Episode 2-1 =『闇』と『影』の邂逅=
深夜。
鳥も街も人間も、全ての生きとし生けるものが明日に備え、深い眠りに付いた頃。
ルイスの中心に位置する市街地から、3kmほど南に下った地に小さく聳える資料館。
資料館、と言ってもさほど豪勢な佇まいではない。
魔術が普及する前に存在した西洋の屋敷より、ほんの少し小さい程度の建物だ。
中に置かれているものは、戦時中に活躍した魔術師に関する資料や遺品の他に、後世の人間によって描かれた、大魔術師の肖像画などが置かれている。
規模は大きくないとはいえ、ルイスでも……いや、今の全世界の中でもここまでの偉人に関する物品を取り扱っている資料館は他に無いだろう。
当然、毎晩警備員たちが巡回しているのだが……今晩は、少し様子がおかしかった。
資料館の中が、静かすぎるのだ。
警備員たちが巡回すれば、多少なりとも足音は立ってしまう。
これほど希少な資料館なのだ。その人数も多い筈であるし、それに比例して足音も意識せずとも多く聞こえてくる。
だが、今は全くと言っていいほど音が無い。
その原因は、資料館の一角。とある魔法陣が描かれた巻物の前に佇む、一人の少女。
見たところ、年は17ばかりだろうか。腕全体に腹、胸元を露出させた黒い衣装に、同色のスカート。さらに足には黒いソックスと、腕にはこれまた同色の籠手を着けており、また首元には、同じく黒のスカーフが巻かれており、それによって鼻から下が隠れている。
腰まで届く様な黒髪をポニーテールにしている、露出させている肌以外の一切を黒一色に染めたその少女の周りには、警備員がいた。
だが、それらは全て、床に寝転がった状態で転がっている。
もうお分かりだろう。彼女の仕業だ。
彼女は言うならば、この資料館にある物を盗み出しに来た『盗賊』、とでも言えば良いだろうか。
少し違うのだが、その様な存在だと思っていただければ幸いである。
少女は、獲物を狙う猫の様な鋭い眼光を巻物へと向け、しばしの間黙りこむ。
そして直後に、その籠手が巻かれた腕を動かし、ゆっくりと巻物に手を掛けた――――――。
「――――何をしている」
刹那、聞き覚えのない男声が彼女の耳を打つ。
低く囁く様な声でありながらも少女に確かな威圧感と存在感を醸し出すその声に、少女は一度手を止めると、反射的に声の方へ体を素早く反転させ、得物である二本の短刀を逆手に構えた。
そこに立っていたのは、彼女と同じく『黒』をイメージさせる、一人の青年。
いや、具体的に言えば、少し違う。少女はその体で、ひしひしと感じていた。
青年から溢れんばかりに漏れ出すそれは、『黒』などと言う安易な表現では表しきれないものだった
表現するならば、それは『闇』。
それも光の入る隙間を与えず、それどころか光をも完全に遮断してしまいそうな程の、圧倒的な闇の力だった。
青年の名は、『クロウ=アルバート』。
今、この世界の頂点に立つ組織『世界魔術師統率機構』、通称『IMCS』諜報部隊に所属する忍である。
少女はクロウの力を感じると、更に目を鋭くとがらせ、彼を睨む。
対するクロウは、圧倒的な闇を体から放出させながらも、ただ無表情に、落ち着いた雰囲気で彼女を見据えていた。
「――――問いに答えろ。何をしている」
「貴様に答える義理など――――ない!」
それは、一瞬の出来事。
クロウの問いに対する彼女の『答え』を口にした直後、すでに少女はクロウの目の前まで迫っていた。 そしてクロウの脳をめがけて、その短刀を思い切り薙ぐ。
だが――――
「っ!?」
少女は目を見開いた。
今の状況を理解するのに、少し時間を要したのだ。
無理もない。今そこにいた筈のクロウが、忽然とその姿を消していたのだから。
「――――貴様も忍か?
――――なるほど、筋は良い」
次に、彼の声が響いた。
しかも今度は、未だ短刀を振りきれていない少女の後ろから、だ。
少女が短刀をクロウめがけて薙いだ直後から今までの、時間にして2秒も経たないうちに、クロウは彼女の前から移動し、背後を取った、と言う事だ。
有り得ない事だ。だが、彼の手にかかれば、それが有り得てしまう。
クロウ=アルバートとは、そういう存在なのだから。
少女は再びくないを構えなおし、彼を斬ろうと足に力を入れる。
だが、それは叶わなかった。
彼女の首には既に、彼の得物である、漆黒に塗られたやや長めの刀が掛けられていたのだから。
「――――だが、まだ甘い」
「貴様……」
悔しそうに歯軋りをしながら、少女は小声で静かに怒る。
決して少女が弱いわけでは無い。
ただ、同じ忍として、クロウが強すぎるだけだ。異常すぎる、と言っても良いかもしれない。既にクロウは、『闇そのもの』だと言っても差し支えない様な存在にまで、なってしまっているのだから。
クロウは少女の首に刃をかけたまま、視線だけを後ろへ向ける。
そこには、先ほど彼女が黙視していた巻物が、ただ静かにこちらを見つめていた。
「――――どうして巻物を狙った――――誰かの差し金か?」
「言った筈だ……」
その直後、クロウは確認する。
少女の右手が、おもむろに右往左往している事に。
彼女が何をしようとしているのか、クロウには理解できた。
だが、もう止めるには遅すぎる。少女はギロリと視線だけでクロウへ向け、睨みつける。
「貴様に答える義理など……無い!!」
刹那、少女の身体が発光を始めた。
破壊作用は無い。だがその光は、人の視界を奪うには十分すぎるものだった。
クロウは咄嗟に彼女から離れ、巻物を壁から外すと、彼女と間合いを取る。
少女の姿を確認しようとするが、そこから放たれる光によって遮られる。
数秒後、その光は段々としぼんでいき、やがて消えた。
だが……同時に、少女の姿も、資料館から消えていた。
姿だけではない。もうこの建物の何処にも、彼女の気配は無かった。まるで最初から居なかったかの様に。
「――――逃がしたか」
感情なく言い放つと、クロウは巻物を開き、元掛けてあった場所へと戻す。
そして次に、先ほど見えた少女を思い返してみる。
彼女が何者なのかは、今の段階では分からない。
だが、クロウは少女の姿から、あるものを確かに感じていた。
それは、クロウのものとは似て非なる、もっと薄く、されど面倒な力。
「――――『影』、か」
それ単体で存在でき、光の一切を遮断する『闇』とは違い、光を受け入れ、照らされる事で存在出来る力。それが『影』。
その力を、クロウは確かに少女から感じていたのだ。
「――――調べてみる必要があるな」
一言そう呟くと、クロウもまた、その場から姿を消した。
後に残ったのは、地に伏して眠っている警備員たちと、元の静寂のみだった――――。
そして、後日。
『影』の力を持つこの少女は、再び現れる事となる。
相まみえるのは、全ての力、影も闇も光も、あわよくば神も仏も悪魔でさえも無と化してしまう、絶対的な『虚無』の力を持つ青年。
人々に『道化師』と謳われるその青年の名は、『曽根崎虚』
その二人が出会った時、物語の歯車はかみ合い、再びおどけた様に回り始めるのだった――――。