20.チナミの魔力
「この数だ、そう長くは持たない」
美麗な面を厳しくするカナメを、トシヤは横目で見る。
「出るか?」
「しかし、今、我らが王宮を離れる訳には行かないのでは?」
マリは、護衛の兵の手職の明かりに浮かぶ二人の横顔を見る。
「『光の塔』の結界が心配です」
「確かに。今俺らが出るとなると、塔の結界が弱まる。正にパルスタードの思う壺だ」
ハーシェルが、歯噛みする。
「けどこのまんまじゃ、どっちにしてもシノノメは壊滅だぜっ」
不意に、チカゲの頭の中でチナミの声が響いた。
『サンダー・アロー(雷矢)なら、全部の敵を一遍で倒せるかもしれない』
雷矢は、風の魔法の中でも上級に属する呪文で、術者の魔力が強ければ、一度に広範囲に稲妻の矢を降らすことが出来る。しかも、呪文の中に特定の目標の名を入れておけば、その物(人)を狙って魔力を集中させるのも可能だ。
狭い範囲ならば、チカゲも発動した経験はあるが、眼前のゴーレム全てというほどの広範囲な発動は初めてだ。
だが、チナミが雷矢で敵を倒せるというなら、やってみる価値はある。
チカゲは、兄の顔を見た。
「私がやる。兄上、魔術師長に一時結界を解くように言ってっ」
魔法防御があると、大規模な魔法の場合、威力が半減したり変質して発動したりする恐れがあった。
チカゲの提案に、しかし意図の分からないハーシェルとトシヤは目を剥いた。
どうやら、チナミは他の仲間には聞こえない方法で、チカゲにだけ作戦を伝えたらしい。
「え? 解くって……。城、丸裸にする気かよっ!?」
「この数だぞっ? 今結界解いたら雪崩打って入ってくるぞこいつらっ!!」
眼前で、跳躍しては結界にごんごんぶつかっている死の犬を、トシヤは指差す。
チカゲは、表情を引き締めて頷いた。
「一時的に、よ。大丈夫、必殺技があるから、心配しないで」
言うなり、チカゲは楼閣の手摺の上に立つ。
「兄上、お願い」
「このままだと、どちらにせよこいつらが雪崩れ込んで来るのは必至。……いいだろう」
カナメは、彼等の背後に控えていた兵に、急ぎ魔術師長に結界解呪を伝えるよう命じる。若い兵は全速力で楼閣を降りて行く。
手摺に立ったチカゲは、夕闇の迫る市内を蠢く敵を、じっと見詰めた。
ゴーレムは、動きの遅いのもあって、今やっと先頭が王宮前広場に到着した段階だった。
対して、死の犬は、恐らくパルスタードが召喚した全てであろう二十頭余りが、激しく正面門と楼閣を攻撃している。
術を掛けるなら、ゴーレムがこれ以上王宮に近付かないうちがいい。
自分で解呪呪文を唱えてもいいのだが、そうすると攻撃呪文の発動より死の犬が先に王宮内に入ってきてしまう。
そうなると、この絶好の位置での魔法発動が難しくなる。
別の人間に防御を解呪してもらい、その前に自分は攻撃呪文の発動準備をしておいたほうが、即座に敵を倒せる。
「……早くしてえっ」
魔術師長の到着を、チカゲは今かと待ちわびる。
程なくして、三人の魔術師が楼閣に駆け上がって来た。
「遅く……、なりましたっ!!」
来たのは、パルスタードに代わり魔術師長補佐となったルシアン・トウノである。
パルスタードと同期に宮廷魔術師となったルシアンは、魔力ではパルスタードに劣るものの、勤勉で人柄も良く、魔術師長の信任も篤い。
他の二人も、宮廷魔術師の中で五本の指に入る実力の持ち主だった。
「魔術師長は?」
尋ねたハーシェルに、ルシアンは苦笑する。
「師匠がこの短時間でここまで来られるのは無理ですから。その代わり、これをお預かりしました」
補佐は、胸に下げた小さな水晶球を、チカゲに見せた。
「我々が解呪呪文を発動すると、この球が対の球に発動を知らせます。師匠はそれを頼りに、別の場所で術を発動されます」
「分かったわ。それじゃ始めるけど、私が呪文を唱え終わると同時に、解呪を掛けて下さいっ」
はい、とルシアンが頷く。
チカゲは呪文を唱え始めた。
「……我が魔力の流れ、雷の形に変わりて我が敵を討ち滅ぼすべし。しかして全ての雷、矢と変じ、雨の如く天より降り注げ。サンダー・アロー」
詠唱を終えたチカゲの掌に、子供の頭程の光球が乗っていた。
空かさず、ルシアンと他二人が物理防御魔法の解呪を唱える。
「――デスペルっ!」
魔法は、その術の大小にもよるが、大概の場合、掛ける魔力より解く魔力のほうが小さくて済む。
魔力の無い者には分からないが、チカゲを含む四人の魔術師には、幾重にも掛けられていた二つの防御魔法が、解呪と同時に消え去るのが感覚として確認出来た。
物理防御魔法が解かれた刹那、跳躍を繰り返していた死の犬が、彼等の立つ欄干に着地した。
「来やがったっ!!」
カナメ達が、武器を構える。チカゲは犬を避けて、掌の光球を頭上へ投げた。
表面に無数の稲妻を纏い付かせた球は、急速に膨らみながら上昇し、ある大きさまで膨らんだ時点で、炸裂した。
チカゲの魔力を、チナミの魔力が制御した雷球は、どれも五十センチ程の細長い棒状の稲妻となって地上に落下する。凄まじい速度と正確さで、ゴーレムや死の犬を襲った。
ハーシェルとカナメが向き合っていた一頭も、降って来た雷矢の一本に串刺しにされ、甲高い咆哮を残して消えた。
「……すげーっ」
広場を埋めようとしていた魔法人形の群れも、魔獣の姿も一瞬の間に消え去ったのを確認して、ハーシェルが心底からの驚きの声を漏らす。
「やったな」
背後から掛けられた兄の称賛に、チカゲが振り向いて笑おうとした時。
突然、ハーシェルが飛び付いて来た。
チカゲは、力任せに欄干に叩き付けられる。
仰向けに倒れた彼女の上に、ハーシェルの顔があった。
「なっ、何すんのよっ!?」
チカゲは真っ赤になって怒鳴った。
前に女官長に言われた『求婚』という言葉が頭を過ぎる。しかし、この状況で、しかもこんな過激なやり方は、いくら何でも無いだろう。
「もーっ、止めてよっ!! こんな時にっ!」
恥ずかしさから半分怒りながら、チカゲは少年の身体を押し退けようと肩に手を掛ける。
と、その手にぬるりとした液体が触れた。
「なに……、これ?」
「殿下っ!」
マリが、駆け寄って来た。その時初めて、チカゲは少年の口許から血が滴っているのに気が付いた。
マリがハーシェルの身体を抱き起こす。急いで起き上がったチカゲは、ハーシェルの背と肩に長い槍のようなものが突き立っているのを、認める。
兵の手燭にきらきらと光る透明な形状から、それが魔法で作られた氷の槍だと知れた。
血の気が引く。目の前で二度も、仲間が傷付くの見るなんて。
「ハーシェルっ」がっくりと膝を着いたチカゲの元に、トシヤとカナメもやって来た。
「アイス・ランスかっ」
引き抜こうとするトシヤの手を、カナメが止める。
「待て。やってる場合じゃなさそうだ」
仲間を見ずに言う兄の視線の先を、チカゲはぼんやりと辿った。そこには、灰色の髪をした長身の魔術師の姿があった。
「思う壺だな。結界を解呪してくれたことに感謝しよう、アケノの王女」
「パルスタードっ!!」
途端、放心状態に陥り掛けていたチカゲの裡に、かっ、と怒りがみなぎる。
王女は勢いよく立ち上がり、魔術師を睨み上げる。
パルスタードは、小馬鹿にした笑みを浮かべ、彼女を見下ろす。
「おまけに、こんなに早く『光の塔』の結界も解けた。本当に、おまえの無能には頭が下がる」
「こんのお……っ、根性ワルっ!!」
自分が卑下されたより、仲間を傷付けられたことに大いに腹を立てているチカゲは、一挙に捲し立てた。
「世界に恨みがあるとかなんとか知らないけどっ、二千年も前のこと未だに引き摺ってっ!! バカじゃないのっ!! どんな形で生まれようと自分は自分じゃんっ!! それをっ、他人に八つ当たりするのもいい加減にしろってのっ!! あんたこそ、能無しの最低よっ!!!!」
出生の秘密に触れられ、エルウィードの『転生の器』は薄ら笑いを止める。
「……貴様に、何が判るっ!」
チカゲはふんっ、と鼻を鳴らした。
「なあんにもっ! あんたみたいなヒガミ根性の塊の気持ちなんて、全っ然判りませんっ! 私はっ、いっくらトシヤ兄やカナメ兄上に苛められても、やり返すファイトは持ってるもんっ!」
「この……っ、小娘がっ!」
パルスタードが腕を顔の前で曲げる。
魔法が来ると察知したチカゲは、チナミの杖を右手で持ち、構えた。
チカゲがパルスタードと言い合いをしている間に、ルシアン達三人の魔術師が、ハーシェルの身体を貫いた氷の槍を抜き傷を塞いでいた。
その時間を作るために、チカゲはわざとパルスタードと言い合いをしたのだ。
カンカンに頭に来ているのに、相手の動きは酷く冷静に判断出来ている自分を、チカゲは不思議に思う。
だが、それが何故だか検証している暇は無い。
「兄上っ、早くハーシェルをっ!」
「分かっているっ!」
傷は完全に塞がったが、失血が多かったためか、少年の意識はまだ戻っていない。
トシヤが小柄な少年を抱き上げて、欄干の入り口まで移動したのを目の端で確認した時、パルスタードが、曲げた腕を前へ伸ばした。
「我が要請に従いいでよっ、魔の鳥よっ!!」
突き出された掌から光が迸る。光は急速に上へ伸び、巨大な鳥の形になった。
それは、伝説でしかないと思われていた、火の鳥だった。