5.いにしえの王子
……小さな丸い光が、薄藍の闇の中にたくさん飛んでいる。
その中を歩きながら、必死に出口を探すのだが、何処まで行っても見当たらない。徐々に疲れが溜まって来る。そのうち足が痛くなり、その場にしゃがみ込む。
と。
すぐ側で光が無数に寄り集まり、それが見知らぬ若者の姿になった。
小柄な若者である。黒い髪に若草色の瞳、童顔の愛らしい面立ちに淡い笑みを浮かべて、若者はチカゲに白い手を伸べた。
『大丈夫だよ、まだ……』
若者の笑顔が、チカゲの不安を払拭する。笑みを返して手に触れようと自分も腕を伸ばす。
その刹那。
「姫様っ!? 姫様っ!!」
マリが必死に自分を呼ぶ声が、頭の中に響いた。
声に呼応するように周囲の景色も若者の姿も霞んでいく。
急変に動揺するチカゲの目に、今度はゆっくりと光が入って来る。
「あ……、れ?」
光と共に見え始めたのは、見慣れた天井の花の装飾。
首を傾けると、そこは王宮の自室で、自分は寝台に横たわっていた。マリと兄カナメ、それにトシヤが、心配そうな表情で寝台の周囲を取り囲んでいる。
「どうしたの? みんな……?」
「ああよかったっ!! 姫様、昨夜のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「昨夜って……。地震があって、『褐色の塔』から変な光が出て……」
「その後、チカゲはバルコニーで倒れたんだよ」と、カナメ。
「驚いたよ。騒ぎが治まって戻って来たら、昏睡状態だと聞かされて。もしやパルスタードに何かされたかと慌てたよ」
「俺は、またチカゲのドジかと思ってたぜ」
脇からトシヤがにっ、と笑った。
「どーせおまえのこった、バルコニーから飛び下りて尻餅ついたとか、そんなことかと思ってたんだ。けど、マリに聞いたら、『褐色の塔』からの光を浴びた途端、ひっくり返ったっていうから。俺もちょっと驚いたぜ」
最後の方は真面目な表情になったトシヤと、真顔で頷くカナメに、チカゲは半身起こして謝った。
「ごめんなさい、ご心配お掛けしました」
「まあ、何でも無くてよかったけど」
「ただ寝てただけだもんなあ。ずっと目が覚めなかったら問題だけど」
「あの、私どれくらい寝てたの?」
窓を見ると、結構明るい気がする。開けられた窓から入る風も、夏の真昼の暑さを含んでいる。
「お倒れになってから、半日と少し経っています」
「ええっ?! そんなに寝てたの私っ?」
はい、と肯定されて、ますますチカゲは驚いてしまった。
「じゃあ、『褐色の塔』はどうなったの?」
「塔は」カナメが、美貌を渋い表情に歪めた。
「全く形が変わってしまった。外壁が跡形も無くなり、小さな神殿のような姿になっているよ」
「犯人、やっぱりパルスタード?」
「そうだ。昼間大広間から逃げた後、あいつ、王宮内の何処かに潜んでいたらしい。夜を待って、『褐色の塔』の第二の封印から先を解いたんだ」
チカゲは息を呑んだ。
「じゃあ、パルスタードは、完全にエルウィードとして復活したの?」
「いや」
カナメは首を振った。
「魔術師長に調べて頂いたところ、最後の封印は解かれていない、ということだった。
最後の、第五の封印は、第一から第四までの封印とは異なり、神殿風の壁面全体に、古代魔術文字による複雑な呪文が、びっしりと刻まれているらしい。チナミの魔力によって、他の4人の神々の神力を寄り合わせて刻まれた呪文だとか。そこまで強力な呪文では、如何にパルスタードのような強大な魔力を持った魔術師でも、容易には解けない、ということだ」
「そっか。よかった」
第五の封印は、エルウィードの魔力を封印している。
チカゲは、ほっと胸を撫で下ろした。
「で、パルスタードは?」
「衛兵に気付かれて、そのまままた何処かへ姿を消したらしい。今度は魔術師達の力も借りて王宮内をくまなく調べたが、何処にもいないので、多分王宮の外へ出たんだろう」
「また取り逃がしちまったぜっ、全くっ」
冷静に説明するカナメの隣で、悔しそうに、トシヤが指を鳴らした。
「けど、隠れてまで封印解きに来るような奴が、このまますごすご引き下がるとは思えねえ。……次は絶対掴まえる」
唸ったトシヤに、カナメが難しい表情で腕を組んだ。
「さて、それだ。パルスタードの方も、どうやら最後の封印の解き方は考え中のようだが、こっちも解き方が分からない。だが、ある程度知識が無いと塔をどう守っていいのかも分からないのが事実だ。
そこで、やはりここは知っている方に教えを請うのが一番だと思うんだ」
「その、知ってる方って、誰だ?」
聞いたトシヤを、カナメは静かな目で振り返った。
「魔術師長か、父上。でもこの場合、魔術に精通している方でないと、具体的に対策を指導して頂けない」
「ってことは、魔術師長ね?」
訊いたチカゲに、兄が頷く。
トシヤが、ぱっと笑顔を作った。
「っしゃっ!! んじゃ魔術師長に聞きに行くぜっ」
とは言ったものの、トシヤとカナメは昨夜の騒ぎでろくに寝ていない。チカゲは起きたばかりで食事をしていない。
それぞれの事情を考え、魔術師長を訪ねるのは二時間後として、カナメとトシヤは一度自室に引取り、その間にチカゲは軽い食事を採った。
******
昨日の衝撃的な出来事と、その後のパルスタード探索の疲れから、半日寝台にいた老師匠は、チカゲ達が来るという先触れに、いつもの黒に金糸の縁取りをした長衣を纏い身支度を整えて待っていた。
「ご無理をさせて、申し訳ない」カナメが礼をいうと、魔導師長は、やや寠れた顔に薄く笑みを乗せた。
「なんの。このような事態を招いた責任は、私にも十分あります。王子様方のお働きに少しでも早う、お役に立てませぬと」
早速本題に入りましょうと、魔術師長はチカゲ達を執務室の大机の前へと誘った。
「ご存じと思いますが、チナミ様がエルウィードに施した術は、魂と魔力を分離して封印するものでしてな」
机の前に座っ魔術師長は、ゆったりとした口調で話し始めた。
「人の身体とは、実質的なものとしての肉体だけではなく、魂と気力というものとが、肉体に内在して出来上がっております。
魂だけでも人にはならないし、気力だけというのは当然有り得ない。肉体と魂と気力、この三つが揃って初めて、人は人たり得る。
どれが大事ということではありませんが、特に気力は、人が生きていく上で様々な活動をするために重要な役割を担います」
魔法の講義で散々聞かされた説明だが、チカゲは改めてしっかりと聞く。
「チナミ様は、死してもなお禍いをもたらすであろうと考えて、エルウィードの魂と魔力を、生きたまま肉体から分離したと、伝えられております。死した肉体から離れた魂と魔力を、それぞれ急いで捕まえ封ずるよりも、先に封じて引き離したほうが、間違いなく押さえられます。しかしそれは、並の魔術師に出来ることではありません。チナミ様の強大な魔力をもって、初めて為し得た技でしょう。
ご存じの通り、チナミ様は『褐色の塔』を五層に分け、第四層にエルウィードの魂を、そして第五層、最奥の層に魔力を封じたのです。第四層まではチナミ様の魔力と、『光の塔』が形成する魔法陣のみで封印がされております。二重の封印に時折緩みが生じるのは、さて、我らも幾度も調べましたが何故かは分かりません」
「神と言えども元は人、だからかな」
「さよう」魔術師長は頷いた。
「これは推測に過ぎませんが、チナミ様方の魂が神に昇格したのは、二千年もの長い間に人々が『神』として崇め、少しずつ人々の気力が塔に注ぎ込まれたため、魂が生前の記憶を留めたまま純化された、稀な結果でしょう。
人々の敬意の籠った気力によって磨かれた魂は、神となり、元々強大だった5柱の神の気力は、『神気』にまで昇華なさった」
「じゃあ、逆に人々から邪悪と恐れられたエルウィードの魂も、人々の恐怖の気持で、更にパワーアップしたんじゃ」チカゲの指摘に、魔術師長はふむ、と長い顎鬚を撫でた。
「姫様のお考え、一理ございますな。
塔から抜け出たエルウィードの魂は転生します。正確には、転生、と言うより憑依ですな。何故ならば、完全な転生とは一度、純化を経て魂の世界に行き、そこから再び現世に人として戻ることを言います。
奴めの魂は純化はおろか、魂の世界には無論行かず、既に母親の胎に宿った命の魂に寄生し誕生します。そのため、幼子のうちは完全なる転生と同じくエルウィードの記憶は無い。しかし、寄生――憑依であるので、長じるに従い徐々に奴めの魂が宿主の魂を喰い、奴めの記憶が蘇って来るのです。
最初と違い、今回、パルスタードのような強い魔力を持った者に憑依したというのは、エルウィードの魔力もまた、人々の負の気力によって強まったため、とも思えます」
「それって、最低かも……」
言ったのは自分だが、それでも不快になって、チカゲは顔を顰める。
宮廷魔術師長の執務室の置き時計が、ちん、と午後二時の鐘を叩いた。
チカゲは、僅か一日でげっそりとやつれた魔術師長を、心配な面持ちで見詰めながら聞いた。
「けど、そもそもどうして倒してしまわずに封印したんでしょう?」
「そこでございます」魔術師長は、内弟子の少年を呼び、奥の書庫へ品物を取りに行くように言い付けた。
程なく、少年は古い羊皮紙の巻き物を一巻、持って来た。
魔術師長は枯れた指でその帯を解き、卓の上へ広げた。
「これは、二千年前に滅びたヒナタ国の王家の系図です。アケノの魔術師長が代々、研究のために王からお借りしている大事な巻き物です」
ヒナタ国のあった場所は現在、消える河の注ぐ大砂漠になっている。
エルウィードとチナミ達の戦いによって、街という街、村という村がことごとく破壊され瓦礫と化し、人々が国を捨てたためである。
一度人の手が入った大地は、人間が手入れをしなければ気脈が乱れ、水が涸れて砂漠へと変貌する。
ヒナタ国の王家の系図がアケノにあるのは、恐らく、チナミがエルウィードを封印した後に、ヒナタの王宮跡から残った書物とともに持ち出させたものであろう。
魔術師長は、片眼鏡を掛け、系図を覗き込む。
「これを見ると、ここに」と、枝の形に線が引かれ幾つもの名が細かく書き込まれた最後の方を指差した。
「チナミ・エスタス様の名があります。チナミ様は、ヒナタ国の王太子であらせられました。そしてここに、エルウィードの名があります。悪しき魔術師は、血筋で言えばチナミ様の兄に当たりました。ただ、赤い線で書かれていることから、庶子であったと思われます」
「じゃあチナミ様は、兄上だったからエルウィードを倒すのをためらわれたんだ」
チカゲの推理に、だがカナメは異を唱えた。
「それは、無いな」
「あー、俺も同感だな」トシヤも同意した。
「え? どうして?」チカゲは首を傾げた。
「実の兄上なら、ある話じゃないの?」
「我がアケノの国王陛下には、ご側室たる女性はいないからなあ」
トシヤが、苦笑しつつチカゲに説明した。
「他国じゃ、王や貴族は正妃の他に大概二、三人からの妾妃を抱えている。妃達は実家の命運を背負っているから、当然、互いに王の気に入りになろうと競い合う。そんな環境で、同じ血を分けたと言っても腹違いの兄弟が、相手に愛情なんて持てる訳がねえ」
「……そっか」
そうだよね、とチカゲは納得した。アケノでは聞かないが、隣国ナナセの王宮では、正妃と妾妃が、己の王子を何としても次期国王にしようと争っていると聞いた。
「兄弟だからって、倒すのを止められたんじゃないんだ。……じゃ何でだろう?」
「さて。ただ一つ、ヒナタは平民より、王侯貴族の方が魔力が数段強かった、という話が残されております」
「倒したくとも、倒せなかった」系図を睨んだままのカナメが、呟いた。
「エルウィードは、本当に強かったのだろう。チナミ様の魔力や、仲間達の並外れた武力をもってしても、奴を倒すのは不可能だった。そう考えた方が筋道が通る」
「どちらにせよ」
魔術師長は、静かに羊皮紙を巻き戻した。
「パルスタードは今一度、最後の封印を解きに現れるでしょう。その前に、こちらは手を打たねばなりますまい」
「どうやって?」
カナメが、険しい表情で尋ねた。
「まずは『光の塔』の封印を調べねばなりますまい」
チナミを初めとする五体の神々がそれぞれ祀られた塔は、アケノに異変のある時、淡く清い光を放つと言われていた。
「『光の塔』は神々の魂と気力の入れ物です。あの塔が『褐色の塔』の周囲を囲むことによって、五つの封印、特に第五の封印が頑強に保たれているのです」
「そのことを、パルスタードは知っているのですね?」
カナメの問いに、老師匠は「如何にも」と答えた。
チカゲは、昨夜またも逃げたというパルスタードが今にも舞い戻って、『光の塔』を壊し封印を全部解いてしまうのではないかと、一瞬物凄い不安に襲われる。
「だったら、こんなとこでのんびりしてられないよっ!! 早く『光の塔』を見に行かないと。もしパルスタードが塔を壊したりしてたら――」
「そんなに慌てる必要はないよ、チカゲ」
カナメは、血相を変えて立ち上がった妹に、のんびり言った。
「魔力防御があるのを忘れてるだろう? 魔術師の『魔力』は、王宮の敷地内に入って来ようとすると、必ずこの魔法に引っ掛かる」
特殊な塔が並ぶシノノメ王宮の敷地内は、外部からの侵入者が無闇に塔に近付かないよう、防御魔法が城郭に沿って張り巡らされている。
防御の魔法は魔力防御と物理的防御が二種類掛けられている。
防御魔法は代々の魔術師長以下、宮廷魔術師達が常に目を光らせ、綻びがあれば補修している。
一度外へ出ると、従って宮廷魔術師と言えど正門である王宮正面門を通らない限り、防御魔法に『不審者』として弾かれる危険があった。
ただ、移動魔法の魔法陣を使用する場合のみ、通行証を携帯していれば、魔法防御には捕まらない。パルスタードは最初に捕らえられた時、宮廷魔術師のみが携帯出来るその通行証を、取り上げられている。
「強い魔力を持った魔術師が減った今日では、必要ない魔法かと思っていたけど……。こんな形で重要になるとはね」
「ま、でも慌てなくてもいいと言っても、そーいう話ならやっぱ『光の塔』は一応見て来ねえとまずいやな」
これからすぐ行くか? というトシヤに、カナメもチカゲも同意した。