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Joker  作者: ken
第一章 ~混沌の支配者 ~ 
10/23

Episode 1-10 =それぞれの信念(みち)=

「じゃ、御馳走さん。チェシャ猫」

「あぁ。また来てくれよ」

 珈琲を飲み終え、カランカランと軽快な音を鳴らす扉から外へと帰っていく客の背を見つめながら、チェシャ猫はほほ笑んだ。

 今送り出したのが、今日最後の客になるだろう。

 現在の時刻は、3時手前。まだ日は高いが、これ以降になると客足は格段に遠のいていく。

 チェシャ猫の作った料理や彼の入れたコーヒーが不味いわけでは無い。むしろ並みの料理屋よりも腕があると言ってもいい。

 だからと言って、法外な値段を付けているわけでも無い。

 その理由は、

「第三次世界大戦……か」

 口に出してみると、何とも簡単な響きだ。以前にも起こったという、第一次、第二次世界大戦とも何ら変わりなく聞こえるだろう。

 だが地球……いや、この宇宙から下された三度も同じ過ちを繰り返した人類への天罰はあまりにも大きかった。

 全世界の半数以上の人々がその命を焦がし、アジア人種に関しては殆ど絶滅危惧種状態にまで陥っている言っても、過言ではないだろう。

 尤も、チェシャ猫の店に居候している身である虚も、その絶滅危惧種の一人なのだが。

 そして、三度みたび人類が同じ過ちを繰り返した原因の根源には、現代における人々の生活の要を担っている謎多き力、「魔術」の存在があった。

 古来より人々が情景を抱いてきた力が、皮肉にも人類の衰退を招いたのだ。

「飽きないよなぁ……人間も」

 今朝マナが掃除したばかりの窓ガラスから、チェシャ猫は青々と広がる空を見上げる。

 それはどこか悲しげで、「今」とは違う何かを見つめている様にさえ思えた。

 この空の中に、彼の瞳には別の何かが映し出されているみたいに。

 やがて、チェシャ猫は口を薄く開けて息を吐き出し、店じまいをしようとその体を動かした、その時だった。

 バタン! と大きな音を立て、店の扉が再び開かれる。

 この時間帯に、しかもこんな乱雑に扉を開ける様な人物は一人しかいない。

 チェシャ猫はおもむろに、その瞳を今しがた入店してきた青年へと向けた。

「よぉ。おかえり、虚」

 彼の言葉に、扉の前に立つ青年、虚は顔を俯かせたまま答えない。

 どうやら此処まで走って来たようで、少し息が乱れており、額にはうっすらとだが汗らしき水滴が見えた。

 その様子を見たチェシャ猫は、若干目を細める。

 虚が汗をかく程走った事など、滅多にない事だった。彼は私生活ではあまり急ぐタイプの人間ではなく、むしろノンビリ屋と言っても良いほどだ。

 そんな彼をここまで急がせる程の重大な出来事があったと言う事だろう。

 だがチェシャ猫は、そんな彼の様子に驚くでもなく、ただただじっと見つめていた。

 やがて息を整えた虚は、勢いよく顔を上げ、チェシャ猫へと視線を向ける。

 その赤い瞳は、どこか怒りにも似た鋭さを持っていた。だが、チェシャ猫はあくまで静かな態度を崩さず、虚の言葉を待つ。

「……お嬢ちゃんは?」

 吐き出す様な、小さくか細い声で、虚は言葉を放つ。

 チェシャ猫は再び目を鋭く細めた。

「お嬢ちゃんは何処だって聞いてんだ!」

 虚の叫声が、店内に木霊する。

 普通の人間ならば、それだけで身を震わせ、言葉を失ってしまいそうな程の迫力が、そこにはあった。

 だが、チェシャ猫は落ち着いたまま、はぁ、と息を一つ吐き、店じまいをしようと体を動かす。

「ルイなら、さっき出掛けたよ」

「何?」

 チェシャ猫からようやく放たれた言葉こたえに、虚はさらにその眼を鋭く尖らせた。

「マナと一緒にな。気分転換に、少し外を散歩して来るそうだ」

「……何処に行ったか分かるか?」

 虚の問いに、チェシャ猫はただ首を振って答えた。

「マナから『気分転換に少し外に出たいそうなので、私も一緒に行ってきます』って聞いただけだ。行先までは聞いてない。

 全くアイツも世話焼きだよな」

「そう、か」

 虚は目線をチェシャ猫から逸らす。しかし今の彼の眼には、店を畳むチェシャ猫の姿も、綺麗にワックス掛けされたフローリングも目に入ってはいないだろう。

 無論、虚にもマナとルイが行きそうな場所など、皆目見当も付かない。

 激しい焦燥に襲われ、虚は思わず唇をかんだ。

 そんな彼を横目で見たチェシャ猫は、おもむろにその手を止めた。

「そう言えば」

 しばし静寂が続いていた店内に、チェシャ猫の声がやけに大きく響いた。

「前にマナが言っていたんだが、アイツは落ち込んだり、悲しい事があった日には、市街地の外れにある丘に行くそうだ」

「え?」

 予想だにしなかったチェシャ猫の声に、虚は顔を上げた。

 そこには、ただじっと虚を見つめるチェシャ猫の顔があった。

「あそこからだと、街全体を見下ろす事が出来るだろう?

 それを見ていると、何だか落ち着くんだそうだ」

 よく分からないけどな、と笑み交じりに続けるチェシャ猫。

 虚はしばし思考した。

 他に心当たりなど無いのだ。今はその丘に行ってみるしかない。

「……悪い、チェシャ。また少し出てくる」

「あぁ、気を付けて行けよ」

 それだけ言うと、チェシャ猫は再び閉店準備にかかった。

 理由を聞かないチェシャ猫に感謝を感じながら、虚は再び足を動かす。

「――――虚」

 扉を開け、外に出かかっていた虚を呼び止めるチェシャ猫。

 虚もまた足を止め、振り向く事をせずにその声を聞いていた。

 しばしの沈黙。

 チェシャ猫は最後の帳を占め終えると、ゆっくりと口を開いた。

「お前が何に首を突っ込もうと俺には関係ないが、一つだけ言っておくぞ……信念を忘れるなよ。最後までしっかりと、自分の道を貫き通せ……相手が誰で(・・・・・)あっても(・・・・)

 静かに、淡々と、チェシャ猫は虚の背中に言葉を投げた。

 しばし沈黙した後、虚は笑って見せる。

「言われなくても、分かってるよ」

「……そうか、安心した。言いたい事はそんだけだ、行って来い」

「あぁ……チェシャ」

 ん? とチェシャ猫は再び動き出した手を止めずに答えた。

「……ありがとう」

 無意識に手を止めたチェシャ猫は、しばし停止した後、ゆっくりと首を虚へ向ける。

 そこにはもう彼の姿は無く、無機質に揺れ音を鳴らす店のベルだけが、彼の眼についた。

「まさか……アイツから礼を言われる日が来るとはな」

 おかしい様にくすくすと笑いながら、チェシャ猫は店の看板を裏返し、『Close』の文字を外へと向けた。


    ■ □ ■ □


「どうも気に入らないって顔だねぇ」

「え?」

 同刻。Paradoxから少しばかり離れた場所に聳えるIMCS本部、塔内移動用魔法陣内(科学の時代で言うエレベーターの様なもの)で、同乗していた突如ライトに問われたシャーリーは、少し驚いた風にライトを見る。

 ライトは、いつもの様に飄々とした雰囲気を纏う微笑を浮かべ、彼女を見つめていた。

 あの後、クロウの術の効果もあり、ルナから今回の事件の黒幕の正体を聞き出す事に成功した。その副作用としたクロウは大きな疲労とダメージを負ってしまい、現在彼は自室で短期療養中である。ハート隊員達は彼に医務室行きを薦めたが、人に衰弱して眠っている無防備な姿を晒したくないと言う彼の意向により、自室療養となったのだ。立つ事すらままならない状態でも忍の心を忘れない辺りは、さすがと言った所か。

 クロウの使用した尋問術の副作用の多大さと、彼の性格を知っていたシャーリーは何も言わずに彼を見送り、そのままライトと共に支配者の元へ赴き事件の顛末を報告した。

 何も言わず、ただ淡々と話を聞いた支配者は「そうですか」とだけ答え、その後の指示を二人に言い渡し、シャーリー達は支配者の部屋を後にし、現在に至ると言うわけである。

 しかし支配者の対応は、正直シャーリーにとって拍子抜けするものだった。

 てっきり支配者の指示を無視し、事件に深入りした事を咎められると思っていたのだが……。

 事が終わったのちに罰則を言い渡す、という事なのか。それとも今回のシャーリーの深入りは、支配者にとってそこまで重大な事でも無かったのかは不明だが、つくづく分からない少女だとシャーリーは素直に感じた。

 それよりも今、彼女の脳を支配しているのは、今しがたライトから投げられた言葉だった。

「……そんな顔、してますか?」

 自分ではよく分からない、と言わんばかりにシャーリーは小首を傾げる。

 ライトは首をシャーリーの角度に合わせると、苦笑を浮かべて見せた。

「アンタとは長い付き合いだからねぇ。わかるよ、そん位。

 その顔は『支配者の決定が気に入らない』って顔だ」

「気に入らないなんて事はありません!」

 ライトの言葉を、シャーリーは怒声を上げて否定する。

 まるで自分の心をごまかしているかの様に。

「今回の支配者の決定は、正しいものだと感じています。

 今後のこの世界にとってもそれは正義に値するものだと―――それは間違いありません」

「でも、シャーリーは世界の意志なんかじゃ無いだろう?」

 何気なく放ったライトのこの一言は、シャーリーの心に深く突き刺さった。

 シャーリーは目を少し見開き、優しくほほ笑むライトの顔を見る。

「アンタはアンタ。シャーリー=ローレライだ。

 俺が聞いてるのは、『シャーリー=ローレライって一人の人間が、この結果を気に入ってないんじゃないか』って事だよ」

「私と言う人間の……心」

 彼女は今まで、IMCSの――――いや、世界再生のために今まで戦い続けて来た。

 自分の行動が、世界が一歩進むための糧に少しでもなればいいと。そのためにあらゆるものを犠牲にもした。

 その中には、彼女自身の感情(・・・・・・・)も含まれている。

 それなのに突然、シャーリーと言う一人間の感情を問われても、すぐに答えられる筈はなかった。

「アンタの心意気は立派だと思うよ。何も犠牲にせずに何かを得ようなんて考えている連中よりも。

 でも、目的を果たすためには人の心、そしてその繋がりである〝絆〟も大切なんじゃないかねぇ。ただ感情を押し殺して淡々と成すべき事を成すだけなら、わざわざ人間が動かなくても、それこそ科学を復興させて機械にやらせりゃ良いんだから」

 ライトの言葉に、シャーリーは何も言い返せなかった。

 彼の言う事は最もだと、そう思う。心から。

 だがそれを認める事が出来ない自分もまた、彼女の中に存在しているのも事実だ。

 それを認めてしまうと、今までの自分の行動の総てを否定してしまいそうで、怖かったから。

 俯いて黙り込むシャーリーを見て、ライトは溜息交じりに吐息を吐き、右手で頭をかいた。

「まぁ、いきなりこんな事言われても困るって話だよねぇ、ゴメンゴメン。忘れてよ」

 その時、魔法陣が一層強い光を放った。

 かと思えばそれは一瞬にして姿を晦まし、次の瞬間には目の前に暗く光の無い開けた空間と、見慣れた漆黒の大扉が現れる。

「さて、じゃーいっちょ任務遂行と行こうかねぇ」

 ライトは大きく背伸びをすると、扉へ向かってゆっくりと歩きだした。

「……レグノックさん」

「んー?」

 名前を呼ばれ、ライトはどこか間の抜けた返事を返して振り向いた。

 そこには、その澄んだ蒼い瞳に強い決意の色を染み込ませ、こちらを一心に見据えるシャーリーの姿がある。

「アナタは――――今回の事をどう感じてるんですか?」

 それはとても真っ直ぐで、刃の様に研ぎ澄まされた言葉だった。

 ライトはうーん、と一つ唸ると、やがてニッと笑って見せた。

「さぁ、わかんないねぇ」

「……は?」

 予想外の答えに、シャーリーは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 直後、ライトは苦笑し、顔の前で両手を強く振る。

「ゴメンゴメン、言葉足らずだったねぇ。

 正確には、『俺たちが今から行おうとしている行動が正しい事なのかどうかは分からない』って事」

「そう、ですか」

 ライトの答えにシャーリーは小さく答え、彼女もようやく大扉に向けて歩を進めた。

「まぁ、さ。あんま深く考えなくて良いんじゃないのかぃ?」

「え?」

 大扉の前で立ち止まったライトの声に、シャーリーは彼を見た。

 ライトは扉のすぐ傍にある戸棚を開くと、そこに置かれている漆黒に塗られた愛用の二丁拳銃を手に取った。

 そしてそれを懐にしまうと、再びシャーリーを見据え、告げる。

「俺たちが正しいかどうかなんて、俺たちが決める事じゃない。それは後世の連中が決めてくれる事だ。

 俺はただ、自分の中の信念に背かずに行動するだけだよ。この身が朽ち果てるその時まで、ね」

 いつも通り飄々と言ってのけたライトだったが、その言葉に宿る強い意志を、シャーリーはひしひしと感じていた。

 そして同時に、ライト=レグノックという人間が何故あれほどまでに隊員達や支配者に好かれ、尊敬されているのかを再確認する。

 シャーリーはくすりと一つ笑うと、ライトを見据え、応えた。

「そうですね、今ので吹っ切れました。ありがとうございます」

「ん、お役に立てて何よりだよ」

 ライトは満面の笑みを浮かべて見せると、大扉に視線を向けた。

「んじゃ、行こうか。俺たちの信念を貫きに……ね」

「はい!」

 力強く答えると、シャーリーもまた、自身の相棒である身の丈ほどの大鎌に手を掛ける。

 そして、もう迷わないと強く思いながら、外へと繋がる扉に手を掛けた。


    ■ □ ■ □


 ルイス市街地の外れにある、街全体を見渡せる小高い丘。

 そこに科学の時代より設置されている古ぼけたコンクリート式の野外劇場のステージ淵に座りながら、ルイは街を見下ろしていた。

 彼女にとってルイスを見下ろす、と言うのは初めての体験だった。

 虚があまり外に出るタイプの人間では無い事もあり、今日マナに連れて来られなければ、この光景を知る事は出来なかっただろう。

「凄いでしょう? 街全体を見下ろせるのは、ルイスでは此処だけなんだよ?」

 ルイの隣に座り、同じく街を見下ろすマナの言葉を、ルイはゆっくりと首肯する。

「ルイスって……意外と広かったんだね」

「そうだね。でも、世界はもっと広いんだよ?」

 ルイは不意に視線を隣のマナへと移す。

 するとマナも、ルイに視線を移した。

「私ね。悩み事があったり、悲しい事があったりすると、決まって此処に来るの。

 ここに来て、ルイスの街を見下ろしてるとね? 世界って広いんだなぁって実感できるから」

 優しく、まるで我が子に言い聞かせる様に、マナは言葉を紡いでいく。

 ルイはそれを、ただ黙って聞いていた。

「そしたら、自分が抱えている悩みとか、すっごいちっぽけな事に思えて来てさ。

 また、明日から頑張って見ようかなぁ、とか思えるんだよね」

「うん……」

 ルイは再び、街へと視線を移した。 

 それと同時に思い浮かぶのは、かつて孤児だった自分を拾ってくれて、家族と呼んでくれた虚の姿。

「マナ……私、ちゃんと虚に謝る。

 大切な人だから。家族だから。このままなんて……嫌だから」

「そっか。頑張ってね」

 マナはルイの頭に手を置くと、優しく撫でた。

 その手の感触に心地よさを感じると、ルイの瞼は、だんだんと重みを増していく。

 やがて、彼女の体もかくん、かくんと傾き始めた。

「ちょっと……眠くなってきた」

「眠っても良いよ? 日が暮れてきたら、起こしてあげるから」

「うん……あり……がと……」

 言い終えると、ルイは完全に瞼を閉じ、マナの肩に体を預け、眠りに付いた。

 それを確認すると、マナはゆっくりと頭から手を離す。

「お休み……ルイちゃん……」

 そのまま、マナの手はスカートのポケットへと移動して行く。そしてポケットの中に入っているものに手を掛けると、そのままその手を―――――

「何を取り出すつもりだ? マナ」

 引き抜こうとした瞬間、聞きなれた声が彼女の耳を打った。

 しばし硬直した後、マナはゆっくりと顔を上げる。

 彼女から見て最奥に構える二つのベンチの間には、彼女が想定していた人物。

 マナがアルバイトをしている店に居候中の青年、曽根崎虚の姿があった。

「虚さん……よく此処が分かりましたね」

「チェシャに聞いたんだ。多分ここじゃ無いかって」

「そうですか、店長が……」

 そう言ってほほ笑む彼女の表情は、何処か影が差している様に、虚には思えた。

 彼の眼は、尚もマナの姿を捉えている。

 だが、それは普段彼女を見つめる眼とは、どこか違っていた。

 何か―――――覚悟にも似た感情を帯びている。

「それで、そのポケットの中には何が入ってんだ? マナ。いや――――」

 一拍の静寂を残し、虚は再び口を開き、彼女に告げた。

 彼が導き出した、『真実』を―――――



「今回の一連の事件の首謀者である違法魔術師、『呪術師・マナ=クラウベル』さん」



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