24.究極呪文
「それは――」マリが、困惑した面持ちでチカゲを見る。
「パルスタードが、その究極呪文を欲しがってるの。でも、チナミ様があいつが知らない呪文の前半部分を含めて、全文を何処かへ隠してしまわれたって」
四人は、顔を見合わせた。
「知ってるのね? 何処にあるの?」
「……チナミと一緒になってたのに、知らねーのかよ?」
ハーシェルが、厳しい表情で逆に尋ねた。
「うん、知らない。チナミ様は、私に流れる魔法の記憶は、凄く制御してらしたから」
思い返して、やはり信用されてなかったのかな、と、チカゲは少し悲しくなる。
ハーシェルが「そうか」と唇を噛んだ。
「言っとくけど、あれは飛んでも無く危険な呪文だ。大体、あんなもん覚えたって普通の魔術師には発動出来ねえぞっ。チナミだって無理だったんだから」
「でも、今のパルスタードには、発動出来るよ」
チカゲは、硬い声で言い返した。
「今のあいつには、どんな魔法も大きなダメージは与えない。けど、究極呪文だったら――」
「バッカっ!! んなもん無闇に発動したら、みんなぶっ飛んじまうだろーがっ!!」
トシヤが、腕を振り回しながら怒鳴る。
チカゲは、むっとしてトシヤの長身を睨み上げた。
「じゃあっ、どーやったらあいつを倒せるのよっ!」
「それはあっ」
「少々、よろしいかな?」
トシヤとチカゲの言い合いに、魔術師長がおっとりと割って入った。
「それについて、ひとつ良い案が、ありますのじゃが?」
二人だけではなく、カナメ達三人も寄って来た。
「『光の塔』は『褐色の塔』の封印を強化するために、神々自らが結界石となり建てられました。結界は、本来核となる、魔法の掛けられた石なり物があれば、完成します。現在、皆様には四柱の神がそれぞれ降臨なさっています。それと、姫様には強大な魔力があります。ということは」
「そうかっ」カナメが手を打った。
「僕達が結界を作り出せばいいんだ。その中にパルスタードを閉じ込め、呪文を発動すれば……」
「効果は結界の中に止まるっ。なるほどなっ」
感心するハーシェルに、だがマリが眉を寄せた。
「しかし……。私達が作る結界で、果たして究極呪文の威力を押さえられるでしょうか?」
「びくびくしてたって、しょうがねえ。やってみるしかねえなっ」
トシヤが、何時にない真面目な表情で腕を組んだ。
「ねえ、ところで、究極呪文は、何処にあるの?」
チカゲの尤もな質問に、それを失念していた四人ははっとする。
「ああそうか。チナミから教えて貰ってねえんだっけ」
うんうん、とチカゲは頷く。ハーシェルは、カナメの顔を見た。
「究極呪文は、実は僕達の中にある。正確には、神々の魂の中に。その前に、チカゲが発動出来るかどうかという、初歩的な問題がある。けれど」
と、カナメは一度言葉を切り、妹の薄緑の大きな目を覗き込んだ。
「僕は、チカゲの魔力ならいける、と思う」
チカゲは、兄の表情から自分への絶対の信頼を読み取り、思わず胸が熱くなった。
「年中大暴走する程、魔力余ってるもんな」
心中に沸き上がった感動に水を差され、チカゲは、にやりと笑うトシヤに、「年中じゃないもんっ」と、いつもの膨れっ面を返した。
ハーシェルとカナメが吹き出し、魔術師長とマリが苦笑する。
「まあ、トシヤじゃねえけど、やってみるしかねえしな。とにかく、究極呪文じゃなくっても、チカゲの魔力を最大出力にして奴にぶつける積もりなら、結界は絶対必要だしな」
ハーシェルの意見に、皆が頷いた。
カナメが、改まった体でチカゲに向き直る。
「というわけで、チカゲに究極呪文を教える。ひとつ注意しなければならないのは、この呪文はもの凄く魔力を消耗するから、一度発動したら、続けて二回は発動出来ない、らしい。『らしい』というのは、僕達は魔術師ではないので、この説明はチナミからの受け売りだ。ただ、ほぼ間違いないと思う。なので当然、これを使った後は他の呪文も使えなくなる。そこのところをよく考えて、戦うことだ」
「分かりました」チカゲは決心を込めて、兄に頷いてみせた。
「では、手を出して……」
兄に言われるまま、チカゲは両手を前へ出す。上に向けた掌に、カナメが、次にハーシェルが、トシヤが、そしてマリが手を翳す。
依代となっている彼等の掌から、真っ白な光が溢れ出し、それが、チカゲの掌の中に移って行く。
四人から流れ出た光は、掌を通じてチカゲに呪文の情報を伝える。頭の中で無数の光の文字が乱舞するような感覚に、チカゲは目眩を覚える。
やがて、カナメ達が手を下ろした。チカゲの頭の中の光の舞いも止む。
くらくらするのを、ようやっと堪えて立っている妹に、カナメは言った。
「チナミの持っている部分が足りないが……。チカゲなら何とか補えるだろう」
「うっ、うん……」
一応頷いた。が正直に言えば、自信がない。呪文の流れの大半は分かるので、発動を始めれば、多分、最後のチナミの持っている部分も出てくるだろう。
「うおっ、おいでなすったぜっ」
はるか上空を見上げたトシヤが、低い声で言った。チカゲ達も、そちらを見る。
夜空に、パルスタードが、浮かんでいる。まるで墓場から現れた死者のように、魔術師の身体は青白い淡い光に包まれている。
ぼんやりと燐光している魔術師は、どういうわけか、まだ下方へ来ようとはしていない。
こちらとの間合いを、見計らっているいるのか、と、チカゲは身構えた。
と、パルスタードを睨み上げたカナメが、低く呟いた。
「もしかして……、魔力の倍加によって『器』の身体が保たなくなっているのか?」
「って?」チカゲとハーシェルが、同時に訊く。
カナメは、「僕は、専門家ではないのでね」と、魔術師長を見た。
魔術師長はアケノの王太子の、「説明を」という視線に頷く。
「魔力というのは『気力』――本来、人間が生きて行くために必要な力です。魔術師は、それを呪文を使い物質に変換します。こう、ご説明しますと簡単ですが、魔術を使うには、並の者よりも、生まれついての『気力』が大きくなければなりません。 一定量の『気力』がなければ、魔術は使えぬ、ということです。
また、人の『気力』というものは、余程不摂生をしたりせぬ限り、ある程度一定です。年齢などで、徐々に増えたり減ったり、ということはありましょうが、一度に極端に増大する、というのは、まずあり得ないでしょう。……私も、王太子殿下のご推察通り、パルスタードの身体が、一挙に増えたエルウィードの『気力』に耐えられなくなりつつあるのでは、と考えております」
「耐え切れなくなった最後は、どうなるんです?」
マリの質問に、魔術師長は長い顎髭を撫でながら、「さて」と目を閉じた。
「魔力が暴走し、気が狂うか、もしくは、身体を破壊するか……。見聞きしたことは、ございませんでなあ」
チカゲ達は、パルスタードが自らの魔力でばらばらになる図を想像して、思わず息を飲んだ。
「でも、だったらほっといてもいいんじゃねえの?」
ハーシェルが、横目で敵を見ながら小声で言った。
「あいつが勝手に死んでくれるなら、こっちの手間が省けんじゃん」
「それは、どうかな?」カナメは、上から目を逸らさず、肩を竦めた。
「奴のことだ、自分が死ぬ前に、必ず世界を破壊して退けるだろう」
「ちぇーっ。めっちゃ根性悪……」
ヒノワの王太子が悪態をつき終わる前に、ようやく悪しき魔術師が上空より降下して来た。
「やっぱっ。来やがったっ!!」ハーシェルが歯を剥き出す。
「おっしゃ、やるっきゃねえなっ!!」
トシヤがテオドールの宝具を取り出した。
「手筈通りだなっ?」
「ああ」
頷くカナメに親指を立てて、近衛軍軍団長は右側へと大きく開いた。
それを見て、マリが左に素早く開く。
左右に広がった五人の中程に、パルスタードは降りた。
「ほう……。火の鳥と戦って未だに生きていたとはな。中々悪運が強い」
「そりゃおまえの方だろがっ!!」トシヤが言い返す。
「チカゲのバカ魔力を受けてぶっ飛ばないなんて、おまえの方がよっぽど悪運が強えぜっ!! もっとも、空中で長いことぼーっとしてるとこみると、頭は少々イカれたみたいだなっ」
「私を、何だと思っているのだ?」
灰色の魔術師は、さも不快だと言うように細い眉を吊り上げた。
「今の私は、『器』の魔力と本来のエルウィードの魔力両方を併せ持つ、最強の魔術師だ。アケノの王女ごときに遅れは取らぬ」
「言ったなぁっ!!」傲慢な台詞に頭に来て、チカゲは吼えた。
「その目茶苦茶腹立つ言い方、今度こそ絶対出来ないようにしてあげるからっ!!」
パルスタード——エルウィードは、青白い光を帯びた顔を、嘲りに歪めた。
まるで地獄の悪鬼が獲物を認めて喜んでいるような不気味な笑みに、チカゲだけではなく、その場で彼を見ていた全員がぞっとなる。
「いい度胸だ。……だが、その元気も何時まで持つかな?」
言うなり、エルウィードは魔法を発動した。