7.ヒノワの王太子
王宮に戻った五人は、すぐにナユタ二世に謁見した。
王は、話が話なので宰相のナガトだけを残し、他の側近を退出させた。
カナメは、事前に宰相に話しておいた事の経緯を、改めて父王に説明し、ハーシェル・フブキを紹介した。
ハーシェルは玉座の前で型通りの拝礼をすると、名乗るより先にいきなり旅装束の綿のシャツの中へ手を突っ込む。
名乗りもせずに懐に手を入れるのは、暗殺者の行為とみなされ、その場で斬り捨ても有り得る。
何をする気なのか? と心配になり身を乗り出し掛けたチカゲを、カナメが制した。
「大丈夫だ。ハーシェルは仲間だから」
チカゲにだけ聞こえるように小さな声で伝えて来た兄に、チカゲは「でもっ」と、返した。
苦笑して、カナメが妹に顔を近付ける。
「神々の依代となった僕達には、ハーシェルが同じ仲間だと分かる。神々はお互いの『気』を知っていて、その情報は、依代となった僕達にも神の記憶として伝わる。
五柱の神の依代が、アケノの王に危害を加えるはずがない」
「う……ん」カナメの言うことを信じつつも、いまいち、チカゲは不安が取れない。
ハーシェルがユキナガの依代なのは分かった。が、ハーシェル自身の身分は分からない。
何をするのか、とチカゲがハラハラしながら見守る中、少年はシャツの中に隠していたペンダントを引っ張り出した。
ハーシェルが差し出すペンダントを受け取ったナガト宰相は、一目見るなり驚愕した。
「これは……っ!!」
諸国の王侯貴族は長期の旅行に発つ際、万が一の場合を考え、己の身分の証しになるものを身に付けている。
大概はペンダントか小剣で、これに自国の紋章と、家の紋章か家名を彫っておく。
ハーシェルのペンダントはヒノワ国の紋章と、王族、しかも王位継承権第一位の者にしか許されない緋色が、施されていた。
「これをお持ちということは、あなたは、ヒノワの王太子殿下であらせられますか?」
ハーシェルは、得意気ににやりとした。
「如何にも。私はヒノワのラルガ五世の第一王子、ハーシェル・フブキ・ヒノワと申す」
この展開には、カナメも、ハーシェルと先程妙な漫才をしていたトシヤも驚いたらしく、目を丸くした。
ヒノワ国は、ヒナタ国無き今は大陸で最も古い王国である。
由緒正しい大国の王子に、臣下と同じ扱いをする訳にはいかない。
ナユタ二世は玉座を降りると、跪いたままのハーシェルの手を取って立たせた。
「知らぬこととは申せ、大変失礼を致した。ヒノワの王太子御自ら、大砂漠を越えて東の地まで、遠路はるばるのご訪問、感謝致す」
ハーシェルは、王子らしい優雅な物腰で立ち上がると、「いえ」と微笑んだ。
「こちらこそ、先触れも出さず訪問した無礼、お許し下さい」
「いやいや。――して、我が息子の説明では、殿下は『剣士の神』ユキナガが降臨されたとか?」
宰相が気を利かせて運ばせた椅子に、国王と賓客は座った。
「今年初月の初めに、私の夢の中にある神が御姿を現されたのです。その若い神はユキナガと名乗られました。そして、私にこの剣『虎鐵』を授け、言われました。
『東の地に騒乱が起こる。行って、我が同胞と共に鎮めよ』と。
目が覚めて枕元を見ると、夢と全く同じこの剣が置かれておりました。それと同時に、私の記憶の中に神の――ユキナガの生前の記憶が、はっきりとした形でありました。私はこれは間違いなく我が身にユキナガが降臨されたと感じ、すぐに旅支度を整えこの地へ向かいました」
謁見の間の大時計が、低い音で時刻を伝えた。
四時半の鐘を聞き、チカゲは今日一日の時の早さに改めて驚いた。
「なるほど。では、ユキナガ様はこの度のパルスタードの一件を、予見なさっていたのですな」
宰相の言葉に、ハーシェルは頷く。
「ユキナガは剣士の神にして魁の神。エルウィードの監視役です。彼の悪しき魔術師が、またも綻びから抜け出し転生したのを、ユキナガは早くからご存じだったのです」
しかし、一柱の神だけで止められる程、エルウィードの力は弱くない。
「ユキナガは、私を含め、依代となる者が十分に力をつけるまで待っておられたのです。それは、ぎりぎりで間に合った。いや、エルウィードの『器』が完全に己の何たるかを知り動き出してしまった今では、遅かったのかもしれませんが……」
「それは、もはや致し方ないこと」
ナユタ二世は言った。
「して、王太子殿下……、ユキナガ様には、これから、パルスタードはどう動くと、思われますのか?」
ハーシェルは、思案気に目線を落とす。
「パルスタードのままでも、魔力は十分に強いと思います。しかし、本来のエルウィードの力はあんなものでは収まらない。そのことを一番よく知っているのは『器』自身でしょう。パルスタードは完全にエルウィードになるために、どんな手段を用いても最後の封印を解きに来ます」
「それに備えるためにも」
カナメが、ハーシェルの言葉を受ける。
「依代となった我ら三人は、これから宝具を受け取りに参ります」
宝具とは、神々の武器のことである。
ハーシェルがユキナガから虎鐵を授けられたように、五柱の神にはそれぞれ依代に授ける武器がある。武器は神々が生前使用していたものと同じか、または依代に合った形になる。ただ、魁の神ユキナガと違い、他の神々は直接それぞれの塔の封印を開けなければ宝具は授からない。
カナメの言に、ナユタ二世は深く頷いた。
「では、すぐに『光の塔』へ参れ」
は、と一礼すると、カナメ達三人は謁見の間を退出した。
三人が出て行った後、王宮に残されたチカゲは、ハーシェルを案内して貴賓室へと移動した。
東の地には、アケノともう一国、ナナセという国がある。アケノの北に位置するナナセは、国の大半が湿地を含む巨大な森林地帯であるため、国土から殆ど穀物が採れない。
その代わり、森林から豊富に採れる良質な木材を高級家具などに加工、輸出しその外貨で穀物を買っていた。
職人の腕は大陸のどの国より確かと定評のあるナナセの家具調度は、東西の地のみならず、他の大陸でも殆どの王宮で使用されている。
シノノメ宮の貴賓室も例に漏れず、ナナセの最高技術を持つ職人に特別に作らせた家具で埋められている。
「おー。さすがアケノの王宮」
贅を尽くしてはいるが決して華美ではない室内を見回しにっこり笑うと、ハーシェルは部屋の中央に置かれた、白地に銀糸で小鳥と花の刺繍を施した絹のキルトカバーを掛けられたソファに座る。傍らに背から下ろした虎鐵を立て掛けた。
チカゲはハーシェルが座るのを待って、真向かいの背の無い椅子に腰掛けた。
「どーして自分だけ、何もないのか気になってんだろ?」
いきなり図星を指され、チカゲはぎくりとした。
「そっ、そんなことは、ありませんっ」
普段は東の大国アケノ唯一の王女いう、母王妃に継ぐ高位の女性に相応しい所作などどこ吹く風のお転婆娘だが、その気になれば幼児の頃から叩き込まれた嗜みは、きちんと優雅な動きとなって現れる。
動きやすく膝丈までに短くしたスカートの裾をきれいに広げ、しゃんと背筋を伸ばした美麗な姿勢のままソッポを向いたチカゲに、ハーシェルは「気取るなよ、今更」と笑った。
「わーかってるって」
チカゲは俯いた。
兄とトシヤは、彼等の話からそれぞれ『知略の神』ツバサ・トマスと『友愛の神』テオドール・イズモが降臨したらしい。
そして自分のお守役のマリにも、神々の紅一点『武勇の神』カレリア・ヒヅキが降臨した。
彼等の実力と立場を考えれば、神々が依代として選ぶのは実に相応だと思う。
だが、自分は。
「……残ってるのは、チナミ・エスタス様だけだもの」
チナミは降臨しない神だった。他の四柱の神がアケノの危機の度に依代に宿り活躍しても、チナミだけは、じっと塔の中で眠っていた。
そのため、チナミのことを『眠れる大神』という者もいる。
その神が、幾ら魔力が強くとも、ノーコンの自分を依代に選ぶ筈が無い。
そのくらいのことは、わきまえている。が、兄達やマリが国の、いや、世界の大事に際し、働く権利を与えられたのに、自分だけ何も無いのは、やはり悔しい。
愛らしい薄紅の唇を噛んだチカゲに、ハーシェルが聞いた。
「あんた、魔術師なんだって?」
声にからかいの響きがある。チカゲは尖って聞き返した。
「……誰から聞いたのよっ?」
「さっき、カナメから。それも、魔力でかいくせに凄えノーコンなんだってな」
そんなことまで、兄は異国の王子に言ったのか。
きっ、と目元をきつくして振り向いたチカゲに、ハーシェルはぷっ、と吹き出した。
「何がおかしいのよっ!」
「いやだって……。そんな、子リスみたいな顔で睨まれたって……」
「誰が子リスよっ。だれがっ!」
チカゲは右側に置いてある布張りの丸椅子を、ぱんぱんと叩いた。
「それにっ、ノーコンで悪かったわねっ!! 私だって、好きで、だい……大暴走しちゃうわけじゃないんだからっ!! 魔法が勝手にっ、大きくなっちゃうのっ!」
「あはははっ、大暴走しちゃうんだ?」
「だーっ!! もうっ、ほんっとに失礼な奴っ」
ぷんぷんに怒って、チカゲは立ち上がった。
「あんた、本当にヒノワの王太子っ!? 言葉遣いも態度も、トシヤ兄より悪いわよっ!」
「うーん、それは、認める、かなぁ。うちの国って、王太子でも十歳までは、乳母の里で普通のガキどもと一緒に育てられっからな。たまたま、俺の乳母の里が王都の下町で、口の悪い連中ばっか、ダチだから」
――う、乳母の里が、下町?
一体、ヒノワというのはどういう国なんだ? と、チカゲは驚いて、思わずあんぐり口を開けてしまった。
普通の王家では、王太子どころか他の王子や王女にも、乳母にはしかるべき身分の女性をつける。
下町育ちの女性など、つけはしない。
チカゲも、十歳までは乳母がついていた。伯爵夫人で、おおらかな性格の女性で、チカゲのお転婆を窘めはするが、本気で怒られたことはなかった。
「なんで……?」薄緑の眼を、驚きに目一杯見開いて尋ねたチカゲに、ハーシェルは、苦笑する。
「伝統なんだよな、ヒノワの。小さい頃に庶民と同じ暮らしを経験して、庶民の感覚を養っとけっていう。そのおかげで、俺だけじゃなくって、親父も兄弟も、みんな公務の時以外は口が悪いけどね」
「お、親父……」伝統あるヒノワの国主である父王を、『親父』と呼ぶ王太子殿下に、チカゲは驚きを通り越して呆れてしまった。
――そりゃ、私もトシヤ兄も、人のこと言えた義理じゃないけど……
上には上がいるものだ。
妙な感心をしてしまったチカゲに、ハーシェルが、ひた、と、真面目な目を向けてきた。
「チナミの塔に行ってみたら?」
「……は?」
一瞬、相手の言っていることが理解出来ず、チカゲは目が点になる。
「何、言ってるの?」
「そんなにでかい魔力持ってるなら、ひょっとしてチナミが依代にするかもよ」
「私みたいなのに、チナミ様は降臨しないわよ。第一これまでの危機だって、偉大な魔術師はいらした筈なのに誰にも降臨なさってないし。それなのに、ノーコン、の私になんか……」
自分で言うのは物凄く抵抗があるが、事実なので仕方ない。
しょげたチカゲを、ハーシェルは数秒、黙って見ていた。
「……そーじゃねえんだよな、多分。あいつは、チナミは、怖がってやがるんだ」
「えっ?」
神様が怖がる?
あの、大陸に暗黒をもたらしたという悪しき魔術師エルウィードを倒した偉大なるチナミが、一体、何を怖がっているというのか?
意外な言葉に、チカゲは目をしばたたく。
訳が分からず見詰めるチカゲに、ハーシェルは渋い顔で説明した。
「人を巻き込んじまうことを、あいつ、怖がってるんだ。二千年前のエルウィードとの戦いってのは、そりゃ酷かったから。チナミなんかもう、ぼろ雑巾みたいになってまで、奴と魔力をぶつけ合った。それで漸く封印出来たんだけど……。
そんな戦いをもう一回やって、依代の人間が死ぬなんて事態になるのが、チナミは耐えられないんだと、俺は思う」
神々は魂だけの存在である。依代が死んでも彼等は自分の塔に戻るだけで、別に傷付かない。
「優しい男だからな、チナミは……」
ユキナガの記憶を共有するハーシェルの黒い瞳が、切なさとも哀れみとも取れる色を掃く。
仲間として友として、とても大切に思っていた事が感じられて、チカゲは切なくなった。
「あの……、どんな方だったの? チナミ様って……?」
「……ああ。ヒナタの王太子だっていうのは、さっき魔術師長から聞いたんだよな。――うん、真面目を絵に描いたみたいな性格ってのが、一番近いかな。とにかく、自分のやれることは全力でやる。人には優しくて自分には厳しい。厳し過ぎて、他人の手が借りられない。何でも一人で背負い込んじまう。それと、争うのがとっても苦手」
チカゲはめまいがした。自分とは全く共通点が無い。
チカゲは、自分で言うのも何だが、とっても自身には甘いと思う。すぐ人のせいにするし、グチも零す。
怒るしわめくし、喧嘩もする。
うーっ、と唸って下を向いたチカゲに、ハーシェルは軽く笑った。
「さては、自分と引き比べたな?」
「だって……。でも、そんな方の依代なんて、絶対ムリだよ……」
「確かに、チナミは完璧主義で神経質で温厚だった。だから多分、自分が誰かに頼るのは許せねえんだと思う。けど、今回はそんなこと言ってらんねえし。何としてもチナミにお出まし願わねえと。俺らだけじゃ、パルスタードは間違いなく手に余る。ダメ元でも、ご降臨願うしかない」
ハーシェルの、言い方は乱暴だが、真摯な言葉に、チカゲはますます困った。
「もし、本当にダメだったら……?」
「あんたのせいには絶対しないよ。だってそりゃ、チナミがわがままなんだし」
真顔で断言したユキナガの依代に、チカゲはやってみようかな、とほんの少し思う。
「やってみて、くれる?」チカゲの心を読んだように、ハーシェルがチカゲの眼を覗いてくる。
一拍置いて。チカゲは腹を決めた。
「……うん。行ってみる」