預けていた虚を、突如として妙な重力が襲う。
加えて蚊の泣く様な小さな声を聞き、虚はため息を吐き、布団から顔を出した。
見るとそこには、チェック柄のミニスカートとカッターシャツ、触れるだけで折れそうな細く白い両脚には、昨日と同じく黒のニーソックスを身に付けたルイが、その無感情な二つの灰色を虚に向けていた。
虚は目の下にうっすらと隈を作りながら、ルイを見つめる。
今の彼女は、馬乗り状態で虚の身体に乗っかっている。
そして下半身にはミニスカート。当然、そんな格好でそんな態勢をしていれば、見なくて良いものまで見えてしまう。
「…………お前、無防備すぎるぞ。男はどいつもコイツも野獣みてぇなもんなんだから、気をつけろ」
「変態」
虚のちょっとした心遣いを無視する様なルイの一言が、虚の心を突き刺した。
思わず目を細め、虚はルイを少し睨む。
「……何でそうなる?」
「虚が私みたいな美少女の下着を見て興奮する様な変態ロリコン野郎だったなんて……残念」
「俺がいつ興奮したってんだよ。つーか自分で美少女とか言うな」
「困った……これから虚とどう付き合っていけば良いんだろ」
「人の話聞けよ」
ため息交じりにはき捨て、虚はゆっくりと起き上がる。両手を布団の温もりから名残惜しそうに解放し、おおよそ無いに等しいルイの身体を抱きあげ、とりあえず床に下ろした。
「とにかく、俺ぁ朝はゆっくり寝たいんだよ。悪いが遊び相手なら、下の連中に頼んでくれ」
「そうじゃない」
ルイは再びカタツムリになる虚から、布団を引っぺがす。
虚は眠そうに目を細めたまま、ルイを見つめる。
「今ね、マナからお使い頼まれたの……虚も付いて来て」
「お嬢ちゃん一人で行きゃ良いだろ。頼まれたのはお嬢ちゃんなんだから」
「虚も一緒じゃないと、嫌」
「何でだ?」
「荷物持ちがいないから」
「さっさと行け性悪娘」
虚の反応に、ルイはしゅん、という効果音が付きそうな表情を浮かべる。
「……冷たい」
「悪かったな」
「昨日は一緒に服買いに行ってくれたのに」
あの夜の出来事の後だろう。どうやら二人は、ルイの服を買う為に外出していたらしい。
「アレは夜だからだろう? お前も知ってると思うが、俺ぁ朝が苦手なんだよ」
「虚はもう、私なんてどうでもいいんだね」
「だから人の話を―――」
「『こんな性悪毒舌少女を拾わなきゃ良かった』って……本当は思ってるんだね」
「……もしもし?」
「もう捨てられちゃうんだね私……」
「…………………」
「それか、これから一生、変態ロリコンの虚の肉奴隷として生きいかなきゃならないんだね……」
「だぁぁぁもう! うるせぇな!!」
ガバッ! と音を立てて、虚は布団から上半身を起こした。
こちらをじっと見つめるルイを見てため息を漏らし、頭を抱える。
「分かった……一緒に行ってやるから、下で待ってろ」
「……うん、分かった」
ルイは感謝の言葉を述べる事もなく、至極当然と言った様に言うと、そそくさと虚の部屋から出て行った。
タンタンタン……と階段を駆け下りていく音を遠くに聞きながら、虚はベッドから這い出す。
「友達いないだろうなぁ……アイツ」
ルイの将来を心配しながら、虚は壁に掛けられた漆黒のコートに手を掛けた。
■ □ ■ □
『喫茶店Paradox』。
虚とルイが現在間借りしている店の名だ。意味は『逆説』だが、店主が言うには、特に意識して付けた名では無いらしい。
元々その店主は虚と旧知の仲であり、当時虚は特定の住居を持っていなかった。
だが、虚がルイと行動を共にする様になると、さすがにそれでは申し訳ない。そこで、以前から入り浸っていた喫茶店の店主に頼み込んで(と言うより半ば脅して)、喫茶店の二階の部屋を、二つ間借りしたのである。
その店主はと言うと、現在営業時間へ向け、コーヒーカップや皿などを丁寧に磨いている。年は、およそ20代前半だろうか。茶色を基調とした妙にロックな服が良く似合っている。そして、何を思ったか頭には猫耳が二つくっついている。
その隣には、桃色の髪をさらさらと流す、16ばかりの少女がいた。おそらく、この店の店員の一人だろう。
学生服の様な格好の上からエプロンをつけている姿は、何となく様になっている。
少女は手に持った大皿を凝視すると、やがて微笑んだ。
「店長! これどうですか?」
「ん~?」
マスターと呼ばれた男は、己の手を一旦止め、少女から大皿を受け取った。
注意深く隅々まで見渡した後、男は優しく微笑みかけた。
「うん、文句なし。完璧だよ」
「本当ですか? よかったぁ……」
ほっと胸をなでおろす動作をする少女。
その時、ギィ……ギィ……と階段が軋む。下りてきたのは、いつもの黒いコート姿の虚だった。まだ眠いのだろう。大きな欠伸を右手で押さえ込もうとしている。
「お早うございます、虚さん」
「あぁ、お早うマナ」
名を呼ばれた少女、マナ=クラウベルは、太陽の様な輝かしい笑顔を虚にぶつけた。
虚はマナに微笑みを返すと、やがてしんと静まり返った店内を見回した。
「相変わらず客いねぇな、チェシャ」
「客も何も、まだ開店前だよ」
「変わらないだろ。二、三人ばかり増えるだけで」
吐き捨て、虚はカウンター席に座った。
何やらぶつぶつ愚痴っている本名不詳の店主、通称『チェシャ猫(頭の猫耳が由来)』を尻目に、新聞を広げた。
今、ルイスを騒がせる『通り魔事件』の続報だとか、怪しげな魔法薬の宣伝だとか、有り触れた記事を軽く流し読みしながら、パラパラと新聞をめくっていく。
「朝御飯、何か用意しましょうか?」
「いや、良いよ。新聞読んだらすぐに出るから。そういや……」
虚はしばし新聞から目を離し、再び辺りを見渡す。
「お嬢ちゃんは? アイツに叩き起こされたんだけど」
「外で待ってるってさ。何か落ち着いていられないみたいだったぞ? 相当楽しみなんだな」
「そっか」
ため息交じりに吐き捨てる虚に、マナは微笑んで見せた。
「ふふ、ルイちゃんはよっぽど虚さんが大好きなんですね」
「うーん……そうなのか?」
何かおもちゃにされている感がすごいんだが……、と虚は内心首をかしげた。
「でもまぁ、お嬢ちゃんはずっと一人で生きてきたからな……こうやって人と一緒に買い物に出かけるってのが、幸せなんだろうな」
感慨深げに、虚は呟いた。
虚と出会うまで、ルイはたった一人でこの世界を生き抜いてきた。親の顔など、もう覚えてもいない。気付いたとき、彼女はルイスの裏道で一人、置き去りにされていた。所謂捨て子だ。
この腐敗した世界で、12にも満たない少女が、たった一人で生きる。
それは、とてつもなく苦しく、悲しく、絶望的な事だ。
生きる為、彼女は窃盗を始めとするありとあらゆる犯罪に手を染めた。一時、統率機構の者に追われた事もある。
その時に救ってくれたのが、虚だったのだ。
そんなルイにとって、こうやって人と……曽根崎虚という初めての『家族』と買い物をするという、一般市民にとっては至極当たり前の行為が、かけがえのない幸福として映るのである。
そんな彼女の苦しみを知る虚は、ふと微笑む。
(もし、お嬢ちゃんの中の何かが変わったのだとしたら……俺も嬉しいんだけどな)
静かに音を立て、立ち上がる虚。新聞をカウンターの隅に置き、大きく背伸びをした。
「さて、待たせんのも悪いし、行ってくる」
「あぁ」
「お願いしますね、虚さん。本当は私が行ければ良かったんですが……生憎手が放せなくて。買う物はルイちゃんに教えてありますから」
「あぁ、分かった」
言うが早いか、虚は扉の鈴を鳴らしながら、慣れない日差しの下へと飛び込んでいった。
■ □ ■ □
「おう、待たせたなお嬢ちゃん」
燦々と照りつける太陽の光を全身に浴び、Paradoxの壁に寄りかかるルイに、虚は声をかける。
虚の姿を確認するやいなや、ルイはゆっくりと壁から身体を離す。その顔は、心なしか少し綻んだ様な気がした。
「大丈夫。ほんの9分38秒ほどしか待ってないから」
「秒単位で覚えてんのかよ……」
「体内時計には自信がある」
グイ、と、ルイは虚のコートの袖を、少し強く引っ張った。
「それより、早く行こ……待ちくだびれちゃった」
「お、おいおい引っ張るなよ」
そんな引っ張らなくても、俺は逃げねぇよ。などといいながらも、ルイは手を放さない。放したくない、とでも言う様に。
ルイにとって、やっと手にした幸せなのだ。
絶対に放さない。放すものか。
ルイの力は、緩む所か増していった。
それでも、虚が全力で振り払ってしまえば、すぐに解けそうな微弱な力だ。
しかし、虚は振り払う事なく、ルイの姿を後ろから眺め、笑った。
(本当に心配性だな……そんな事しなくても、俺はお嬢ちゃんから離れたりしねぇってのによ)
虚もまた、ルイと同じ想いなのだ。
ルイを、家族を、そしてこの有り触れた幸せを手放したくはない。もしルイに頼まれたとしても、この手を放す事はないだろう。
おそらく今、傍から見ればだらしないとさえ思われる様な笑みを、自分は浮かべているのだろう。
そんな事を思いながら、虚はコートを引っ張る小さな手を見つめていた。