6.神の依代
王宮から出たチカゲ達は、『光の塔』の第一の塔になる、チナミの塔へと向かった。
チナミの塔は王宮の内庭の北側、やはり五芒星を形作っていた『褐色の塔』の、北向きの角と対峙している。
『光の塔』は高さも規模も『褐色の塔』の半分程で、形は円錐である。五つの塔共、全てアケノ近郊の山で採れる白大理石で表面を飾っていた。
普段は、深い森にひっそりと姿を隠しているチナミの塔は、だがいつの間にか淡い光を放っていた。
森を半分ほど北へ入ったチカゲ達は、塔からの不思議な光に気付き、駆け出した。
「ったく、パルスタードの奴、やっぱ『光の塔』にも何か悪さしてやがったなっ!!」
先頭を走りながらトシヤが喚く。年長の従兄の悪態を、だがカナメが冷静に否定した。
「違う。『褐色の塔』に異変が起きたので、チナミ様の塔が目覚めたのだ。さっきの話をちゃんと聞いてなかったのか?」
「う……っ、わっ、悪かったよっ」
塔の前で、チカゲ達は足を止める。
言い伝え通り白く淡い光を放つ塔を見上げて、チカゲの胸に言い知れぬ不安が沸き起こる。
「……どうなるの? これ」
「伝説では、エルウィードの転生の器が現れると、神々はチナミ様を除き、己の定められた依代に降臨する、とされているが……」
「神々の降臨は、もう始まってるぜ?」
突然、背後の森から声がして、チカゲもそしてカナメ、トシヤも驚いて振り返った。
薄暗い木陰から現れたのは、黒髪を一本の三つ編みにし、背の中程にまで長く垂らした、小柄な少年だった。
十五、六歳と見える少年は、背中に途轍も無く長く細い曲刀を背負っている。僅かな反りを見せて黒い革張りの鞘に収まっているその剣は、西の地の国特有の剣であった。
「おまえっ、どっから王宮内へ入った?」
近衛軍軍団長のトシヤは、見知らぬ闖入者に警戒しながら、聞いた。
少年は、愛らしいと言える顔には、あまりそぐわない不敵な笑みを浮かべる。
「呼ばれたんでね」
「呼ばれた? 誰に?」
「ユキナガ・セオドア」
「なにぃ?」
ユキナガは、五柱の神のうちの一人である。
「結界があんだろーがよっ。あれに引っ掛からないで正門以外から入れる奴なんていねーぞっ。ヘタな嘘つくんじゃねえっ」
結界は、前述の通り、正門以外の場所を全て覆っている。唯一結界の敷かれていない正門には、一個中隊の歩兵が配置されており、常に十人の警護兵が、出入りする人々をチェックしていた。
完全に異国の人間と分かる格好のこの少年が正門に近付けば、必ず警護兵がトシヤに報告を上げてくるはずだ。
少年の言葉を全く信用していないトシヤを、少年は少々小馬鹿にしたような目つきで見上げる。
「んな、結界なんて。ユキナガの『神気』が引っ掛かる訳ないだろー?」
「んだとおっ……」
「それより、あんた達も呼ばれたんだろ。じゃなきゃこんなとこまで来ないよな」
「それより、じゃねえってのっ!! てめー何の目的で――」
「ちょっと待て」頭に血が上って怒鳴り散らすトシヤを、カナメの冷静な声が止めた。
「さっき君は、ユキナガ様に呼ばれたと言ったけど、それはどういうことなんだ? それに、僕達が呼ばれているとは?」
王太子は詰め寄るように一歩、前へ出た。
「大体、君は何処から来たんだ? 見れば西の地の人間のようだが?」
「ああ、そっか」少年は、初めて自分が素姓を名乗っていないのに気付いたようで、しまったという顔で黒い頭をぽりぽりと掻いた。
「俺はハーシェル・フブキ。あんたの言う通り、西から来た。さっきも言った通り、ある日突然ユキナガが俺の目の前に立って、『東のアケノへ行け』っていうから、来たんだ」
王宮の方角からマリ・ミクニの声がした。
「カナメさまっ、チカゲさまっ!!」
急用が入り魔術師長のところへは行かなかった彼女は、血相を変えてチカゲ達の元へと駆け寄って来た。
「『光の塔』の、ユキナガ様の塔が何者かに封印を開けられたと……っ!」
「あ、それ俺」
悪びれた様子もなく答えたハーシェルに、マリは驚いて柔術の構えを取り後方に飛び退いた。
「何者ですっ?!」
「マリ、落ち着いて」チカゲは、お守役を止めた。
「彼はハーシェル。そのユキナガ様に呼ばれて西の地からはるばる東の地へ来たんだって……、本人は言ってるの」
「確認、取れてねえけどな」
厳しい表情を崩さないまま、トシヤが付け加えた。
ハーシェルが、口を尖らせて抗議した。
「あ、ひっでえっ!! 俺嘘なんか付いてないぜ? エルウィードじゃあるまいし」
「証拠がねえだろがっ!」
噛み付くトシヤを制して、カナメが静かに言った。
「よせよ。真偽は追って分かるさ。それより、ハーシェル。先程の僕の質問に答えてくれないか?」
ハーシェルは「ああそれか」と、細い顎を上げた。
「あんた達アケノの王族だろ? ってことは、チナミの直径だよな。チナミが言ってた言葉に『全ての事象は、何らかの意味を持つ』ってのがあんだろ? それぞれ違う責任を負ってる王族のあんたらが、雁首揃えてどうしてこんな場所に来てるのかって、自分で考えてみろよ」
「んだとこらっ!! 俺達はなあっ、昨夜エルウィードの転生の『器』が『褐色の塔』の封印を解きやがったから、こっちもどうなんだって心配してだな――」
言い掛けたトシヤの身体が、突然白く光り始めた。
「うおわっ!?」
「トシヤ兄っ!?」
駆け寄ろうとしたチカゲを、ハーシェルが止めた。
「駄目だっ! 今触ったら、あんた死ぬぞっ」
意外に力強い手に右腕を掴まれて、チカゲはもがいた。
「放してっ!!」
「トシヤさまっ!」
マリが悲痛な叫びを上げた。と同時に、トシヤは気を失って倒れる。
光は消え、地面に俯せたトシヤに、マリが様子を見ようと近付いたその時。
今度はマリの身体が光り始めた。
「マリっ!」
チカゲはハーシェルの手を振り解き、お守役の側へ走り寄る。
「駄目だって!!」
再びハーシェルがチカゲの手を掴んだ。
「放してったらっ!」
チカゲが嫌がって手を大きく振るう。と、二人を見ていたカナメの身体も光り出した。
「兄上もっ!?」
二人はトシヤの時と同様、数分して気を失って倒れた。
「どうなってんの……?」
唐突な事態に、一人残されたチカゲはどうしていいか分からずその場にへたり込む。
「みんな、五柱の神の依代だったってことさ」
「う……、ん……」
先に倒れたトシヤが、ゆっくりと起き上がった。
「トシヤ兄っ!」チカゲは転がるようにトシヤの側へ行く。
「大丈夫っ?」
「ああ。ちょっと頭が重いけどな」
地面に座り、トシヤは左手で後頭部をさすりながら頭を振った。
「おい、ハーシェル」
呼ばれて、少年は「なんだよ」と彼を見る。
「おまえ、ユキナガだって言ってたよな? ユキナガは前の戦いの時も、最初に目覚めて他の連中を叩き起こした。そうだな?」
「ああ。……で、あんたは?」
「テオドールだ」
「……あ?」
ハーシェルが、心底驚いたという表情をした。
「な——んでっ、何であんたにテオなんだよっ!? 一番温厚で物静かなテオがっ。どーしてあんたなんか……?」
「うっるせえなっ!! しょーがねえだろがっ、あっちが俺を選んで来たんだからっ!! それよか、てめえ俺とキャラ被るからその態度どーにかしろっ!!」
「うっさいよっ!! あんたこそ俺のマネしてんじゃねえってのっ!!」
「ああもうっ!! どっちもうっさいわよっ!」
二人の、事態を無視した口喧嘩に、チカゲはキれて叫んだ。
「あんた達のキャラなんかどーでもいいのっ!! それより、兄上とマリはどーなんのよっ!?」
「そっ、それはぁ……」
チカゲの剣幕に、二人はたじたじとなる。
ややあって、カナメとマリが目を覚ました。
「兄上っ、マリっ!!」
チカゲはマリに抱き付いた。
「よかったあっ!」
「姫様、ご心配お掛けしました」
「どうやら、ハーシェルが言った通りのようだな。僕達は単にここに来たんじゃない、神々の依代だったから、集められたんだ」
「んだな。ってことで、じゃ、宝具取りに行くか?」
立ち上がったカナメに、トシヤが森の向こうを指差す。
テオドールの『光の塔』のある方向を示すトシヤに、カナメは、だが「いや」と首を振った。
「取り敢えず、一度王宮へ戻ろう。父上に事の次第をご報告した上で、改めて『光の塔』へ行こう」
「了解」
トシヤがおどけて敬礼し、それを合図に皆は歩き出す。
先頭を行くカナメに、ハーシェルが後ろから声を掛けた。
「やっぱ、あんたがあいつだったんだ」
にっ、と笑った少年に、カナメは彼に劣らず人の悪い笑みを見せた。
「僕の性格なら、当然だろ?」
「うえへ、やっぱ、ツバサ・トマスだよ……」
横に並んだトシヤが、さも嫌そうな顔をした。
一人何事も起こらなかったチカゲは、マリと共に最後尾を歩きながら、いきなり馴々しくなった三人に「何なのよおっ」と膨れた。