2.悪しき魔術師の『器(うつわ)』1
大広間には、既に主だった廷臣と貴族が集まっていた。
カナメとチカゲの父、アケノ国王ナユタ二世は、既に玉座に着席していた。
魔術師長が、皆の目が集まる中を静かに玉座の前へと進む。
老魔術師と一緒に入室したチカゲとカナメは、玉座の前で父に一礼し、左右に別れ玉座の脇に立った。トシヤは彼の父、王弟公の隣に、廷臣達の背後から滑り込んだ。
ナユタ二世は、ゆっくりと膝を折る老魔術師を沈痛な面持ちで見下ろした。
「そなたには、まことに辛い事態となった。魔術師長補佐パルスタードが本日昼、『褐色の塔』の封印を解いたのだ」
『褐色の塔』とは、シノノメ宮の本殿のすぐ側に建つ、尖塔である。
二千年前、アケノの太祖にして主神であるチナミ・エスタスが、西の地のヒナタ国を滅ぼしたとされる悪しき魔術師エルウィードを、この地に追い詰めて討伐した。
人は通常、死ねば魂は生前の記憶を無くして純化し、魂の世界と呼ばれる異世界へと旅立つ。
気力――魔術師はこれを魔力に変換するのだが――は魂の純化に伴い霧散する。
が、エルウィードはこの世界に強烈な未練を残したまま肉体を失った。そのため、魂は生前の記憶を留めて純化せず、魔力も、魂が残存しているために、肉体があった時と同等に保たれてしまった。
滅ぼせないエルウィードの魂と魔力を封じたのが『褐色の塔』である。
危険なエルウィードの魂と魔力を、チナミ達は自らの魔力――チナミ以外の四人は気力――で封印した。
封印の魔力を安定的に維持するために、チナミは『褐色の塔』の周囲に『光の塔』と呼ばれる、五つの白亜の建物を建て、それに自分と仲間達の気力を注ぎ入れた。
肉体を無くしてからは、魂を『光の塔』に封じ、エルウィードと同じくこの世界に残存させることで、封印を維持している。
『褐色の塔』は、チナミとその仲間の神々によって、強力な封印がされているため、よほどの魔力の持ち主でなければ封印は解けないのだが、過去、愚かにも幾人かが封印を解こうと試みた。
いずれも解く事は出来ず、逆に企みが発覚して死罪に処せられていた。
パルスタードをこれへ、と宰相が衛兵に言った。
程なく、控えの間に入れられていたパルスタードが、縄を掛けられ衛兵に両脇を持たれ引き摺られるように広間へ入って来た。
灰色の髪を背の中程まで伸ばした長身の若い魔術師は、居並ぶ貴族達を見回すと、侮蔑するように笑う。
パルスタードは今年で二十九歳。
魔術師長の弟子の中でも、チカゲと並ぶほどに魔力が高く、また魔術と歴史に造詣が深い。ために通常四十過ぎにならなければ就けない宮廷魔術師長補佐の地位を、その若さで与えられていた。
玉座の前へと引き据えられたパルスタードは、衛兵に肩を押し付けられて膝を付いた。
魔術師長は、些か疲れた表情で右脇に跪いた愛弟子の、白蝋のような横顔を見やった。
「パルスタード・ニムラ。そなた何故に『褐色の塔』の封印を解いた?」
いや、そもそも強力な神々の封印を解けたことが凄い、と、チカゲは内心唸る。
――私の魔力でも、無理、なんじゃないかなあ。
チカゲがパルスタードの魔力について妙な感心している最中。
詰問した宰相に、パルスタードはふん、と鼻で笑った。
「何故? 己のものを取り戻すに理由がいるのか?」
「己のもの、だと?」
「そう……」
パルスタードは、喉の奥で笑った。
「あの塔に例の小僧が封じ込めたものは、私のものだ。小僧、余程私が復活するのが怖かったと見える、ご大層にあんな大きな塔を造り、五重もの封印を施すとは」
暴言に、居並ぶ貴族廷臣が色を成す。右列の騎士が怒鳴った。
「こっ、小僧とはっ、チナミ様のことかっ!」
「他に、誰がおる?」
「貴様っ!! 我がアケノの太祖にして魔術の神を愚弄しおってっ!」
「ははは、あれが魔術の神とは。お粗末な話だ」
「何とっ! ますますけしからんっ!」
「極刑にしろっ!」
口々にパルスタードの態度を非難する。
「止めいっ! 静まれっ!」
ナユタ二世が声を上げた。廷臣達の怒号が収まる。
魔術師長が、静かに弟子に訊いた。
「そなた、エルウィードの『器』であったのか?」
老魔術師の問いが、一度静まった広間に驚愕と緊張を走らせる。
「まさか……っ! では『褐色の塔』の封印が三度緩んだというのかっ!?」
廷臣の一人が叫ぶ。
二千年前、チナミは確かにエルウィードを『褐色の塔』に封印した。が、如何に強固な封印でも、年月による変化は致し方無いものなのか、封印は千年後には緩み、エルウィードの魂は『器』を得て転生を果たした。
『器』であったアルフレッド・オウノという騎士は、アケノに建国以来最悪の内乱を起こした。
しかし、チナミを除く四体の神が依代に降臨、見事にアルフレッドを捕らえた。
アルフレッドは処刑され、神々の依代と、当時の宮廷魔術師長によって、エルウィードの魂は再び『褐色の塔』に封印し直された。
ところがその七百年後、現在から三百年前、エルウィードはまたも転生した。
その時は靴職人で、王政反対を唱え民衆を扇動、シノノメ市内の半分を破壊した。
が、またも四体の神が降臨し、エルウィードの『器』を倒し、魂を塔に封印し直した。
いずれの『器』も、気力を魔力に変換する能力が無かったため、アケノが第二のヒナタとなるような事態には至らなかった。
が、もし、並ならぬ魔力を有するパルスタードが間違いなくエルウィードの『器』ならば、過去二度の転生より最悪となるのは必至だ。
思わぬ事態に顔を引き攣らせた人々が見詰める中、パルスタードは当たり前だというように「ああ」と、素っ気なく頷いた。
「如何にも師匠の言う通り、私はエルウィードの『器』だ」
黙って成り行きを見ていたチカゲは、パルスタードの答を聞いた途端、ぞくりと冷たいものが背を走るのを感じた。
「……何時、それが分かった?」
驚きに震える声で、魔術師長がパルスタードに問う。
パルスタードは不敵な笑みを作ると、縛られていた縄をするり、と身体から外した。
「なにっ?!」
縄の端を持っていた衛兵は、信じられぬ出来事にパルスタードと己の手の中の縄を交互に見る。
トシヤが、獲物を狙う肉食獣さながらの滑らかな動作で、玉座と若い魔術師の間に立ちはだかった。
パルスタードは灰青の瞳で彼を一瞥する。
「魔術を習い始めてすぐに、私は己の魂が術を欲しているのが朧気ながら分かった。ぼんやりとした感覚は、術を覚える都度、だんだんと蘇り、それがやがてエルウィードの感覚だと気が付いた。師長が補佐に推挙してくれた時には、私は己が偉大なる魔術師の生まれ変わりであるのを、完全に悟っていた。
……師長には、大いに感謝している。商家の使い走りだった孤児の私を引き取り、魔術を教えてくれ、私の魂を目覚めさせてくれた恩人だ」
「……なんということだ」
魔術師長は、長年目を掛けて来た愛弟子の絶望的な告白に、額を覆ってくずおれる。
「師長様っ!!」
弟子の魔術師達が、老師長を支える。チカゲも思わず師匠の側へ駆け寄った。
パルスタードは、打ちひしがれる魔術師長を冷ややかに見下ろし、言った。
「だが、私の行く手を阻む可能性のある者は、何人たりとも生かしてはおけない」
パルスタードは小さく呪文を唱えると、左手の掌を上へ向け、前へ出した。
彼の手には、稲妻を巻いて回転する小さな球が乗っている。
サンダー・ボール。
激しい放電を伴う雷球は、そのまま投げ上げれば的に命中する間に徐々に巨大化し、半径三メートルから五メートル以内のものや人を雷撃で黒焦げにする、恐ろしい魔法である。
魔力量によっては、この王宮の半分ほどを破壊することも可能だ。